2008年12月31日水曜日

2008年12月30日火曜日

●週俳2年目のFAQ 余滴

週俳2年目のFAQ 余滴

Q
クレームのメールとか、来るんですか?

A
お叱りのメール、みたいな意味でしょうか。私のところにはまだ一通も来ていません。書き手に直接行ったものは、もちろんわかりません。

こういうのって、出るとしたら、句会二次会の飲み屋でのぼる話題ではないかと思いますが、これもまだ聞かせていただいたことはありません。

信治さんには、どうなんでしょう? メールや飲み会で。(tenki)

さる作家の方から「年鑑なんか読んで、どうするの?」と、聞かれてしまいました。クレームというより、徒労に対する同情といいますか。(shinji)


Q
編集会議みたいなものはしているのですか?

A
このあいだ11月でしたか、当番3名ほかで月島に鮟鱇鍋を食べに行きました。値段がリーズナブルで美味しかったです(ごめんなさい)。編集会議の名目でしたが、あとで考えると、実のある話はあまりなく、反省。(tenki)

美味しかったです。(shinji)

今年2008年、信治さんとお会いしたのは、その鮟鱇鍋を含めて二度(あと一度は4月の週俳オフ会)。来年は三度くらいは会いたいです。

篠さんとはオフ会、鮟鱇鍋のほか、句会で数度だと思います(そのときは週俳の話は出ません)。

つまり、顔を合わせての編集会議みたいなものは、ほとんどやっていません。かと言って、メールのやりとりでツメていくということもあまりなく、不思議なことに、それで毎週、リリースできてます。

オフライン(リアル)にせよ、オンラインにせよ、打ち合わせや会議なんてものは少ないに越したことはない。そのぶん、当番それぞれが書き手とたくさん接触するほうがいいのでしょう。(tenki)

なりゆきの結果なんですが、なんとなく「週刊俳句」はこんな感じ、というイメージは、共有されているような気がします。(shinji)


Q
投稿は、どのくらいあるのですか?

A
残念なことにあまりありません。記事によっては御自分のブログではなく週刊俳句で、という気分になることはあると思いますし、同人誌・結社誌に発表の機会がない、あるいは、そういうところに出すには少し軽い、短い、という記事もあると思います。そうした小ネタも含め、なんでも相談いただければ嬉しいです。

繰り返し申し上げていますが、週刊俳句は「場」。コンテンツをつくっているのは当番ではなくて、書き手、書いてみたくなった読者ということですから。(tenki)


Q
執筆料がないことを、どのように考えていますか?

A
背景にオカネの動きをもたないことが当初からの原則ですから、原稿依頼のときも、それをご説明して、「薄謝さえありません」とお断りしています。それでも書いてくださる方がいらっしゃることに感謝しています。

私の発想としては、「それぞれ、時間を持ち寄れば、おもしろいことができる」というもの。みなさんの時間をオカネに換算すれば、相当なものになりますから、その面のコストはかかっています。コスト無しで週俳が毎週出ているというのはオカネという一面に限定した話でしかありませんが、それでも、思いついてすぐに創刊準備号が出て、ここまで続いているのは、「書くのも読むのも無料」という部分が大きいと思います。(tenki)


Q
字が小さくて読みづらいんですが?

A
残念ながら、基本となる字の大きさは決まっていて、こちらでいじれません。

お使いのブラウザー(インターネット・エクスプローラなど)の上のほうに「表示」という箇所があります。そこをクリックすると、文字の大きさを変える箇所が見つかります。(tenki)

2008年12月29日月曜日

●野口裕 驢馬餓死譚(下)

驢馬餓死譚(下)

野口 裕

たとえば、真っ直ぐの棒を堅い床に垂直に立てて、真上から強い力で押すと、棒は最後にぐしゃっと曲がる。押す力の方向や床に立てた針金の垂直度を、どんなに完璧に設定しても、棒がぐしゃっと曲がるときに、押す前にあった左右対称性は崩れてしまう。

物理法則が対称であっても、実際に起こる現象は対称性を破ることがある。これを「自発的対称性の破れ」という。南部洋一郎は、低温の世界での超伝導現象で、「自発的対称性の破れ」が実際に起こっていることを洞察した上で、「自発的対称性の破れ」を素粒子の世界に適用することを考え出した。

素粒子に関する物理法則は対称性(ゲージ対称性という)を有している。対称性のあるのは結構なことなのだが、そのままでは素粒子の質量はゼロになってしまう(註)。ここに、南部の考え出した「自発的対称性の破れ」を利用して、素粒子を現実にあるようなゼロではない質量を持たせることができる。この考察は、物質になぜ質量があるのかを、科学的に追いつめた到達点といえる。

「自発的対称性の破れ」の例は、いろいろとある。棒を真上から押す話は、昔々とある講演会で南部洋一郎自身が語った例である。そのとき、他の例としては、液体が固体に変わるときの結晶化現象なども話していた。しかし、一番わかりやすいものとしては、円卓上のナプキンのことを、彼は持ち出した。

円卓上に、ナプキンがぐるりと置かれている。円卓に丸く並んで座った人から見ると、右にも左にもナプキンが置かれている。最初に誰か一人が右側のナプキンを取れば、他の人達も右側のナプキンを取らざるを得ない。逆に最初の一人が左側を取れば、全員が左側のナプキンを取ることになる。初め円対称だった人とナプキンの配置が、ナプキンを取ることによって崩れてしまう。大体、このようなことを南部洋一郎は話した。

ところで、この円卓の話を、登場人物を一人にして人間から驢馬に変え、左右のナプキンをたっぷりの餌とたっぷりの水に変えるとブリダンの驢馬の話になる。ブリダンの驢馬は、どちらにするか思い悩んで餓死するが、花田清輝が喝破したように、実際はすぐにどちらかを選んで大いに食らいかつ大いに飲むはずだ。もちろん、どちらかを選んだ時点で「自発的対称性の破れ」が起きている。

ブリダンの驢馬について、言い出したのはスピノザであり、反論したのはライプニッツらしいので、「自発的対称性の破れ」を最初に議論したのはこの二人となるだろう。たぶん、論争した二人とも質量の起源がそこに求められるとは思っていなかっただろう。当時は、質量自体がよく分からなかったのだ。なにしろ、スピノザやライプニッツの同世代であるニュートンでさえ、「質量は、体積と密度の積である」という分かったような分からないような定義をしていた時代だから。



(註)ゲージ対称性はもともと電磁気現象で確認された。電磁気現象の元になっている素粒子は光子(光)である。光子の質量はゼロである(相対性理論から、質量がゼロでないと光速にならない)。 このことから、ゲージ対称性のある現象では、元になる素粒子は質量がゼロになると予想される。実際、ゲージ対称性があるような数式に、質量を含んだ項を入れるとゲージ対称性はこわれてしまう。

2008年12月28日日曜日

●野口裕 驢馬餓死譚(上)

驢馬餓死譚(上)

野口 裕


ブリダンの驢馬という話がある。極端に腹が減り、同じぐらい喉の乾いた状態にした驢馬の片側にたっぷりの餌、反対側にたっぷりの水を置いたとき、驢馬は最初に餌を食うべきか水を飲むべきか迷って、ついには餓死してしまうというのである。スピノザが中世のスコラ哲学者ブリダンが言った話として紹介している。花田清輝なども『復興期の精神』で引用していたはずだ。

