2015年1月24日土曜日

【みみず・ぶっくす11】わが部屋をめぐる旅 小津夜景

【みみず・ぶっくす11】 
わが部屋をめぐる旅 小津夜景






【みみず・ぶっくす 11】
わが部屋をめぐる旅

花冷えのエスプレッソを飲み残す
逢ふことは告ぐることなる薬缶かな
オリーブの花や句帖のひまつぶし
蟷螂を祀りけむりを掻き暮らす
かささぎの影絵を摑む祖父の手が
ゾッキ本月さす棚のうすずみに
誰が綴ぢむノスタルジアぞ秋の蝶
浅き夢見ずて黒ずむなまこかな
しろながすくぢら最終便となる
眠り猫旅の画帖のおしまひに


2015年1月23日金曜日

●金曜日の川柳〔山本浄平〕樋口由紀子



樋口由紀子






矢車草の花が墓を白いピアノにみせる

山本浄平 (やまもと・じょうへい)

一般的で味気ない墓が矢車草の花を供えることによって白いピアノにみえるという。白いピアノへ導く独自の世界。白いピアノは亡き人に奏でる。「白」は純正で無垢。故人への気持ちの表われだろう。

いくら矢車草の花を飾ったからといって、墓が白いピアノにみせるなんてことは思いもよらなかった。矢車草と白いピアノに因果関係もない。しかし、見方のよって、あるいは発想の転換で今居る場、在る物が別のものになる。おおげさに言えば世界が変換する。墓は墓としてしか見ることができないでいた。というよりもそれが真っ当だと思っていたので掲句を読んだときは驚き、感心した。

山本浄平は明治生まれで、「ふあうすと」の発起人で創刊同人。「初めに川柳という枠があるのではなく、各作家の個性が、それぞれの川柳を創りだす」と作者の言葉にある。〈緑の芝生歩く白い靴白い孤独〉〈金平糖二粒落とせばふたつの水中花咲く〉〈ホテルの温室でポインセチアの色が待ってる〉『川柳新書』(昭和32年刊)所収。

2015年1月21日水曜日

●水曜日の一句〔谷川すみれ〕関悦史



関悦史








枯れすすむ体の上を鳩の群  谷川すみれ


『ヴェルーシュカ―変容』という写真集が80年代にあった。白人女性モデルが全身に精密なボディペインティングを施し、古びのついた木材や金属にそっくりの質感となって、背景の建物などに溶け込んでしまう作品集である。モデルのヴェルーシュカは、どの写真でも瞑想によって事物に還ろうとするかのように眼を閉じて写っていた。

この句は「枯れすすむ」で一旦切ってしまえば、冬枯れの野外で語り手が鳩にたかられているだけの、どうということもない光景に見える。しかし「枯れすすむ体」まで連体形でつながっていると取ると、途端にヴェルーシュカの写真のように、枯れゆく地面に変容中の語り手の上を鳩たちが歩いている図となるのである(飛んでいるとも一応は取れるが、「体」という即物性を押し出している点、鳩の脚が直に触れていると取った方が句が生きるだろう。飛んでいるならば「われの頭上を」といった形になるはずである)。

鳩たちは自分が何ものの上を歩いているのか知らない。そのことが却って、もはや大地とも人ともつかない、歩かれている者の心身の存在を感じさせる。

「冬枯れの」といった停止状態ではなく「枯れすすむ」という進行状態にあることが、鳩の群れの歩行と、人から冬枯れの地への変容が同時に進んでいくさまを思わせ、眩暈を呼び込む。

しかし句を形づくる言葉は、連体形か終止形かの両義性を別にすれば平板なほどに明確だ。ヴェルーシュカの写真でも人体の存在ははっきり見て取れ、ボディペインティングの完成度の高さとは別に、廃墟様の物件に溶け込まなければならない者の意識や作為もまた画面上であらわになっていた。無化への欲望が逆に個人の輪郭をはっきりさせてしまう辺りも、この句はヴェルーシュカに似ている。


句集『草原の雲―不自由な言葉の自由―』(2014.12 香天叢書)所収。

2015年1月20日火曜日

〔ためしがき〕 植樹計画 福田若之

〔ためしがき〕
植樹計画

福田若之


マイナビブックスの詩歌サイト「ことばのかたち」で、『塔は崩れ去った』全16回の連載を終えたところである。それについては何も言うことはないが、この『塔は崩れ去った』よりも前に、僕が秘密裏に企画し、秘密裏に断念した企画があった。それはおそらく、俳文としての『塔は崩れ去った』が、ああしたかたちをとったこととも無関係ではない。だから、いま、そのお蔵入りした企画について書いてみようと思う。この文章は、だから、ついに(あるいは、いまだに)書かれないままになっている作品についての批評的な後記(ないしは序文)として読んでもらうのがふさわしいと思う。

そもそもは、次の疑問からはじまった――句集ではなく句であるようなものを編む(ただ書くのではなく)ことはできないのだろうか?

