2011年12月31日土曜日

●大晦日

大晦日

大晦日定めなき世のさだめ哉  井原西鶴

父祖の地に闇のしづまる大晦日  飯田蛇笏

家の中を水ながれ過ぐ大晦日  穴井太

大晦日ねむたくなればねむりけり  日野草城

2011年12月30日金曜日

●金曜日の川柳 樋口由紀子


樋口由紀子
  







大晦日のエスカレータに 乗せられ


堀豊次 (ほり・とよじ) 1913~2007

大晦日の買い物客でごったがえすデパートのエスカレータが動き始めたときに、なぜ自分がここに立っているのか、どこに連れていかれるのかと、ふと思ったのだろう。

「乗せられ」だが、もちろん自分で乗ったはずである。それを途中で放り出したような留め方の「乗せられ」にしたことで、一挙に日常が変質し、世界が反転した。

消費するためにデパートに行かされ、エスカレータに詰め込まれ、考えてみれば、人生は「させられ」の連続である。一年も一生も、自分の意志とは関係なく、なにものかに乗せられて、運ばれているのかもしれない。「天馬」(2号 河野春三編集発行 1957年)収録。

2011年12月29日木曜日

●週刊俳句2012年回顧

週刊俳句2012年回顧


世界一(でもないか、俳句世間でいちばん)早い2012年回顧です。

これで3度目。

週刊俳句2010年回顧(2009年12月31日)

週刊俳句2011年回顧(2010年12月30日)

2010年回顧では、『超新撰21』がホントに出ちゃうという愉快もありましたが、2011年回顧は、どうだったんでしょう? 軽く検証してみます。

まず、一月。ツイッター「夕刊俳句」は実現しませんでしたが、@10_key 名義で週俳・ウラハイの記事告知は頻繁にやらせていただきました。

二月。石原クニオさんの小説「有季定型ボーイと自由律ガール」はまだ完成を見ていない模様ですが、そのうち角川ルビー文庫あたりから突如書き下ろし刊行の予感もします。

三月。伝統系の新ユニット「俳句そのもの」による「まるごとプロデュース号」リリース。これもナシ。しかし、2月にはSSTまるごとプロデュース号。半分は当たったということでしょう。

四月。電子書籍は、書名・内容は違いますが、出ました(≫こちら)。

五月の「六大学俳句リーグ戦」は実現せず。

六月。関悦史「俳句人類学・序説」連載も実現しませんでしたが、内容的には、『六十億本の回転する曲がつた棒』(2011年12月・邑書林)がこれに当たると、個人的には解しています。

七月の芥川賞うんぬんは飛ばして、八月、俳句甲子園の優勝校予想はみごとにはずれ。開成の優勝でした。

九月。「常磐ハワイアンセンターと東北のパワースポットをめぐる吟行ツアー」。「東北」は、この記事のおよそ70日後、これまでとはまったく別の禍々しい現実に覆われることになりました。

十月。「経済産業省クールジャパン振興助成」。まだ受けていません。関係各位、よろしくどうぞ。

十一月。iPhone向けアプリ「俳句っち」。いまや「スマホ」の時代です。この手のものの移り変わりの早さを思わずにはいられません。

十二月、『極撰21』刊行はなりませんでしたが、ご承知のとおり『俳コレ』刊行。

こうしてみると、「2011年回顧」は、全体的に「あたらずといえども遠からず」と言えるのではないでしょうか。

では、2012年回顧。「もうネタがないよ」な状態のまま、始めます。



一月

週刊俳句「10句競作」第3回を企画。『俳コレ』にひっかけて「100句競作にしては?」の声が打ち合わせで上がるも「多すぎでしょ」と否決。

二月

ダーレン・アロノフスキー監督が関悦史『六十億本の回転する曲がつた棒』映画化の権利取得。映画化の暁には週俳も「いっちょかみで」と申し出るも完全無視。

三月

兄弟誌『週刊川柳』立ち上げの話がどこからともなく持ち上がるが、すでに『週刊「川柳時評」』があるよ、の一声で立ち消えに。

四月

『週刊俳句』創刊5周年記念オフ会が小石川後楽園・涵徳亭で開かれる。デビュー直後の俳句ラップ・バンドが余興に出演、やんやの喝采を浴びる。

五月

「金環食」吟行会を刊行。列の先頭で掲げた「宗教団体ではありません」のプラカードに「余計だ!」との声が続出。

六月

第1回「バカ句選手権」を誌上開催。2句土俵に上がり、どちらがバカ句かを読者投票で決め、勝ち上がるトーナメント方式。「中の人」が優勝してしまい、「週俳の本質はバカ」が定着。

七月

特集「暑い夏こそ寒い句を」が組まれ、全編、冬の句、冬の話題に。納涼を狙ったが、読者におおむね不評。

八月

俳句甲子園を「Haiku Drive」と共同で実況動画配信。「Haiku Drive」から「週俳さんはいてもいなくてもどっちでもよかったですね」と冷静に振り返られる。

九月

週俳の紙の本・第4弾『間違いだらけの俳句結社選び』刊行。主要結社を点数評価、「主宰は顔で選べ」「会員数はこの規模が狙い目」など選び方のコツから「私が味わった壮絶なイジメ」などの体験談、入会後の「巻頭への近道」「先輩俳人との口のきき方」まで、いたれりつくせりの一冊と話題に。

十月

特集「モードなワシらがここで一句」掲載。鬼海弘雄『PERSONA』風のモノクロ写真と50代・60代男性俳人の骨太俳句がコラボ。実は総合週刊誌に企画を持ち込んだもののボツとなり、週俳誌上での公開となった事情が後に判明。

十一月

iPhone向けアプリ「おまかせ季語」を開発。十二音を入力すると、季節に合わせて最適の季語が出てくるスグレモノ。「あなたも今日から季語名人!」「これで句会は怖くない!」「いま買えば『きれいな短冊』1冊を無料プレゼント!」などの惹句とともに全国配信を告げる記事が。

十二月

『俳コレ』に続くアンソロジー第2弾『俳コラ』刊行。古今東西の俳人千人の数千句を分解、ゴタゴタとコラージュ化した作者不明のコラージュ集に「アヴァンギャルドやね」「箸にも棒にもかからない」と業界の評価二分。


(西原天気・記)

2011年12月27日火曜日

●エロ虫道中記 関悦史

エロ虫道中記

関 悦史


12月23日の俳コレ竟宴の際、家が遠いので宿を取った。

その宿に山田露結さんも同宿することになった。

直接会ったのは去年の超新撰竟宴のとき一度きりだったと思うがツイッター上ではおなじみである。

そこに御中虫さんも京都から参加することになり、道に迷わないよう同じホテルを予約した。

すぐにこの三人の頭文字を取って「エロ虫」なるユニット名ができたが、果たしてこれがユニットなのか何なのかはあやしい。

少なくとも、今後特に三人で何かやる予定は今のところない。

竟宴当日は、市ヶ谷駅で待ち合わせたが、集まる前後「エロ虫」「エロ虫」とツイートしていたら、フォロワーが四人ばかり減った。

三人で駅前の喫茶店に入ったら、突然クリスマスプレゼントの交換会となった。

私がもらってしまったのは、露結さんからはソフト帽、虫さんからは銅板を打ち出してマンボウを描いた自作作品である。私の顔写真を見てマンボウを連想したらしい。

露結さんから虫さんへは鹿の毛皮のような柄のモフモフした帽子、虫さんから露結さんへは虫さんが絵を描いた京都弁カルタ(市田ひろみのCD付き)なるものが行った(他にもう一点公表不能の物件も)。

私は何も用意していなかった。人としていささかまずいのではないか。

竟宴パーティではスピーチに指名された露結さんが、いきなりRCサクセション「スローバラード」を歌いだした。この辺の行動、露結さんの作風と一脈通ずるところがなきにしもあらず。

都内では滅多に会えない虫さんもパーティで大人気だった模様。

来るときには装着していた真っ白なウィッグを虫さんがいつの間にか外してボーズ頭になってしまい、ウィッグのほうはどこをどう渡り歩いたのか、会場の隅に設営されたネット生中継用のインタビューブースで猿丸さんがかぶってニコニコしながら立っていた

遠くから見て、虫さんが急に背が伸びたかと思ったが、近寄ったら猿丸さんだったので直ちに奪い取り、私もかぶって、撰をさせてもらった野口る理さんと一緒にインタビューを受けた。話の内容や表情はごくマトモだったはずである。映像は見ていないが、そのことが余計に不条理感をかきたてた可能性はなきにしもあらず。

宿が取ってある安心感で三次会まで出てしまい、タクシーでホテルに入ったのが夜中の三時過ぎ。

翌朝、虫さんが喘息の発作を起こしたようだが、部屋にあった湯沸しを吸入に使ったとかで、チェックアウトの時間には落ち着いていた。

いつの間にか虫さんのお兄さん(都内在住らしい)の車に乗せてもらう計画になっていたらしくて、こちらもボーズ頭の虫兄氏到着とともに三人同乗、まずは露結さんが行ってみたいという築地市場へと向かう。