ところが、ブリダンという人の著作集を調べる限り、この話は載っていない。かなり昔に青木靖三の本、たしか『ガリレイの道』(平凡社1980)、を読んだときにそのように書いてあった。青木靖三によると、ブリダンはスコラ哲学から近代科学への道のりを考えるときに重要な橋渡しを担った人らしい。

当時、神はどのようにこの世界を作っているか、で論争があった。神はことあるごとに奇蹟を行う、という立場の論者と、神は天地創造の時のみに奇蹟を行ったという立場の論者があり、ブリダンは後者の立場の論者だったようだ。

ブリダンのような立場の人は、神が作った世界が不完全であるはずがない。しばしば奇蹟を行うということは、作った世界が不完全だったということになる。そのようなことをするわけがない。天地創造のときに、作った世界が完全であるように完璧な設計をしたはずだ、と考える。そして、天地創造の瞬間のみにはたらいた神の作為を「神の一撃」と表現した。

阪神淡路大震災のおりに起こった地震を、和田悟朗は、

  寒暁や神の一撃もて明くる

と詠んだ。そんなことも思い起こされる。余談。

神が天地創造の時のみに奇蹟をはたらいたのなら、この世に起こる出来事はすべて完璧に計算されているはずだ。では、神がどのような計算をしたのか、この世の出来事を注意深く観察すればすべてが明らかになるはず。と、いうような論理構成で科学への道が開ける。

もし、しばしば神が奇蹟を行うなら、そこに神の計算ははたらいておらず、世の出来事を観察しても何も分からないことになる。それでは科学は成立しない。このようにして、ブリダンの議論は科学への道を用意した。ケプラーが占星術師であったり、ニュートンが錬金術を研究したのも、科学の成立事情を鑑みればそれほど不思議ではない。

ブリダンの功績は以上のようなものだが、いつの間にかそうしたことは忘れられて、ブリダンの驢馬だけが後世に残ったようだ。しかし、いつどのような文脈で言ったのかは、専門家が調べても分からない。言ったかどうかさえはっきりしない。後世の我々は、彼が言った、言わない、の間でそれこそ驢馬のように迷うだけである。

以上のような文章を書いてみたが、書いているうちに、なぜブリダンの驢馬を思い出したかを忘れていた。書き終わって、思い出した。ノーベル物理学賞を受けた南部洋一郎の業績、「自発的対称性の破れ」である。

(明日につづく)

2008年12月27日土曜日

●おんつぼ10 シティ 松本てふこ


おんつぼ10

シティ The City


松本てふこ

おんつぼ=音楽のツボ






93~94年の冬のこと。NHKの『ナイトジャーナル』を何かの用事でビデオ録画したので見ていたら、番組がCDコーナーに変わって萩原健太が「キャロル・キングがソロデビュー前に結成した幻のバンドのCD」を紹介していた。「60年代、ジミヘンやジャニスが体現していた、音楽で世界を変えられるという熱さと、70年代のシンガーソングライターが描いた内向的な世界との狭間にある音楽」といった主旨の紹介と収録曲のオンエア、合わせても数分しかない映像。好きになった曲は一曲単位で一日中聴き倒すタイプだった当時12歳の私の中のどこかのスイッチが入ったのか、以後狂ったようにそのビデオを観まくるようになった。ほどなくそのCD、THE CITY『NOW THAT EVERYTHING'S BEEN SAID』を買って、やはり狂ったように聴きまくった。

特に聴き狂っていたのは、TVで紹介されていた3曲目の表題曲。2分半弱しかない曲の中にどキャッチーなサビとめまぐるしいメロがぎゅうぎゅうに詰め込まれている。部分部分のメロディの綺麗さに気を取られているうちに曲が終わってしまうため、一回聴き終わるたびに「…もう一回聴こう」と再び再生ボタンを押してしまい、結局一日に五回だの十回だの聴いてしまう訳である。なお、この曲ではキャロル・キングののほほんとした歌声がスピーカーの右から左から輪唱のように聴こえてくる。ヘッドホンで聴くと美メロを歌い上げるキャロル・キングが一人二人…あれ、三人!? と増殖していくようで痛快でもありちょっと奇怪でもあり。「熱い時代と内向の時代との狭間」という言葉が似合わない、演奏の風通しの良さもちょっと不思議。狭間だからこその自由? 良く分からないけれど。

この季節には1曲目「Snow Queen」もオススメ。こういう歌が似合う街が、本当の都会ではないのかなとずっと思っている。

内向度  ★★
美メロ度 ★★★★★


〔おすすめアルバム〕 NOW THAT EVERYTHING'S BEEN SAID


Now That Everything's Been Said


Snow Queen

2008年12月26日金曜日

2008年12月25日木曜日

●大本義幸句集『硝子器に春の影みち』を読む・続〔 4 〕羽田野令

大本義幸句集『硝子器に春の影みち』を読む・続 〔 4 〕

羽田野 令


『硝子器に春の影みち』の巻末の年譜によると、1962年大本氏が愛媛県立川之石高校に入学した年に、一級上の坪内稔典との交友はじまる、とある。坪内稔典も栞文で大本氏との若き日々のことを書いている。その中で大本氏の十代の作品として挙げられている二句のうちの一つは、

  密猟船待つ母子 海光瞳を射る朝

という句である。密猟などということは本当にあって、それは海に近いところに住む者にとって、比較的幼い時期にも触れ得る非合法的な事がらの一つなのだ。坪内稔典に実際に密漁船を見たことを書いた文章があって、それによってそのことを知った。

その文章、昔の雑誌からのコピーなのだが、大本氏から頂いて読んだのだが紛失してしまって、いくら探しても見つからない。あったら部分をここに引くのだが、私の記憶だけで書くとこうである。記憶なので細部は違っているかもしれない。

中学時代の話である。中学校の運動場から湾が見えるのだが、ある日体育かなにかで運動場にいた時に、怪しげな船が見えた。船は湾に入ってきて接岸すると、船から男たちがぱらぱらと降りて四方へ散っていった。そしてその船は湾を出ていったのだが、その船が消えると今度は巡視船がやって来た。巡視船は岸に近づいてきて拡声器で海から陸地に向けてアナウンスを始めた。不審な船を見なかったかと。中学生たちがたくさん校庭から海の方を見ていたので、中学生の皆さん、見たという人は名乗り出なさい、船がどこへ行ったかを知っている人は教えて下さい、と呼びかけたそうだ。しかし一部始終を見ていた誰も名乗り出なかったという。湾を見下ろす少年たちが、ただならぬ光景に釘付けにされ、その呼びかけに対してドキドキとしている緊迫感の伝わる文章であった。その事件は坪内氏に閃光を灯し、以後長く胸に残ったというのだ。

坪内氏と大本氏の家は10分ぐらいの距離にあったそうだ。同じ海辺の町の事件の衝撃は大本義幸氏にとっても同じようだったのではないか。それを見て自らの位置をどこに置くかがその後の書く姿勢に関わってくる。その社会に認められた埒内の存在として、法を破る者と対峙する側に置くとすれば、坪内の「父祖は海賊」という言葉も、大本の「われら残党」も出てこなかったであろう。

