2010年10月31日日曜日

●お待ちください

お待ちください

誌上句会「福助」選句一覧の発表が予定よりも遅れております。

ソウルミュージック界随一の「福助おでこ」、ボビー・ウーマックの「ルッキン・フォー・ア・ラヴ」で、ダンシング・アンド・シンギングをお楽しみいただきながら、リリースまでの時間をお過ごしいただければ幸いです。


2010年10月30日土曜日

●ペンギン侍 第40回 かまちよしろう

連載漫画 ペンギン侍 第40回 かまちよしろう

前 回

つづく


【特報】
ペンギン侍でおなじみのジョーが、『早稲田OB漫』に出張出演!
かまちよしろう「沈思犬ジョー」(p135-)
豪華執筆陣によるこの本、週俳・ウラハイでおなじみの長谷川裕さん、上田信治さんも登場。

2010年10月29日金曜日

〔評判録〕大木あまり『星涼』

〔評判録〕
大木あまり句集『星涼』

神野紗希・ユニットの時代?~大木あまり『星涼』を読む;週刊俳句・第181号

≫:GO!LEAFS!GO!ぶろーぐ

テロとか戦争とか:Rocket Garden~露結の庭


2010年10月28日木曜日

●第2回石田波郷俳句大会、各賞決まる

第2回石田波郷俳句大会、各賞決まる

受賞作はこちら
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kimono-ins/02-isida.html

2010年10月27日水曜日

●チブル星人 中嶋憲武

チブル星人

中嶋憲武

垂れてゐる紐ひつぱれば虫の闇 さいばら天気

雨がやんだ。出かけようかと思う。どこへというアテはないのだけど。夜が来ると、出かけたくなる。チブル星人と目が合う。蛍光灯の紐に、不二家のケーキのリボンをつなげて、把っ手として百円のガチャガチャで出てきたチブル星人をくっつけている。寝転がっていても、電気を点けたり消したりできるという寸法だ。生活様式がこんな有様です。お母さん。今じゃ心身ともに立派な沼ガールです。
 
出かけるのはやめて、鰯の甘辛煮でも作ろうかとも思う。メールをチェックしてみる。気になっている彼からの返信はない。ああ、こんな事に一喜十憂する日々。脱却したい。脱却しよう。すこし肌寒い季節になってきて気持ちが変化しているのかもしれない。あれこれと迷う事が多くなった。やっぱり街に出よう。脱却するのだ。よれよれのカーディガンを引っかけ、天井から長く垂れているリボンをぱちんぱちんと引っ張った。うす暗がりの足下でチブル星人が揺れていた。

掲句は「はがきハイク」第2号(2010年10月)掲載

2010年10月26日火曜日

●アマン 中嶋憲武

アマン

中嶋憲武

鳩はみな西口にいる秋ぐもり 笠井亞子

なあんにも無いところだったのに、大きなデパートが立ち、レストランができて、駅前に広いロータリーができた。ここ2、3年の変わりようはすごい。わたしは駅の券売機のところで、お姉さんを待っていた。連休で、東京から帰ってくるお姉さんと、できたばかりのピザ屋さんでディナーを取る約束をしたのだ。妹のわたしは、お金を出さない。中学生なので仕方ないと言えば、仕方ないのだが少々歯痒くもある。

待っていると、スーツを着た40歳くらいのおじさんに道を聞かれた。すらすらと教えてあげると、おじさんはにこにことわたしの顔を眺め、頭からつま先まで眺め、ぼくのアマンにならないかと言った。アマンという言葉の意味は、分からなかったけれど、直感的になにか嫌らしい、なにかみだらな感じがしたので、思いっきり渋面をつくって、きっぱりと嫌ですと言ったら、おじさんは、にこにこと、そうと言って去って行った。おじさんの遥か頭上で、レース鳩が行ったり来たりしていた。

掲句は「はがきハイク」第2号(2010年10月)掲載

2010年10月25日月曜日

2010年10月24日日曜日

●誌上句会・福助 投句一覧

誌上句会・福助 投句一覧

たくさんの皆様に御参加いただきました。誠にありがとうございます。


以下に【選句要領】および【投句一覧】を掲載させていただきます。

【選句要領】

句選でお願いいたします。

■選と選評はメールにて。天気tenki.saibara@gmail.comまで。
※ワープロソフト文書等の添付ではなく、メール書面で結構です。

■期限:2010年1030日(土)24:00

■誠に恐れ入りますが、選とコメントは統一書式(以下説明)にて頂戴いたしたく存じます。

〔選とコメントの書式〕

×××××××××××  ※選んだ句をコピペ
○俳号       「まる」+俳号
■……………………(俳号) 「しかく」+短評・コメント。俳号を( )で

選外の句にもよろしければコメントを。
その場合…

××××××××××× 選んだ句をコピペ
■……………………(俳号) 「しかく」+短評・コメント。俳号を( )で

…としてください。

※文頭のアキやインデントはとらず、改行+ベタ打ちでお願い申し上げます。
※選に付していただいた俳号を、作者発表の際の御署名といたします。


【投句一覧】 28名様御参加
※縦組ワード文書をご希望の方はその旨メールください。

【福助】

さんま定食福助の真ん前で
万歳や伸びる福助足袋である
福助の足のしびれを想ふ秋
福助はやはり耳から齧るべし
福助にまなざしふたつ秋の虹
浅黒い肌の福助出迎えるラーメン屋
秋天の昭和に焼けた福助よ
福助をなでるゴト師や温め酒
福助の耳朶厚し豊の秋
福助の横に桔梗が活けてある
前列の福助伏し目兜虫
福助のお詫びの礼や風炉名残
熟れて白桃福助の頬めきぬ
満月を出て福助のゐるところ
福助の耳持つ人と温め酒
福助の見てゐる暗き花野かな
福助のおでこに釣瓶落しかな
福助の始末第一ゐのこづち
秋空に福助顔といはれけり
ほんたうの福助のゐる菌山
近未来都市の福助服透ける
灰色・灰色の庭園通り純金福助
笑いたくなし十月の福助は
棒を見せれば夜の福助棒を見る
福助を戻して冬の支度了
福助の肩の重荷を解いてやる
福助の厚顔無恥に秋の色
福助の句会盛り上げ月天心

【頭】

ケチャップを吸ひつくしさて膝頭
そぞろ寒頭痛到頭歯に到り
ひよんの実や頭が高い頭が高すぎる
福助の頭のなかのきつねうどん
園丁の頭に落ちる青虫は
楽譜読む目頭はるかすすきはら
汗頭相談する外科医アダプター
秋時雨ラムプの頭たァ黒帽よ
初嵐薄き頭の解説者
大いなる頭とれたる案山子かな
剃りたての頭に哀蚊のとまる月夜
天高し頭上注意を励行す
盗品に頭蓋骨一(いち)秋日濃し
燈火親し白頭だけとなつてをり
頭から食べられてゆく羊かな
頭から生えてゐるなりケムール人
頭より腹に落ち来る秋思かな
頭骨から尾骨まで蛇穴に入る
頭数足りずに広い三遊間
頭部抜け出てセーターてふ毛の塊 
頭文字ひとつ花野に捨てにゆく
福助の夜霧へ垂らす頭蓋かな
豊年や首で支へてゐる頭
門扉閉ざして裏の畑の八つ頭
野分して頭の内の吹きだまり
林檎酢のたらりとかをる氷頭膾
曼珠沙華ではおさまらぬ頭痛かな
曼珠沙華満開頭痛薬飲まな

