2009年8月31日月曜日

〔link〕女性俳句と近代

〔link〕女性俳句と近代


近代女性俳句、その戦略 ― 長谷川かな女と保持白雨の場合:Haiku New Generation
http://haikunewgeneration.blogspot.com/2009/08/blog-post_2513.html

(小見出し)
1「良妻賢母」という戦略
2 かな女という偶像
3『青鞜』の俳句―「おばさん」という戦略
4「おばさん」の変身

やや長くなりますが抜粋。
実際『ホトトギス』の男性俳人たちは婦人十句集に現れた理想の女性像を共有し、虚子たちの家庭を模倣することによって理想の「家庭」の構築を試みた。(前掲・以下同)

すでに短歌においては、『明星』が新しい女性の身体像を絵画によって視覚的に明示し、「男たちが描いた《女なるもの》の夢を逆に揺さぶり返し、塗り替えていく」ことで与謝野晶子や山川登美子といった歌人が生まれていた(注8)。俳句において男たちが「《女なるもの》の夢」を提示し、それを受けた女たちとのあいだで創造的なコミュニケーションがなされるという同様の例は大正時代の『ホトトギス』に見られる。その例を「足袋つぐやノラともならず教師妻」(杉田久女)、「短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎(すてつちまをか)」(竹下しづの女)というような句―「良妻賢母」という「夢」を裏返して投げ返すような句に求めることもできるだろうし、また逆に、「夢」を積極的に引き受けた例として長谷川かな女を挙げることもできるだろう。

かな女がコミュニティに属する者の共有しうる女性像を自ら引き受けることによって、用意された舞台で他の女性と俳句を共有したのに対し、俳句を共有する者を持たない白雨は逆にそのコミュニティに属する者に共有されない女性を演じることで自らの立ち位置を確立したのである。
大正期~昭和初期の俳句世間(ホトトギス)における「女性像」について作品をからめて論じ、かな女と白雨を対照させる。ジェンダー論へも軽く言及。

(さいばら天気)

【評判録】こしのゆみこ句集『コイツァンの猫』

【評判録】
こしのゆみこ句集『コイツァンの猫』

●こしのゆみこ『コイツァンの猫』:みしみし
http://misimisi2.blogspot.com/search/label/こしのゆみこ

2009年8月30日日曜日

〔俳誌拝読〕GA 第51号

〔俳誌拝読〕
GA 第51号

2009年7月・本文22頁





秦夕美氏による季刊個人誌。縦長ポケットサイズに、俳句2作品「朱夏のたはごと」「通りやんせ」(計50句)、短歌10首、短文3本。

  金印のころがりいづるあいの風

  東西にうごく日の斑も蜘蛛の囲も

  暇なのでひまはり奈落へと運ぶ

  たたらを踏む葉桜の奥見えざれば


同人誌ではなく個人誌という手は「アリだなあ」と思いました。

同人は同人で、もちろん根拠や意義があるにちがいないのですが、成員間の「回覧板」化してしまう危険性は、結社誌と同様です。それはビジョンらしきものを掲げようが掲げまいが同様。

「座」を絶対善とするあまり、書き手が内部に向かってしか書いていない閉塞、読み手が内部で交わされる言説にしか耳を貸さない閉塞を招かないともかぎりません。

一方、個人誌の場合、読者数の多寡によらず、書き手は「外部」の読者に向けて開かれた状態。その意義に目を向けていいでしょう。

(さいばら天気)

2009年8月29日土曜日

〔link〕切れ字の重複

〔link〕切れ字の重複

切れ字の重複について:林誠司 俳句オデッセイ
http://blogs.yahoo.co.jp/seijihaiku/archive/2009/08/25

google

2009年8月28日金曜日

■枡野浩一の2プロジェクト

枡野浩一の2プロジェクト

「かんたん短歌blog」再開と「枡野浩一短歌塾」構想:枡野書店
http://masuno.de/blog/2009/08/25/post-108.php

「かんたん短歌blog」はトラックバックを用いた短歌投稿。「短歌塾」はオフライン(リアル)での塾。

■角川俳句賞:相子智恵さん「萵苣」に決定

角川俳句賞:相子智恵さん「萵苣」に決定
第55回角川俳句賞(角川学芸出版主催)が27日、相子(あいこ)智恵さん(33)の「萵苣(ちしゃ)」に決まった。相子さんは「澤」同人。東京都世田谷区在住。贈呈式は来年1月22日、東京・丸の内の東京会館で開かれる。毎日新聞 2009年8月27日 19時50分