悪への憧れは若き日に文学を志す者にとっての大きな要素である。自分の中へ深く沈む時に見出すものは悪と関わってくるものだろうし、社会からはみ出している個を仮構することによって見つめ得る自己といったものが書くことの対象であるような時に、海辺の若者にとっての密漁船は大きなインパクトを持ったに違いない。そして海賊の系譜に自らを加えることによって成った作品は、そのような自意識を共有できる読者にとっては胸を打つものとなる。

高校時代に坪内稔典と出会いその後摂津幸彦と出会うという、大本氏をめぐる交遊関係を見ていると、同じ家に下宿していた漱石と子規、家が近所だった子規、虚子、碧梧桐という明治の松山の交友関係がダブルイメージとなってくる。

  われありとおもえば青蛾先ゆけり

  昼月が頒つふたりの我(われ)と我(かれ)

第一章の『非(あらず)』からの二句。

自己を投影する対象として選んだ蛾という虫。そしてこの蛾には「青」がついている。水の色、大空の色である青は、澄んだ清浄なものを表す色であるし、翳りの色、病んでいるものに使われる色であることを思えば、傷つきやすい自我といったものが浮かぶ。しかし、青であっても蝶ならぬ蛾はやはり異形のものである。ふっと我の存在に替わって我の前を飛び立つものが、そのような蛾であるとする感覚に惹かれる。

二句目は昼の月。まだ明るい空にぽっかり出る白い月。半月ぐらいの月が多いのだろうか。空の水色が白い月にところどころ透けるようにして出ているような気がする。その本当の月ではないような不思議な感じと二つの我との構成がなんとも言えない。

どちらも我が在るということ、我が何かということが短かい音数の中に問いとして表され、句の世界が「青蛾」や「昼月」から広がってゆく。我とは何なのかということを、われとかれとは何なのかということを波紋のように受け取ることが出来る。

(つづく)


〔参照〕 高山れおな 少年はいつもそう 大本義幸句集『硝子器に春の影みち』を読む ―俳句空間―豈weekly 第11号
〔Amazon〕 『硝子器に春の影みち』

2008年12月24日水曜日

●メリー・クリスマス

メリー・クリスマス


黒人の掌の桃色にクリスマス  西東三鬼

柔かき海の半球クリスマス  三橋敏雄

長崎に雪めづらしやクリスマス  富安風生

回送電車をしばらく降りずクリスマス  大石雄鬼

東京を歩いてメリークリスマス  今井杏太郎




compiled by tenki

2008年12月23日火曜日

●ペンギン侍 第2回 かまちよしろう

連載漫画 ペンギン侍 第2回 かまちよしろう



つづく


2008年12月22日月曜日

●おんつぼ09 ローザ・ルクセンブルグ 松本てふこ

おんつぼ09
ローザ・ルクセンブルグ
ROSA LUXEMBURG


松本てふこ







11月の終わりに京都に行って、だらだらと鴨川沿いを歩いていた。
川沿いには、いわゆる路上生活者の根城がずらりと並んでいて、
ビニールシートを貼ったドアに吊るし柿が下がっていたり、
手作りらしきクリスマスリースやらが飾ってあったりする。
犬を飼っている人もいるようだ。
一緒に歩いていたひとが、対岸を見やってあっと声をあげた。
大きな柱時計ふたつ、衣装ラックには鮮やかな色の服が数着、
聞こえてくるAMラジオのDJの声、簡素だけど丈夫そうなミニテーブル。
橋の下にちょっとした出店のように広げられた、
一人の男が暮らす生活空間がそこにあった。
主らしき初老の男は、整然としたその空間の中心で微動だにせず坐っていて、
とても満ち足りているように見えた。

京都出身のバンドであるローザ・ルクセンブルグの「橋の下」を聴くと、
そんな光景を思い出す。
路上生活者らしき、「長い髪軽くまとめて顔をよく見りゃいい男」と
橋の下に花の種を植えるエピソードを素朴に歌い、
「お花が咲けば元気になるね/明日も来るよ橋の下」と
ほのぼのとまとまりそうなところに
「なんにもないけど橋の下」というリフレインによって
怒濤のように各パートが暴れだして終わる一曲だ。
フォーキーかつ情感たっぷりの演奏とボーカル・どんとの伸びやかな高音が
この曲の全体を実に美しいものにしているのだが、
「長い髪~」という表現に見られるさりげなくも鋭い観察眼やら
植えているのが実は芥子の種やらでとにかく何だか一筋縄じゃいかない。

より分かりやすく一筋縄ではいかない歌を紹介すると、
思春期の同性愛を生々しく痛々しく描いた、その名も「おしり」という歌がある
(ホントに歌詞がスゴいので食事中は聴かない方がいいです、
いい歌ですが食事は確実にまずくなるので…)。
歌詞に登場する少年たちは周囲との軋轢に耐えかねて別れを選択するが、
後年登場したユニコーンが日常の中でしたたかに愛を育み老いていく少年たちを
「人生は上々だ」で歌っていたことを思うと、
両バンドのその後の歩みを象徴しているようで何とも言えぬ気持ちになる。
1983年の結成から解散までたった4年、フルアルバムは2枚、
どんと(編註*)の早すぎる死など、シーンを疾走した感のある彼らだが、
今聴いても音は本当にやんちゃだ。
最後に。私はこのバンドを聴いて初めて、ギターのかっこ良さを知った。


歌詞のハチャメチャ度 ★★★★☆
ギター大活躍度 ★★★★★


(編註*)どんと:1983年、ローザ・ルクセンブルグ結成。同解散の1987年、ボ・ガンボスを結成。≫参考サイト

〔おすすめアルバム〕 ポンパラス~The Best of ROSA LUXEMBURG~

デビュー前にコンテストに出場した時の映像です。

2008年12月21日日曜日

●ペンギン侍 第1回 かまちよしろう

連載漫画 ペンギン侍 第1回 かまちよしろう



つづく


●週刊俳句についての質問・募集

週刊俳句についての質問・募集

年末(あるいは年始)企画「週俳2年目のFAQ」に向け、質問をお寄せください。連絡先メールアドレスは「週刊俳句とは FAQ による自己紹介」の末尾にあります。

募集したらFrequentlyじゃないんじゃないの?というツッコミはさておき、ふだんから疑問に思っていること、そこんとこ、どうなのよ?といったこと 、ちっちゃいことでも、おっきいことでも、くだらないことでも、だいじなことでも、なんでも、オッケーです。質問者のお名前は出ません。 すべて採用というわけにはいきませんが、答えにくいことにも答えます。期間は、25日くらいまで。よろしくお願いいたします。

2008年12月20日土曜日

●小林苑を 人名三句

小林苑を 人名三句



お飾りに表ではなく裏を使うってなんか変な感じがする。つまり裏が表というか。

そこで、さいばら天気氏。この方、なんだか摩訶不思議。極めてまっとうなのに変。愛想はいいけど警戒心が強い、のかなと思うとなつっこかったり。もしかして小心者なの、と訝ると、これがなかなかに大胆であったりもするのです。なのに要らぬ気配りなんかもしたりして、且つ、結構いい加減。だからと言って大雑把ではなく几帳面。「気にしてません」と言うけれど、実は相当ウエットのなのではないかと思うときもある。うーん、よくわからん。

