2010年3月19日金曜日

●ホトトギス雑詠選抄〔10〕彼岸・上

ホトトギス雑詠選抄〔10〕
春の部(三月)彼岸・上

猫髭 (文・写真)


腰の手のはだか線香や彼岸婆々 河野静雲 昭和8年

輪を描いてつきゆく杖や彼岸婆々 同上

御院家にちよとものいひに彼岸婆々 同上

みぎひだり廊下まちがへ彼岸婆々 同上

襟巻をふんまへあるき彼岸媼 同 昭和12年

駄々走り来て小水の彼岸婆々 同上

杖をつく顔がぶるぶる彼岸婆々 同 昭和14年

ついて来る杖がそろうて彼岸婆々 同 昭和16年

3月18日(木)、昨日から「彼岸入り」で、21日(日)の「彼岸中日(春分)」を挟み、24日(水)の「彼岸明け」までの一週間が「彼岸」であり、「彼岸会」と称して寺院に「彼岸詣」し、祖先の墓参をする。「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるが「彼岸過ぎまで七雪」という諺もある。

毎年よ彼岸の入に寒いのは 正岡子規 明治26年

には、「母の詞(ことば)自ら句になりて」という前詞が付いている。
北に縮小してゆく冬の寒気団と、南から広がる春の暖気団が、日本付近で衝突し、温帯低気圧が発達するためで、今年の春の風雪は、本稿第8回「実朝忌」で取り上げた鎌倉八幡宮の大銀杏を倒木した。

実はその時撮影した実朝の大銀杏は、ピサの斜塔のように傾いていたので不思議に思って、鶴岡八幡宮の屋根を水平線として撮ったものがある。冒頭の写真がそれである。倒木した方角へ傾いている。わたくしが撮った上弦の昼の月をいただく大銀杏の写真が真直ぐ立っているように見えるのは、倒れた方角の下から仰いで撮ったためである。

今年の彼岸の入りは、夜になって風が強くなったが、昼間は「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものだという陽気で、谷戸歩きの入口で出会う野良猫は「彼岸猫」と呼びたいほど、日向で長々と昼寝をむさぼっていた。

冒頭の掲出句はすべて「彼岸詣」の句である。一句だけ彼岸媼が入るが、彼岸婆々のオンパレードである。

作者は河野静雲(こうの・じょううん)(註1)。明治20年~昭和49年。
足掛け8年も彼岸婆々を詠み続けるというのはかなりの老婆フェチかと勘ぐるには及ばない。時宗の僧侶であり、多分世界にも例が無い俳句寺の住職である。大宰府観世音寺月山に「花鳥山仏念寺」を創建開山し、虚子を祀る「虚子堂」と虚子の愛用した帯を納めた「帯塚」を建立。扁額の「花鳥山」は高浜虚子の揮毫。「念仏のつもりで俳句を作りなっせ」とは、「俳句即仏道」を実践した、静雲の口癖とか(註2)。まるで、虚子の『俳諧スボタ経』(註3)を地で行ったような坊さんである。

ここに出て来る表情豊かな彼岸婆々は、婆々と言っても複数形ではない。白川静『字統』にあるように、「祖母を婆々」と言う。小川環樹・西田太一郎・赤塚忠『新字源』には【「婆婆(ばば)」はよめが夫の母をよぶことば】とある。時代劇に出てくる「婆々様」である。掲出句では「老婆」という意味で使われているが、これが「彼岸会に来る信心深いお婆さん達」と取ると、6句目の「駄々走り来て小水の彼岸婆々」などは、蟹股でばたばた婆々様たちが押し寄せて来て、中腰で腰巻を手繰り上げるやいなや連れションを始めるという、それはそれは大変な景になる。虚子も、そういう誤解を避けるためか、『新歳時記』には、四句目の下五を「ひがんばゝ」とひらがな表記にしている。8句目などは老女たちの景だし、静雲には「僧もする冬木の中の連小便」という句もあるが、間違っても6句目だけは一人で沢山である。

(明日につづく)


註1:本名、裏辻定連(うらつじ・じょうれん)。福岡県福岡市官内町浄土宗一行寺に生まれ、明治25年、土井町時宗称名寺住職河野智眼の養子となる。神奈川県藤沢市時宗総本山遊行寺の時宗宗立学校に学ぶ。このとき「ホトトギス」を知り、投句を始める。遊行寺には、「生きてゐて相逢ふ僧や一遍忌 静雲」の句碑がある。明治38年帰郷し、称名寺に寄寓。宮城県亘野町寿念寺住職をしたあと帰郷し、昭和24年、大宰府の観世音寺月山に、「花鳥山仏念寺」を創建開山。この寺は、多くの俳弟子たちが、浄財を募って創建した俳句寺である。

俳句は、大正16年1月号にて、

閼伽桶に飛び来て風のいぼむしり


花芒はらりととけて二た穂三穂


落葉掃くや担架係の二た小法師

所化衆や落葉掃き終へぞろぞろと

お十夜や一人欠げたる世話ばん婆

五句にて初巻頭。「十夜婆」が虚子のツボに入ったのかもしれないが、「花芒」の句も、蛇笏の名句に先行する佳句。以後、昭和9年4月、昭和12年2月に虚子選の巻頭。虚子歿後は、昭和41年12月に年尾選の巻頭。

時宗僧侶のかたわら、昭和5年、「木犀」を、清原拐童(きよはら・かいどう)より継承主宰。拐童門下の俳人には杉田久女もいる。昭和9年、「ホトトギス」同人となり、昭和16年、戦時下の県下五俳誌合併による俳誌の「冬野」を主宰。句集は『閻魔』『閻魔以後』『脚注名句シリーズ 河野静雲集』。

註2:椛島弘道俳句コーナー。
http://homepage2.nifty.com/gozenkai/kabashima.htm

註3:『定本高濱虚子全集』第十巻「俳論・俳話集一」所収(毎日新聞社)。
碧悟桐が千人中の一人の天才を相手に俳句を説くなら、自分は九百九十九人に受け入れられる俳句を説くという俳諧スボタ経を、戯作調で書いたもの。これも虚子のツボかもしれないが、漱石のユーモア、子規の格調のかけらすらない悪文。

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