【週刊俳句で読む】
相子智恵 幻魚10句
「われら」の世代が見えない理由 マイクロポップ時代の俳句〔前編〕
同〔後編〕

2009年8月27日木曜日

2009年8月26日水曜日

●祐天寺写真館24 層

〔祐天寺写真館24〕


長谷川裕


年代というか。歴史。こういうディティールが積み重なって街ができていくわけだね。

この下を流れているのは目黒川で、ああ、むかしは布をさらしたりしてたんだなあ、
などと思いながら撮る。


2006年2月 中目黒 RICOH GR Digital

2009年8月24日月曜日

●週刊俳句をググるときは

週刊俳句をググるときは

haiku」でググれば、省力です。  ≫ google

2009年8月22日土曜日

■ネットラジオ 青島玄武の「ポンデ煩悩!」のお知らせ

ネットラジオ放送のお知らせ

8月24日(月)午後11時30分より俳人・青島玄武さんのネットラジオ放送があります。

『青島玄武の「ポンデ煩悩!」~今夜、勝手に決定。2009年上半期最強映画ベスト5!』

【聴取方法】
1. ねとらじ(http://ladio.net/)にアクセス
2. 右上の「番組検索」に「青島玄武」等、番組名の一部を入力して検索
3. タイトルの青い文字をクリックすればメディアプレイヤー・ツールが自動的に立ち上がり、聴取できます

聴けない場合は「ねとらじ」のヘルプ

【評判録】高浜虚子『俳句の作りよう』

【評判録】
高浜虚子『俳句の作りよう』

高浜虚子『俳句の作りよう』 :ono deluxe

『俳句の作りよう』 :プリンレモンはあまいかすっぱいか


2009年8月21日金曜日

〔link〕林田紀音夫

〔link〕林田紀音夫

俳人ファイル ⅩⅩⅩⅧ 林田紀音夫(冨田拓也):豈 Weekly
http://haiku-space-ani.blogspot.com/2009/08/blog-post_16.html

野口裕「林田紀音夫全句集拾読」

2009年8月20日木曜日

●祐天寺写真館23 石の窪み

〔祐天寺写真館23〕
石の窪み

長谷川裕

あ、おでんじゃありません。
見ていると、中味が少しずつ変わっていくわけです。
で、毎日、見る。するとたまった雨水が緑色に濁っていったり、
吸い殻が徐々に崩れていったり、ボウフラが湧いていたりする。
そういうディティールを誠実に撮るわけです。
小さな水たまりにもドラマがあるわけなんですよ。

2009年2月 目黒区 Nikon D300

〔link〕明治大正昭和の俳句習得/女性俳句

明治大正昭和の俳句習得/女性俳句

近代における俳句リテラシーの形成過程について

:Haiku New Generation
http://haikunewgeneration.blogspot.com/2009/08/blog-post_14.html

長文論考。労作です。

2009年8月18日火曜日

〔link〕俳句甲子園関連

俳句甲子園関連

A 週刊俳句121号<俳句甲子園>特集? :曾呂利亭雑記
http://sorori-tei-zakki.blogspot.com/2009/08/121.html

B 終了。 :鯨と海星
http://saki5864.blog.drecom.jp/archive/464

A:「週刊俳句」第121号の読後記事 B:俳句甲子園・運営後記的記事

追加 第12回松山俳句甲子園 :sakaish!!!
http://sakaish.blogspot.com/2009/08/12.html

【評判録】正木ゆう子句集『夏至』

【評判録】
正木ゆう子句集『夏至』

正木ゆう子『夏至』 from みしみし 三島ゆかり俳句日記

週刊俳句 評判録 バックナンバー

2009年8月17日月曜日

■第3回 短冊供養のお知らせ

第3回 短冊供養のお知らせ

来る2009年8月19日(水)、俳句の日。
東京・根岸、西念寺において、短冊供養が執り行われます。

開始:2009年8月19日(水) 18:30
場所:西念寺  ≫地図 JR鶯谷駅東口から北へ、すぐ

以下、西念寺よりお知らせです。
……………………………………………………………………………………

■三界迷句未生鬼句供養(短冊供養)

句会等において、短冊に書いたものの、その後発表することなく忘れてしまった句、

一度、脳裏を掠め、瞬間いい句ができたと思いながら、その後どうしても思い出せない句、

手帖の隅に書き置きながらも、ついに捨てざるを得なかった句、

それらの句を放置しておくと、三界(さんがい)迷句(めいく)、未生(みしょう)鬼句(きく)として「鬼趣(きしゅ)永劫(ようごう)に浮沈し、飢火(きか)常に燃え」る状態となり、人をして甚だ「苦汁(くじゅう)悪味(あくみ)」を嘗めさせる、とされている。

これら三界迷句・未生鬼句の供養をし、浄焚(じょうぼん:お焚きあげ)するならば、句は穢土を離れて「悉(ことごと)く天に生(しょう)ずる」という。

短冊供養とはまさに三界迷句〔過去現在未来をさまよ彷徨う句〕、未生鬼句〔生まれずして葬られた句〕の抜苦(ばっく)与楽(よらく)〔苦を抜き去り安楽を与え〕、超生(ちょうしょう)浄土(じょうど)〔超えて浄土に生まれ〕させるための法要である。