カーナビでは市場近くにいるはずなのだがどこなのか判らずにいたら、露結さんがいきなり車から飛び出した。警官を発見して道を訊いてきたのである。

おかげで無事、築地の場外市場にたどりついて(「場内」は業者しか入れない)、四人でうろうろ。厚めに削ったカツブシを試食に差し出されて露結さんは食いながら進む。


せっかくだから昼食に寿司でもと並びかけたがどの店も大行列で、印度カレーで済ませた。注文と同時にサッと品が出てきたが、大皿のカレーの飯の上に千切りキャベツが山盛りというもので、これは少食な虫さんには無理だった模様。


場外市場を一巡して、またカツブシを受け取ってモグモグしたりもしつつ露結さんがTシャツか何かを買ったら、店のおばちゃん二名が目引き袖引きしつつ、ついにこらえかねたという風情で「あんちゃん、いいキモノだね~」と寄ってきた。

こちらは何を隠そう呉服屋の若旦那であると私が紹介すると、「あらまー役者さんか何かかと思ったわ」などと適当なことを言い、露結さんの説明も、感心しているのか上の空なのかよくわからぬ調子で聞きつつ羽織の刺子を撫で回したりしているので、露結さんがおもむろに裾をはだけ、鯛がぎっしり書かれた真っ赤な襦袢を遠山の金さんの桜吹雪よろしくお目にかけると、「いや~!!(はぁと)」とも「うゎ~!!(はぁと)」ともつかぬ嘆息混じりの大絶叫。これはどちらにしても「(はぁと)」は付く。

何だかよくわからないが何ごとかを十二分に堪能した気分になって市場を出ようとすると、ホワイトボードの「拾得物掲示板」なるものがあり、ここに書かれた落し物がまた場所柄を反映した摩訶不思議なものだった。

「アジの開き」はまだいいとして「万能紋甲イカ」が既に何だかわからない。

これは後で検索して、細い切れ込みを無数に入れた、握ればそのまま寿司種にできる状態の紋甲イカと判明したが、「シルバー」とだけ書かれていたのはいったい何だったのだろう。

去りがけに皆で一句作ることになった。

   カレーライス食ふ冬麗の築地の市場  露結

   築地ぢゆうの段ボールを集めりや御殿が建つぜ 魚臭い  虫

   「シルバー」といふ落とし物鯵も烏賊も  悦史

露結さんのは飯島晴子の本歌取り、虫さんはどこへ行っても独自の着眼と威勢のよさがお見事、私は何も思いつかずに見たまんま。

吟行は苦手なのだよなどと言いつつ、さて次に向かったのが虫さんが行きたかった神田神保町の古書店街。


虫さんが探していたのはリン・マーギュリス、ドリオン・セーガン『生命とはなにか』なる本と、ガイア仮説に関する本、それからラブクラフトだったらしいのだが、古本というのは決め打ちして出てくるものではないので、どれも見つからず、虫さんは代わりに渡辺公三・木村秀雄『レヴィ=ストロース『神話論理』の森へ』とマーティン・ガードナー『ルイス・キャロル―遊びの宇宙』の2点を購入。

田村書店のワゴンを私がざっと確認している間に店内を見た虫さん、かつてのバイト先がちょうどこんな感じで一緒やわという。

虫さんが中にいるうちに露結さんが隣りの小宮山書店に入っていったので皆で追ったら、ここはしばらく来られないでいるうちに、中が古書店というよりは画廊に近い雰囲気になっていて、いたるところに版画、ポスター、玩具、人形等が置いてあった。

古書店街もひととおり見て靖国通りを駐車場へと戻りかけたが、白山通りとの交差点で信号を待っている間に、露結さんが「横尾忠則の版画10万円のがどうにも気になる。カード使えるかな」と言いだしたので、全員一応つきあって小宮山書店まで引き返す。

階段の上にかかっていた版画を皆で再確認している間に、店員と話していた露結さん、即座に購入を決めて、見る見るうちに発送手続きに入ってしまった。

驚いて《買ったぁあああ!!》などとツイートしたら、喫茶店で休んでいるうちに四ッ谷龍さんから返信。

永田耕衣さんから教わった河井寛次郎の名言、「物買って来る、自分買って来る」。良い買い物をなさいました。

虫さんは一連の露結さんの男っぷりに賛嘆頻り。

紀伊国屋新宿本店の俳句本フェアも見たかったところだが、露結さんの帰る時間が迫っていることとて断念。

東京駅前で降ろしてもらい、別れを惜しんで露結さんと虫さん、虫さんと私の順で握手、そのままさらにぐじゃぐじゃモフモフと冬着の上からハグしあって、ついでに露結さんと虫さんから尻を触られまくる。

この辺、何でこんなことになるのか分からない人には全然分からない話だが、先日、西原天気さんの句集出版記念会のときに、榮猿丸さんが触らせてと唐突に言い出し、猿丸、佐藤文香の二名から尻を撫で回されるという事態が出来して、それ以後縁起物なのか何なのか、無闇に撫で回されてられることになってしまったのである。竟宴パーティでも他の人たちから散々撫で回された。説明してみても結局何だかよくわからない。

虫さん兄妹と別れて改札へ向かう途中、露結さんが一言。「触れてよかった。あのタイミングで触らなかったら男二人になってから公衆の面前でじゃ触れませんからね。」

こうして「エロ虫」東京見物の一日は終わった。



写真提供:山田露結/写真リンク(thanx):spica虫日記R6

【関連リンク】
楽しすぎて適当にしか書けないんですよね:虫日記R6
「エロ虫」写真館:Rocket Garden~露結の庭

2011年12月26日月曜日

●月曜日の一句〔関悦史〕 相子智恵


相子智恵








テラベクレルの霾る我が家の瓦礫を食へ

テラベクレルの霾る我が家の瓦礫を食ふ  
関 悦史

句集『六十億本の回転する曲がつた棒』(2011.12/邑書林)より。

今年最後の更新となった。最後にどうしても挙げたいのが掲句である。

私自身、今年の後半は日常の忙しさに飲まれた。その飲まれ方は驚くほどだった。震災で感じていた思いや違和感が、忙しさによって「石化」していった。心の中のぐちゃぐちゃの土の上に、とりあえずアスファルトで応急処置の蓋をした「日常」という高速道路を突っ走っているうちに、いつしか、心にぐちゃぐちゃの土があったことすらわからなくなっていった。

東京在住の非被災者の私が、さらに自分の中に震災の「薄れ」を経験した。そのことの申し訳なさを正直に、過剰な自省でも声高な教訓でもなく「事実」として、私はここで言わねばならない。この句集を読んで、そう思った。

なぜならこの句集の「生(なま)感」に、私の中のぐちゃぐちゃの土が戻ってきた気がしたからである。それは作者自身の、いまなお続く被災生活を詠んだ句ばかりではなく、この句集全体から感じとれることだった。虚構性の高い句であっても、なぜか地続きで感じられる「生(なま)の共振」があるのだ。

この稿を書いていて、ふと数年前に読んだ内田樹のブログ(http://www.tatsuru.com/columns/simple/24.html)を思い出した。「現代を詠む」や「新しい俳句」を標榜していても、現代の〈私たちの輪郭がぼやけて〉いない俳句というのは、それほどに多くはない。ここでいう意味で、翻訳可能な「現代俳句」を挙げるとしたら、今年はこの句集なのではないか。


2011年12月25日日曜日

●クリスマス海峡

クリスマス海峡

2011年12月23日金曜日

●金曜日の川柳 樋口由紀子


樋口由紀子
  







クリスマスお寺はとうに寝てしまい


西島〇丸 (にしじま・れいがん) 1883~1958

明日はクリスマスイブである。楽しみにしている人はたくさんいる。一方、クリスマスとはまったく関係のない人も多い。キリスト教の祝祭はお寺とは本来は無縁である。世間の賑わいをよそにしんと静まりかえっている本堂の屋根が思い浮かぶ。対比の立て方がおもしろい。

○丸は東京深川霊岸町の浄土宗西念寺の住職であった。西念寺は伊賀忍術の服部半蔵を開基として建立された。

実は我が家は寺である。夫に子どもの頃のクリスマスはどうしてたと聞くと普段の日と何も変わらなかったと言う。しかし、今、我が家には小さいけれどクリスマスツリーが飾られ、明日は息子の友人たちが来てクリスマス会をすると言う。クリスマスに眠らない寺が出てきてしまった。『川柳全集第三巻西島○丸』(藤島茶六編構造社出版1979年刊)所収。

●『俳コレ』竟宴・動画配信のお知らせ

『俳コレ』竟宴・動画配信のお知らせ



12/23 13:30から配信開始!

http://www.ustream.tv/channel/haiku-drive

はじめまして。Haiku Driveです。

Haiku Driveは、
インターネットの即時性を最大限に活用した、
俳句に関心を持つ人のための動画/音声配信番組です。

現在、ラジオ番組を不定期配信中のHaiku Driveですが、
今日、いよいよ動画配信をスタートさせます。

配信内容は『俳コレ』刊行イベント 俳コレ竟宴 (生中継)です。

俳句の世界に新風を送り込んだ『新撰21』『超新撰21』につづく、
注目の俳句アンソロジー『俳コレ』の刊行イベントをリアルタイムでお届けします。

諸事情により、シンポジウムの第2部は配信できませんが、第1部とパーティの模様を映像で配信いたします。

当日会場に足を運べない方は、ぜひご覧下さい。


生駒大祐 藤田哲史



『俳コレ』竟宴
2011年12月23日(金曜日・祝日)13:00開場 13:30開演
アルカディア市ヶ谷 5F 穂高・大雪の間

邑書林による『俳コレ』竟宴のご案内

2011年12月22日木曜日

〔今週号の表紙〕第243号 草 西原天気

今週号の表紙〕
第243号 草


家の中に、花でなくとも草があるだけで、すこし気持ちが落ち着きます。

(西原天気)


2011年12月21日水曜日

●「彼方からの手紙 第2号」配信のお知らせ

「彼方からの手紙 第2号」配信のお知らせ


山田露結と宮本佳世乃で、ネットプリントによる俳句配信を始めました。
セブンイレブンのコピー機から、俳句が出てきます。

「彼方からの手紙 第2号」

山田露結×宮本佳世乃+毎号ゲストをお迎えします。
今号のゲストは、関悦史さん。
「六十億本の回転する曲がつた棒」を上梓されたばかりのアツアツホヤホヤです!