【上or下】

「上を向いて歩かう」聞こゆそぞろ寒
オートバイ事故皿の上の焼秋刀魚
きよみづにこれは上田の足袋の秋
ふぐり来て高さ生まるる橋の上
ヘアスタイルなぜならば資本主義墓地下
やや寒のトイレの蛇口上げをれば
以下同文ひるすぎ野分現れて
黄落や兄あちこちに土下座して
雅樂の荷解くや返り咲く下に
銀漢や上水道と下水道
行く秋の屋上に出る出口かな
蛇穴に上下左右がわからない
秋のあまつぶあしたラの下の音
秋の暮灯台下を浸しけり
松茸の誰が上様領収書
上巻読了夜仕事とせる下巻かな
福助のやうな上司でおでん鍋
上手より吹かれてきたる紅葉かな
上人のすぐには泣かず秋の蝉
上野から下谷界隈まで月夜
星月夜見上げて靴の踏める星
天高しカリカリ揚る上天丼
年下の上司に苦言そぞろ寒
箱根路を下に下にと鰯雲
福助が下に見てゐるおでん屋内
蓑虫や下校下駄箱下衆な唄
夜学子や下敷きおけば消える色
綺羅星の上から目線が癪くしゃみ

【足袋・靴下・ストッキング・下着関連】

替への足袋入れてすなはち旅の荷に
儚いとつぶやくことも夜の下着
海からの霧シュミーズのような霧
靴下を重ねてまるめ露時雨
秋風やドロワーズ穿く偽メイド
ブリーフは履かずに蚯蚓鳴きにけり
五本指ソックス左だけに穴
身分証明書入りTシャツ2月後悔する新年
足袋履いて辻中に木の実落ちたる
ストッキング破らふ秋の虹すぐに消え
靴下の見得を切つたる村芝居
銀杏もみぢ足袋に込めたる指ゆるぶ
秋の夜のズロース踏んで帰りけり
高西風や絹の靴下たくし上げ
ランニングシャツ干してある秋桜
肉まんにふんどし遠く落葉掃く
ストツキングはいて始まる愁思かな
秋雲のあたり靴下干しにけり
前貼りの君ピースする夜食かな
靴下を脱ぎ散らかして三島の忌
菊月のガーターベルト爆ぜにけり
靴下の片われさらば雁渡し
下着まで取替え本家の墓参り
十六夜の軍足干され足二本
新蕎麦や六尺締めてゐるといふ
行く秋のパンツの内のわだかまり

以上。

御不明の点あれば、tenki.saibara@gmail.comまでお問い合わせください。

それでは選句をお楽しみください。

2010年10月23日土曜日

ホトトギス雑詠選抄〔39〕夜寒

ホトトギス雑詠選抄〔39〕
秋の部(十月)夜寒

猫髭 (文・写真)


あはれ子の夜寒の床の引けば寄る 仙台 中村汀女 昭和12年

鎌倉の小町通り雪ノ下一丁目を横に入ったところにある小さな古本屋「藝林荘」は、虚子・立子・年尾・つる女をはじめとするホトトギス一族の墓が寿福寺にある鎌倉だけに、時々ホトトギス系の句集の出物があるので顔を出す。逗子にも「海風舎」という俳句や詩の専門の古本屋があるので重宝しているが、主がセドリで留守がちなので、近いのにインターネットで頼んで郵送してもらう事が多い。インターネットは便利だが、やはり本は手にとって愛でて買いたい。

電子図書は、例えば小説やエッセイは、クリックするだけで背景の説明や写真や動画や音楽が読めて楽しめるので、iPADとか大いに期待しているが、手作りの本の良さには格別なものがあり、例えば、歴代の「ホトトギス雑詠」が電子図書で手軽に読めれば、検索も引用も随分楽になるが、何度も手にとって繰り返し読む書物のもたらす余生の時間の「私有」感は、電子図書はあくまでもヴァーチャル・リアリティの世界なので望むべくも無い。アナログのLPの息づかいまで聴こえるようなジャケットを眺める喜びがCDには無いようなものか。海外へ能く行っていた時は、古いジャズのオリジナルLPが安く買えるのが楽しみで、聞く時はレコードの塵ひとつ拭かない。そのぱちぱち言う音もその時代の音であり、ファンにとってはノイズではないのだ。指痕も付かず紙魚も棲めない電子図書は、わたくしには書物ではなく、コピーの効く便利なツールのようなもので、それはそれで面白いが、書物は便利さとは無縁の世界である。「私有」出来ないものを愛することは、わたくしには難しい。

で、「藝林荘」の奥左手の俳句の棚を見ると、何と原石鼎の龍土町の家に下宿していた詩人北園克衛の句集『村』(瓦蘭堂、昭和55年)があった。石鼎は「などハモニカかくもかなしく梅雨の闇」と北園克衛の吹くハーモニカを詠んでいる。買おうと思ったら4500円だったので臆した。稀少本なのでファンには高くはないとは思うが、北園克衛の詩集『黒い火』の、垂直にではなく助詞ひとつすら水平に展開する短い詩篇は、石鼎句の影響があるかも知れないし、高柳重信の行分け表記にインスピレーションを与えたかも知れないとはいえ、母のケアラーとして暮す我が身にはそこまで連想に遊ぶ時間も金もない。

出物は昭和22年に文藝春秋新社から出た『互選句集 中村汀女・星野立子』。立子と汀女は、橋本多佳子と三橋鷹女とともに4Tと呼ばれた。二人は「ホトトギス」同人だったこともあり、ライバルと目され、虚子は娘の立子を依怙贔屓して汀女には冷淡だったと俄には信じ難い噂も仄聞していたので、この二人が互選しあう句集があった驚きには手が出た。千円と安かったこともあるが。

戦後間もない出版なので、造本は質素だが、持主の署名は「五高文甲 中川葉子」という、熊本市江津生れの汀女ゆかりの旧制第五高等学校(現熊本大学)文科甲組の女学生の蔵書だった。御存命であれば八十を越えているが、売られたということは遺族が放出したのだろう。とても丁寧に読まれていて、わたくしの武骨な手で二読三読しているうちに表紙は剥落を始めた。潔癖な筆遣いで「抱雅(えうし)」と裏に俳号の記された、汀女に憧れた持主の初々しさを手に取るような心持ちだった。五高はわたくしが全作品を愛読する梅崎春夫と萩原朔太郎の母校でもある。わたくしの手に取られたのも縁だろう。