法要において読まれる宣疏(せんしょ)に「亦(また)人をして、近くは現に秀句を招き、遠くは即ち俳妙(はいみょう)を成(じょう)ぜしむ」とあるから、何やら現世的な利益も期待できるということで、あるようだ。

浄壇(じょうだん)を設け発遣(はっけん)する〔浄土へと遣る〕お焚きあげの際に用いられる漆黒の窯は、敦賀舞鶴辺より流れ来て三州に在した鬼瓦職人に佳偶庵(かぐうあん)という名陶工があり、此の人があるとき発願(ほつがん)するところあって、型造り焼き上げた満願の日、登り窯より十七文字(もんじ)の紫煙(しえん)が立ち昇った、という謂れのある不可思議の逸品であり、まことに仏縁奇縁ありて、いつの頃か、呉竹(くれたけ)の根岸の里、西念寺に奉納されたもの、という。

東京根岸西念寺  二十五世 心誉



■東京根岸西念寺 短冊法要 差定

当日寄せられた短冊等を浄壇三宝に奉安し、
荘厳された道場に参列者待つうち、
導師入堂。

香偈
三宝禮
奉請文
懺悔偈
十念
歎仏偈
表白
(参列者、焼香開始)
三尊禮
開経偈
誦経(四誓偈)
摂益文
念仏
宣疏(短冊回向文)
念仏
(参列者、焼香終える)

浄焚
(東に持国天、南に増長天、西に広目天、北に多門天の四天王の幡を吊った葉竹を四隅に立て、四方洒水、四方散華された浄域に漆黒の窯を置き、短冊を焚きあげる)

送仏偈
低声十念

導師退堂

参列者の数にもよりますが、これらすべてを終えるのには長くて四十分ほどと思われます。
法要終了後、時間のある参列者は仏前の般若湯、蔬餞等供じますので、ゆっくりとお過ごしくだされば有難いことで御座います。

2009年8月16日日曜日

〔ネット拾読〕気がつくと家じゅうが時計だらけだった人

〔ネット拾読〕14
気がつくと家じゅうが時計だらけだった人


さいばら天気


はい、こんにちは。また日曜日がやってまいりました。

 * * *

蝉鯨 from みしみし 三島ゆかり俳句日記
http://misimisi.exblog.jp/11727193/

「背美鯨」か「背見鯨」か。湯桶読みの「背美」には無理があることからしても、三島ゆかり氏の「背見」説に一票。

で、ひょっとして「蝉」には似ていないのか?とふと思い、見てみますと…
http://www.pref.mie.jp/haku/Hp/Collection/Makimono/Img/kujira.jpg
http://www.sdnhm.org/research/readings/images/fn_307whalejump_400w.jpg

似ているような似ていないような…。

似てないか。

 * * *

権利侵害について。

クリプトンさんがミイラになりつつある件 from ひろゆき@オープンSNS
http://www.asks.jp/users/hiro/61745.html

簡単に経緯を説明すれば、動画投稿サイトに、初音ミクが「白いクスリ」という「碧いうさぎ」(酒井法子歌唱)の替え歌が投稿された。それをクリプトンという会社(初音ミクで商売をしている)が権利侵害として、削除要請したというもの。

コメント欄では、法律上のことやらなにやらが書き込まれていますが、これ、パロディ等への寛容と不寛容の問題でしょう。どの分野でも持ち上がる問題です。

(ところで初音ミクって何?)

原典(オリジナル)がある。それを参照にしていろいろな遊びがある。パロディ、本歌取り、返歌…等々。

そこに、オリジナル側から「権利侵害」などというのは、どうなんでしょう?

おおざっぱに次のふたつはまったく別物です。

A)パロディ、本歌取り、返歌
≫オリジナルの存在の尊重
≫オリジナルが周知であることが前提(知っといてもらわないと成立しない)

B)剽窃・盗作
≫オリジナルの存在を秘匿
≫オリジナルが周知でないことが前提(知られていると、まずい)

パロディや本歌取りの原典であることは、オリジナルとして一種の名誉であると考え、法律上はいろいろあるにしても、寛容の態度をとるわけにはいかないもんでしょうか。

どのようにパロられるかもすべて受け入れる。原典としての寛容な態度というか。

髭のモナリザもまた、名画モナリザの原典としての偉大さを証明するもの。ダ・ヴィンチは怒ったりしないと思います。話が大きくなりましたが、合法・非合法という基準とは別に、寛容か不寛容かという態度選択があるはずです。

 * * *

このあいだ終わったばかりの俳句甲子園関連で少し…と、話に入る前に、「短歌甲子園」もあるんですね。≫告知ホームページ

さて「週刊俳句」第121号には関連記事3本。そのなかで…

佐藤文香氏「夏休みグラスに砂を満たしけり 第12回俳句甲子園 うちらの場合」
http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/08/blog-post_16.html