【ネットプリントの受け取り方】

1.セブンイレブンへ行く。

2.コピー機の「ネットプリント」を選択して予約番号を入力する。

3.手順に従ってプリントを開始する。

予約番号 01754161
プリント料金 60円
配信期間 12月20日(火)~27日(火)23時59分

どうぞよろしくおねがいします。(宮本佳世乃)

2011年12月20日火曜日

〔ネット拾読〕17 スプーンのかたちに眠りたい

〔ネット拾読〕17
スプーンのかたちに眠りたい

西原天気





西村麒麟・モテキみたいにキョシキって言ったら虚子忌みたいだね 6:spica
http://spica819.main.jp/kirinnoheya/4686.html
週刊俳句(最近書いてませんが)やきりんのへやでボタンを連打しまくったせいか(…)
週刊俳句でも書いてください。
教授「西村君、プラトンの全集とかがでると、翌年ガクッと学生の学力が落ちるのです、自分の力で調べなくても簡単に答えが手に入るからです、人間は良かれ良かれと思い文明を進化させますが、悲しい事に大切なものを失ってしまうのです、悲劇ですねぇ西村君、ね、西村君、四年大学に居たって何にもできやしないのですから、ギリシア悲劇でも読んではどうですか?西村君、…入門書なんて、読まなくて良いです、西村君、狂気の無いものは信じなくて良いのです…」
そうそう。便利と幸せはまったく関連がないですね。

便利になってうれしい、というのは、一種の錯覚です。


結社/結婚 by @tajimaken
http://togetter.com/li/229222

「結社と結婚は似ている」と田島健一氏がツイート。私が「似てない」と応答したところ田島氏が解説。ツイッターも、たまにはいいことが起こります。
既に結婚している人は、結婚した方がいいか、そうでないか、とはあまり考えない。そういう選択肢自体が前景化してこないですね。結社もそうで、結社に入っているひとが、結社に入るべきか、そうでないか、とはあまり考えない。(田島健一)

(…)結婚も結社も、自分と対象との関係性だけだと捉えられがちですが、実はえらく面倒くさい第三者的なものを抱え込むことになるところも似ています。むしろ、その面倒くささを受け入れるために結婚したり結社に所属したりするようなところもある。(同)

(…)「快適な新婚ライフ」や、俳句上達のための「快適な俳句ライフ」っていうのは、ま、少し続けていると幻想だということがわかる。そういう意味では、「ご愁傷様」ですね。(同)


湊圭史・『俳コレ』など:詩客「俳句時評」第32回
http://shiika.sakura.ne.jp/jihyo/jihyo_haiku/2011-12-16-4524.html

『俳コレ』についてのの記事もウェブ上にポツポツと出てきています(参照≫邑書林によるリンク集)。
全体の印象はリラックスした「個性」の展示というおもむき。「新撰」シリーズにあった、俳句史と対峙してやる、みたいなエッジはなさそうですが、これはこれで楽しめそうです。(湊圭史)
エッジの有無は置くとして、『新撰21』『超新撰21』にあった「世に問う」感は、『俳コレ』には薄い。湊圭史の言う「「個性」の展示というおもむき」はかなり的確な印象評と思います。

付言すれば、「世に問う」という側面で、「俳句のオトナ降臨」と帯に銘打たれた『超新撰21』は少し微妙な立ち位置を余儀なくされた。『俳コレ』のリラックス感は、先行2点との差別化という意味でも、心地がよい。

ただ、忘れてならないのは、『新撰21』『超新撰21』という先行が存在するからからこその『俳コレ』、ということ。

先行2点との差別化(そこにはリスペクトの意味合いもあるはず)という点では、装幀のテイストが大きく変わったことに加え、各作家が見開きスタートとなったこと。体裁上の差別化が、読み手にとっておそらく大きいと思います。


三物衝撃のテンプレート :みしみし 三島ゆかり俳句日記2.0
http://misimisi2.blogspot.com/2011/12/blog-post_16.html

「二物衝撃」という用語は「取り合わせ」くらいに解しておいたほうがよいと考えています。「衝撃」なんて言うと、作ってるほうがヒロイックに酔っちゃいますから。もちろんただ並べるわけではなく、そこになにがしかの効果があるから、そこに着目するわけですが、その効果が「衝撃」の効果とも限らない。エイゼンシュタインのモンタージュなわけですし、ね。

だから、2つとか3つとか数にこだわるのはあまり意味がないと考えています。

A【a1〔路地裏を〕-a2〔夜汽車と思ふ〕】-B【金魚かな】

a1とa2がモンタージュされ、そのセットであるAが、Bとモンタージュされる。「全体」を構成する「部分」の中にも取り合わせがあり、それが全体となってもう一つの部分と取り合わせの関係になる。部分と全体が固定されるわけではない(まあ、いわばホロン?)。

上に挙げた構造図も、これと決まったものではありません。A【a1〔路地裏を夜汽車と〕-a2〔思ふ〕】というモンタージュに解することもできます。

俳句は、意味と無意味の調べ、音の調べというふうに言えるわけで、音符が2つとか3つとかと単純化して読まれるわけがないのです。これに先行テクスト/他テクストをバックグラウンドとして響かせるという効果が加わることもあるわけですから、ますます「数」では済まなくなります。

ま、上記、三島ゆかり氏の記事では、あえて単純化という方法を採っているのでしょうが、単純化しすぎると、たちまち飽きてきちゃいますよ、俳句なんて。


今週の本棚・この人この3冊:塚本邦雄=穂村弘・選
http://mainichi.jp/enta/book/news/20111218ddm015070014000c.html

いまさらながら塚本邦雄『百句燦燦』(講談社文芸文庫)は必読。


で、そろそろ今年を振り返ることも多くなってきておりまして、

荒川洋治:『図書新聞』最新号からの引用
https://twitter.com/#!/deja_lu/status/147997004071575553
おおきな災害のあと、大量の、たれながしの詩や歌が書かれて、文学「特需」ともいうべき事態となった。[…]これは「詩の被災」であり、「ことばの被災」である。
被害者は「詩」であり「ことば」。ちょっと引っ掛かる把握ではあります。では、加害者は?



最後に、俳句から離れて。

ネットでこんなことを言うのもなんですが、手紙(snail mail)って、いいものですよね、という。

工藤公康さん。:古賀史健のBLOG
http://office-koga.com/2011/12/13/kudo/

めちゃくちゃええ話やん!

2011年12月19日月曜日

●月曜日の一句〔矢口晃〕 相子智恵


相子智恵








トラツクは綿を満載クリスマス  矢口 晃

アンソロジー句集『俳コレ』(2011.12/邑書林)より。

アメリカの荒野をゆくトラックを思う。綿花を満載にして走ってゆく、幌付きのトラック。

中国やインドやオーストラリアで、それぞれの国の綿花がトラックに満載されている様子も想像する。頭の中には、乾燥した広大な土地がすっかり浮かび上がっている。

そしてそれと同時に、クリスマスツリーに綿の雪をちぎって付けた日本の私の、幼い日のことが強烈に思い出される。日本の子どものクリスマスの記憶の中に、たしかに〈綿〉は組み込まれている。

上五・中七まで読み進めて下五の〈クリスマス〉の取り合わせにちょっと驚きながら、かつ納得した一句だ。この取り合わせには、不即不離の魅力がある。


2011年12月18日日曜日

●紙



PROTEIGON from BURAYAN on Vimeo.