その天気さん、なぜ俳句始めたかはどこかに書いていたけれど、どうして嵌ったかは知るよしもない。ご本人は嵌ってはいないと言うかもしれず、いつ止めたっていいんだと嘯いたりしてるのかもしれないが、どう見ても嵌っている。「そういうことじゃないんですよ」と「い」にアクセントのくる姫路訛の声が聞こえそうだが、信じてはいけない。さいばら天気は希代の嘘つきであり(天気俳句を見よ!)、実に正直ないい奴である。だから、気持ちが顔に出るのであるからして、よく眺めるように。

そんな興味深い方なので、誰か教えて下さい。どんな人なんですか、天気さんて。


マナカナ ≫portrait ≫Wikipedia
大宮敏充 ≫portrait ≫Wikipedia

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2008年12月19日金曜日

●さいばら天気 人名三句

さいばら天気 人名三句




人名を俳句に盛り込むとき、とりわけそれが故人の場合、成分はただひとつ。愛です。

あ、ここ、笑うところではありません。本気です。「ただただその人を愛する」ことが人名句のすべて。

津田恒実は広島カープの投手。1993年7月20日、32歳で逝去。今東光は1898年生まれの天台宗僧侶、小説家。1977年9月19日、79歳で逝去。横山やすしは、1944年生まれの漫才師。1996年、51歳で逝去。

人名俳句をつくるときの方法はただひとつ。客観写生。

というわけで、私にとって客観写生は、人や事物や現象を愛する方法、ということになります。



津田恒実 ≫portrait ≫Wikipedia
今東光  ≫portrait ≫Wikipedia
横山やすし ≫portrait ≫Wikipedia

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2008年12月18日木曜日

●谷 雄介 人名三句

谷 雄介 人名三句




もし、世界中の誰もが多部ちゃんのことを好きだったら、僕は多部ちゃんのことを好きになっていないかも知れない。

僕の地元の友人(世界のハマダ)曰く「あの顔は、物心ついて以来女の子から受けた全部のトラウマを思い出させるような顔だ」と。

でも、可愛いですよね、多部ちゃん。うん。


ジョン・F・ケネディ ≫portrait ≫Wikipedia
地井武男 ≫portrait ≫Wikipedia
多部未華子 ≫portrait ≫Wikipedia


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2008年12月17日水曜日

●上田信治 人名三句

上田信治 人名三句




K・ヴォネガット(1922-2007)は、アメリカのSF作家。武者小路実篤と太宰治をあわせたような、ナイーブネスが特徴。過去、現在、未来のすべての瞬間は、常に存在してきたのだし、常に存在しつづけるのだから、いま何かが失われること(人が死ぬとか)は、悲しむにはあたらない……という「トラルファマドール星人」的人生観には、ずいぶん影響を受けた。考えたら、そう思わないと、スポーツ選手とか漫画家とか、やってられないですよ。


マリリン・モンロー ≫portrait ≫Wikipedia
アメデオ・モジリアニ ≫portrait ≫Wikipedia
カート・ヴォネガット ≫portrait ≫Wikipedia

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2008年12月16日火曜日

●村田 篠 人名三句

村田 篠 人名三句




はじめての岸田今日子体験は、『黒い十人の女』でも『砂の女』でもなく、じつは、子どものころ毎週楽しみに観ていた「ムーミン」の声、だった。

岸田今日子のムーミンは、小池朝雄の刑事コロンボと同様、その声なくしてはありえない存在として、私のなかに生きつづけている。

声はすなわち音、音楽。ストレートにひとの心を撃つ成分なのかもしれない。


矢野顕子 ≫portrait ≫Wikipedia
田中角栄 ≫portrait ≫Wikipedia
田中真紀子 ≫portrait ≫Wikipedia
岸田今日子 ≫portrait ≫Wikipedia


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2008年12月15日月曜日

●笠井亞子 人名三句

笠井亞子 人名三句




野茂が帰ってきた。「悔しい」とだけ言い残して。
日米で201勝。メジャー11年間で通算123勝。
この数字でははかりしれない何かを残したと思う。
野茂の75%は母性でできている、ような気がしていた。
今後は日本球界にたっぷりとその力を注いでください。
ありがとう。


野茂英雄 ≫portrait ≫Wikipedia
島倉千代子 ≫portrait ≫Wikipedia
加藤治子 ≫portrait ≫Wikipedia
草柳大蔵 ≫portrait ≫Wikipedia

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2008年12月14日日曜日

●齋藤朝比古 人名三句

齋藤朝比古 人名三句




俳人は人非人。
俳優は人非人に憂。
憂いがある人には昔から憧れていた。
・・・お三方とも私の大好きだった役者さん。



藤山寛美 ≫portrait ≫Wikipedia
山岡久乃 ≫portrait ≫Wikipedia
成田三樹夫 ≫portrait ≫Wikipedia

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●お知らせ ふたつ

本日から人名俳句週間 ウラハイでは本日12月14日(日)から一週間にわたって7人の書き手による人名俳句3句と短文をアップしていきます。


続・落選展の開催決まる オモテの「週刊俳句」第85号掲載「太田うさぎ・ひとり落選展」に続いて、現代俳句協会新人賞落選作による落選展を新たに開催。太田うさぎさん一人に突撃させておくわけにはいかないと、続々出撃、てなわけです。日時その他は告知をお待ちください。

現代俳句協会新人賞に落選された方で、自分も出品を、という方は、至急ご連絡を。tenki.saibara@gmail.com

2008年12月13日土曜日

●おんつぼ08 ザ・レジデンツ さいばら天気


おんつぼ08
ザ・レジデンツ The Residents

さいばら天気

おんつぼ=音楽のツボ





「めだまの人たち」ということくらいしか知りません(詳しくはWikipediaで)。最初に聴いたアルバムは「エスキモー」(1979年)。全篇、寒風がただ吹いていているようで、「ミュージック・コンクリート(音のモンタージュ)」と言えないこともない。ときおりイヌイットの伝統的旋律が混ざって、寒さ満点。

そのほかいろいろやってますが、統一コンセプトについては「ヘン」ということ以外、見つかりません。

音も、ちょっと説明しにくい。悪くいえば「企画もの」。でも、70年代初めのデビュー以来、30年以上にわたって「めだま」ひとすじ。これはすごいことです。


ヘンな人たち度 ★★★★
ヴィジュアル依存度  ★★★★★


〔おすすめアルバム〕 Eskimo

Don't Be Cruel

2008年12月12日金曜日

●大本義幸句集『硝子器に春の影みち』を読む・続〔 3 〕羽田野令

大本義幸句集『硝子器に春の影みち』を読む・続 〔 3 〕

羽田野 令


自涜と枯れた花にわずかに慰められる  (涜は正字)
破廉恥な生活のわたしの天体
    (吉岡実特集『生物』から「犬の肖像」より)

という二行の引用を冒頭に置く、「蛮童あるいは桃のための断章」と題された大本義幸の文章がある。(「天敵」1974年4月)