人の評価ってのは、ほんと、さまざまです。個別の句については控えますが、敗者復活戦だって、「七夕や宇宙飛行士ブログ書く」は「こりゃ絶対ないな」と私などは思います。でも、これだって「先生方」が選んだわけですよね。いろいろな感想や評価があるんでしょうし、あっていい。それよりも、この記事のハイライト(?)は、こっちでしょう。「七夕や子供に渡す聴診器」についての次のくだり。
審査員の先生は「これは病院の診察室でのことですか」のような質問をした。それは読者が考えることだから、那須くんは「診察室でなくてもいい、七夕に子供に聴診器を渡す、それだけ」のような応え方をした。そしたら観客席の、ある高校の引率の先生が「はっはっはっわからな〜い」と手を叩いて笑った。そのあたりの人達や違うところでも笑っていたね。(前掲・佐藤文香)
このことを、「程度の悪いのは、どこにでもいる」としておくのか(個別の問題)、それとも俳句甲子園、ひいては俳句世間全体の〝病〟のようなものと捉えるか。……どうなんでしょう?

どっちの俳句が「勝ち」だの「負け」だの、ゲームとしてやるならいいのですが、そのとき例えば、「きちんと読む」ことのほうがずっと大事ということは押さえておかないといけません。「優勝劣敗」の観念が根づかないような注意も必要でしょう。「勝ったものが優れていて、負けたものが劣っている」わけではない。勝ちと決まったものが勝ち、負けと決まったほうが負け。それが「ゲーム」ということです。

勝った負けたは誰でもたやすく熱狂しやすいぶん、とても妙なことになりやすい。「熱狂」という代物には、とりあえず気をつけたほうがいいわけです。

評価も含めて、この手のものには51パーセントの信頼(半信半疑よりちょっと多めの信頼)がよいと考えています。若い人には、「オトナたちのわかったふうでワケのわからない文言に惑わされるなよ。阿呆なオトナに引きずられていたら、楽しいはずのものが楽しくなくなっちゃうよ」と伝えたい気持ちです。

 * * *

それではまた、次の日曜日にお会いできることを祈りつつ。

●歌仙「百年」

歌仙「百年」


囀や築百年の時計塔       恵  三春
  額あかるく仰ぐ春天      天気  三春
つるりんと卵は殻を抜け出して  うさぎ 雑
  制服のまま通ふ雀荘     淡水魚  雑
月の鉤垂れて天帝ひとを釣り   鮟鱇 月の座・仲秋
  うまく抓めぬ虫籠の蓋    恵  三秋
〔初折裏〕
割箸を割る音ひびく紅葉狩    敦  晩秋
  三倉茉奈佳奈どちらがお好き 三だる 雑
抱かれて通天閣の灯が窓に    遥  恋
  空港で待つむかしの男    淡水魚 恋
亡命のサイン打合せと違ふ    うさぎ 雑
  バレーボールのネットに土鳩  恵 雑
竜笛に光を増せる夏の月     三だる 夏・月の座
  信濃太郎の逆鱗に触れ    廣島屋 三夏
今朝もまた気象予報の大外れ   七 雑
  バウムクーヘン工場の怪   三だる 雑
煙突が花屑ひとつ吐き出して   由季 春・花の座
  調書をとりし後にぶらんこ  廣島屋 三春
〔名残表〕
おづおづと子猫手を出すやじろべえ お気楽堂 晩春
  東海道に巣食ふ山賊     恵 雑
指先に残る飯粒ぺろりんと    敦 雑
  切手五枚で九円を足す    お気楽堂 雑
街角のギターケースに降る木の葉  三だる 三冬
  禁じられたる冬野に遊び   由季 三冬
寝たばこの火を昂ぶりに置きかへて 銀河 恋
  君と暮らした洞窟を去る   M玉 恋
迷子札付けてフレンチブルドッグ 由季 雑
  ソースの付きし白衣を着替へ 遥 雑
月明かりさす舞台へと奈落より  廣島屋 秋・月の座
  夜業に直す女形の鬘    恵 晩秋 
〔名残裏〕
アラジンのランプこすれば霧出でて 由季 三秋
  仁丹の粒ひとつ転がる    敦 雑
はやばやと達磨に目玉描き入れむ 遥 雑
  雲を数へてゐてつい遅刻   三だる 雑
翁童の逢ひ別れしか花の谿   銀河 春・花の座
  春を送りて響く鐘の音   お気楽堂  晩春

