2016年12月2日金曜日

●金曜日の川柳〔星井五郎〕樋口由紀子



樋口由紀子






湯たんぽの位置がなかなか決まらない

星井五郎

急に寒くなった。自身の自家発電力がめっきり弱くなってきたので、生活にどんどん暖房モノを投入していかなくてはならない。暖房モノを見繕いに店頭にいくと「湯たんぽ」の品数の多さに驚かされる。オシャレ度も増し、カラフルでひと昔前に一般的だった表面が波型に加工された金属性のものとはまるで別物の様相である。掲句の「湯たんぽ」はひと昔前の温度調節のしにくい、軽量ではないもののような気がする。

「湯たんぽの位置」なんて、すぐに決まるでしょう、他にもっと決まらないことがあるでしょう。よりにもよって「湯たんぽの位置」なんかで悩むのか、とつい言いたくなる。それなのに「なかなか決まらない」といけしゃあしゃあ言われると、眠ることは大事だから、「湯たんぽの位置」は大切なことなのかもしれないと思い直したりする。「触光」(46号 2016年刊)収録。

2016年12月1日木曜日

【週俳500号余韻余滴:私の自薦記事】今年もあちらこちらで 近恵

【週俳500号余韻余滴:私の自薦記事】
今年もあちらこちらで

近 恵


私の俳句の歴史は週刊俳句準備号より2ヶ月ほど早い2007年2月から始まった。だから週刊俳句が何周年とか言ってくれると「ああ、私も何年目に突入したのね」と解りやすくてよろしい。

ま、そんな事とは全く関係ない自選記事。

初めての文章は2008年3月の第45号で「2月の週俳を読む」を書いている。俳句を始めてほぼ1年しかやっていない、どこの馬の骨かわからないような私によくぞ振ってくれましたという感じだが、週刊俳句も最初の頃は近場の人を頼って書き手を募っていたわけで、まあこれはラッキーなデビューだというべきか。

そもそも論文は読んだことも書いたこともなく、鑑賞ならまだなんとかなるけれど、俳句の知識も乏しいので批評もできない。かと言って何かほかに精通していることもない。けれども俗なことなら書けそう。総合俳句誌は真面目な記事ばっかりで、せいぜい年賀状に添えたい一句なんて特集くらいしかなかったから、ここは思い切って週刊誌的な見出しで書いてみようと思ったのである。それが2008年12月21日第87号の記事「クリスマスは俳句でキメる!」だった。

http://weekly-haiku.blogspot.jp/2008/12/blog-post_21.html

この記事を書くにあたり、句会でも協力をしていただいた。そこには現在若手俳人の中核として活躍中の週俳スタッフ、当時はまだ大学生で紅顔の美少年のようだった生駒大祐さんや今年句集『天使の涎』で田中裕明賞を受賞した北大路翼さん、第3回芝不器男俳句新人賞にて対馬康子奨励賞受賞を受賞した中村安伸さん、また翌年2009年12月に邑書林から発行された『新撰21』には北大路翼さん、中村安伸さん、谷雄介さんが入集されるなど、その後活躍を見せることとなる結構な顔ぶれが集ってくれていた。そしてアップされた記事は「業界初・袋綴じ」という、週刊俳句でも後にも先にもない異例の処置がなされた記事となった。

で、今年もあちらこちらでクリスマスイルミネーションの輝く季節がやってきたのです。
最近はテレビ番組を見て俳句を始める若い人も増えてきたらしいし、ちょうど良いタイミングではないかと思いこの記事を引っ張り出してきたという次第。

最期に余談だが、当時この記事を読んで実際に彼女に試してみたという強者がいた。目的を果たせたかという点から言えば結果は玉砕だったらしい(要するに他のスキルが足りていなかったということか)が、現在はその彼女と結婚して一児の父である。よかったよかった。