夭折詩人の系譜という特集の中にあり、<夭折俳人・芝不器男論ではなく>という副題がついている。それは次のように始まる。
うつうつとした二十歳を数カ月ばかりすぎた頃、わたしは失業の一年弱をすごさなければならなくなり、ポール・ニザン、村山槐多、奥浩平、李珍宇、ランボー、ロートレアモン等に魅せられつつ、たれにも逢わない四畳半の密室での生活を十か月ばかりすごした。たまたま吉岡実の詩篇をすこしばかり読みはじめていたとき、なぜか再度の婦女暴行により逮捕され、まだ未決房に居た男との短かい文面のやりとりが始まった。全文の三分の一ほどは激しくかき消されている非常にリビドーの昂いものであたが、彼が十三余年の実刑を云い渡され余所へ移った頃、わたしもまた東京を去ることになったのでその後の文面のやりとりはない。
ほどんど童貞であったわたしは、狭い室に充満する自らの精液の匂いと、蛇口からときおりこぼれる水滴の音に囲まれていた。

食堂で時おり読む新聞に、若い男女が貧しくつつましやかに四畳半で同棲中、ガスの不完全燃焼による中毒死などをし、テレビの音が低くうなりつつ一週間も鳴りつづけていたという記事にはげしく嫉妬した。
この文章は大江健三郎のいくつかの小説の主人公の像を彷佛とさせると思うのは、同じ松山出身という先入観があるからなのか。若き日の孤独と暗鬱とを、未決囚という世間の埒外に居る者を登場させて語るのが如何にも小説的だからなのか。

  かもめとぶ潰れた胸を野犬と頒つ

  「生きるは悪か」口中深く葡萄つめ

第一章「非(あらず)」から引いた二句(「非(あらず)」の章は、1973年の句集『非』より抄出)。

今、文章と句とどちらもを読んでいる私を、これらの句と大本氏の文章が二重になって取り巻く。

文章はそのあと、アデンに着いたハイジャッカー達について、彼等は「みずからの肉体をひとつの言語(メッセージ)とし」ていると書く。そして、
この言語と肉体の関絡性は夭折者を巡るわたしの関心事のひとつであり、夭折圏を追放されて生きながらえている現在でも<言語>と<肉体>の関係性はわたしを魅惑する。言語と肉体の背反のうちに個我の言語でも肉体の言語でもないものが白色の冥(やみ)と化し匂いたっているかに想えるので……。この冥を時代とも状況とも、言語がまき込んでゆく肉体の罪過とも云えるだろうが、いまのわたしには語る用意がない。
と続く。ここで書かれている「個我の言語」とは自己表現の言葉のことであり、「肉体の言語」とは所謂言語表現ではなく、メッセージとしての行為そのもののことを指している。社会的な状況に対する自己を問うことから、言葉と行動というようなことは七十年代によく行われた議論であるが、大本氏のこれは「個我の言語」への懐疑であり、言葉とは何かという自らへの問いを含むものである。

端的に言えば七十年代は、肉体の言語派からは文学的言語が否定的に見られた時期であり、「個我の言語」に沈潜することを良しとせず、多くの文学少年少女が文学から離れた時代でもある。その中で個人的な四畳半の空間の中で生み落とされる言葉を、個我の言語でも肉体の言語でもない「白色の冥」を想定することによって、「個我の言語」の置きどころを見いだしていた大本義幸が浮かぶ。

  海百合の朱(しゆ)を蔵(しま)ひおくわれら残党  第一章「非(あらず)」より

残党、それは何の残党であるかあきらかではないが、服(まつろ)わぬ者の裔には違いない。坪内稔典(『朝の岸』1973年)に次の句があるが、同じ空気がある。

  父祖は海賊島の鬼百合蜜に充ち

  風花 突風 ぼくらは地下で火種継ぐ

(つづく)


〔参照〕 高山れおな 少年はいつもそう 大本義幸句集『硝子器に春の影みち』を読む ―俳句空間―豈weekly 第11号
〔Amazon〕 『硝子器に春の影みち』

2008年12月11日木曜日

●シネマのへそ03 デッドマン 村田篠

シネマのへそ03
デッドマン (ジム・ジャームッシュ監督1995年)

村田 篠


ジム・ジャームッシュの映像と、ジョニー・デップの芝居と、できあがった映像を見ながら即興でつけたというニール・ヤングの音楽が、奇蹟のように融合した映画。

19世紀末のアメリカ西部を舞台にした、モノクロの「西部劇」なのであるが、これがなんとも、アメリカの原像のような、はたまた幻像のような、叙事詩的味わいを持っている。

登場人物がなにかおかしなことをしているわけでもないのに笑ってしまうのは、ジャームッシュの映画がOFF-BEATだからだ。

出会った相手がどこのどいつかわからない。過去がない。あってもウソくさい。目的もない。突然思いつく。その場で次の行き先を決める。決めないこともある……。

しかし、ジョニー・デップ扮するウイリアム・ブレイクは、会計士をしているありきたりの男だ。それが突然、OFF-BEATの波に放り込まれる。するとどうなるのか。なんと、詩人になるのである。そして、殺人者にも。

そういう意味では、ウイリアム・ブレイクという役名は、あまりにも象徴的だ。

ジョニー・デップは、「途方に暮れる」姿が似合う。受けの演技ができる。流されるままになることができる。そして、人が詩人になったり殺人者になったりする瞬間の表情を持っている……それも、途方に暮れたままで。

ブレイクを助け、いっしょに旅をするインディアンが、ブレイクの顔から眼鏡を外しながら言った台詞が印象的だ。
「眼鏡がないほうが、よく見える」。

そうかもしれない、とは、私にはまだ言えない。


ストーリー放置度 ★★★★★
ジョニー・デップ純度 ★★★★★

2008年12月10日水曜日

●俳人さんの顔写真 さいばら天気

【俳誌を見る】
俳人さんの顔写真

さいばら天気


俳句総合誌に載っている俳人さんの顔写真の件。
いつも思うんだけど、短歌誌より俳句誌のほうを野暮ったく感じるのは、たぶんやたらと作者の写真を載せてるからじゃないかしら。
かわうそ亭 「俳誌雑感」より
たしかに、やたら多い気がします。野暮ったさの原因になっている気もします。なんなんでしょうね、あれは。

そこで、まず、どれくらい多いのか、数えてみました(最近なにかといえば数えているような気がしますが、むずかしいことは書けないので、とりあえず数えるのです)。

数えたのは、小さな顔写真。投句審査の先生も含めましたが、座談会の模様を伝える胸から上の写真やグラヴィアページの肖像写真、イベント紹介の写真などは除きました。

『俳句』2007年4月号。去年の一冊を手に取り、数えました。最新刊ではない点、たいした理由はありません。無作為抽出法みたいなものです。

ぜんぶでなんと49箇所(49人)。

次は『俳壇』2007年5月号。やはり去年の一冊。こちらは39箇所。やはり多いです。

次は『俳句界』2007年5月号。驚いたことに、たった6箇所でした。前二者に比べると異様に少ない。念のため、最新号2008年12月号を数えてみました。すると30箇所。『俳句』『俳壇』ほどではありませんが、かなり多い。

ついでに今はなき『俳句研究』。終刊の半年ほど前の2007年5月号。これがなんとたった箇所。それも、経歴、俳句作品に付随する短文に添えるかたちでの写真掲載ですから、誌面デザイン的に無理がありません。惜しい雑誌をなくしました。