前半は立子が選ぶ汀女の句と汀女論である。立子は読み直して「何と私と一緒に作られた句が沢山あることか」と、印象に残った句を、

さみだれや船がおくるゝ電話など
曼珠沙華抱くほどとれど母戀し
麦の芽に艫の音おこり遠ざかる
おいて来し子ほどに遠き蝉のあり
中空にとまらんとする落花かな
春の海のかなたにつなぐ電話かな
秋雨の瓦斯がとびつく燐寸かな
枯蔓の太きところで切れてなし

と、思い出をまじえて引きながら、鎌倉山のロッヂに出かけた時の二人の句を掲げる。

肉皿に秋の蜂来るロッヂかな 汀女
娘等のうかうかあそびソーダ水 立子(「うかうか」は踊り字のくの字点表記)

ほれぼれする個性である。

中村汀女も立子の句を論じるに、先ず次の二句を引く。

いつの間にがらりと涼しチョコレート
よきみくじ四つに畳んで単帯

選句だけで見事な立子論になっている。

また、汀女も調布の池内友次郎宅で立子と二人で句を作った思い出を語る。「調布の夜空は広く美しくてちやうど後の月で白い霧が流れてゐた。」

霧深きことはなつかし十三夜 立子
一本の竹のみだれや十三夜  汀女

今年の十五夜は叢雲を縫って現われる名月をかろうじて見られたが、二十日の十三夜も、薄紅葉の木蔭から名残の月が拝めたので片月見にはならずに済んだ。

この互選句集にはびりびり痺れた。それにしても原石を見抜く虚子の目は凄い。双方の論には引き合わせてくれた虚子の話題が出て来るが、この二人はお互いの作品を高めあう真の意味でのライバルになることを虚子が見抜いていたのは、互選の句の素晴らしさと彼女達それぞれの謙虚で敬愛と友情に満ちた評が見事に表わしている。ライバルとは自分の世界を持って初めて出てくる者であることが手に取るようにわかる。

殊に、汀女の立子句の選は見事なものだった。立子の汀女句の選に遺漏は無論無いが、立子は汀女が熊本は江津の両親を詠んだ句、

たらちねの蚊帳の吊手のひくきまゝ 汀女

といった句が心から素晴らしいと(同感だが)、好きで好きでという選び方をしている分、思い出に片寄るところがある。汀女は逆で、自分に思い出がある句は捨てて捨てて、立子の純粋俳句を作るような心組みで選んでいる。「あなたが選んだのは文句はないわ」と立子も言ったほどである。

この内容で、当時の定価が280円だとしても、千円は安い。この古本屋は馬鹿である。勿論褒め言葉だが。これだから古本屋通いはやめられない。

掲出句の「夜寒」の句は、汀女の子を詠む句では、

咳の子のなぞなぞあそびきりもなや

と並んで人口に膾炙した句で、「引けば寄る」が「引けば」と母なる作者の動作に切り替わって、また子の「寄る」という動作に戻って結ぶ、母と子の温もりが際立つ座五として名高い。汀女は「きりもなや」もそうだが、座五の切れ味が際立つ作家である。

マスク同士向ひ合せてまじまじと(「まじまじ」は踊り字のくの字点表記)
河が呑む小石どぶんと蚊喰鳥

といった何でもないような句の「まじまじと」の可笑しさ、「蚊喰鳥」が波紋から飛び出してくるようなびっくり箱の面白さ。それが極まると至芸としか言い様が無い三句が来る。

とゞまればあたりにふゆる蜻蛉かな
ゆで玉子むけばかがやく花曇
外にも出よ触るるばかりに春の月

2010年10月22日金曜日

●熊本電停めぐり07 新町 中山宙虫

熊本電停めぐり 第7回 新町(しんまち)

中山宙虫

3号線上熊本駅前~健軍町の7番目の電停。
上熊本から所要時間8分。


10月13日(水)
18時。
新町。
この電停の周辺にはかなり古い建物が残っている。
玩具の問屋街などもこの周辺に存在したりする。
倉庫なども多々残っていて、若者たちが新しい店をオープンさせたりして密かに盛り上がっている地区もあるようだ。
それでも、その昔のにぎわいはなく、どこか時代めいた空気がある電停の周辺だ。


その時代めいた空気を漂わせているのが「長崎次郎書店」。
政府発行物官報などを扱っているようで、実際にはなかに入ったことはない。
しかし、この建物は、国の登録有形文化財に指定されている。
木造二階建ての建物で、大正時代の建物。
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=137761
その趣は、なかなかのものだ。
こういう建物を撮影しようとすると、邪魔になっていしまうのが市電の架線の支柱関係。
道路を渡っているため、遠景で撮ろうとすると必ず入ってくる。
まあ、それが熊本市内の光景だとすれば、当たり前の世界なのだから文句をいうものでもないとあきらめている。
夕暮れが迫り、あわててシャッターを押すと・・・・。
やってしまった。
ぶれぶれの写真。













気づくと周辺には灯がともり始める。
やわらかい灯が電停周辺を照らす。
この電停と次の電停の間、電車の軌道は専用軌道となり、道路中央から住宅街のなかを走ることになる。
いつもは道路信号で止まる市電だが、この間だけは、踏切が2か所あり、止まることのない区間となっている。
いままでの区間とは違う景色が楽しめる。
そして、ここのように電停にベンチがあるところは数少ない。
電車が来るまでの間、腰をおろしてゆっくりするのもいい。
この辺りにも鉄道マニアらしき人物がカメラを抱えて立っていることが多い。
携帯カメラであちこち写している自分も同じなのだろうが。
残念なことに電車の車両のことは詳しくない。
低床電車がやってきた。
電停を含めてスクランブルの横断歩道になっている。
ちょうど青信号。
まだ間に合う。
今日はこの電車で帰宅しよう。


そして、専用軌道を走る。
普通の鉄道のよう。
夕暮れのなか、快調に次の電停に向かう。


次回の電停は「洗馬橋」。

2010年10月21日木曜日

●ペンギン侍 第39回 かまちよしろう

連載漫画 ペンギン侍 第39回 かまちよしろう

前 回

つづく

2010年10月20日水曜日

【俳誌拝読】『都市』2010年10月号を読む さいばら天気

【俳誌拝読】
『都市』2010年10月号を読む  さいばら天気


発行・編集人:中西夕紀/発行所:「都市」俳句会(≫ウェブサイト

筑紫磐井氏による「俳句の歴史入門講座」は15回を数え、今回は、相馬遷子を中心に「星」の句について解説。

新連載に、大庭紫逢氏「相生垣瓜人探訪」。ほか、宇佐美魚目、飯田蛇笏等、取り上げた論考複数。大木満里、川手人魚、栗山心3氏による鼎談「私と演劇」は広く演劇の楽しみを語る。