起首:2009年3月21日 8:26
満尾:2009年8月16日 0:12

●歌仙「百号」

歌仙「百号」


燕来る頃を百号来たりけり   小雨  晩春
  腰の高さに木瓜の生垣   天気  晩春
床屋から坊主頭の子の出でて  敦   雑
  本塁打王さても大望    銀河  雑
舟の上に透き通るまで月眺む  遥   月の座・仲秋
  鳴子かすめて走るあやかし  恵  三秋
〔初折裏〕
首筋に塗るお白粉へ秋の風   由季  三秋
  接吻の痕疼く早番     お気楽堂 恋
片陰の陰も君へとしなだれる  ねこ  恋/晩夏
  シャーレに咲ける塩の結晶 藤幹子 雑
雪深きここを果無山といふ   銀河  晩冬
  羊数へて寒月の宿     三だる 冬・月の座
いみじくもベジタリアンの大嚔  由季/うさぎ 三冬
  噂の元はとあるウェブログ お気楽堂 雑
ねんごろに筆の穂先を整へて  敦 雑
  すめらみくにのもとの一滴 分度器 雑
下戸ばかりようも揃ひし花の宴 お気楽堂 春・花の座
  鵯越の霜の別れぞ     遥 晩春
〔名残表〕
陽炎に包まれ世界新記録    三だる 三春
  皮から作る餃子パーティー お気楽堂 雑
難事件アガサの霊に訊いてみよ 七 雑
  そして誰もが虹を見上ぐる 三だる 夏
金魚売ゆるりゆるりと橋渡り  由季 三夏
  六道辻の喧嘩えれじい   七 雑
侍の扮装のまま歯科医院    恵 雑
  親の知らない逢瀬かさねる 銀河 恋
前戯なき戦い若さゆゑ許す   分度器 恋
  いきなり終はる半島の道  由季 雑
海亀の涙に映る夜半の月   廣島屋 秋・月の座
  どぶろく仕込む卓球少女  恵  晩秋
〔名残裏〕
御法度の金糸銀糸に木の実降る 由季 三秋
  紅い小鳥の群れる山頂   M玉 雑
水曜のメリーゴーランドに一人 三だる 雑
  裏の川まで馬を洗ひに   お気楽堂 雑
あまたなる泡のごとくに山桜  敦 春・花の座
  つひに見えなくなる凧   三だる 三春


起首:2009年3月16日 21:31
満尾:2009年8月16日 0:20

2009年8月15日土曜日

●八月十五日

八月十五日


終戦日妻子入れむと風呂洗ふ  秋元不死男

暮れはててなほ鳴く蝉や敗戦日  石田波郷

敗戦の嘗て其日の蓖麻の花  三橋敏雄

敗戦忌寝ざめの胸毛茫々と  中島斌雄

飲食のおそき夜なる終戦日  星野麥丘人

夜も干す敗戦の日の布一枚  宇多喜代子

終戦忌頭が禿げてしまひけり  藤田湘子

玉子割り黄味の生き生き敗戦日  高澤良一

敗戦記念日の蝙蝠のどれがどれやら  池田澄子

八月十五日海老ふかぶかと腰をまげ  大木あまり


終戦の詔勅

2009年8月14日金曜日

■俳句甲子園、松山中央高が初優勝

俳句甲子園、松山中央高が初優勝
高校生が俳句の出来栄えと鑑賞力を競う第12回俳句甲子園全国大会(NPO法人俳句甲子園実行委員会主催)は9日、松山市で決勝があり、松山中央(愛媛)が洛南(京都)を破って初優勝した。大会中に発表された全1260句の中から選ばれる個人最優秀賞は、菊池(熊本)の3年生、中川優香さんが詠んだ「琉球を抱きしめにゆく夏休み」に決まった。(asahi.com 2009年8月9日)
http://www.asahi.com/edu/news/OSK200908090064.html
俳句甲子園ホームページ

2009年8月13日木曜日

〔link〕定金冬二と時実新子

定金冬二と時実新子

定金冬二/時実新子 :海馬 みなとの詩歌ブログ
http://umiuma.blog.shinobi.jp/Entry/679/

川柳ビッグネームふたりについて言及・紹介。

2009年8月12日水曜日

●祐天寺写真館22 国道不動産

〔祐天寺写真館22〕
国道不動産

長谷川裕

書体がいいのよね。いい味を出している。この看板を書いた人は天才だな。
看板屋に頼むより、オレが書くって、腕まくりして自分でやったんだよ、きっと。ペンキだらけになりながらね。
もうなんか、書いた人の人生まで見えてきそうだ。
自販機のおさまりぐあいもばっちりだし、郵便ポストの赤いのも最高ね。

2008年10月 横浜市鶴見区 Nikon D300

2009年8月11日火曜日

【評判録】加藤郁乎『俳の山なみ・粋で洒脱な風流人帖』

【評判録】
加藤郁乎『俳の山なみ・粋で洒脱な風流人帖』

(2009年7月・角川学芸出版)

from 喜代子の折々

風流漂流(高山れおな)from 豈 Weekly

2009年8月9日日曜日

〔ネット拾読〕原監督曰く「異次元的な力が必要」

〔ネット拾読〕13
原監督曰く「異次元的な力が必要」


さいばら天気


はい、こんにちは。また日曜日がやってまいりました。

 * * *

この週末、松山では「俳句甲子園」開催。各所ブログに記事が上がりつつあります。ブログ検索 ≫goo ≫yahoo

 * * *

blog「原石鼎」 http://blog.goo.ne.jp/basyou1936

岩淵喜代子氏が新設。「石鼎に関する情報やら評論やらを転載し、石鼎俳句の鑑賞もしていこうと思っている。/手早いひとなら、ひとりで毎日一句ぐらいの鑑賞は出来るのだろうが、それでは忙しくなりすぎるので、いろいろな方にお手伝いしてもらうことにした。」とのことで、「複数の書き手によるワン・テーマのブログ」というアイデアがおもしろいです。