空想と紙の空白鳥曇  南十二国

紙の音して寒禽の飛び出づる  山田露結

雪もよひ家のかたちに薬包紙  齋藤朝比古

紙くづのきらきらするや夏休み  津久井健之


※いずれも『俳コレ』(2011年・邑書林)より(≫ウェブサイト

2011年12月17日土曜日

●週刊俳句(編)『子規に学ぶ俳句365日』

週刊俳句(編)『子規に学ぶ俳句365日』



紀伊國屋書店 Book Web
丸善+ジュンク堂ネットストア
セブンネットショップ
e本 ;ネットで注文、近くの書店で受け取るシステム。
amazon

2011年12月16日金曜日

●金曜日の川柳 樋口由紀子


樋口由紀子
  







子がみんな寝てからリンゴ妻が出す


定金冬二 (さだがね・ふゆじ) 1914~1999

中村草田男の有名な俳句に〈空は大初の青さ妻より林檎受く〉がある。どちらの句も終戦後の食料の乏しい時代に作られた。そのような時代に生かされている感慨が妻からの林檎に象徴されている。しかし、両者の林檎の立ち位置は微妙に異なる。冬二の川柳には生活が見える。挫折感、屈折感があり、庶民の哀歓がひしひしと伝わる。

〈人づまと10歩歩けば10歩の罪〉〈100挺のヴァイオリンには負けられぬ〉〈にんげんのことばで折れている芒〉〈一老人 交尾の姿勢ならできる〉リフレインや数字を効果的に使い、句会、大会などでは抜群の上手さを見せ、いわゆる冬二調と言われる川柳を作り上げた。『無双』(昭和59年刊)

2011年12月15日木曜日

おんつぼ41 可愛いいひとよ 小早川忠義


おんつぼ41
可愛いいひとよ
クック・ニック&チャッキー他

小早川忠義


おんつぼ=音楽のツボ


「歌は世につれ、世は歌につれ」などという言葉があります。戦前から歌い継がれている演歌などの曲の前振りに使われる泥臭いフレーズですが、現在の私たちの耳に触れやすい洋楽じみた曲にも歴史があり、あな がち冒頭の言葉が当てはまらないとは限らないようです。

女「ねえねえ、『可愛いいひとよ』よっかさぁ、『Get Ready』、ある?」
男「Chicの『おしゃれフリーク』ならあるぜ?」
女「『メリー・ジェーン』は?」
(とんねるず『角田さんのテーマ』アルバム『仏滅そだち』より)

石橋貴明と木梨憲武のコンビ、とんねるずがコントで世に出始めたのは80年代。この頃のディスコの主流はユーロビートに移っており、先述のやりと りに出てくる曲は既に前時代的 なものとして「解る人には解るギャグ」だったのです。しかしながらその時代の曲にも良さがあるんだというリスペクト的な主張として引っ張り出され たものでもありました。それは後年リリースされる彼らの歌唱曲「嵐のマッチョマン」や、自らの出演するテレビ番組でディスコダンスのコンテス トを主催したりなどで明かされることになります。

筆者が最初に聞いた『可愛いいひとよ』のメロディーは山瀬まみによってカバーされたものだったので、こんな曲で踊ることが出来たのかと首を捻って ばかりだったのですが、最近になってYouTubeでクック・ニック&チャッキーの「原曲」を聴く機会を得て、大きく首肯するに至りました。

ウエスタンやグループサウンズから所謂ソウルサウンドへ大きくシフトした、70年代のディスコサウンドは、曲のノリが流行りに乗っていることは勿 論、その曲に合ったステップが雰囲気を盛り上げるか否かも支持を受ける大きな鍵になりました。それをマスターすることが「仲間入り」への第一歩。 そのステップの違いによって仲間の集団がいくつも分かれたとか。この歌は歌の内容云々より、そのうちやってくるチークタイムになるまでに相手を見 つけようとした青年男女が近付く良い切っ掛けの曲だったに過ぎないのですが、集団の結束力を大きくする道具として作用したものだったのでした。

先述の通り80年代になってディスコミュージックの主流が変わったことにより、忘れかけられていたこの曲も、2000年代に入りかつての時代に良 く踊っていた世代として鈴木雅之とブラザー・コーン、そして他ならぬ木梨憲武の組むユニットによってカバーされ、息を吹き返すことになります。忘れかけていたステップや古臭いと切り捨てられていたものに対する再発見への目、それに「良いものは良い」とこだわり続ける気概は、常に持ち続け ていたいものです。


2011年12月14日水曜日

〔人名さん〕熊

〔人名さん〕



髪増し哉熊を巻く中島美嘉  井口吾郎

説明不要。いかにも熊を巻きそうな人。

人名回文句の傑作。

(西原天気)

2011年12月13日火曜日

●Slapp Happy - Haiku

Slapp Happy - Haiku

2011年12月12日月曜日

●月曜日の一句〔関根誠子〕 相子智恵


相子智恵








いやですと云ふ練習をマスクの内  関根誠子

句集『浮力』(2011.4/文學の森)より。

この作中人物はきっと、かなりいい人だ。

ふだんはなかなかNOと言えず、それでも一大決心で「いやです」と言おうとして、ぶつぶつとマスクの内側で練習している。これからNOを言う相手に、会いに行くのだろうか。

マスクの内側だから、他人からその口は見えない。自分の気持ちとNOを言う相手への思いやりの間で、練習をしながらも、きっとまだ「いやです」と言おうか言うまいか揺れているのではないだろうか。

そんな推理が働くのは、誰からも見えない〈マスクの内側〉という設定に、すれ違う見知らぬ他者にまでも無意識的な気遣いをするような人物像が想像されてくるからである。

マスクという小道具がうまく生かされていて、人物像の想像がふくらみ、物語が広がる。人事句の面白さはこういうところにあるように思う。

それにしてもこの人、生きていて肩がこるだろうな。


2011年12月11日日曜日

〔今週号の表紙〕第242号 日差し 石田遊起

今週号の表紙〕
第242号 日差し

石田遊起


13時50分ごろ、西の空に黒い雲が、もくもくと出ているのに気づいた。そうだ、昨日も荒川河川敷で、遠く秩父連山などの稜線を友人と眺めていたときも、黒々と雲が出てきたとき、日差しはまだ眩しいくらいだが、その黒い雲の隙間から日差しが放射状に見事な光りの帯が何本も見えたのだ。そして次の日に、また同じように見られるとはラッキー。あわててデジカメを取りにいき、家から前の道に出て映したもの。西日の中に黒雲、凍雲だと思うが、遮られながらその隙間から日差しが透けて見えるのだ。神々しいような心高ぶる15分ぐらいの出来事だった。「薄明光線」「天使のはしご」とも言われている。


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2011年12月10日土曜日

●月蝕

月蝕

月食の夜を氷上に遊びけり  山口誓子

月蝕まつみずから遺失物となり  寺山修司

月食下焔をはこぶ焼薯屋  田川飛旅子

汽車と女ゆきて月蝕はじまりぬ  西東三鬼

月蝕や背を割って飛ぶ黄金虫  綾野南志

月蝕待つ河へ十指をひらきいて  須藤 徹

2011年12月9日金曜日

●金曜日の川柳 樋口由紀子


樋口由紀子
  







院長があかんいうてる独逸語で


須崎豆秋 (すざき・とうしゅう) 1892年~1961年

病院のトップが「あかん」と言っているのだから、それはたいへんなことである。他の医者に独逸語で告げたのだろうか。それともカルテにそう書いたのだろうか。「あかんいうてる」の大阪弁がいい響きをしている。「あかん」は「あかん」に変わりはないのだが、事態の深刻さを緩めて、むしろ大らかでユーモアを引き出している。これが川柳味というのだろう。

先日、体調を崩して久しぶりに病院に行った。今のカルテは日本語のパソコン入力だった。医者の威厳はわからない独逸語でスラスラとペンを走らせている方だなと変換に手間取っている医者の指と日本語の画面を見て思った。

〈葬式で会いボロいことおまへんか〉〈恋人の坐ったとこへ坐って見〉〈児が追えば鳩は歩いて逃げるなり〉などのおもしろい句を残して、豆秋は直腸癌の手術後に亡くなっている。

2011年12月8日木曜日

●『子規に学ぶ俳句365日』は明日発売です

『子規に学ぶ俳句365日』は明日発売です


この週末くらいから書店に並ぶ模様です。

『虚子~』に続く週刊俳句の「365日」シリーズ・第2弾。

注目の若手~中堅俳人9名が執筆。

2011年12月7日水曜日

●眼帯

眼帯

眼帯の真新しくて夕牡丹  男波弘志〔1〕

眼帯に死蝶かくして山河越ゆ  寺山修司

眼帯の内なる眼にも曼珠沙華  西東三鬼

風鈴の音が眼帯にひびくのよ  三橋鷹女


〔1〕『超新撰21』(2010年・邑書林)所収



















2011年12月6日火曜日

〔ネット拾読〕16 夜中に冷蔵庫を開けたものの、何がしたかったのか忘れた 西原天気

〔ネット拾読〕16
夜中に冷蔵庫を開けたものの、何がしたかったのか忘れた

西原天気


この「拾読」、火曜日に定着の気配。




さて、シンクロニシティというものがときたま起こります。週刊俳句・第241号掲載のこの2本の記事。

小林苑を・空蝉の部屋 飯島晴子を読む〔 2 〕

松尾清隆・〔超新撰21を読む〕予言? 田島健一の一句

どちらも「現実」〔*1〕と俳句の関係にまつわり重要な示唆を含むようで、たいへん興味深く読みました。

前者は、飯島晴子〈ベトナム動乱キャベツ一望着々巻く〉と関悦史〈人類に空爆のある雑煮かな〉を取り上げ、どちらも私の好きな句、どちらも技巧の句であり、目新しい措辞による鮮度の高い句である。」と書きます。