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2016年11月30日水曜日

●水曜日の一句〔宗田安正〕関悦史


関悦史









昼寝より起ちて巨人として去れり  宗田安正


入眠幻覚の逆というべきか、起ちあがるほどはっきりと覚醒していながら、その身は不意につねならぬ「巨人」となり、歩み去る。

去られてしまったからには、「巨人」は語り手から見て他者ではあるはずだが、この句の場合、はたから他人のさまを見ている句か、自身が昼寝から覚めての句かの区別はあまり意味をなさない。ここに描かれているのは、ドッペルゲンガー(自己像幻視)的に自身が分かれてゆく啓示的光景である。何が「巨人として」去ったのか、主格が無化されているのは、自己と他者にまたがる、そのいずれにも定義づけられない何ものかが去っていったからなのだ。

この夏の光のなかへ去っていく「巨人」を、語り手個人の生命を超えて連綿とつながり広がる「命」そのものと取ることはもちろん可能ではある。ドッペルゲンガーじみているとはいえ、季語「昼寝」は句に夏の陽光を呼び込み、怪奇小説的な不吉な滅びの予兆として「巨人」が現れているようには見えないからだ。

しかし個と全体をいきなり一元化してしまう生命主義の退屈な目出度さ(「大いなるものに生かされている……」)とは、この句は一線を画していよう。「昼寝」の日常性から「起ちて」の動作を経ての「巨人」という異様なフィギュア(形象)出現への飛躍には、そうした平板さには回収されない違和がある。その違和に「巨人」が去った後の明るさが染まる。むしろ夏の季霊とでもいうべきものが、語り手の身を過ぎったと捉えたくなるが、そうした短絡も謹むべきなのだろう。この「巨人」は何かの隠喩か寓意のような顔で一句に闖入しながら、何を指しているのかが分からない「明瞭な不可知」であってこそ初めて出現を許されるものだからである。この句を成り立たせているのは、そうした違和そのものだろう。


句集『巨人』(2016.11 沖積舎)所収。

2016年11月29日火曜日

〔ためしがき〕 クレオパトラの鼻 福田若之

〔ためしがき〕
クレオパトラの鼻

福田若之

もし、クレオパトラの鼻がもう少し低かったら世界は違っていただろう、と考えるなら、そのときには、クレオパトラの鼻がもう少し低くあるために世界はどれほど違っていなければならなかったのか、を考えてみる必要があるだろう(だが、そのとき、「クレオパトラの鼻がもう少し低い世界」で「クレオパトラ」と呼ばれるそのひとは、いったい何者だろうか?)。


2016/10/19

2016年11月28日月曜日

【週俳500号余韻余滴:私の自薦記事】Nと川崎長太郎 瀬戸正洋

【週俳500号余韻余滴:私の自薦記事】
Nと川崎長太郎

瀬戸正洋


古書オンラインショツプで、川崎長太郎の『抹香町』(講談社、昭和二十九年刊、初版)を手に入れた。私は、二十歳代に川崎長太郎の初版本を集めていた。小田原市内の書店で創作集、随筆集の新刊の初版本を買い求めた。「抹香町」という創作集は、その頃、エポナ出版から復刻版が出ていたが買わなかった。もちろん、古書店へ行くほどのお金は持ってはいなかった。その後、没後三十年記念出版で、講談社文芸文庫から六冊の創作集、随筆集が出ている。今でも、小田原市内の書店では、新刊の文庫本が六冊揃って棚に並んでいる。

Nとは、その頃からの付き合いで、今でも、書き続けている。突然、歌集が送られてきたので驚き、礼状をと思い書きはじめたのだが、書いているうちに、「週刊俳句」に投稿したくなった。それで、村田篠さんにお願いした次第である。そして、第242号(西暦2011年12月11日)に掲載していただいた。自薦というのは、おこがましいので自選ということにしていただければ幸甚である。これは、『俳句と雑文B』にも収録した。

西一村 歌集『夏の鉄橋』を読む
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2011/12/blog-post_1966.html

何故、Nと川崎長太郎なのかはわからない。二十歳代のころは、何となくイメージで似ているような気がしていた。

だが、川崎長太郎を読み返してみると、生に対する怨念のようなものが感じられ、そのド迫力に圧倒される。師である徳田秋声に対しても容赦がない。私は、川崎長太郎の創作集を十数冊持っている。目さえ疲れないようにすれば、通勤往復四時間の退屈な時間が貴重な時間となる。

Nは、詩集を出すと言っている。この一文は、その激励文でもある。