 * * *

「新しさ」について、短歌分野のお話。

2009年8月3日(月) from ogiwara.com
新しい作家や新しい作品は、しばしば何かを欠いた姿であらわれる。新しい何かにこだわろうとするあまり、これまで重要だとみなされていた何かを欠いてしま うのは、ごく自然なことだろう。(…略…)われわれは、混沌とした新しい動きのなかから何をどのように取捨してジャンルと対峙してゆくべきなのか。基準も 指標もどこにもないのだが、一つ言えそうなのは、新しい何かが、何を欠いているかにこだわり過ぎないこと、何にこだわっているのかを探ろうとすること、だ と思う。
含蓄です。

何を欠いているかにこだわり過ぎないこと」。粗雑で陳腐な喩えになりますが、ウォークマンが登場したとき、「スピーカーが付いてないからダメ」って評はバカげているわけです。

 * * *

『俳句』誌の実作ノウハウ記事に触れた記事2本。

『俳句』2009年8月号を読む(山口優夢) from 週刊俳句・第119号
http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/08/20098_02.html
Hunter from 無門日記
http://blog.livedoor.jp/mumon1/archives/51198571.html

たしかにノウハウ記事がしばしば特集となる。レギュラー連載にもノウハウ情報が多いので(文法やら選句の基準やら添削やら諸々多数)、ノウハウ色は濃い。

80歳代の俳人が、俳句総合誌の話題になって、「どないしたら、ええ俳句がつくれるか、なんて、そんなもんがあったら、こっちが教えてほしい」と嘆いていたことを思い出す。世代を問わず、〝萎えて〟いる部分ではあるわけです。

ただ、雑誌をつくるという面から、あえて、上記2記事に異論を挙げるとする。
俳句ブームの時代に『俳句』の入門者向け企画を読み、俳句の道に入ってその後も俳句を作り続けているという読者がいると想定したなら、その人たちはもうそこそこ中堅の作家になっているのではなかろうか。/ある時期に入門者を意識して企画したなら、自分たちが育てた俳人たちの成長に合わせてその後も企画を成長させようと、なぜ考えないのだろう。(前掲・Hunter)
一般に雑誌は、読者とともに成長(加齢)するのではなく、ある層に向けて情報を発信しつづけ、対象層が入れ替わっていく。わかりやすい例は「小学一年生」。十代女性のファッション誌もそうだろう。『俳句』誌が、初心者あるいは中間層(に分厚い需要を見て、それ)をターゲットに記事をつくっていくという選択は充分に妥当性がある。ただ、実際の中心読者層がほんとうにそれを望んでいるかどうか(ニーズとの乖離はないか)が問題となるのだろう。
どうせ俳句論ではなくて俳句ノウハウを特集するなら、もっと巷に出回っている週刊誌のようなスタイリッシュな雑誌を目指せば良いのに、と、いつも思ってしまう。(前掲・山口優夢氏)
「スタイリッシュなノウハウ記事」というのは矛盾を孕んでいる。ノウハウはどだいスタイリッシュではない。程遠いものだ。なぜ、ノウハウをスタイリッシュに見せようとするかといえば、スタイリッシュという粉飾によって、ノウハウ情報がまとってしまう泥臭さから目を逸らさせたい、忘れさせたいからだ。例えば、青年誌・女性誌の「自分磨き」やらナンパ術(コミュニケーション法)などの多角的誌面構成。

そのあたりの編集の〝感じ〟を俳句総合誌が取り入れると、諸々の事情から(それなりに蓄積があるわけです。スタイリッシュ粉飾の技法には)、なんだかワケのわからない誌面、痛々しい誌面になってしまう危険性がとても高い。

きっと、俳句総合誌や結社誌が、ノウハウ情報を「論」として掲載しているのは、媒体の問題ではなく、「俳句」の現状そのもの(あるいは歴史も含めて)の問題でしょう。たびたび指摘されることですが、「いかに作るか」が俳句的言説の大きなシェアを占めている。さらにいえば、読むときでさえ、その句を「いかに読んだか」よりも、その句が「いかに作られているか」に焦点を当てたりする。

作句作法・技術論という大きな基盤(共通の話題)の上に「俳句」が載っかっているうちは、俳句媒体がノウハウを「論」じつづけることは、むしろ王道とも言える。皮肉な言い方に聞こえるかもしれないが、ノウハウ的言説は、俳句の持つ「業(ごう)」のようなものとして処するしかない。というか、その部分も、俳句という遊びの構成要素のひとつなんですよね。