 

数えてみて、俳句総合誌には俳人さんの顔写真がすごく多いことがわかりました(って、最初からわかってたんですが)。

で、誌面への影響なんですが、たしかに、外観面の影響は甚大だと思います。かわうそ亭さんはさらに、「だいいち、言うてはなんですが、だいたいがみんな、お年を召されたじいさま、ばあさまが多いでしょ、誌面の見た目がいたって地味である。」とおっしゃっています。それはそうなんですが、顔写真の平均年齢が下がったところで、野暮ったさの質が変わるだけというか、顔写真の顔ぶれが若くなるぶん冗談ではすまない野暮ったさに発展するというか…。

では、プロが撮影した写真なら、誌面が洗練されるのかというと、そうでもない気がします。俳句や散文に顔写真がいちいちついてまわるという、このスタイルそのものが醸し出す「何か」があるのでしょう。

 

「自分の写真を載せてもらいたい」という作者、「その俳句/散文を書いた人の顔が見たい」という読者はどちらもあまり多くない気がします。写真の顔の人たちも「載せたくて載せているんじゃない」とおっしゃる方が多そうです。読者としての私個人についていえば、別に見たいとは思いません。というか、あまり目をとめていないような気もします。知り合いだと、写真映りと実物とを比較したりしますが(実物のほうがいいのに、と残念に思うことが多い)、その程度。

 

さて、やたら多いという以外に、俳句総合誌の顔写真には、誰でもすぐに気づく法則があります。

数十句、あるいは見開き2ページを使って俳句作品が掲載されるケースでは、顔写真は載らない。これはどの雑誌にも共通しています。顔写真が載るのは、数句、多くても10句くらいまでのケースです。

別の言い方をすれば、大家や有名俳人の俳句作品や文章に顔写真が付けられることはほとんどありません。つまり、写真の有無とは、仏壇、もとい俳壇(これ、猫髭さんのネタ)での位置づけと深い関係があるのです。

俳壇における地位や存在感(あ、ここ、笑うところじゃないですよ)を高めていくとき、次のようなパターンがあるのではないかと思います。

1 結社で賞をとるとか、若いわりにがんばってるとか、あるいは結社ですごく長くやってるとかで「結社内有力作家」になり、総合誌から声がかかる。このとき、写真付きです。

2 結社以外だと若い人に限定されますが、俳句雑誌の賞への応募や有力俳人との交流などから存在を知られるようになり、総合誌から声がかかる。このとき写真付きです。

やがて、彼ら/彼女らのうち幾人かは、さらに地位や存在感が高まります。ある人は結社主宰となり、あるいは大結社の女性取締役あるいは番頭さんみたいな地位になり、あるいはその他もろもろで、「名の通った俳人」になる。そのとき、写真ナシで数十句が掲載されるようになるわけです。

してみると、入館証に写真が付いているようなものとも言えます。そのうち「顔パス」になって「証明写真のような写真」が胸からとれる。もちろん例外はたくさんありますが、パターンとしては、こんな具合かと。

 

総合誌に載る俳人さんたちの顔写真という話題から、どうでもいいようなことをいろいろと、申し訳なかったですが、このように話題が広がるということからして、因習としてこれからも長く残ってくれたほうがいいのかもしれません。

それに、見た目に野暮ったい、といっても、あまり気にすることもありません。だいたいが、実際の俳句世間が野暮ったいのに、雑誌のデザインだけ洗練されても、それはそれで妙なものですから。

2008年12月9日火曜日

●おんつぼ07 ジミー・マクグリフ 山田露結


おんつぼ07
ジミー・マクグリフ Jimmy McGriff

山田露結

おんつぼ=音楽のツボ





ジミー・マクグリフはオルガン・プレイヤー。90年代のアシッド・ジャズ・ブームの流れから、そのルーツ的な音として注目されたソウル・ジャズの人です。この手の音はいわゆる一般的なジャズ・ファンにはあまり知られていません。知り合いのジャズ・クラブのマスターはアシッド・ジャズを小馬鹿にしていました。「オルガンものって言うけどさぁ、オルガン・プレイヤーなんてジミー・スミスしかいないでしょ?」と言っていました。

アシッド・ジャズ・ブームにはあのポール・ウェラーも一役買っていたように記憶しています。とすると、あのブームは言ってみればオシャレにカッコ良く音楽を聴くというモッズの原点回帰的な意味合いがあったのかもしれません。日本でのシブヤ系(懐かしい)、橋本徹のフリーソウル/サバービアといったものもこの流れに属するもの、あるいはそれに呼応したものと考えることも出来ます。

ジミー・マクグリフは60年代初めにレイ・チャールズのカバー曲「I've Got A Woman」がヒットし、その後も軽快なR&Bナンバーを数多く録音しています。自ら「オレはジャズ・プレイヤーじゃない。」と言っていたそうですが、年を重ねるにつれて次第にファンク色を強めていきます。

アルバム「ジャイアンツ・オブ・オルガン・カム・トゥギャザー」では同じくオルガン・プレイヤーのリチャード・グルーヴ・ホルムズと競演しています。ヒップでファンキーなダンス・チューン(ダサイですね、この言い方)満載で、脂ののった演奏を聴かせてくれます。怒涛のオルガン・シャワーを浴びて下さい。


腰クネクネ度 ★★★★★
脂ギトギト度 ★★★★★


〔おすすめアルバム〕 ジャイアンツ・オブ・オルガン・カム・トゥギャザー

Richard Groove Holmes with Jimmy McGriff playing Bean's

2008年12月8日月曜日

●マスク鳥 中嶋憲武


マスク鳥

中嶋憲武



かっちゃんと散歩。

和田堀の釣り堀で、ぼーっとする。かっちゃんは缶ビールを注文、ぼくはシュウェップス。

「食えよ」というので、缶ビールのつまみに付いてきた、花びらのような白い紙の入れ物に入ったピーナッツを食う。

かっちゃんは、たくさんの日曜釣り師たちを眺めていた。

ぼくは、まるで「ル・グランド・ジャット島の日曜の午後」みたいだ、と思う。

釣り堀の外では、ソフトクリームを売っていて、食べたいと思うが我慢する。

しばらく歩くと、森のなかでスチールパンを叩いてる人がいて、そのなんていうか、密林の日差しのような音を聴く。すこしマリンバとか、ああいった楽器に似ている音だ。

まるでよしだたくろうの「春だったね」みたいなボブ・ディランの Stuck Inside of Mobile with the Memphis Blues Again を口笛で吹きながら、青梅街道を歩いていると、よそのおじいさんがシャッターの閉まっている店先に、身体を寄っかからせていた。

すこし通りすぎてから、かっちゃんがそのおじいさんの方を振り向いて見ていた。と、そのおじいさんの方へかっちゃんは歩いてゆき、立ち止まると、「どうしたんですか?どこか具合が悪いんですか?」と尋ねた。おじいさんはなんでもないというような答えを口にしたが、かっちゃんは「歩けないのなら、肩を貸しましょうか?」と言った。かっちゃんて、優しいのかもしれないと、すこし離れたところから見ていたぼくは思った。