僕には、句の蒐集が俳句形式にとって本質的であるようにはどうにも思われなかった。だからこそ、一句に重層性を与え、それだけでひとつの書物のような体裁をとらせることで、句集という形態に対して何かしらオルタナティブなものを提示することができるのではないかと考えたのだった。

そこで僕にインスピレーションを与えたのが、マーク・Z・ダニエレブスキー『紙葉の』(青字は原文どおり。本書では「家」という言葉が原則として青字で印刷されている。なお、原題はHouse of Leavesで、「別れの」の意味にも取れる)の構成だった。

この小説は、設定上は、ザンパノという盲目の老人が、ネイヴィッドソン記録というフィルムについての論文という体裁で書いた本文と注と付録(ただし、ザンパノの没後、本書を出版するにあたって、ジョニー・トルーアントという青年がさらなる注と付録をほどこしている(ただし、本書は、その第二版の刊行にあたって、ランダムハウス編集部がそれにさらなる注と付録をほどこしている))、であるが、実際には、無論、ダニエレブスキーが全部書いているし、初版から内容の変更はない。極めて迷宮的な体裁(とくにIX章)をとった小説で、『紙葉の』というタイトルにふさわしく、この小説自体がひとつの建築物であるような印象を与える。ほかにもさまざまな仕掛けが施されていて、いわば、西洋文学のさまざまな実験を追試しているような代物である。『紙葉の』に新しいところがあるとすれば、それらの手法を一冊に集めたキメラ性に他ならないだろう。和訳と原書では視覚的な印象がまるで異なるので、興味のある向きには、ぜひ原書に(も)触れることをお勧めしたい。

さて、この『紙葉の』に倣って、一句に複数の注釈を、その注釈にまた複数の注釈を、という具合に、限りなく注釈を施していくと、その接ぎ木の枝分かれによって、全体は一本の樹を連想させるものになるだろう。すなわち、まず上五と下五に注釈を付けて、上五の注釈の注釈を上へ上へ、下五の注釈の注釈を下へ下へ、継ぎ足してゆくと、縦書きの一句は、根と枝葉を持った一本の幹として姿を現すことになるだろう。この幹となる一句は、樹について詠んだものにするつもりだった。それによってメタ言語としてのあり方を際立たせることができると踏んだからだ。そこに膨大な注釈を百科全書的なものとして書くことができれば、そのとき、一句は一本のユグドラシルそのものになるだろう。

このように考えて、これはあきらかに紙媒体よりも電子媒体のほうが向いているだろうと思った。企画のためのwebページを開設し、はじめはただ一句がそこに表示されるだけなのだが、読者は日を追うごとにこの樹が根を広げ枝を増やしていく過程を目の当たりにすることになる。これを数十年単位で、限りなく成長させてゆくのである。

以上が、僕の植樹計画だ。ところが、ここで問題が生じる。僕自身が、企画だけで充分に満足してしまったのだ。しかも、おそらく、実行に移した場合に費やされるだろう努力のわりには、企画以上のものにはならない、ということが予感されてしまった。書くなかで新しいことが起きるような気はしなかった。書くために読むなかで、新しいものと出会うことはいくらでも期待できたのだけれど、それなら、書かずに読めばよい、という気がした。

そして、決定的な問題は次のことだった。幹が弱いと、樹は折れてしまう。数十年単位で注釈に没頭できる句を自分で作るためには、相当な準備が必要であって、その句が作られた時点で、注釈になにが書き込まれるのか大体決まっているような状態でなければいけないだろう。要するに、この企画を成功させるには、その最初の一句を書くのに数十年単位の時間が必要になるに違いなかった。

こういうわけで、この計画は、ついに(あるいは、いまだに)計画のまま、そこに、不在で、ある。


2015年1月19日月曜日

●月曜日の一句〔猪俣千代子〕相子智恵



相子智恵







雪嶺の奥に雪嶺喪に集ふ  猪俣千代子

句集『八十八夜』(2014.11 角川学芸出版)より

喪の句でありながら暗さはなく、風景を描くことで故人がどんな人だったのかが表れてくるように思えて惹かれた句。

〈雪嶺の奥に雪嶺〉は、実際に喪の場面で見た風景であると思うが、その山脈の険しさと奥深さは、故人の理想の高さや、故人が生きてきた道の険しさも思わせる。そして厳しいながらも雪の白さが清々しく、尊敬すべき人物であったように思われてくるのである。

下五〈喪に集ふ〉の「集う」によって、故人を慕った人たちの多さが描かれる。故人は、慕われて尊敬された、先生のような人だったのかもしれない。そういえば加藤楸邨は弟子が多く、門下は「楸邨山脈」と呼ばれたが、そのような歴史が脳裏に浮かんでくる。集った人たちもまた、自分の理想の雪嶺を進むのである。