やり方はあると思う。「アンチ・ノウハウ論」を対置させるとか、俯瞰(例:個別ノウハウの歴史的変遷)を持ち込むとか(ただし、これが巨大な紛糾の端緒になったりする。切れ字論などは、その一例。でも、あえて紛糾のジャングルへとみんなして突き進むの一興)。

ま、いろいろややこしいことは置くとして、「読んで、いますぐ俳句がつくりたくなる」ようなノウハウ記事なら楽しいと思うのですが、そうならない記事が多いというのが、ちょっと残念なところです。

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それではまた次の日曜日にお会いしましょう。

■青年向け俳句賞のお知らせ

青年向け俳句賞のお知らせ

第7回・青春俳句大賞(龍谷大学)
http://www.ryukoku.ac.jp/haiku/

第8回・田捨女青春俳句祭
http://edu.city.tamba.hyogo.jp/c-koumin/event/08sutejyoseisyunhaiku/08sutejyoseisyun.html

2009年8月7日金曜日

●七夕

七夕


七夕や秋を定むるはじめの夜  松尾芭蕉

うれしさや七夕竹の中を行く  正岡子規

一枚の紙に七夕笹しなふ  後藤夜半

七夕や髪ぬれしまま人に逢ふ  橋本多佳子

七夕の一粒の雨ふりにけり  山口青邨

七夕や灯さぬ舟の見えてゆく  臼田亜浪

七夕を押し返す風ありにけり  阿部みどり女

長茄子の味七夕もちかきかな  久保田万太郎

七夕竹畳の上に出来上る  千葉皓史

星合の飯の中より石の粒  佐々木六戈

七夕の風に吹かれしおでこかな  仙田洋子

星合の日の有るうちも天眺め  如月真菜

2009年8月6日木曜日

●おんつぼ20 ラウル・ミドン 山田露結


おんつぼ20
ラウル・ミドン Raul Midon

山田露結








ラウル・ミドン。
盲目のシンガー/ギタリストである。

盲目のミュージシャンというと、咄嗟に思い浮かぶのはレイ・チャールズ、スティーヴィー・ワンダーあたりか。
いずれも黒人である。
たとえば、「ブラインド・レモン・ジェファスン」、「ブラインド・ブレイク」、「ブラインド・ボーイ・フラー」、「ブラインド・ウイリー・マクテル」などなど、盲目のシンガー/ギタリストというのは黒人ブルース・プレイヤーにはかなり多い。
これは盲目ということ、黒人ということとアメリカの社会状況と何か関係があるのかどうか、私は知らない。

近頃、日本でも盲目の天才少年ピアニストが話題になったが、ミュージシャンが盲目であることと、演奏されるその音楽の良し悪しとは直接関係がないようにも思われる。
しかし、聴く側は演奏家が盲目であると知った瞬間から何やらその演奏に神秘性を感じたりしてしまったりする。
つまり、視覚を閉ざされることによって通常では考えられないような特別な能力が生れるのではないかという憶測やいわゆる「盲目とは思えない」という類の先入観が聴く側にある一定のイメージを刷り込んでしまうのである。

そのような憶測や先入観が演奏家にとってプラスなのかマイナスなのかは分からないが、そういったイメージが盲目のミュージシャンに付きまとってしまうのはある程度、仕方のないことだろう。

さて、ラウル・ミドンである。
彼の演奏する音楽はいわゆるR&Bのカテゴリーに入るだろうか。
私は彼の音楽を最初にいつどこで聴いたのか、はっきりとは覚えていない。
ただ、「ステイト・オブ・マインド」という彼の代表曲を聴いたとき、全身に鳥肌がっ立ったことだけは覚えている。
そして、その時私は、彼が盲目であることは知らなかった。

パーカッシブでファンキーな彼のギタープレイはキザイア・ジョーンズあたりを彷彿とさせるが、なんと言っても最大の魅力はそのパワフルなボーカルである。
何と説明したらよいだろうか。
何か「歌」というものをはじめて得たときの人間のナマの声の原初的なエネルギーのようなもの(ちょっと大袈裟か?)、ああ、歌ってこういうものなんだということを思い知らされたような大きな衝撃が体中を走ったのである。

その後、しばらくして私は彼が盲目であることを知った。

目が見えないことと彼の音楽がすばらしいこととはやはり直接関係がないように思う。
思うが、どうしてもどこかで目の見えないことによって彼の中に宿った神秘的な能力、目が見えないからこそ得ることの出来る超自然的な能力の存在を思ってしまうのである。


ソウルフル度 ★★★★★
パワフル度 ★★★★★



おすすめアルバム

2009年8月5日水曜日

●祐天寺写真館21 暗いガードレール

〔祐天寺写真館21〕
暗いガードレール

長谷川裕

私が見ていないときも、ガードレールでいるのだろうか。
とかなんとか、ドラマ天狗になるわけですよ。こういうのを撮りながら。
すると後ろからおまわりさんが、
「あんた、なにやってんの、こんなところで」と、また新しいドラ
マがはじまるわけだな。

