2010年6月23日水曜日

〔ぶんツボ〕リブチンスキ 『ねじとねじ回し』

〔ぶんツボ〕
ヴィトルト・リブチンスキ
『ねじとねじ回し この千年で最高の発明をめぐる物語』

文庫のツ ボ、略して「ぶんツボ」
野口 裕


大学に残って実験をしこしことやっていた頃、ちょくちょくプラスドライバー礼賛論を聞いた。生来の怠け者で手先の器用でない当方にも、サイズのぴたりとあったプラスドライバーが+の溝にしっくりとはまり、手元の力をムラなくねじ山に伝える気持ちよさはわかる。それは、マイナスドライバーではちょっと味わえない。マイナスドライバーはサイズがぴたりとあっている場合も、若干の不安な気分が残る。足場が悪い場合や、途中に障害物があり、ドライバーをねじ山に対して真っ直ぐに立てられない時は、ねじ山を潰してしまうのではないかと不安は一層つのる。そこで、プラスドライバー礼賛論者は、-の溝を+にするという、たった一手間でねじ山の崩壊を見事に回避した工夫をおりに触れては讃えるのである。

しかし、いつ頃こんな工夫が生まれたか? その点については礼賛論者も口を噤む。というよりも、そもそもそんな疑問を抱いたことがないだろう。かりに疑問を持ったとしてもどうやって調べれば良いか途方に暮れるのが関の山ではある。

本書、『ねじとねじ回し』の著者、ヴィトルト・リブチンスキが置かれた状況は、さらに茫漠としている。二十世紀が終わろうとしている頃、つまり、ミレニアムとかいう言葉が取りざたされた時期に、この千年間に発明された道具で最高のものは何か、その道具についてエッセイを、と編集者から注文を受けたのである。どうもそれがねじであるらしい、と見当をつけるまでにも、紆余曲折すったもんだが相当にある。

ほとんどの道具は千年以上前に発明されており、候補からずり落ちてしまうのだ。定規、水準器、のこぎり、かんな、のみ、槌、釘、釘抜き、錐、おおかたの道具の場合、古くは古代エジプト、遅くとも古代ローマにその原型がある。どうしても、適当なものが見つからないので、錐の発展型でお茶を濁そうかと考えていたところで、ブレイクスルーがやってくる。

一体なにがあったのかは、本書をひもといてもらうとして、とにかく彼は、古代ローマ人はねじとねじ回しを思いつかなかった、と知ったのだ。著者も驚いているように意外な事実ではある。そこから、最古のねじとねじ回しを探求する彼の旅が始まる。それは二段階に分かれ、まず最古のねじ回し、次に最古のねじ(ねじとねじ回しをセットで考えているので、この辺は若干曖昧ではあるが。)を探すという本書の進行になる。

ねじ回しの探求では、OED(オックスフォード英語辞典)から始まり、ディドロとダランベールの『百科全書』に突き当たる。ねじの探求では、アルブレヒト・デューラーの版画が登場する。もちろんその間にも、当方の知らない本がわんさか登場する。最古のねじとねじ回しがいかなるところに潜んでいるかは、これも本書にあたってもらおう。私なりのヒントを付け加えると、訳者あとがきにもそれについてのエピソードが添えられているように、日本の戦国時代と関連する。

最古のねじとねじ回しの探求が一段落すると、著者の関心は、ねじとねじ回しの発展史に向かう。ねじとねじ回しが、この千年で最高の発明ということを保証するのは、実はこの部分だ。ねじの発展は産業革命と密接に関係している。最初の計算機械、ディファレンス・エンジンもねじの発展なくしてあり得なかった。そして、アメリカ大陸に渡って後は、工場での大量生産の基礎を担う。

この歴史の中で、プラスドライバーも登場する。プラスドライバーが用いられる+の形状のねじ山はフィリップスねじという。しかし、著者のご贔屓はねじ山に四角い穴のある、ロバートソンねじにある。この文の冒頭で言及したフィット感を比べる限り、ロバートソンねじに軍配が上がるようだ。ではなぜ、フィリップスねじの方が使われるようになったのか?これも本書に当たっていただきましょう。

本書はこのあと、ねじを生産する機械としての旋盤の歴史(レオナルド・ダ・ヴィンチが顔を見せる)、グーテンベルグの印刷術を媒介として、ねじの前史に移る。最後にねじの父としてアルキメデスが賞賛されて、終わりを迎える。

文庫本として、最も薄い部類に入る本だが、内容は濃い。たとえば、本書の最後部にある一文、「ねじは古代中国で独自に生み出されなかった唯一の重要な機械装置である。」だけを取り出しても、西洋文明と東洋文明の違いなど、あれこれと考え出すきっかけをあたえてくれる。本書全体を貫く、道具に対する愛情も快い。文庫本の解説にあたる小関智弘氏の肩書、「元旋盤工、作家」がぴたりとはまり、イギリスの小説家アラン・シリトーの自伝などに触れた話題が、画竜点睛となっている。一読して損のない本であることは疑いない。

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