後者は、田島健一の「大震災のあとに色んな句が出来るけど、あれはぜんぶ起こったことなんだよ。だから何か違和感があるわけよ。起こる前もそういう事ってあったはずだと思うの」との言を挙げ、特定の現実への俳句のアプローチに言及しています。

両者は、いわば《現実をなぞるだけ》の現実との対し方と、どのように一線を画すのかについての糸口を示しているように思いました。小林氏が「技巧」「鮮度」の語を用いたあたり、また、松尾氏が「予言」と題したあたり、互いに異なる局面ながら、ヒントになりそうです。

ただ、「予言」という切り口については、すこし保留にしておきたい感じが、私にはあります。反復性のない(というのは、自然の反復性と対照的な)社会的事実・歴史の事件と、時間的な関係を結ぶよりも、むしろ、別の層から「ひらめき」のようにアプローチするイメージのように思えます。語を宛てるなら、「託宣 oracle」のような感じでしょうか。「感じ」というだけなのですが。

〔*1〕「現実」という語を雑駁に用いましたが、社会的現実と限定、あるいは社会的事実と言い換えたほうがはっきりします。さらに限定すれば《大見出し》の出来事、でしょう。しばしば「現実」と便宜的に呼んでしまうのですが、註釈付きの現実として扱いたいのは、現実を広義に捉えれば、「すべて」程度にまで拡大してしまうからです。例えば、〈甘草の芽のとびとびのひとならび〉(高野素十)にも「現実」はあります。《大見出し》とさらに限定するのは、社会的事実というだけでは、日々の生業もりっぱに現実です(この話題では、松本てふこ・はたらく俳句:詩客が、これまたタイムリーにシンクロしています)。



鶴岡加苗 私が「週俳10月の俳句を読む」「週俳11月の俳句を読む」 への寄稿をお断りした理由

は、

第57回角川俳句賞受賞作「ふくしま」他5作を、ハイクマシーンが読む(佐藤文香・上田信治)

への反応(否定的見解)。で、それに応答したのが、

第241号の後記(上田信治)

角川俳句賞受賞作についてのハイクマシーンの対話は、興味深く読み、説得力のあるものと思いました(私自身がこの作品と選考座談会をどう読んだかは別にして)。鶴岡加苗氏の記事にも意義を感じました。作者と作品は分けて考えるのが私のスタンスですが、後記にある、
作品批判と作者自身に対する攻撃がすり替わることは、恥ずかしいことだと思います。/もっとも「作品が鈍感だ」と言えば、それは「作者が鈍感だ」と言っているのと、実は同じ意味です(…)しかし、それは「攻撃」ではない。作者を傷つけることを意図しているのではないからです。
という見解にも納得。3つの記事のいずれにも納得してしまうのです。衝突や軋みが生じているのだとしたら、それは上田信治氏の「しかし、それは「攻撃」ではない。作者を傷つけることを意図しているのではないからです。」の部分に関連するのでしょう。意図していなくても、攻撃に映ってしまうことは、往々にして起こる。これ、むずかしいところです。

批判は非難とは違うのですが、イコールに読んでしまう人がいます。また、批判の際には、彩として揶揄を含んでしまうことがあり、それは攻撃と紙一重です。「彩」は読者へのサービス精神の一端ですが、それを笑って受け入れる人もいれば気分を害する人もいる。後者を気にしすぎると、のっぺりと当たり障りのないものになり、そうなると、人に読ませる意味がどこにあるのかということにもなるでしょう。いや、ほんと、むずかしいところです。

で、です。ここで否定的見解(批判)とそれへの反応という問題に一般化してみようと思います。私事をからめて書くことになりそうで恐縮ですが、そのあたりはご海容のほど、よろしく。



ええっとですね、批判というのはエネルギーを使うものです。何にって、批判に到る理路を組み立てる準備作業において、もですが、それ以上に、その後の反応に、です。

しばしば起こる反応は、「感情的な反発」です。今回の鶴岡加苗さんの記事は、感情面の反応を含んではいますが、それだけではないから、週俳への掲載となったわけですが、なかには、感情でしかない反応というのがあるわけです。

批判には(少なくとも私が書く批判には)感情はありません。感情など持ちようがないことも多く(批判の多くは「ちょっと、その部分、おかしいんじゃないですか?」という「指摘」がもっぱらなので)、また、要らぬ感情が入ってこないような組み立て方をします。同時に、「自分のため」にする批判、「自分の気持ち」を押し通すための批判になってはいないか、の検証もする。

ところが、そうした批判に「感情的な反発」を感じる人が、そこそこいらっしゃる。

見解の応酬があれば、議論の展開もあり、それが批評を豊かにするのですが、感情とは応酬しようがありません。その手の不毛が繰り返されると、批判を発信する側がどうなるかというと、私の場合、「あほらしく」なりました。

「あほらしい」。これ、関西弁ですかね? ニュアンスが伝わるでしょうか。徒労を感じる。

それがあって、このところ、「自分が『いいな』と思ったことだけ書いていよう」と思うようになりました(徹底しないところもありますが)。

ヘンだなと思うこと、それは違うんじゃないの? こうすればいいのに、と思うときも、それが「非難」に解されない相手とケースをを選んでいくようになりました。

俳句にまつわる批評や見解表明において(堅苦しい言い方ですね)、どんどん怠け者になっていったわけです。

しかしながら、誰もが、私のように怠惰になったら、俳句世間は、どうなるのでしょう。褒め言葉や高評価だけが、贈答のように交換されるようになります。それは不毛というだけでなく、気色の悪い世界です。

批判は、きほん、「公共」です。誰かのためではなく、みんなのための批判です。それらがまっとうであればもちろんのこと、まっとうでなければ、どうまっとうでないのかを批判すればいい。その応酬が批評の平面を生み出し、さらには批評空間という「公共」を生み出します。

「それ、ダメですよ。そこ、おかしいよ」という声がなくなっては、おしまいです。その意味で、

高山れおな 日めくり詩歌 俳句(2011/12/05)四十八番 回す:詩客

は、読み応えのある批判、否定的見解の表明の一例です。彩として取り入れた筆致やネタが揶揄すれすれ(否、そのもの、かも)。ハイクマシーンの前掲記事にも増して、「感情的な反発」を呼び寄せそうでもあります。

繰り返しになりますが、褒めるのはラクです。その逆はしんどい。しかし、どちらもあって批評空間です。そして、批評とは公共なのです。

2011年12月5日月曜日

●月曜日の一句〔北川あい沙〕 相子智恵


相子智恵








火事の日の星の大きく見ゆるなり  北川あい沙

句集『風鈴』(2011.8/角川マガジンズ)より。

初学の頃、これも季語になっているのかと驚いた「へぇ~季語」の一つが「火事」である。冬は空気が乾燥して火事が多いから、という理由を聞けば納得だが、なんとなく不謹慎な感じがした。

そしてもっと驚いたのは、以前、自分が住んでいたアパートの上階で小火が出た時のことだ。

正面玄関は消火の水の勢いが強くて出られず、最下階の裏手側に住んでいた私は、住民を部屋の中に誘導し、裏手のベランダから逃げてもらった……とまあ、そこまではよしとして。

幸い死傷者がいないとわかったとたん、気づいたら私は目の前の火事を俳句に詠み始めていた。そんな自分の業の深さに、自分でちょっと驚いた。俳句は魔物のようだというが、やはりそうだったかと実感した日だった。

さて、掲句。この句の美しさの中の、うっすらとした「酷薄さ」がそんなことを思い出させた。ぽつねんと大きな星が美しい。それがたとえ〈火事の日〉であっても。いや〈火事の日〉だからこそ、だろう。


2011年12月4日日曜日

〔今週号の表紙〕第241号 形(なり) 隠岐灌木

今週号の表紙〕
第241号 形(なり)

隠岐灌木


雲の形・木目の形・雪の形といっても、巻雲・柾目・残雪模様などではなくて、あの雲さぁ~なんにみえる? この節は顔に見立てたい、積り具合はまるでマシュマロ、の方の形。

雪には呼び名があって、結晶の形から六花(りっか)、舞う様の形容の風花(かざはな)、災害を見立てる白魔(はくま)、天に咲く花として天花(てんか)。そして、中谷宇吉郎は「天からの手紙」と形容した。さらには、雪女も登場する。

雪には雪の世界がある。

撮影場所:上越・神楽ヶ峰山麓


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2011年12月3日土曜日

●脳内処理費用 野口裕

脳内処理費用

野口 裕


アンドリュー・パーカー『眼の誕生――カンブリア紀大進化の謎を解く』を読んだときに、一番へえとなったのは、洞窟などに棲息する生物での眼の退化の理由だった。

退化という言葉は語弊があるので適応といった方が良いのだろうが、そうした言葉の問題はともかくとして、眼球から受け取った情報は、そのままでは使えず脳内で処理する必要がある。この処理に必要なエネルギーが結構高くつく。眼をなくして物を見ない方がエネルギーを消費せずに済むので腹が減らない。エサの少ない洞窟内では、腹が減らない方が生存に有利である。というような流れで視覚が押さえ込まれてしまう。そんなことが書いてあった。