2009年3月 目黒区 Nikon D300

2009年8月4日火曜日

●極東少女

極東少女



east end …?… far east

2009年8月2日日曜日

〔ネット拾読〕この数年ホチキスは劇的に進化している

〔ネット拾読〕12
この数年ホチキスは劇的に進化している


さいばら天気


はい、こんにちは。また日曜日がやってまいりました。

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ウラハイ愛読者の皆様はすでにお気づきでしょうが、これまでの「ほぼ毎日正午更新」というスタイルを少し変え、俳句関連記事の紹介(ニュースへのリンク、句集・俳句関連書の言及・論評ブログ記事の紹介=評判録)を随時アップすることにしました。従来の「おんつぼ」「祐天寺写真館」、それから、長期休暇状態の「ペンギン侍」ほかの記事も、変わらずアップしていきますので、マイナーチェンジ後のウラハイもどうぞよろしくお願いいたします。

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花火 from ゆうきはいく
http://sky.ap.teacup.com/ukiuki575/280.html

ひとり居の無聊感がなかなか滋味深いです。

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話はがらっと変わりますが、オバマ大統領の「いい話」。

オバマの問題解決能力 from 犬も歩けば渋谷にあたる
http://blog.sakanoue.com/archives/51300426.html
オバマの問題解決能力 追記
http://blog.sakanoue.com/archives/51300658.html

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先週、7月26日(日)には「俳句空間-豈 Weekly」が記念の「第49号」を迎えました。なぜ49が「記念」なのかというところは、記事をお読みください。

評論詩〈「―俳句空間―豈weekly」49号を祝す〉筑紫磐井 from 豈 Weekly
http://haiku-space-ani.blogspot.com/2009/07/49_25.html
評論詩〈筑紫磐井氏の祝辞に応う〉高山れおな
http://haiku-space-ani.blogspot.com/2009/07/blog-post_25.html

筑紫磐井氏の評論詩中に「大学の中に全国学生共闘会議が出来たようなもので、/だから本誌「―俳句空間―豈」は何も関係がない。」の記述がありますが、名前が同じ「豈」であること一点をもってしても「関係がない」はずがないのですが、このたぐいの強弁や理屈(論理展開)は、はっきり言って私、嫌いではありません。

「豈 Weekly」の第50号以降にこれまでと変わらぬ期待を込めつつ、第49号達成を心よりお祝い申し上げます。

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haiku&me という「各執筆者が週一回ずつ更新する/WEB俳句同人誌」がこの7月31日にスタートしたこともニュースとして注目すべきでしょう。

http://weekly-haiku.blogspot.com/2009/08/haikume.html

どのような「同人誌」になるのか、楽しみです(メンバーはまだ確定ではないようです)。印象では「同人」というよりもっと緩い関係の中から定期的にコンテンツが掲載されるといったところでしょうか。「ユニット」というと語感が軽薄で不満も向きもあるでしょうが、この数年、ユニット的な繋がりがおもしろいと思っています(上田信治氏と佐藤文香氏による「ハイクマシーン」が典型かつ嚆矢)。もっと増えていくような気がします。

個人的な話をしますが(すみません)、2006年秋に「週刊俳句」を構想した(実際のスタートは2007年4月)その前段階として、対話型ブログというアイデアを持っていました。往復書簡がブログに掲載される感じ。書き手は私とどなたか。それも「ユニット」のひとつ(最小単位)。

ところで、インターネットは、従来の紙媒体(同人誌・結社誌)や組織(同人・結社)に付き物だった「財政」の問題をほぼ完全にクリアしてくれます。これはほんとうに大きなことです。このアドバンテージは、ユニットなりなんなりをスタートさせやすいというメリットばかりでなく、アイデアをかたちにしやすいというメリットももたらしました。たくさん潜在しているはずの素敵なアイデアのひとつ、それが「haiku&me」という気がしています。

2009-8-2 13:00 付記
haiku&me について中村安伸さんからの趣旨説明アリ↓
http://haiku-space-ani.blogspot.com/2009/08/50_02.html

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それではまた、次の日曜日にお会いしましょう。

2009年8月1日土曜日

●8月の動画

8月の動画(サイドバーの下のほう)はハワイアン音楽特集。お楽しみください。
7月がキューバ音楽だったので、とても安易です。

■俳句甲子園2009

俳句甲子園2009

2009年8月7日(金)~9日(日)  松山で。
ホームページ http://www.haikukoushien.com/

【評判録】『草地豊子集』

【評判録】
『草地豊子集』2009年7月・邑書林


セレクション柳人〔番外〕

『草地豊子集(セレクション柳人番外)』 from 海馬

『草地豊子集』  from ono deluxe

2009-8-1 11:20 追加 from 閑中俳句日記(別館) -関悦史

2009-8-1 14:20 追加 from あほうどり

2009-8-1 14:20 追加 from バックストローク(掲示板)