主宰・同人作品より。

素潜りの水裏の日も秋めけり  中西夕紀

紫陽花の一山白くありにけり  三森 梢

でで虫にチュウインガムを膨らます  野川美渦

鳶十羽二十羽湧いて朝曇  森 有也

関東の入日映して植田かな  渡辺友志夫

蝉鳴くや棹の端まで産着干し  小林 風

2010年10月19日火曜日

●コモエスタ三鬼 番外篇 山田露結

コモエスタ三鬼 Como estas? Sanki

番外篇

山田露結


ペンキ屋のつねさんは町内にある俳句教室に毎週通っている。

僕がつねさんに連れられてその教室を訪れたのは今から7、8年前のこと。

以前から俳句をやってみないかと何度かつねさんに誘われていたのだ。

その日、教室の先生に僕を紹介するとつねさんはやや興奮気味に俳句の話をしはじめた。


「俳句なんてね、あんまり熱中しすぎない方がいいんだ。」

「へぇ、そうなんですか。」

「なんだっけ、第三芸術論?あんな風にさ、俳句に目くじら立てる人なんかもいてさ。」

「へぇ、そうなんですか。」

「そういえば、こないだ、なかなか面白い句集を買ったんだよ。これ、トウザイサンキって言うんだけどさ。」

「へぇ、そうなんですか。」

「あれ?つねさん。これサイトウサンキ、じゃないですか?」

「あ、そうそうサイトウサンキ、ね。ははっ、ま、どっちでもいいよ、そんなこと。俳句はね、あまり深く考えちゃダメなんだ、ははっ。」


そうして僕は次の週からつねさんと一緒に俳句教室に通うことになったのだった。

2010年10月18日月曜日

●突発誌上句会 福助

突発誌上句会 福助

突然ですが、誌上句会を開催いたします。
下記要領にて、奮って御参加くださいませ。

■投句はメールにて(tenki.saibara@gmail.com 宛て)

■投句締切 2010年1023日(土)24:00

(題詠)福助  1句  ≫参考例句
(題詠)頭  1句以内
(題詠)上 or 下  1句以内
(テーマ詠)足袋・靴下・ストッキング・下着関連  1句以内

当季/無季 定型/非定型 ご随意。

■投句一覧を本サイトに掲示。選句要領はその折にご説明いたします(選句期限 10月30日予定)。

2010年10月17日日曜日

【俳誌拝読】『蒐』第5号を読む さいばら天気

【俳誌拝読】
『蒐』第5号を読む  さいばら天気


『蒐』第4号(2010年春)については本誌で取り上げさせていただいた。

≫デザインは世界を変えるか?
http://weekly-haiku.blogspot.com/2010/04/4_18.html

『蒐』第5号は2010年9月25日発行。


表紙は秋らしい色合い。



デザイン・造本の趣向は、前号に比して抑えめ。









ちょっと句を紹介。

湖に町は傾き青簾  菊田一平

転寝のをとこに憑いて玉虫は  鈴木不意

さるすべり開きしべとべとの夜風  中嶋憲武

水無月の風のゑくぼを水の面  馬場龍吉

同人・太田うさぎ氏の諸句が充実。

鰭たたみ金魚まつすぐ浮いてきし  太田うさぎ

歳月の流れてゐたる裸かな  同

朝曇アイロンおもおもしく進む  同

貝に貝吸ひつき夏を惜しみけり  同

ポロシャツの鰐へ水鉄砲放つ  同

「招待席」のページには、中村十朗氏の2作品・計14句。

水の夏雲のようなるヘブライ語  中村十朗

2010年10月16日土曜日

ホトトギス雑詠選抄〔38〕酒三題

ホトトギス雑詠選抄〔38〕
秋の部(十月)酒三題

猫髭 (文・写真)


くゝくゝとつぐ古伊部の新酒かな 大阪 皿井旭川 昭和9年

古酒の壺筵にとんと置き据ゑぬ 越後 佐藤念腹 大正15年

そくばくの利を得て父の濁酒 斎藤俳小星 大正4年

皿井旭川(註1)の句は「くゝくゝ」(表記は後の「くゝ」は踊り字のくの字点)が新酒を飲ませてくれるオノマトペである。普通酒を注ぐオノマトペは「とくとく」だが、新酒は「くゝくゝ」かと、思わず酒屋へ走ってしまった。と言っても、逗子も那珂湊も「ほととぎす自由自在に聞く里は酒屋へ三里豆腐屋へ二里」という狂歌ほど山奥ではないから歩いて十分飛んでも八分である。生憎那珂湊の酒屋の亭主が留守で婆さんしか居らず、どれが新酒かわがんねと言うので、新酒だから新しく入荷した酒だっぺよと言うと、そんなら今朝入ったのがあると言うので、木箱を引き出すと果たして昨日の日付の生酒。これだっぺよと早速開ければ、火入れをしていないから、蓋を取れば、ぷしゅうっとフルーティな香りが鼻腔を「呑んでくれい」とくすぐる。冒頭の写真右側がその特製純米酒の水戸は吉久保酒造の「一品」である。生酒なので濾過しておらず、清酒の透明度はないから、やや黄色味がかっている。肴は雲丹を蛤の殻に盛って焼いた雲丹の貝殻焼である。ちょっと醤油を垂らしていただく。くくくくと注いで雲丹をちょっと嘗めて新酒を口に含むと、くくくくのくーっである。ただし、旭川先生と違い、我が家には古伊部(こいんべ)焼(備前焼)の徳利もぐい呑みもないから、湯呑で呑んでいる。

佐藤念腹(さとう・ねんぷく)(註2)の古酒の句もまた、古酒の壺を筵に置く「とん」が、古酒の熟成して酸味を増した琥珀の色がたぷたぷと、これまた「呑んでくれい」と誘う句で、古酒の壺を筵に車座に囲んで、丼に柄杓で注ぎ回るような野趣溢れる饗宴が見える。古酒は三年醸造酒が多く、わたくしの舌に記憶しているのは山形の「初孫」古酒と(岩牡蠣との相性抜群)、やはり山形の「出羽桜」(吟醸酒でこのアップル・フレバーを超える酒は知らない)の古酒「枯山水」で、「初孫」は氷の桶で冷やして呑み、「枯山水」は熱燗で呑むとおいしい。氷室で低温熟成させる古酒もあるが、糖分が増すようで、古酒というより貴腐ワインに近い。

冒頭の写真の左側の一升瓶が、石岡の誇る「白菊」の古酒、特選本醸造熟成酒である。肴には鯣(するめ)烏賊の塩辛黒作りを添えた。烏賊墨は蛸墨の十倍以上のアミノ酸が含まれるので、コクが増すのと、「ムコ多糖」という抗癌作用があるので、癌を患った友だちに食べさせたくて、行きつけの魚屋「魚徳」の親爺さんに頼んで墨袋を溜めておいてもらって作ったものである。

