2017年11月18日土曜日

【新刊】『子どもおもしろ歳時記』金井真紀:文・イラスト/斉田仁:選句・監修

【新刊】
『子どもおもしろ歳時記』金井真紀:文・イラスト/斉田仁:選句・監修

2017年11月17日金曜日

●金曜日の川柳〔石田都〕樋口由紀子



樋口由紀子






控えには缶詰切りとおろし金

石田都 (いしだ・みやこ) 1936~

道具の便利さにはたびたび驚かされる。あたりまえに使っているが、もし無ければ、たいそう不便で、それまではどうしていたのだろうと思う。「缶詰切り」も「おろし金」もなくてはならないが、「控え」になるとは思わなかった。「控え」が眼目だろう。ユニークで意味深な言葉。「控え」のニュアンスを巧み活用している。

自分の裡にあるものをどうにかしなければならなくなったときための「控え」だろう。中身をオープンにしたり、こだわりを細かくすりおろす。決して、無理も背伸びはしない。当然、「缶詰切り」と「おろし金」の方も承知していて、そのときのために作者のうしろでじっと待機している。

「缶詰切り」と「おろし金」はどちらも食に関わるものであり、目立つものではない。作者の日頃の生活や人柄が垣間見えるような気がする。いや、へそ曲がりなのかもしれない。自分を大きく見せようとするものの対極にあるように思う。ユーモアとウイット感がある。川柳「杜人」(2017年秋号)収録。

2017年11月16日木曜日

●クリーニング店

クリーニング店

厳冬の白きをとどけ洗濯屋  能村登四郎

クリーニング店増える糸瓜の水を取る  上田信治〔*〕

壬生の鉦クリーニング屋励むなり  波多野爽波

〔*〕『里』2017年11月号より。


2017年11月14日火曜日

〔ためしがき〕 形式と自由 福田若之

〔ためしがき〕
形式と自由

福田若之


形式について認識し理解するために、形式という言葉を道徳から取りかえすことが必要だ。形式とは「こうあるべきだ」と命じる無数の掟の束だろうか。そうではない。形式とは、たんに「こうあるのだ」と告げるもののことだ。

「俳句はこうあるべきだ」と告げるのは形式ではない。 それは道徳的な規範でしかない。こうした規範のもとで、俳句は限定される。道徳は、こうした規範に照らして、ひとが「あれは俳句ではない」と言うように仕向ける。「俳句はこうあるべきだ」は否定としてしか働かない。

形式はたんに「この句はこうあるのだ」と告げる。形式は、俳句を限定することなしに、一句一句の区別をもたらす。この句の形式とあの句の形式がともに存在する。ひとの口を借りるまでもなく、形式はそれ自身において一句一句の本性をそのつど限りなく肯定する。

形式は服従とは何のかかわりもない。形式がかかわりをもつのは、個別的なものの本性に由来するものとしての自由である。

2017/11/1

2017年11月12日日曜日

【俳誌拝読】『現代俳句』2017年11月号 西原天気

【俳誌拝読】
『現代俳句』2017年11月号

西原天気


現代俳句協会『現代俳句』2017年11月号に「現代俳句新人賞」受賞作2篇(赤羽根めぐみ「おりてくる」、宮本佳世乃「ぽつねんと」)、佳作2篇(吉川千早「らうたし」、仲田陽子「雨の来る匂い」)が掲載されています。それぞれ1句ずつ紹介します。


味噌汁の味噌の重力秋に入る  赤羽根めぐみ

たしかに味噌が下に降ります。それを「重力」と大仰に言い切った可笑しみ。

「秋に入る」という言い方に、私自身は違和感を覚えないこともない。秋って、「入る」感じがしない。春も夏も同様。なぜか冬だけは「入る」感じがある。私だけの感じ方かもしれず、道理はわかりません。一方、「秋に入る」といういかにも俳句的・季語的な語と前半が相俟ってこそ、飄々とした味わいが出ている気もします。


ふくろふのまんなかに木の虚のある  宮本佳世乃

木々のなかにいるはずの梟。大きさや位置関係の逆転がこの句の主眼。梟を複数に読むと、ふつうの景色になりますが、一羽と読みました。だからこそ起こる逆転。

この「虚」には説得力があります。なんだかありそうじゃないですか、梟の腹のあたりに木の虚が。色合い的にもね。
 
語尾の「ある」はその人の口吻というものでしょう。「あり」ときっぱり終わると、いわゆる「ドヤ感」が出るのを嫌ったのかもしれません。


君の来た星には花があるんだぜ  吉川千早

いっけん地球外からやってきた宇宙人に語りかけたように見えますが、連作「らうたし」は「子」を詠んだ連作、それならば、生まれてきたことを、この星にやってきたと捉えていると読むのが順当でしょう。どちらにしても、ジュヴナイルのような味わい。若々しくスウィート。

この「花」は俳句の約束事=桜ではなく、花一般でしょう。無季ということになりますが、有季でも無季でも、私はどちらでもオッケー。


ゴールデンウィーク集荷の人を待ち  仲田陽子

一般家庭が宅配便を出すとき、どのくらいの頻度で集荷サービスを利用するのか、よくわからないが、商売をしていると、日常的に集荷してもらうことが多いだろう。

一般家庭か仕事場かで、句の印象が異なるが、後者の場合、世間が休んでいるとき、納品なり進行のために集荷を待っている。句としては何気ないが、ある種、気分のしっかりした醸成、時間の質感の提示がある。

集中、《水辺から昏れる一日青ぶどう》といったポエティックな句の一方、掲句や《フラダンス奉納のあと海開き》といった措辞・文彩を排した日常・非日常の句もいくつか。こちらのタイプの句により惹かれた。


現代俳句協会ウェブサイト