2014年11月28日金曜日

●金曜日の川柳〔田中明治〕樋口由紀子



樋口由紀子






マネキンは手をあげたまま夜が来る

田中明治

明りの消えた商店街の店舗の前や裏に用済みになったマネキンが無造作に積まれているのを何度か見たことがある。店頭で綺麗に着飾っているマネキンは華やかで美しいが、役の終えたマネキンはなんとも侘しい。

そのほとんどのマネキンは手をあげている。洋服の着脱のためだろうが、動作の途中で無理やり止められたような、誰かに助けを求めているように見える。しかし、マネキンに足を止める人はほとんどいない。

夜が来て、あたりはさらに暗くなり、マネキンが手をあげて呼んでいるのも気づかれない。マネキンは手をあげたままでどこかに連れていかれるのだろうか。マネキンに自分自身を投影している。夜が来て作者とマネキンの距離はぐっと縮まる。

2014年11月26日水曜日

●水曜日の一句〔岡田一実〕関悦史



関悦史








入学試験四部屋に分かれゐて心臓  岡田一実

入学試験から心臓への連想、これは一応常識の範囲内である。緊張でどきどきしているのだろうと大体誰もが思うはずだ。

ところが「四部屋に分かれゐて」が曲者で、「入学試験」の会場のこととも「心臓」の四つの部屋、つまり右心房・右心室・左心房・左心室のこととも、どちらとも取れてしまう。

これで試験の緊張による動悸という当たり前の線は薄れ、句は奇妙な迷宮に入り込んでいく。

句を頭から読み下していけば、入学試験会場についた受験生が四部屋に分かれた会場のいずれかへと入っていくイメージが浮かぶのだが、そうすると最後に不意に「心臓」があらわれ、それが「四部屋に分かれゐて」へと遡及していって、心臓のなかに試験会場があるようなシュルレアリスティックな捩れが生じるのである。

いやそれでも常識的な読みを重視する人は、四部屋に分かれた試験会場へと進んでいくにつれ、次第に緊張が高まって、自分の心臓が意識されはじめたと取るのかもしれない。それはそれであり得ない読み方ではないのだが(ほかに「入学試験」ではっきり切れ、「四部屋に分かれ」ている「心臓」という常識的な事柄と取り合わせられているという読み方も一応はあり得るが、これは「ゐて」のバネを殺してしまう。「四部屋に分かれゐる心臓」ではないのだ)。

「入学試験」は季語としては春である。この句を読む者がいま現在入学試験の最中であるということは通常あり得ないから、記憶または入学試験というものの漠然とした印象と、季語の秩序においては春であるというバイアスから句の世界を構成することになる。

するとそこから読者は、何やらなまあたたかい、建物とも臓器のなかともつかない、それでいて整然と分けられたことによる妙な清潔感の漂う時空をさまようことになるのである。最近たまたま精神分析学者・立木康介の『露出せよ、と現代文明は言う』本で《身体のない存在に無意識はない》という文言を目にしたが、その辺の機微に期せずして触れている句のような気もする。


句集『境界 -border- 』(2014.11 マルコボ.コム)所収。

2014年11月24日月曜日

●月曜日の一句〔鴇田智哉〕相子智恵



相子智恵







ひだまりを手袋がすり抜けてゆく  鴇田智哉

句集『凧と円柱』(2014.9 ふらんす堂)より

写生句である。けれども俳句として立ちあがった言葉からは、作者が描いた風景を読者が自分の経験に照らして脳裏に再現することはできない。現実であるのに抽象的で不思議な世界が開けているからだ。それでも、写生の質感、感覚は十分に残っている。いわゆる写生句とは違う、不可逆的な「超写生」とでも言いたくなる句だ。

〈手袋がすり抜けてゆく〉とあるが、手袋をした「人物」は、おそらくいたのだろう。手袋をじっと見つめたことで人物は消え去り、手袋だけが浮かび上がる。ほかに冬の句でいえば〈棒で字が書かれてゆきぬ冬の暮〉〈靴ふたつその上にたちあがる冬〉などという句もあって、手袋からも棒の先からも靴からも、主体の人間はふっと消えている。主体がその痕跡を残しながらも消えている「透明な句」が本句集にはいくつもあって、それが喪失感と不思議な安らかさをもたらしている。読んでいるうちに、心がひたひたと現実から遥か遠いところまで流され、いつのまにか淋しく、うす明るく、穏やかな場所に出ている。そんな稀有な読後感の句集である。

掲句は〈ひだまり〉が暖かくて、たとえばこの手袋が毛糸の手袋だとしたら、喪失感がありながらも優しい、やや屈折した童話のような手触りがある。

2014年11月22日土曜日

【みみず・ぶっくす03】蔦の手帖 小津夜景

【みみず・ぶっくす03】蔦の手帖 小津夜景

小津夜景
【みみず・ぶっくす 03】蔦の手帖

石ころと暮らして蔦の手帖かな
なんとなう忘れがたみぞ額に露
黄落の蕩いでこゑのあかるみぬ
戸は萩にわれは仮寝に酔うてをり
夜の桃と見れば乙女のされかうべ
指を折り数へよ噓に棲む鳥を
火を恋はばひらく薬香わがものに
ゆく秋の虹を義足に呉れないか
その日より霧のグラスとなりにけり
いさよひの紙にながるるのは雲か

2014年11月21日金曜日

●金曜日の川柳〔三浦蒼鬼〕樋口由紀子



樋口由紀子






梟になれるポイント貯めている

三浦蒼鬼 (みうら・そうき) 1956~

ポイント社会である。財布はポイント券のカードが溢れて、ぱんぱんに膨れ上がっている。ガソリンを買ってもパンを買っても、ネットで買い物をしても、なんでもかんでもポイントが付く世の中である。ポイントが貯まって、値引きしてもらったり、モノと交換してもらうと、得したような気になる。確かに得をしているのだが、ポイントに振り回されているようにも感じる。

「梟」は比喩としても読めるが、私は「梟」そのものとして読んだ。梟は止まり木でじっと見ていて、不思議な雰囲気があり、得体のしれなさがある。変身願望の一つとしてはありかもしれない。でも、ポイントを貯めてまで、しいてなりたいだろうか。現実的かもしれないが、私は夜出て、ノネズミなんか捕りたくない。がんばってポイントを貯めても梟だったら、パスして、もういいかなと思う。ポイント社会を揶揄しているとも読める。「おかじょうき」(2014年11月号)収録。