斎藤俳小星(さいとう・はいしょうせい)(註3)の濁酒の句は時代を感じさせる。濁酒というと、島崎藤村の「千曲川旅情の歌」の一節「濁り酒濁れる飮みて 草枕しばし慰む」が人口に膾炙しているが、いわゆる「どぶろく」で、醪(もろみ)を濾さない酒であり、家庭でも簡単に作れるので、わたくしの記憶では密造酒という意識は余りなく、家庭で作る分くらいはお咎めなしという雰囲気だったが、下賤な酒であることには変わりはなかった。というのは、どぶろくと言うと、小学校の仲の良い友だちの家へ初めて遊びに行くと、雨戸もない平家の畳が凹んだ上で、どぶろくを丼であおりながら、上がるんじゃねえと友だちの父に怒鳴られた記憶に今も立ち竦むからだ。この句は切ない。那珂湊には、赤貧洗うが如しという家は五十年前は至るところにあった。

どぶろくの概念が変わったのは、父が京土産に買ってきた「月の桂」の「大極上中汲にごり酒」(東京オリンピックの年に日本で市販された最初の濁酒)を呑んだ時で、はんなりとしたおいしさに、京都へ父が行くたびに土産にせがんだのを覚えている。勿論わたくしは未成年だったが、昔は子どもが酒を飲むとか酒席にいるとかには鷹揚だった。大人が酒を呑む姿を子どもが見て育つというのは、わたくしはいい文化だと思う方である。だから、「子連れお断り」と貼紙があるような店は、いくらネタが新鮮で安くて評判でも、足を向けない。わたくしは横浜の中華街や鎌倉の天麩羅屋に何十年と通っているが、一度も嫌な顔をされたことがない。子ども用のバルタン星人のお皿は、主の息子の食器だったりして、その息子も今では立派な若主人になっている。


註1:皿井旭川は「蠅」で採り上げたが、句集は『旭川句集』(昭和18年、天理事報社) と同名で昭和46年に私家版があり、インターネットで検索したら、昭和46年の私家版がヒットしたので注文したら、限定家蔵の刊行者用愛蔵版限定十部の内六番が届いて仰天した。天金どころではない布装帙入外函付総革装三方金装本で、総天然色の短冊や色紙が折り込まれた溜息が出るようなぴかぴかの句集で、遺族の痛いほどの愛惜を感じた。昭和55年の『虚子選年尾選 躑躅句集』も遺族の「父への追憶」という冊子を添付した非売品だが、見事な句集で、遺族や弟子たちの編んだ遺句集というのは本当に暖かい。

註2:佐藤念腹。本名・佐藤謙二郎。明治31年、新潟県生れ。高浜虚子に師事し、同門下の逸材として注目されたが昭和2年、渡伯し、第二アリアンサ移住地入植を経てバウルー市に移転。生涯、バウルー市に居を構えてブラジルにおける俳句の普及に多大な功績を残す。みずからも、開拓俳句などで虚子門下のホトトギス派の一流作家としての地位を築いた。戦前戦後の邦字紙の俳壇選者を務めながら句誌『木蔭』を主宰し、多数の弟子を育成した。また、渡伯前の虚子のはなむけの句、「畑打って俳諧国を拓くべし」を使命として写生俳句の興隆に全力を尽くし、『ブラジル俳句集』、『念腹句集』など多数の著作がある。聖市イビラプエラ公園日本館内には、「雷や四方の樹海の子雷」の句碑がみられる。昭和54年死去。(ニッケイ新聞。「20世紀-コロニアの20人」より引用)

註3:斉藤俳小星(明治16年~昭和39年)は本名、徳蔵。別号、夜鏡庵梅仙。埼玉県所沢生。明治44年、高浜虚子に師事し、大正9年に『ホトトギス』同人となる。農家で米屋のため、農事に関する秀句が多いことから「農俳人」「土の俳人」と称された。新光寺墓地にある斎藤家の墓前に立つ碑文は、亡くなる前日の絶句「枯寂裡に活を点じて石蕗咲けり」で、書は富安風生。風生ほか、鈴木花蓑、原石鼎らと親交。句集『徑草』(昭和26年)。

2010年10月15日金曜日

●恋のハンムラビ法典 上野葉月

恋のハンムラビ法典

上野葉月


週刊俳句に『恋の平行四辺形』を掲載してもらってから半年近く経ちました。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2010/04/blog-post_18.html
http://weekly-haiku.blogspot.com/2010/04/blog-post_25.html

幸いなことに(決して大量ではないがそれほど少数でもない)読者に恵まれ、概ね好意的な感想をいただきました。ありがとうございました。

この半年間、オンラインオフラインでこの小説に関する質問がいくつかありました。個別に回答していくことも可能なのですが内密にしなければいけないような回答でもないのでここで一気に答えさせてもらいます。

Q.この小説は17万字!なのか? 19万字!なのか?

数えたことがないのでわかりません。某MS社のソフトにコピー&ペーストしてプロパティを見ればすぐわかると思うので気になる方はお試しください。
ちなみにこの『恋の平行四辺形』は当初、東京-金沢間の五時間の会話を読者に五時間かけて読んでもらおうという意図で書かれたものなので、初稿はもう少し長かったのですが、今回「週刊俳句」に載せるに当たって新幹線での会話部分をかなり削りました。初稿は確か原稿用紙550枚相当だったような記憶があります。


Q.小説内の俳句は全て葉月作ですか?

いいえ、違います。半分程度は葉月作ですが、俳句仲間の句も利用させてもらっています。
車内での句会には所謂「木曜句会」で出された句が多く見られます。
『恋の平行四辺形』は2003年に執筆されたもので、作中何回かノーベル賞という言葉が出てくるのは2002年の田中光一氏のノーベル化学賞受賞の影響です。
執筆当時「木曜句会」メンバに「これを小説で使わせてもらいます」と42句プリントアウトしたものを見せて掲載許可をいただいたきました。改めて関係者にお礼申し上げます。もう昔のことなので憶えておられんかもしれませんが。

「俳句世間十月号」に載った社先生の10句のうち「東京に野原ありけり春時雨」は某若手俳人の作を剽窃させてもらいました。また「滝壺愛」という言葉は別の若手俳人にだいぶ以前に教えてもらったものです。

羽根邸の泊まった翌朝、神屋くんが香奈に見せる「天狗山歌仙」は「四童HP」で2004年に巻かれた「ビートルズ連句」をそのまま流用させていただきました。
http://www.asahi-net.or.jp/~xl4o-endu/renku10.htm
快く承諾してくれた玉簾さん、四童さん、守さん、詠犬さん、うさぎさんに改めて特別な感謝を。

ここまで書いてきて、主要人物のプロフィールがないとわかりにくいという意見を何回か聞かされたこと思い出したので登場人物紹介やります。

≪主要人物紹介≫

■神屋慎一郎
24歳男性
この4月から某旧帝国大学工学系研究科M1
俳号:社社または社慎一郎
俳歴8年

■志々目晴彦
22歳男性
この4月から某旧帝国大学農学生命科学研究科M1
ミステリ研のペンネーム:福原綾奈
俳歴2年

■羽根靖子
19歳女性
この4月からステラマリス女学院大学部2年
俳号:なし
俳歴半年
神屋慎一郎の「はとこ」であると同時に「またいとこ姪」。人の倍は食うのにウエストの細い「謎の生物」。

■元木香奈
19歳女性
この4月からステラマリス女学院大学部2年
通り名:井の頭線の青き雷(なぜ青いかは不明)
俳句初心者
この小説の語り手。常識人だが上記「謎の生物」の親友。


Q.続編はありますか?