しばらく歩いていると、肩に鳥を止まらせた人が歩いてきた。その鳥は、SMに使うような黒いマスクをしていた。すれ違ってから、かっちゃんはその人の方を振り向き、四五歩、後ずさると、その鳥男に向かって、「その鳥、何?」と尋ねた。鳥男は足を止めずに、「鷹」とひと言言って駅のほうへ歩いて行った。

ぼくが、「あの鳥、マスクしてましたね」と言うと、かっちゃんは、「猛禽類だから、突っつかないようにしてるんだろ」と言った。かっちゃんて、好奇心が強いのかもしれないなと、かっちゃんの後をすこし遅れて歩きながらぼくは思った。

駅のほうへ歩いていると思っていたのに、川にぶつかってしまった。この辺では見た事もない広い広い川だった。こちらは曇って寒いけれど、川の向こう側は、晴れていて、気持ちがよさそうだ。かっちゃんは、川を渡ると言い出した。ぼくは、それじゃ、先に部屋に戻ってますねと言い、かっちゃんの方を見ていた。

かっちゃんは、ひとりで川を渡ってしまって、それから戻って来なかった。

2008年12月7日日曜日

●鳥の四原色 野口裕

鳥の四原色

野口 裕


『鳥の脳力を探る』(細川博昭・ソフトバンククリエイティブ)には、鳥の視力のことが書いてある。それによると、鳥が見ることのできる波長領域はヒトのそれよりも広く、紫外線の領域が見える。

これは寺田寅彦が『とんびと油揚』で論じている以下の事柄のどこが間違っているかを端的に示している。
かりにねずみの身長を十五センチメートルとし、それを百五十メートルの距離から見るとんびの目の焦点距離を、少し大きく見積もって五ミリメートルとすると、網膜に映じたねずみの映像の長さは五ミクロンとなる。それが死んだねずみであるか石塊であるかを弁別する事には少なくもその長さの十分一すなわち〇・五ミクロン程度の尺度で測られるような形態の異同を判断することが必要であると思われる。しかるに〇・五ミクロンはもはや黄色光波の波長と同程度で、網膜の細胞構造の微細度いかんを問わずともはなはだ困難であることが推定される。
さて、どこが間違っているのか。寺田寅彦の文中で〇・五ミクロンとあるのは、五〇〇ナノメートルにあたるが、ヒトが見ることのできる最短波長が四〇〇ナノメートルであるのに対し、鳥は少なくとも三六〇ナノメートル、種類によっては三〇〇ナノメートルまで見える。仮にヒトがとんびの高さまで飛ぶことができても、地上にあるねずみの死骸を見つけるのは容易ではないが、とんびは容易に見つけることができるのだ。

また、ヒトが赤・緑・青の三原色を感じることができるのに対し、鳥は赤・緑・青にプラスして紫を感じることのできる四原色で、色を識別している。ヒトよりもより細かい色の判別ができることになる。

ゴミ袋を、紫色の光を遮断する材質で作ると、ヒトの目からは中の物は普通に見えるが、カラスには識別しにくくなり、食べ物には見えないようになる。このようにして、カラスに啄まれにくいゴミ袋が開発されている。まさに、

  鶏たちにカンナは見えぬかもしれぬ(渡邊白泉)

なのだが、詳しくは、「鶏の見るカンナ」はヒトには見えず、「ヒトの見るカンナ」は鶏には見えない、のだ。


〔amazon〕 鳥の脳力を探る 細川博昭

2008年12月6日土曜日

●鳥声 野口 裕

鳥 声

野口 裕


『鳥の脳力を探る』(細川博昭・ソフトバンククリエイティブ)はいろいろと面白い話や、考えさせられることの多い本だが、後半に「小鳥の歌と人間の言語の共通性」という一節がある。それによると、鳥の鳴き声は、「地鳴き」と「さえずり」に分けられるそうだ。

ウグイスの「笹鳴き」などは、「地鳴き」に分類できる。鳥が生まれながらに持っている声で、多くの場合に一音節である。いわゆる「ホーホケキョ」や「谷渡り」などは、「さえずり」と呼ばれる種類の、多音節からなる音楽的とも感じられる鳴き方である。これができないと、つがいとなるメスや縄張りの獲得に後れを取るので、若鳥は成鳥の「さえずり」を聞きながら上手になるまで練習を繰り返す。ウグイスだけでなく、シジュウカラ、メジロ、ジュウシマツ、カナリア、ブンチョウなど多くの小鳥の種類で独自の「さえずり」がある一方で、カラスのように「地鳴き」だけの鳥もある。

本の前半に書いてある話だが、鳥の聴覚はヒトには無理な細かい音を聞き分ける能力を持っている。「六十四分音符をさらに細かく分割して短い周期で細かく音程を変えたとしても聞き分けが可能」だそうだ。これがあるから、小鳥の「さえずり」は、ヒトの耳には精妙かつ繊細に響くのだろう。

また、小鳥の「さえずり」には、文法があるらしい。「さえずり」は、基本的に高さや音色の定まった短い音の組み合わせでできあがっている。その組み合わせは、単語や句に相当するような音節の連なりで「チャンク」と呼ばれる。「チャンク」を並べて、十秒〜三十秒ほどの「さえずり」が完成するが、「チャンク」の並べ方には一定のルールが存在する。「さえずり」は、後天的な練習によって獲得される能力である。したがって、「さえずり」に存在するルールの会得も後天的なものである。ヒトの言語能力獲得の過程を追求する際に、参照する事項となり得るのではないか、と期待されている。

別件だが、鳥は「遊ぶ」こともこの本に記されている。公園の滑り台をすべるカラスや電線にぶら下がるカラスなどが目撃されている。自然の状態ではないが、飼われているインコやオウムなども籠の天頂にぶら下がって「遊ぶ」ことも知られている。そこで、

  鶯の身を逆にはつねかな  其角

「逆に」は、「さかしまに」と読む。表記は、『基本季語五〇〇選』(山本健吉)にしたがった。従来、奇矯とされているこの句だが、この本を読んでいるうちに、眼前に起こったことを素直に詠んだ句、という気がしてきた。

それでも、遊びが過ぎる、という反論があるかもしれない。もちろん、そうかもしれない。遊びが過ぎるのは、鶯の方なのだが。



〔amazon〕 鳥の脳力を探る 細川博昭

2008年12月5日金曜日

●おんつぼ06 キャブ・キャロウェイ 山田露結


おんつぼ06
キャブ・キャロウェイ Cab Calloway

山田露結

おんつぼ=音楽のツボ




1930~40年年代に大活躍したジャズ界きってのエンターテイナー、キャブ・キャロウェイです。派手なスーツ姿、おどけたパーフォーマンス、ハーレム・ジャズ独特のジャイヴ感溢れる演奏、デタラメ気味の豪快なスキャットなどなど強烈なインパクトで人気を博しました。

ビ・バップ登場以降のジャズは実験性の強い芸術思考の音楽になって行きますが、この時代のビッグ・バンドの演奏を聴いてると当時ジャズが極めて大衆的なダンス音楽だったということがわかります。