そういえば、将棋に凝っていた頃、将棋道場に丸一日いると昼食や夕食を普通に取っているにもかかわらず、体重が前日よりも2kgほど減った。指し手を考え込んでいるときに、脳がやたらエネルギーを使っているということなのだろう。詰将棋の作成にのめり込んだ結核患者が、寝ても覚めても将棋盤が頭から離れず命を縮めてしまった逸話があるが、これも脳の消費するエネルギーが馬鹿にならないことを証明しているだろう。

脳がエネルギーを消費することは理解されにくい。それを示す証左のひとつとして、「マックスウェルの悪魔」が誕生してから悪魔の不在証明に至るまでの歴史を上げることができる。詳しくはウィキペディアの「マックスウェルの悪魔」の項を読んでもらえればよいが、簡単にまとめると以下のようになる。

1. 分子の運動を観察できる悪魔が存在すると仮定する。
2. 悪魔のために、空気の入った箱を用意する。箱の中には沢山の分子が含まれている。
3. 分子の中には、ゆっくり動いているものもあれば、激しく動いているものもある。
4. 箱に仕切りを設け、仕切りには開閉自由の窓を付ける。
5. 窓を閉めたときは、分子は仕切りを通り抜けることができない。
6. 窓を開けたときは、分子を仕切りを通り抜けることができる。
7. 仕切りの左側に、ゆっくりした分子を、右側に激しく動く分子を集めたい。
8. その目的のために、悪魔は分子の動きを監視する。
9. 右側にあるゆっくりした分子が仕切りの左側に移動しようとするときは、窓を開けてやる。
10. 左側にある激しく動く分子が仕切りの右側に移動しようとするときは、窓を開けてやる。
11. 左側にあるゆっくりした分子が仕切りの右側に移動しようとするときは、窓を閉める。
12. 右側にある激しく動く分子が仕切りの左側に移動しようとするときは、窓を閉める。
13. これを続けて行くと、仕切りの左側にゆっくりした分子が、右側に激しく動く分子が溜まる。
14. ゆっくりした分子の集合は温度が低い。
15. 激しく動く分子の集合は温度が高い。
16. 仕切りの左側は低温、仕切りの右側は高温になる。

もし、マックスウェルの悪魔がこの仕事をするのにエネルギーを使わないなら、電気代のいらないクーラーや冷蔵庫ができることになる。そんな馬鹿なことは起こりえない。マックスウェルがこれを考えついた1867年から今日まで、そのことに異論をはさむ者はいない。問題は、どんなやり方をしても悪魔がエネルギーを消費してしまうことをどうやって証明するかにかかっている。そのことに一世紀以上の年月がかかってしまった。

最新の証明によれば、エネルギーを使わずに窓の開閉はできる。また、悪魔が分子を観測するのにもエネルギーを消費せずに済ませることもできる。エネルギーが消費されるのは、一つの分子の開閉作業から次の分子の開閉作業に移るときの脳内作業の切り替えの瞬間に起こる。次の作業に移るために、どうしても前の作業を「忘れる」必要がある。「忘れる」と、その瞬間にエネルギーが消費されてしまうのだ。

マックスウェルの悪魔の脳内を模した電気的な装置を作ろうとした場合、このエネルギー消費の瞬間はジュール熱の放出ということになるので、はなはだ理解しやすい。この最新の証明で、マックスウェルの悪魔には一応の決着がついたとみることができる。

だが、個人的には心穏やかならざるところがある。マックスウェルの悪魔の脳内でエネルギーが消費されるのは、「考える」ではなく、「忘れる」ことで起こるというところだ。もちろん、「考える」ということが何を指し示すかはよく分からない。しかし、丸一日将棋に取り組んで減った体重2kg分のエネルギーが、良い手を考えついたことによるものではなく、悪い手を思い浮かべては捨てる瞬間に起因すると言われているようで、面白くはない。これは、人情というものだろう。

おそらく事態はもう少し複雑なはずで、記憶することにエネルギーが全く消費されないとは考えにくい。それは今後の、マックスウェルの悪魔にかかった年月以上の時間をかけねばならないだろう。マックスウェルの悪魔を手がかりとして、脳が馬鹿にならない量のエネルギーを消費することが理解できるようになったことだけでも良しとしなければならない。

 海底に眼のなき魚の棲むといふ眼の無き魚の恋しかりけり 若山牧水


2011年12月2日金曜日

●金曜日の川柳 樋口由紀子


樋口由紀子
  







花を摘む少女いつから白い髪


坂東乃理子 (ばんどう・のりこ) 1954~

花は桜ではない。「摘む」だから野の草花だろう。花を摘んでいたはずの少女がいつからか白い髪になっていた。世にも不思議な物語のような、ちょっと怖いファンタジーの世界である。「白い髪」はそうなったという現象ではなく、少女が別の世界に連れていってもらったという心象だろう。

少女とは作者自身のことかもしれない。喜怒哀楽の感情では括りきれないなにがしかの変化を自らの身体というものへの思いを通して表現しているような気がする。

〈すれ違う人々すべて鎌を持つ〉〈オフィリアが流れついたか人だかり〉『おもちゃ箱』(編集工房円 昭和61年刊)

2011年12月1日木曜日

〔ネット拾読〕15 天使って一羽二羽と数えるのだろうか(下) 西原天気

〔ネット拾読〕15
天使って一羽二羽と数えるのだろうか(下)

西原天気


ウエブサイト「詩客」の俳句時評は、毎週、楽しみにしています。そこから、

山田耕司 「手紙」の行方 <私>の行方:詩客

途中、論旨が、私にはむずかしい部分もありますが(例えば、新しい俳誌『手紙』の主旨と文体の齟齬を指摘しするところまでわかるが、その先のこと。あるい は、引かれた折笠美秋の、やや牽強付会に思えるバルト援用から来るのであろう、エピソードの収まりという点でのむずかしさ)、それはそれとして、この論考、「特定」と「不特定」のあいだで揺れるブレのようなもの、齟齬のようなものを、俳誌『手紙』に感じているということのようにも読めます。

俳句作品にせよ、俳句にまつわる文章にせよ、どだい、《 person to person 》なものなんじゃないの?と私などは思ってしまうのですが。

元も子もないことを言ってしまえば、書く瞬間、読む瞬間、書き手も読み手も「ひとり」でしかあり得ない。その場合の読み手はとりあえず不特定の「ひとり」です(私信じゃあないんだから)。俳誌『手紙』は、特定のアドレス(宛先)の「ひとり」に向けるという 点で、まさしく手紙なわけです。

ところで、決め打ちしない不特定の「ひとり」に宛てて書く(例えばいま書いているコレ)のと、決め打ちした「ひと り」に宛てて書くのと、これにははっきりとスタイルや筆致に違いが出ます。ところが、俳誌『手紙』の場合、記事自体は、特定の「ひとり」に向けて書くというスタンスでもなく(つまり文章そのものには不特定アドレスの感が漂う)、ブツを届ける先は特定。そういうブレです。

しかしながら、それもいたしかたないところがあります。書く瞬間、特定に向け、届ける先も特定なら、それこそ手紙なのであって、俳誌である必要はありません。俳誌『手紙』はこのようにスタイル自体に軋みを伴うところがありますが、それは、ある意味、チャレンジングなスタイルということかもしれず、今後に注目です。

さらに、記事終わり近くの、次の部分。
<私>を伝えたいという動機は、今日の俳句人口と市場を支える上で重要な役割を果たしている ことを忘れてはならない。/それと同時に、詩の行方を見定め、定型と格闘する営みを、<個>のよるべなさにおいて立ち向かおうとする意志が作家には求めら れていることも忘れるべきではないだろう。
<私>と<個>の峻別は、もっと各所で掘り下げられていいテーマです。とりわけ、「<私>を伝えたいという動機は、今日の俳句人口と市場を支える上で重要な役割を果たしている」という部分は銘記しておいていいでしょう。

ただし、この脈絡にある<私>と、俳誌『手紙』の採るいわゆる《 person to person 》のコンセプトとは無関係ではないにしても、イコール的に直結させたのでは(山田耕司氏の論旨はそう読めます)、俳誌『手紙』がすこしかわいそうかな、という気はします。

なお、ここからは、軽い冗談として読んでいただきたいのですが、前出の『手紙』2号では、私の句集について書いていただいているらしい。「らしい」というのは、これを書いている11月29日朝時点で、まだこの俳誌を手にしていないからです。

『手紙』2号の紹介記事を読んだ人はきっと、そこで言及された人(この場合、私)にはまっさきに届くんだろうなと思うんじゃないでしょうか。でも、ぜんぜん、そんなことはないんです。

こういう、いい意味で、なんだかいいかげんなところ(これ、皮肉ではなく、本気で「いい意味で」)は、私、嫌いではありません。こういうものって、きちんきちんとダンドリが整ってなくてもいいんです。