あります。続編の予定はあります。いつ書くことになるかわかりませんが、このシリーズは全部で五巻になる予定なので(タイトル)/(サブタイトル)/(季節)で列挙しておきます。

第一巻、恋の平行四辺形/北陸湯けむり殺人紀行/春
第二巻、(題未定)/続北陸湯けむり殺人紀行/春
第三巻、世界牛の春隣/帰ってきた北陸湯けむり殺人紀行/冬
第四巻、(題未定)/その後の仁義なき北陸湯けむり殺人紀行/夏
第五巻、愛は定め、定めは死/エレキの北陸湯けむり殺人紀行/秋

その他、番外編に『OL探偵美和子の事件簿』(黒ストッキングの罠、埼玉に夕日が沈む)の予定もあります。こんなに書くからには一度ぐらい志々目くんに事件を解決させてあげたいとは思います。


Q.作中の句会で私が良いと思った俳句が無点でした。残念です。

あの句会の参加者は概ね初心者のようなものなので、選が甘いくらいの方が自然に思います。
というのは建前で作者に俳句を見る目がないせいです。すいません。生まれてきてすいません。


Q.モデルはいるのですか?

先にも書いたようにこの小説は2003年まだ私が俳句初心者だったころに執筆されたもので、若手俳人の知り合いも少なかったため特にモデルというのはありません。
特に国立理系デフレコンビのモデルはあれとあれじゃないかという質問があったのですがあれとあれではありません(あれとあれって何だよ)。
但し、続編が書かれた場合、第三巻以降は東京が舞台になり学生俳人が多数登場するので、どこかで見たような感じだなあと思うことがないとは限りません。


蛇足ですが(このエントリそのものも蛇足ですが)、小説の終わり近くに志々目くんが「俳句の見立てもない!」と言って憤慨するのは横溝正史『獄門島』を踏まえての発言です。靖子の伯父の僧侶、了沢という名も同じく『獄門島』に依っています。
今後質問が来た場合、また書かせていただくかもしれません。
では皆様、ごきげんよう。

2010年10月14日木曜日

●ペンギン侍 第38回 かまちよしろう

連載漫画 ペンギン侍 第38回 かまちよしろう

前 回

つづく

2010年10月13日水曜日

●WAR

WAR

戦争が廊下の奥に立つてゐた  渡辺白泉

開戦ぞ身近な猿の後頭部  谷 雄介

戦争が障子の穴を吹き鳴らす  八田木枯

戦争と畳の上の団扇かな  三橋敏雄

人類に空爆のある雑煮かな  関 悦史

2010年10月11日月曜日

●朝のひととき 中嶋憲武

朝のひととき 中嶋憲武


朝食を食べ終えてテレビを観ていたら、ランちゃん(三毛猫)が膝に乗ってきた。

そこでぼくは、ランちゃんの手を取り、「ランちゃん、バンザーイ」と言いながらランちゃんの両手をまっすぐに、ぐっと天へ伸ばした。ランちゃんもそのまま伸びをして気持ち良さそうな感じ。

元に戻すと、ぼくの手にじゃれかかってきた。

そこでぼくは、ランちゃんの頬に軽く往復ビンタをしようとしたら、ぼくの手に素早く前足を絡めてきた。ぼくは、「ランちゃーん」と言いながら、Brrrrrrrrrと唇を震わせながら、ランちゃんの顔へ、ぼくの顔を近づけていった。そんなことを2、3回繰り返していると、ランちゃんはぼくの鼻を齧った。(むかし、「忍者ハットリくん」の実写版テレビドラマで「花岡実太先生(はなおか じった せんせい)」という役を谷村昌彦がやっていた。ぜんぜん関係ないすけど。ちょっと思い出したもんで)

するとどうでしょう。ぼくの鼻から血が。そこでぼくはランちゃんに、ランちゃん、痛い痛いでしょう、ここ、とぼくの鼻を指差しながら言ったのだけど、ランちゃんはぴょんとぼくの膝から飛び降りて、階下へ降りて行ってしまった。

ランちゃんが、時代に牙をむいた。

2010年10月10日日曜日

●おんつぼ35 インドロック さいばら天気


おんつぼ35
インドロック Indo-Rock

さいばら天気


おんつ ぼ=音楽のツボ

インドじゃありません。インドネシア。

1960年代、「エレキ・ブーム」という何やらミョーチキリンなブームがありました。1959年にデビューしたベンチャーズの、エレキギター2本とベース、ドラムという編成による、歌のない演奏だけの「ロック(と言えるかどうか微妙ですが、とりあえずロック)」が人気を博し、全世界に「エレキ・ブーム」が巻き起こったのです。

日本でも、寺内タケシとブルージーンズを嚆矢に、数多くのエレキバンドがデビュー、全国にアマチュアの若者エレキバンドが結成されました。当時の雰囲気は「青春デンデケデケデケ」(大林宣彦監督・1992年)を観ると、感じがすこしわかります。あるいは「エレキの若大将」(加山雄三主演・1965年)なら、もっとディープに、60年代の青春(若い人が観たら素っ頓狂で吃驚しますよ、きっと)。

1960年代に青春を送った人は、いまはすでに60歳代から70歳代(加山雄三が現在73歳)。俳句世間ではベテランとか主宰です。季語がどーたら鹿爪らしいことを言ってても、昔はエレキにしびれて、葉山までナンパに出かけたものの、ふられっぱなしだったのかもしれません。

むりやり俳句に話を持ってきました。話を戻しましょう。

一方、インドネシアです。インドネシアは古来から芸能がさかんで、ジャワ、バリをひっくるめて言えば、ガムラン音楽、ワヤン(影絵芝居)といった伝統芸能に加え、多様な伝統舞踏、フランス人が企画演出した集団トランス「ケチャ」など、バラエティ豊か。また、オランダによる植民地化が進んだ16世紀には、西欧の楽器を取り入れた大衆音楽「クロンチョン」やら、1970年代にはやはり西欧ポップミュージックの要素と土着の音楽の融合した「ダンドゥット」も盛んになりました。

つまり、古くから世界有数の芸能先進地域インドネシアは、植民地化に際しても、西欧由来の芸能要素を融通無碍にを取り込み、豊饒さを増していったというわけです。

そんなインドネシアとエレキの出会い、それが「インドロック」です。

まずは聞いて、そして見ていただきましょう。

Electric Johnny & Skyrockets - Johnny On His Strings 1960


いかがでしたか。エレクトリック・ジョニーとスカイロケッツの演奏と、数々の写真。

曲は、リズム・アンド・ブルーズ形式ではあるのですが、当時のエレキバンドに共通する「ノーテンキ」さが横溢しています。音に陰翳はありません。パーティ音楽、ダンス音楽という側面もありますし、ノリが良ければいいという音楽。言葉を換えれば「バカっぽい」。もちろん、メッセージ性などありません。メッセージがあるとしたら、「どうだ? カッコいいだろ?」という、それだけ(実際、カッコいいかどうかは別にして)。

