2010年5月15日土曜日

●ホトトギス雑詠選抄〔17〕罌粟の花・下

ホトトギス雑詠選抄〔18〕
夏の部(五月)罌粟の花・下

猫髭 (文・写真)


星野立子の句に、

午後からは頭が悪く芥子の花 星野立子 昭和15年

という、初夏の陽気に頭がうまく回らないという軽みの句があるが、表記が罌粟ではなく芥子であり、罌粟の種子は芥子菜の種子に似ていて、室町時代に誤用されてそのまま異名として定着していると云われる。芥子粒は微小なものの喩で、アンパンなどにも振られて食用になる所為もあり、危険な匂いはしないが、この句も雛罌粟ではなく、阿片罌粟である。

というのは、虚子は「罌粟の花」と「雛罌粟」を明確に分けて季題を立てているためである。「ホトトギス雑詠」では「罌粟掻」という季題を立て、

罌粟掻女罌粟に沈みて一たばこ 五十嵐播水 昭和7年
罌粟の毒乾きて黒くなりにけり 同上

と阿片を掻く句を載せて、阿片罌粟と雛罌粟を分けている(『新歳時記』では、「罌粟掻」を落として「罌粟坊主」を立てているが)。戦前にはモルヒネを精製するための薬草として広く栽培されていたためだろう。阿片罌粟の栽培が禁止され阿片法が昭和29年に施行されるまでは、医療の鎮痛剤として広く栽培されており、余り規制はされていなかったということになる。戦後は、我々が見る罌粟はすべて雛罌粟であり、冒頭の写真も那珂湊の近所の蔵の前に咲いている雛罌粟である。阿片罌粟に黄色はないので、写真のオレンジも雛罌粟の色である。

罌粟はモルヒネ・阿片を採るので麻薬というイメージが強いが、社会問題になったのは、阿片ではなく覚醒剤のヒロポンである。戦後、阿片法より早く覚醒剤取締法は成立している。しかし、ヒロポンのアンプルなどは仕事で徹夜したあとなど、一発でスッキリするから疲労がポンと抜けると(ヒロポンは商品名でギリシャ語の「労働を愛す」に由来)、わたくしが大洗で板金工だった昭和40年代頃は、工場長や近所の人も、小さな灰色のハート型の鑢でアンプルの首をこきこきぺキンと折っては飲んでいたから、疲労回復薬として一般的だった記憶がある。ヒロポンは昭和26年に覚醒剤取締法により使用や製造は制限されているが、田舎では薬局で半ダースの箱に入って売っていたと思う。買いに行かされて、未成年は買えないわよと言われたと記憶する。わたくしの感覚では、都会と田舎では10年くらい時差が違うような気がする。わたくしがヒロポンをやらなかったのは、自分の意志を越えたところで自分が制御できない状態になるのが不快だったからに過ぎない。

たかしは「罌粟」と書き、立子は「芥子」と書く表記の件だが、俳句以外でも表記はまちまちで、塚本邦雄『詩歌博物誌 其之壱』(弥生書房)から、罌粟の秀歌を並べて見ると、

南方を恋ひておもへばCampagna(カンパニア)の野に罌粟の花ちる 斎藤茂吉『遠遊』
ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟(コクリコ) 与謝野晶子『夏より秋へ』
罌粟さきぬ思ふは矮(ひく)き屋根裏の夕焼に寝て吸ひし唇 与謝野寛『相聞』
恋すてふ浅き浮名もかにかくに立てばなつかし白芥子の花 北原白秋『桐の花』
罌粟の実のまろく青きがそよぎ居り清涼寺よりわが出で来れば 若山牧水『砂丘』

白秋の「芥子」と牧水の「罌粟の実」が正しいとされる。『言海』を引けばわかるが、「罌粟」という字は栗を入れる罌(かめ)の形だから、厳密に言うと「罌粟」の字は「実」のことを言うから花には使えないということになる。「芥子」が字の本義ということになるが、芥の字は漢音がカイで呉音がケのためケシと誤用されたとかで、結局、どちらもうるさく言えば誤用なので、どちらでもいいということになる。

とはいえ、稲畑汀子編・著の『よみものホトトギス百年史』には、たかしの句の表記は「芥子」になっている。オリジナルは「罌粟」であり、虚子の『新歳時記』の表記も「罌粟」だから、これは編集の誤植だろうが、どちらも併用されるので、どちらでもいいとはいえ、たかしの句は「罌粟」表記がふさわしいと感じる。


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