2010年5月11日火曜日

●コモエスタ三鬼17 ピアノ鳴る

コモエスタ三鬼 Como estas? Sanki
第17回
ピアノ鳴る

さいばら天気


三鬼が残した句集は『旗』(1940年)、『夜の桃』(1948年)、『今日』(1952年)、『変身』(1962年)の4冊。今のちょっとした(してなくても)俳句作家の刊行ペースからすると、ずいぶん少ない。

『旗』と『夜の桃』の間に、河出書房刊『現代俳句』第三巻所収『空港』(187句)があるが、その多くは『旗』からの再掲(『夜の桃』にも『旗』『空港』からの再掲が多い)。つまり、同じ句が複数の句集に登場する。このあたりも、昨今の句集刊行事情とは異なる(初期ビートルズのアルバム構成を思い出す)。また、自註句集『三鬼百句』(現代俳句社/1948年)が全句再掲(新作なし)のスタイルで刊行されている。

さて、そこで、再掲といっても、少しだけ変えた句も少なくない。例えば…

ピアノ鳴りあなた聖なる冬木と日  三鬼(1937年)『旗』

ピアノ鳴りあなた聖なる日と冬木  同 『三鬼百句』

日本語の問題というか言語の問題というか、修飾がどこまで係るのかが判然としないケースが多々ある。2つ並べたこの句の場合、「聖なる」は、冬日か木か、それともどちらもか。

前者(『旗』版)では、「聖なる」なのは冬木と日のどちらも、と読める。ところが、後者では、「聖なる日」がフレーズとして完結し、そこに冬木がプラスされる感じ。

さらには、前者と後者で「日」の意味合いも違って読める。すなわち、前者は「日のひかり daylight」、後者は「day」。

冬木と日の語順を入れ替えただけの改変だが、句の内容がガラリと変わる気がする。

どっちがいいんでしょうね?

私は、『旗』版の「ピアノ鳴りあなた聖なる冬木と日」のほうがだんぜんいいと思う。


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2 件のコメント:

野村麻実 さんのコメント...

私も
「ピアノ鳴りあなた聖なる冬木と日」
のほうがだんぜんいいと思います(^^)。

なのに改変したのにはなにか理由があったのかもしれませんね。

tenki さんのコメント...

理由があるはずです。

自註自解ほか、まだ、その記述にはお目にかかっていません。

といっても、理由がそれほど知りたいわけじゃないのです。