ルックスはいかがでしょう。インドネシアと日本は、ご先祖様を共有している部分がありますから、私たちが見ても親近感が湧きます。今の若者はずいぶんスタイルがよくなりましたが、当時の日本人は、平均身長も低かったし、こんな感じです。

楽器もヘンでしょう? こんなかたちのバスドラムなんて見たことがない。ギターもギブソンやフェンダーといった「ロック」の道具とはずいぶん違う。

そして、バンド名。ここにも注目です。

エレクトリック・ジョニーとスカイロケッツ。

「カッコいい英語」を並べてみました、という感じです。このバンド名のノリは、他のインドロック・バンドにも共通して見られる傾向です。ちょっと並べてみますね(ご興味を持たれたら、バンド名でYouTube検索。たくさん動画が見つかります)。

ザ・ロッキン・ブラックス The Rockin' Blacks
ザ・クレイジー・ロッカーズ The Crazy Rockers
トニーと彼のマジック・リズム Tony and his Magic Rhythms
ザ・ローラーズ The Rollers
ボーイと彼のローリン・キッズ Boy and his Rollin' Kids
ザ・ヤング・サヴェイジズ The Young Savages
ダニー・エンジェルとザ・クレッセンツ Danny Angel & the Crescents
ザ・ギター・ファイターズ The Guitar Fighters

これぞアメリカ、というより、これぞ英語といったネーミングが並びます。

安直。

いえ、日本のエレキバンド、さらにはグループサウンズ(エレキバンドの体裁をとった青春歌謡がもっぱら)も、他国のことはいえません。

寺内タケシとブルー・ジーンズ、加山雄三とザ・ランチャーズ、(以下、グループサウンズ)ザ・タイガース、ザ・スパイダース、ザ・テンプターズ、ジャッキー吉川とブルーコメッツ等々、ネーミングのセンスはそれほど変わりません。というか、本家の欧米でも、ザ・ベンチャーズ、ザ・シャドウズ、アストロノウツ、ザ・スプートニクス等、いま聞くと、なんだか素っ頓狂でノーテンキです(当時は、宇宙=新しい、だったのですね。ソ連が世界初の人工衛星「スプートニク1号」打ち上げたのが1957年10月4日。その直後から米国で宇宙開発熱が高まります)。

ただ、欧米や日本のバンド名に比べて、インドネシアのバンド名は、むしろ潔い。「カッコよさ」に対して、ウブで一途な感じがあって、むじろ好ましいです(中途半端な手練手管よりも、不器用な純愛のほうが感動を呼ぶ)。

というわけで、聞けば聞くほど、見れば見るほど、インドロックの若者たちがキュートに思えてきませんか。

最後に動画をもうひとつ。

ザ・ロッキン・ブラックス。これはリードギターとボーカルの Dominicus 'Mingoes' Hitijahubessy (読み方がわからない)の面構えに注目です。こういうあんちゃん、昔の日本でも、村に一人はいたものです。ちょっと悪くて、みんなのリーダー的存在。都会に出て、バンドを組んだり、悪い仕事に手を出して、ちょっとやさぐれて、そして村に戻ってきて「農業でもやるか」という感じ。かな?と。

ではご覧ください。

The Rockin' Blacks - Guitar Strings (1962)


1960年代、日本は貧しかったなんて、いまの若い人は想像できないでしょう。デパートの大食堂で家族揃って食事をするのが何か月かに一度の大イベントだったなんて言っても信じてもらえない。フレンチ? イタリアン? なんだよ、それ?ってなもんです。iPad? 肩パッドなら80年代に流行ったけど?てなもんです。私たち年寄りに言わせれば。

でもね、「希望は貧者のパンである」という言葉があります。通り一遍、百万回繰り返されたことを言いますが、なんか、希望があったわけです、昔は。

インドロックの、洗練からは程遠い、素っ頓狂で奇妙な高揚感は、「これからきっと楽しいことがたくさん起こるはず」という明るさに満ちています(実際には起こらなくても、ね)。


ハイブリッ度 ★★★
こ、こ、こ、これは…(絶句)度 ★★★★★

2010年10月9日土曜日

●釘



月光が釘ざらざらと吐き出しぬ  八田木枯

釘箱から夕がほの種出してくる  飴山 實

秋晴の口に咥えて釘甘し  右城暮石

釘効かぬ戸板は菊の匂ひせり  柿本多映

おそろしの掛物釘やねはん像  炭 太祇

秋の空釘打ちきつて板ひびく  小川軽舟

2010年10月8日金曜日

●熊本電停めぐり06 蔚山町 中山宙虫

熊本電停めぐり 第6回 蔚山町(うるさんまち)

中山宙虫

3号線上熊本駅前~健軍町の6番目の電停。
上熊本から所要時間6分。

9月29日(水)
18時。
朝晩はぐっと秋らしくなった。
今年の秋は来ないのではないかと思っていたが、突然季節は鮮やかに場面転換してしまった。
それに連れ、当然夕暮れは早くなる。
だんだん携帯のカメラでの撮影は限界が近づく。



このあたりは、旧町名を案内板の形で残している。
そのひとつを見つけた。
電車の線路は、黄色い線で表示されていて、今北から南へ移動中。
そして、この界隈には、かなり古い料亭があったりして、ちょっと高級な遊びができるところとして有名。
道路沿いに見つけた熊本の伝統工芸品「肥後象嵌」。
この時間は閉まっているようなので、ガラス越しの商品をチェック。













辛し蓮根の店もある。
ここもこの時間しか来ないので、実際開いているのを見たことはない。
たぶん、製造販売をしているのだろうと思われる。
さて、今回の電停「蔚山町」。
この地名の韓国のこの都市に由来しているらしい。
蔚山市」。

この電停の周辺を「蔚山町」と呼ぶのは、豊臣秀吉が関わっている。
1592年(元禄元年)から1598年(慶長3年)にかけて明と豊臣秀吉が引っ張る遠征軍との戦場の舞台になった町の名にちなんでいると言われる。
また、秀吉が朝鮮半島から連れてきた人たちが住んでいた町だからという説もある。
2010年、こういった縁から熊本市と蔚山広域市は姉妹都市となった。
実際は、住居表示から「蔚山町」の名は消えてしまって、電停にその名が残っているのだ。


電車通りにはマンションが建ち、昔の面影などはなかなか見つけられないが、ちょうど電停の真ん前にある3軒の店。
花屋と中華料理店とふとん店。
少々空腹でもある。
店にはいると、何やらばたばたしている。
どうやら出前が大量のよう。
「今ならラーメンしかできない。」
そう言われて、ラーメンが出てきた。