私としては現在、「いったいどんなふうな手紙が来るんだろう? ひょっとして句集をけちょんけちょんにけケナしてあるのでは?」などと、楽しい想像を膨らませているのです。



一方、俳誌『手紙』を別の角度から取り上げたのが、

〔週刊俳句時評53〕ひそやかなアクセス ふたつの“手紙”から・西丘伊吹


山田露結と宮本佳世乃による『彼方からの手紙』と前述の俳誌『手紙』について述べ、
おそらく、これから先に生まれてくる俳誌は、ネット上に作品や評論を発表することに伴う「物足りなさ」を、何らかのかたちで補完するように工夫を施したものとなってくるのだろう。/ふたつの“手紙”はそのような意味で、テキストへアクセスするまでのもうワンクッション――例えば「手間」と「ひそやかさ」を、好対照に演出してくれているのではないだろうか。
と締めくくられています。

インターネットのメリット、すなわちさまざまな意味での敷居の低さが「物足りなさ」に結びつくのは、皮肉というより、自然なことでしょう。

道具というのは、どこか足りないものだから。十全ではあり得ない。伝えるスタイルにまつわる模索は、だから、これからも続く。けれども、私たちが書くことは、もっと「足りない」ことが多い。いかに伝えるかは大事だが、いかに書くかは、もっと大事。要は、乗り物ではなく、そこに何が載っているか。

と、こんな予定的な結論、ほんとつまらないのですが、乗り物が載せるものを決めてくれる、豊かにしてくれることもあります。乗り物(媒体やスタイル)の創意工夫や選択肢は、これからますます多様になっていくのでしょう。

って、さらに予定的な締めで、ネット拾読の上・中・下の終わりです。

2011年11月30日水曜日

〔ネット拾読〕15 天使って一羽二羽と数えるのだろうか(中) 西原天気

〔ネット拾読〕15
天使って一羽二羽と数えるのだろうか(中)

西原天気


前回の続きです。

〔週刊俳句時評52〕相対論の果て スピカ第1号特集「男性俳句」を読む 生駒大祐

この記事で、もうひとつのちょっとした疑問は、生駒氏の使用する「パラテクスト」の範囲です。

「パラテクスト」とは、ものの本によれば、作品に付随する序(俳句で言えば前書・詞書。あるいは句集における「跋」も入るでしょうか)やあとがき(句集にはよく作者自身による「あとがき」があります)、タイトル(俳句で言えば、連作タイトルや句集タイトル)などを指す用語だそうです。

むずかしいこと抜きにして、カジュアルに言えば、句(テクスト)は、そのまわりにいろんなものがくちゃくちゃくっついている、それらを総称して「パラテクスト」と呼ぶのでしょう。作者名は「くっついてくるもの」の最たるものですから、これもパラテクストに含めて、おそらくさしつかえない(生駒氏がこの記事で扱うパラテクストはもっぱら「作者」です。「作者」という項目は、巨大なので、別立てで扱うほうがよいような気も少ししますが、まあ、それはそれとして)。

で、です。「作者」という色濃いスタンプが、句にくっついてくることはわかった。しかし、その先のこと、作者名から導かれるさまざまの情報まで「パラテクスト」と呼んでいいのか、というのが、私の疑問です。

「呼び方だけの問題だから、どっちでもいいんじゃね?」との声もありましょうが、せっかく「パラテクスト」という、俳句世間では耳慣れない用語が登場したのですから、ちょっとはっきりさせておいたほうがいいのではないか、と。

私が思うのは(「思う」ってレヴェルです、あくまで)、「パラテクスト」は、「書かれたもの」にとりあえず限定しておいたほうがいいのではないか、ということです。

生駒氏は、森澄雄の〈妻がゐて夜長を言へりさう思ふ〉という句を読んで、「「この『妻』は生きているのか亡くなっているのかどちらだろう」という疑問を強く抱き、作者の経歴に当たった」と言います。そうして得られた経歴上の情報は「パラテクスト」なのか?

それは、また別のこととしておいたほうがいいと、私は考えるのです。「森澄雄」という作者名まではパラテクストであっても、句の書かれた当時の作者の事実情報は、それが書かれているわけではなく、調べてはじめてわかるかぎりは、パラテクストとはまた別のものだろう、と。

ただし、こうした線引きに、曖昧さが漂うことは、私自身、認めます。「正岡子規」という作者名には、「病臥」という情報は、そこに書かれていなくても、くっついてくるではないか? それはパラテクストに限りなく近い情報だろう?と。

ま、そうかもしれません。「正岡子規」という作者名は、ただ単に4つの漢字にはとどまらない。履歴的事実は、どうしたってついてきます。

このあたりは、程度問題という、きわめてはっきりとない基準しかないかもしれません。けれども、この「程度」というのは、わりあい人と人とで共有され得るものでもあります。

〈いくたびも雪の深さを尋ねけり〉を読むとき、作者の病臥を「抜き」にするのは無理がある一方で、例えば〈雨に友あり八百屋に芹を求めける〉(子規)の句が、その日、訪れた友とは誰か? 子規の病状は?といった情報まで「くっついてくる」とするのは無理がある、と、ふつうは考えます。「ふつう、そうだろ?」と皆で了解し合える「程度」というのは存外多いものです。

「作者名」という情報(パラテクスト)は、いわば、はっきりと目に入る芋の葉や茎です。そこに芋蔓式にくっついてくるものをやたらとパラテクスト(あるいはその延長)に含めないほうがよい気がします。



拾い読みなのに、えらく長くなってますね。まあ、いいか。次、行きますね。

外から見た俳句:スピカ

佐藤文香、神野紗希、野口る理3氏による鼎談記事で、『ユリイカ』2011年10月号「特集・現代俳句の波」と『SPUR』2011年12月号「モードなわたくしがここで一句」を扱っています。

野口氏の発言「作品欄の俳人の俳句、つまり紗希さんや文香さんの句は、いらなかったんじゃないかなって気がしました。(…)まぁそもそも俳句プロパーの人のバランス自体も結構偏ってますよね。」、それを受けての、神野氏の「(…)「現代俳句の辺境」といったほうがあたる(…)」などが、おもしろく読める部分。

辺境を「フロンティア」と解するか「マージナル」と解するかで、神野氏の指摘のおもむきは異なりますよね(おそらく両方に足をかけておくのがよいのです)。

一方、女性誌『SPUR』の俳句記事は、この鼎談で好ましく受け止められています。私、実は、書店で立ち読みしましたが(すみません、増田書店さん)、ピンと来ませんでした。この媒体のなかで、奇妙な違和のざらつきを発すると同時に、そこに掲載された俳句のインフレ感(あるいは、包装紙の中から、包装紙で想像したもんとはずいぶん違ったものが出てくる感じ)を感じました。句の価値が、写真等含むのページ構成に劣る、ということではないです。それぞれの句がうまく収まる場所はここではないな、という感じです。

それは、早稲田漫研OBが今年出した本(雑誌スタイル)の中で、俳句のページを見たときの違和感ともまた違う。ひょっとしたら、俳句と女性誌がお互いにフィットしよう(させよう)として、かえって微妙な違和を醸したのかもしれません。

俳句って、周囲を忖度せず、忖度されず、すっ、とそこにあるのがいちばん居心地のよい置かれ方だったりします。カレンダーに印刷された句は、どんなに素晴らしくても駄句に見えてしまうのと逆の作用。そのへんが関係しているのかもしれません。

(明日に続く)


2011年11月29日火曜日

〔ネット拾読〕15 天使って一羽二羽と数えるのだろうか(上) 西原天気

〔ネット拾読〕15
天使って一羽二羽と数えるのだろうか(上)

西原天気


ひさしぶりです。前回は2009年8月16日、2年以上前ですね。

さて。

調べることは大事です。

〔週刊俳句時評52〕相対論の果て スピカ第1号特集「男性俳句」を読む 生駒大祐

俳句愛好者全体では女性が多数派(ある試算では6割。もっと多いような気がします。実感としては)であるにもかかわらず、
「「諸家自選五句」という記事に載っている俳人695名の中の女性率」はたった3割だったそうです。

生駒氏は角川『俳句年鑑』をめくり、数えてみたわけです。

この、とりあえず数えてみるということが、とても大事だと思います。ワケのわからん抽象論の堂々めぐりをやってるよりもはるかに。

全体では多数派の女性が
、「諸家自選五句」欄に選ばれた俳人700名(これ、いわゆる「俳壇」を一例として表象するものと、まえまえから思っています)という枠組みでは逆に少数派であるという、例えば昔ながらのフェミニズムには恰好の社会的事実が、生駒氏の「数えてみる」という仕事によって、はっきりと確認されたわけです。

この時評の最大の功績は、ここでしょう。私も、数的にはどうなんだろう?と思っていたので、これはうれしかったです。

ただ、この記事、疑問に思うところもありました。



まず、ひとつは、「男性俳句」という捉え方(それが同時に「女性俳句」という捉え方の因習性を衝いていることはこの時評にあるとおり)と、俳句に作者名が貼り付いてくる事情(生駒氏が「パラテクスト」と括ったもの)とは、また別の問題であるような気がします。