キャブのバンドには後にチャーリー・パーカーらとともにビ・バップの立役者として活躍したディジー・ガレスピーが在籍していたことがあります。

ディジーは当時、それまでのジャズに飽き足らず、あらゆる要素を取り入れながら新しい音楽を模索していました。あるとき、ディジーがリハーサルの合間にバンドのメンバーとコード(和音)を分解してインプロヴァイゼイションして遊んでいたところ、キャブは「そういう中国みたいな音階はオレのバンドでは出すな。」と言って怒ったそうです。

そのことから二人の関係がギクシャクしたのかどうか、ステージで演奏中に誰かがキャブに紙つぶてを投げたのをディジーの仕業と思い込んでイザコザとなり、それが原因でディジーはバンドをクビになってしまいます。そのことを根に持ったディジーはなんとキャブを背後からナイフで切りつけるという事件を起こします。

何とも大人気ないエピソードですが、こんな話を聞くとあの奇才ディジー・ガレスピーもただのチンピラだったんだ、と妙な親近感が沸いてきます。ま、ようするに二人とも根っからの音楽バカだったということでしょう。

キャブはその後も自らのスタイルを変えることなく生涯、色物エンターテイナーとしてステージに立ちました。映画「ブルース・ブラザース」ではキャブ73歳の勇姿を見ることが出来ます。


痛快度 ★★★★★
大衆芸能度 ★★★★★


〔おすすめアルバム〕 ハイ・デ・ホー・マン

Cab Calloway - Minnie The Moocher (Blues Brothers 1980)

2008年12月4日木曜日

●二輪通さんに聞きました

二輪通さんに聞きました



豚の句ばかり並んだ10句作品「豚の春」(「週刊俳句」第52号-2008年4月20日-掲載)を覚えておいででしょうか。多くの読者に強烈な印象を残した豚10句。その作者、二輪通さんに「豚句」のいきさつなどを聞きました。


Q 豚の句だけつくるようになったのは、いつ頃からですか?

俳句をはじめて5年くらい経ってからです。


Q 二輪さんは結社「炎環」所属ですね。「炎環」への投句は、当初から現在まですべて豚の句ですか?


『炎環』をあらためてみてみると、最初の1年くらいは、豚の句はありません。


Q 最初につくった豚の句は覚えていますか?

豚の入った句は『炎環』をみた範囲では、「麺入るる豚骨スープ花の冷」。ただこれは豚の句とはいえないかと。そうなるといったい何が最初の豚の句なのか、よく覚えていないのです。


Q 豚句を作り始めたきっかけは?

なんとなく始まったといった感じでしょうか。


Q それにはなにか理由というか、狙いがあるのですか?

狙いというほどのものは、始めたころはまったく考えていませんでした。マンネリズム、イメージの増殖、内容・韻律の単純化、等々……。これらのことが、豚の句をつくりつづけることで、何らかの意味(プラス、マイナスともに)をもってきて、いっそう増幅していくということではないでしょうか。


Q いま、豚の句以外をつくることはありますか?

つくりません。たぶんこれからもつくらないでしょう。


Q 句会は参加されることはあるのですか?

参加していません。かりに参加したら豚の句を投句することになるかと。


Q 好きな俳人は?

中村草田男、西東三鬼など。


Q 実際の豚は、お好きですか?

吉野屋で「並」といえば牛丼の並。豚丼ではありえません。私はいつも「並」を注文しています。


Q ポークではなく、動いている豚は?

子豚レースのようなものを子どもの頃にみて以来、動いている豚はみたことがありません。好きでもないけど嫌いでもないといったところでしょうか。


Q ところで、そろそろ冬の豚、いかがでしょう? 週刊俳句にいただけませんか?

はい、あけて1月なら…。


Q ありがとうございます。楽しみにしています。

2008年12月3日水曜日

●大本義幸句集『硝子器に春の影みち』を読む・続〔 2 〕羽田野令

大本義幸句集『硝子器に春の影みち』を読む・続 〔 2 〕

羽田野 令


『硝子器に春の影みち』は沖積舎の沖山隆久氏はじめ、大本氏のまわりの多くの人たちによって出来上がった本である。解説のほかに栞の文章が五人、句の選をされた方が四人だそうである。挿絵の方も友人という、幸せな句集である。

  くらがりへ少年流すあけぼの列車

第一章「非(あらず)」からの一句。

経済成長によって戦後の都市が吸収した若年労働力とそれを運んだ列車のことを思う。流行歌では守屋浩が恋人が東京へ行ったことを歌い、僕も行こうあの娘の住んでるトーオキョーへ、と結んだ時代。工業化にともない都市人口が急速に膨れ上がり近郊を含めて町の姿が変わっていった時代。

大本氏自身は18歳で大阪へ出、そしてすぐ東京へ出ているが、この句は、一少年としての自己が主体ではなく、都市へのそういう人口流入の現象を俯瞰する視点が貫かれている。「流す」の主体はその時代の社会全体である。そして流す先は輝いている都会生活ではなくて「くらがり」だと言う。

「くらがり」とは、人間が労働力として機能する資本主義の底を見つめたような言葉。そう言い切ることのできる目は、かなり時代を覚めている目である。そして少年の希望を灯した「あけぼの」。「あけぼの」にある赤の、これから明るんでいく色が「くらがり」に対して美しい。


(つづく)


〔参照〕 高山れおな 少年はいつもそう 大本義幸句集『硝子器に春の影みち』を読む ―俳句空間―豈weekly 第11号
〔Amazon〕 『硝子器に春の影みち』

2008年12月2日火曜日

●おんつぼ05 筒美京平 さいばら天気

おんつぼ05
筒美京平 Tsutsumi Kyohei


さいばら天気

おんつぼ=音楽のツボ


ポップス系歌謡曲の作曲家。第一人者。一方、パクリで知られる。平山三紀の「いつか何処かで」(LP収録曲。そんなもの誰が聴くのか。私は愛聴していたが)のイントロからして The 5th Dimension の「Up, Up and Away(ビートでジャンプ)」そのままであるとか、南沙織「純潔」が、Van Morrison の「Wild Night」のベースラインをそのまま歌のメロディにしている(これは一種のアイデア)とか、洋楽からのパクリ例は枚挙にいとまがない。

しかしながら、パクリとは引用である。そして音楽に引用は付き物である。よい音楽は、よい引用に満ちている。引用の貧しい音楽は、音楽として貧しい。

音楽には引用という愉しみがある。それに引き替え俳句は…と、ときどき思う。「豊かな引用に満ちた俳句」とは? 既視感や類想ではもちろんなく。

そのむかし、四半世紀以上前、歌謡曲と洋楽のあいだには大きな隔たりがあった。筒美京平の「引用」は、その隔たりに橋を架ける感じ。当時の洋楽ファンは、「あ、あれだ」と引用元を特定しつつ、にこにこと嬉しく聴いていた。


どっかで聞いた度 ★★★★★
ハイカラ度 ★★★


作曲:筒美京平、作詞:松本隆、歌:中川翔子「綺麗アラモード」。このトラックの引用について、私には不明(部分部分おわかりの方、コメント欄にでも)。上等な20世紀ポップス歌謡に仕上がっています。

2008年12月1日月曜日

●井口吾郎回文俳句 秋冬コレクション「季節初咳」

井口吾郎回文俳句秋冬コレクション
季 節 初 咳
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