夕暮れのなか・・・・。
今日は、この電車に乗って、家路に着くことに。


次回の電停は「新町」。

●2010落選展のお知らせ

2 0 1 0 落 選 展 の お 知 ら せ
≫http://weekly-haiku.blogspot.com/2010/10/2010.html

2010年10月7日木曜日

●ペンギン侍 第37回 かまちよしろう

連載漫画 ペンギン侍 第37回 かまちよしろう

前 回


つづく

2010年10月6日水曜日

●ソフトマシーン余波

ソフトマシーン余波

SST(sakae-seki-tokita)ソフトマシーンを語る
http://togetter.com/li/56762




2010年10月5日火曜日

●切り絵

切り絵

星月夜切絵の妻が倚り立てり  舘川京二

夕焼けが切抜いている都かな  小沢信男

2010年10月4日月曜日

●鳥渡る

鳥渡る

2010年10月3日日曜日

ホトトギス雑詠選抄〔37〕菌

ホトトギス雑詠選抄〔37〕
秋の部(十月)菌

猫髭 (文・写真)


菌汁大きな菌浮きにけり 高崎 村上鬼城 大正8年

毒茸のかさのうてなに溜水 在芦屋 山口誓子 大正8年

茸山やすこし登れば大文字 東京 池内たけし 昭和2年

茸山や少年の日のみちはあり 在東京 松山桜人 昭和6年

塗盆に千本しめぢにぎはしや 大森 島田的浦 昭和6年

舞茸をひつぱり出せば籠は空ら 新潟 中田みづほ 昭和7年

茸乏しぼんやり伊吹山を見る 京都 松尾いはほ 昭和12年

みちのくの果ての温泉宿(ゆやど)の菌汁 在東京 梅田真三 昭和16年

雷鳴に怯えそれより茸は出ず 丹波 西山泊雲 昭和16年

火となりし松毬(まつかさ)ならべ菌焼く 岩手 駒ヶ嶺不虚 昭和18年

街道に茸ぶちまけて糶(せ)つて居り 舞鶴 至宏 昭和19年

ぶちまけし栗より茸のをどり出ぬ 大阪 寒木 昭和20年

盃にとくとく鳴りて土瓶蒸 阿波野青畝 昭和55年

湊大橋入口のヨークベニマルの地産コーナーに様々な茸が並び始めたので、歴代の虚子選「ホトトギス雑詠選集」から、わたくしの好きな茸の句を列挙してみた(最後の青畝の句のみ句集『不勝簪』から)。

茸もトマトも一年中あるので無季のようだが、やはり旬は歴然と舌に踊る。トマトは夏でないと太陽の味がしない。土瓶蒸は秋でないと盃がとくとく鳴らない。いや、ほんとの話。

茸の句を並べたら、茸汁が食べたくなったので作ることにしたが、これはうまい!と舌鼓を打った茸汁の記憶は、京橋の路地裏にある「魚がし」という小さな店で、昼の定食に出されたものだった。茸の香りが際立ち、歯応えといい、秋を噛んでいるという感じだった。とろりとした秋野菜の甘みの中に酸味があり、八方出汁と醤油と茸や里芋、大根、人参のハーモニーが絶妙だったので、毎日通ったが、飽きなかった。聞けば、味醂も酢も入れていないし、葛でとろみをつけているわけでもないとのことで、不思議に思い、かすかに浮いている脂がコツかと、鶏肉を入れているのかと聞けば、隠し味に鶏の脂を少々とのこと。それだけでこの旨みが出せるのかと、首をひねって茸汁を啜っていると、茸は軽く炒めて香りを引き出しますと教えてくれた。それだ!

それを思い出して、早速、椎茸、舞茸、湿地をざっくりと手で割いて、菜種油で香りが立つほどに炒め、滑子は軽く水洗いしてから八方出汁に入れ、塩で味を締め、色づくほど醤油をかけ回して味を含ませると、果たして母はお替りを所望した。

勿論、「魚がし」のプロの味には適わないが、茸を炒めてから入れるというひと手間で驚くほど旨みと歯応えを増すことだけは確かだ。しかし、これは「魚がし」の味であって、我が家の味ではない。猫髭料理帳にはもうひと工夫要る。

9月14日のNHKの「あさ一」の<夢の3シェフNEO 安くて便利「キノコ料理」>という特集で(註1)、日本料理:橋本幹造板前の「Wきのこの炊き込みご飯」で、天日に数時間さらして半干しにした茸は、香りが増し、独特のシコシコとした食感になると紹介しているのを見たことを思い出して、これだ!と思った。

ここのところ、雨と晴と交互でなかなか乾物日和にならなかったが、昨日今日と秋晴が続いたので、軒先の乾物ネットに入れて、椎茸と舞茸と湿地を干してから炒めて八方出汁に入れると、水分が飛んだ分、旨みが凝縮され、かつ出汁を存分に吸って、母は終始恵比寿顔だった。いただきました、☆☆☆です♪

この茸汁は味噌仕立てで里芋を増やせば芋煮になるし(牛と豚とで米沢と仙台はそれぞれの芋煮を誇る。どちらも旨し)、茨城では久慈の軍鶏肉を奢ると軍鶏汁になる。牛蒡の笹掻きと豆腐を潰して炒めて入れると巻繊汁(けんちんじる)になる。

半干しにした茸を炒めるだけで、茸汁だけではなく、茸のスパゲッティや茸御飯にも、茸うどんにも、勿論茸吟行もおいしい句になるかも。

掲出句はすべて臨場感があり、食欲を誘う句が多い。毒茸の句もあるから中ると恐いが、俳句だから中らないので安心して食べられる句ばかりである。


(註1)http://www.nhk.or.jp/asaichi/2010/09/14/01.html

2010年10月2日土曜日

【俳誌拝読】やわらかい機械

【俳誌拝読】
やわらかい機械
『俳句界』2010年10月号を読む  さいばら天気


『俳句界』2010年10月号にこんな句があった。

  雲間よりふわと落ちきし軟機械  表 健太郎

「天地論抄」50句の冒頭の句で、「軟機械」の語を詠み込んだ句が計6句並ぶ。ページタイトル脇に「戦列デビュー50句」とあり、作者・表 健太郎は1979年生まれ、「LOTUS」同人・編集担当。

短い解説文(『俳句界』編集顧問・大井恒行)には、ドゥルーズ/ガタリの「欲望機械」の語があるが、軟機械については「たぶんそれは、俳句形式に潜むシステムのことであろう」(大井)とだけあり、それ以上の説明はない。

作者の思惑はわからないが、「軟機械」といわれたら、どうしたって「ソフト・マシーン」を想起する。

Wikipedia「ソフト・マシーン」

Soft Machine - 1967 - I Should've Known


「軟機械」といった造語めく鍵語を俳句に取り入れていく動きは、もっとあっていいかもしれませんね。「ソフト・マシーン」というバンドの業績を「本歌」にすることもできるし、あるいは、「軟機械」という語からの連想で、物語世界をつくりあげていくこともできますし。

2010年10月1日金曜日

●折り紙

折り紙

折紙のにわとりに午後あるごとし  宇多喜代子

折り紙のはじめななめに春浅し  辻美奈子

折鶴をひらけばいちまいの朧  澁谷道