2010年8月23日月曜日

●ホトトギス雑詠選抄〔30〕芭蕉・上

ホトトギス雑詠選抄〔31〕
秋の部(八月)芭蕉・上

猫髭 (文・写真)


(ふなべり)のごとくに濡れし芭蕉かな 川端茅舎 昭和7年

川端茅舎は昭和9年の『川端茅舎句集』の冒頭を、

金剛の露ひとつぶや石の上 「ホトトギス」昭和6年12月号巻頭句

を含む露の句26句を冒頭に飾ったので「露の茅舎」と呼ばれた。昭和16年と昭和37年の「ホトトギス雑詠選集」を通して、「露」では最終的に14句が選ばれているから断トツと言える。

ちなみに、掲出句の「芭蕉」の句でも有名で、7句選ばれている。他の6句は以下の通り。

ひろびろと露曼陀羅の芭蕉かな 「ホトトギス」昭和5年11月巻頭句

水霜にまつたき芭蕉広葉かな 「ホトトギス」昭和6年1月巻頭句

明暗を重ねて月の芭蕉かな 昭和7年

芭蕉葉や破船のごとく草の中 昭和9年

芭蕉葉に夕稲妻の火色かな 昭和11年

月光の露打のべし芭蕉かな 昭和12年

「芭蕉葉に夕稲妻の火色かな」は、波多野爽波抜萃「ホトトギス雑詠選集」中「八月の句」20句の一句である。

掲出句以外の「芭蕉」が出て来る句を『ホトトギス巻頭句集』(小学館)から選べば、

土砂降に一枚飛びし芭蕉かな 昭和6年1月

一張羅破れそめたる芭蕉かな 同上

破芭蕉猶数行をのこしけり 同上

老鶯の谺明るし芭蕉かげ 昭和9年10月

銀翼も芭蕉も露に輝きぬ 昭和14年11月

がある。虚子編『新歳時記』の「芭蕉巻葉」には、

真白な風に玉解く芭蕉かな

があり、稲畑汀子編著『ホトトギス 虚子と一〇〇人の名句集』(三省堂)には、

玉解いて芭蕉は天下たひらかに

を収める。「芭蕉の茅舎」と呼んでもいい詠みっぷりではある。

野見山朱鳥は『続忘れ得ぬ俳句』(朝日選書342)で、茅舎の「菜殻火(ながらび)」の句、

燎原の火か筑紫野の菜殻火か 「ホトトギス」昭和14年9月号巻頭句

筑紫野の菜殻の聖火見に来たり 同上

菜殻火は観世音寺を焼かざるや 同上

都府楼址菜殻焼く灰降ることよ 同上

を引いたあと、
茅舎以前にも菜殻火を詠った人たちはいたがその多くは景を詠ったに過ぎなかったのに、茅舎によってその荘厳な火の祭典のような感じのものが詠われたので、真の菜殻火の句は茅舎によって始まったと言ってよく、私の俳誌「菜殻火」もこれによって生れたものである。
と述べているから、「露の茅舎」「芭蕉の茅舎」「菜殻火の茅舎」というように、いや「土筆」を詠ませたら茅舎の右に出る者はいないとか、

約束の寒の土筆を煮て下さい 昭和16年

いや「河骨」を詠ませたら茅舎の右に出る者はいないとか、

河骨の金鈴ふるふ流れかな 「ホトトギス」昭和10年7月号巻頭句

いや、「月光」の茅舎だろうとか、

ひらひらと月光降りぬ貝割菜

枯木立月光棒のごときかな

いや、甘い物を詠ませたら、これがまたお茶が恐くなるとか、

暖かや飴の中から桃太郎 「ホトトギス」昭和4年8月号巻頭句

麗かや砂糖を掬くふ散蓮華 同上

春宵や光り輝く菓子の塔 同上

いや何と言っても「朴の花」の絶唱に止めを刺すとか、

朴散華(ほほさんげ)即ちしれぬ行方かな 「ホトトギス」昭和16年8月号巻頭句

茅舎浄土に立ち現れる数々の秀句が挙がり、昭和14年の茅舎の句集『華厳』の虚子のたった一行の序「花鳥諷詠真骨頂漢」が思い出されるである。

茅舎は、松本たかしと並んで、4S以後の「ホトトギス」の代表的な俳人として、昭和9年に創刊された改造社の「俳句研究」でも活躍したので、肺患のため昭和16年7月17日、44歳で亡くなると、多くの俳人から悼まれた。『俳句技法入門』(飯塚書店)には「挨拶句の作り方」の項目に、川端茅舎の追悼句の例句が挙げられているほどである。

元寂すといふ言葉あり朴散華 高浜虚子
正午の露消え行進曲鳴り響く 中村草田男
寂光の葎(むぐら)にかへる夏露一顆 加藤楸邨
蟹二つ食うて茅舎を哭しけり 松本たかし

虚子の句は茅舎の「朴散華」の句を踏まえている。「元寂(げんじゃく)」とは大きな死を意味する仏教用語と思われる。草田男と楸邨の句は、「露の茅舎」と戒名の「青露院」にちなみ、楸邨は更に茅舎の句、

ぜんまいののの字ばかりの寂光土

露の玉百千万も葎かな 「ホトトギス」昭和5年11月号巻頭句

を踏まえている。たかしの句は、茅舎の訃音が大森の旗亭で会食の席上到ったためである。

(つづく)

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