「男性俳句/女性俳句」とは、

A 男性(が詠んだ)俳句/女性(が詠んだ)俳句

という意味も、あるにはありますが、問題となるのは、

B 男性(性を成分として含む)俳句/女性(性を成分として含む)俳句

という意味でしょう。言い換えれば、男性/女性っぽいネタ、男性/女性っぽい語り口…等々、俳句そのもの(=テクスト)の事情。それは、作者名を抜きにしても充分に論じることができるように思います。

もっと言えば、作者の性別とは離れて(作者という性別の署名がなくても)、句(テクスト)に表出する〈男性〉性/〈女性〉性というものがあり、それが論題のはずです。

(作者の性別を論じるに終始すれば、それは文芸を論じるというより、むしろ社会学的なアプローチ)

すこし話を戻せば、生駒氏言うところの「パラテクスト」抜きで、テクストにおける〈男性〉性/〈女性〉性を分析なり批評の対象にするほうが、稔り多かろうと思います。

そのうえで、署名された「作者」の内容へと射程を広げるのもよいのですが、例えば「女性である作者」が詠んだという事実をスタート地点に、句(テクスト)における〈女性〉性を考えるというのでは、従来の評伝的作家論、作者ブランド依存型観賞と、それほど変わりがないことになってしまいます。

(明日に続く)

2011年11月28日月曜日

●月曜日の一句〔中村光三郎〕 相子智恵


相子智恵








寒の耳ひとつひとつが右の耳  中村光三郎

句集『春の距離』(2011.11/らんの会)より。

たいそうヘンな句である。

読者が好き勝手に読める、ヘンな句である。

たとえば、この世のどこかに「耳の製造工場」があると思ったって、よいのである。

私は〈寒〉の一語の寒々しさと「KAN」という硬質な響き、そして〈右の耳〉だけの整然とした世界に、機械にプレスされて右耳ができあがる様子を、ふと夢想する。

プレスされた〈右の耳〉たちは、ベルトコンベアーに乗せられて、一定方向に粛々と、列をなして流れてゆく。やがてコンベアーの最後で、ぽとり、ぽとりと、ひとつひとつが箱に落ちる。

箱の中に山盛りの、寒々しく淋しい〈右の耳〉たちに、私の心の言葉はぐんぐんと吸い込まれ、心が無音のからっぽになる。

そしてそれはなぜだか少し、安らかなのである。


2011年11月27日日曜日

〔今週号の表紙〕第240号 させないでください

今週号の表紙〕
第240号 させないでください



いわゆる掘っ建て小屋。

むこうに海があるのが、この写真でわかるだろうか。


撮影場所:千葉県南房総市千倉町白子

(西原天気)

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2011年11月25日金曜日

●金曜日の川柳 樋口由紀子


樋口由紀子
  







電熱器にこつと笑ふやうにつき


椙元紋太 (すぎもともんた) 1890~1970

暖房器具が恋しい季節になった。電熱器をにこっと笑うようについたとは上手く言い当てたものだと感心する。同時にそのように見た作者に温もりを感じる。電熱器がつくとそのまわりも人の気持ちも暖かくなったのだろうと想像する。そう言えば、昔はテレビの映りが悪かったら叩いて直していた。

今の暖房器具はにこっと笑うようには起動しない。スピードと機能性が何よりも求められているのに、笑っていたのでは売れ残ってしまう。にこっと笑うようにつき、にこっと笑うように感じ、にこっと笑うことに共感するようなのんびりした時代は終ってしまったのかもしれない。

椙元紋太は昭和4年「ふあうすと川柳社」を創立し、その代表、編集発行人になった。「ふあうすと」はゲーテの代表作からの命名であるらしい。『椙元紋太川柳集』(1949年刊)

2011年11月24日木曜日

●帽子

帽子


三島忌の帽子の中のうどんかな  攝津幸彦

冬帽子とれば絶壁名にし負ふ  中原道夫

炬燵にて帽子あれこれ被りみる  波多野爽波

春遠しピアノの椅子に帽子置き  加倉井秋を

はまひるがほ空が帽子におりて来て  川崎展宏

鉢巻が日本の帽子麦熟れたり  西東三鬼

夏帽子吹かれ吹かれてつひに脱ぐ  岸本尚毅


2011年11月23日水曜日

●ハイヒール

ハイヒール

朧より朧へと去りハイヒール  久野雅樹〔1〕

絨毯を深々と刺すハイヒール  竹岡一郎〔2〕

ハイヒール呆然と提げ大干潟  櫂未知子

微熱あり黒く輝くハイヒール  久保純夫

銀座明るし針の踵で歩かねば  八木三日女


〔1〕『超新撰21』(2010年・邑書林)所収
〔2〕竹岡一郎句集『蜂の巣マシンガン』(2011年・ふらんす堂)所収

2011年11月22日火曜日

●イージーアクション 中嶋憲武

イージーアクション

中嶋憲武


目覚めるとテレピン油の匂いがした。イーゼルに二十号のカンヴァスが架かっている。夕べ、描きかけで眠ってしまったらしい。アルバイトから帰ってきて、イーゼルの前に座り、つづきを始めたのだけど疲れていたのだろう。寝てしまったのだ。嫌な客がいた。わたしはバニーガールのアルバイトをしている。同席は無いが、飲み物を持って行ったとき、お客と軽く会話をすることがある。その客は、わたしの胸の谷間をみて、ひどく下劣な言葉を吐いた。わたしはその客が最も嫌がるであろう一言を低く言った。客は血相を変えて、わたしに掴みかかろうとした。その時、間に入ってきたのがシズオ君だった。シズオ君はその名の通り静かな物腰で、わたしの非礼を詫びた。客の怒りが収まると、何事も無かったかのようにフロアーに戻った。シズオ君はわたしのダビデだ。いつかシズオ君の裸身を描いてみたいと思っている。

スカイセンサーのスイッチを入れた。黒沢久雄がスカシた喋りで曲を紹介している。ジャカジャカジャカジャカジャン、ヘイ!ヘイ!ヘイ!ああT・レックス。甘ったれたダックスフンドがキャンキャン鳴いて駈けずり廻っているような音楽。日曜の朝の、もう昼に近いけれど、気分は台無し。階下からシチューの匂いがしてきた。母のシチューは絶品だ。下へ行ってごはんを食べようか、カンヴァスに向かって課題を仕上げてしまおうか。来年は四年だし就職の問題もある。就職?美大生を雇ってくれるところなんて、あるんだろうか。フランスにでも行ってしまおうか。取りあえずバニーを続けようか。うるさいよ、マーク・ボランってば。もうちょっと寝よう。

お腹が空いたので、下へ降りてシチューとトースト。下でも同じラジオ番組を聞いていた。ギルバート・オサリバンのアローン・アゲインね。まあ許せる。シズオさん元気?出し抜けに母が聞いた。シズオ君に一回家まで送ってきてもらったことがある。一目見て、母はシズオ君が気に入ってしまったようだった。シズオ君もあとで、自分はたいてい人に気に入られるのだと言っていた。シズオ君のそんなちょっと尊大なところがいい。逆三角形の体もいい。この居間のテーブルに全裸で立ってもらって、わたしがデッサンする。でも何て言って頼んだらいいか。弟は、そんなわたしには目もくれず、テレビジョッキーを観ている。


2011年11月21日月曜日

●月曜日の一句〔井上井月〕 相子智恵


相子智恵








酒さめて千鳥のまこときく夜かな  井上井月

句集『井月全集 第四版』(2009.9/井上井月顕彰会)より。

酒が醒めた、極寒の野宿の夜だ。
千鳥の声が聞こえる。チチチチとか弱い、真実の声。
頭上にはおそらく満天の凍星、雪を戴いた中央アルプスが月に照る――。
井上井月は幕末から明治にかけて、長野県の伊那谷を放浪した俳人。
芭蕉を慕い、放浪の旅に生きた彼のバイブルは「幻住庵の記」。それまでの36年間の前半生を一切語らず、まるで生き直すように伊那谷を歩き続ける。
家々で俳句を詠み、流麗な書を書いた。最初は人々に慕われながらも、戸籍がないことが許されなくなった明治に入ると、だんだん疎まれ、石を投げつけられ、しまいには酒が体を蝕み、ぼろぼろになって糞まみれで行き倒れる。
井月が主人公のドキュメンタリー&フィクション映画「ほかいびと~伊那の井月」が、伊那旭座で公開を迎えた。
田中泯主演、樹木希林の語り、あとの登場人物はすべて伊那の住民という異色作だ。
雪原を白装束で踊る、死に際の田中泯は圧巻である。


2011年11月20日日曜日

〔今週号の表紙〕第239号 多肉植物

今週号の表紙〕
第239号 多肉植物



多肉植物とサボテンとは当然違うものなのですが、きほん水をあまりやらなくていい(やりすぎるとダメらしい)点は同じ。

部屋の中だったので、赤をバックに撮ってみました。赤い色がほしくて、何を置いたのか。何かのケースだったかファイルだったか鞄だったか。もうさっぱり忘れましたが、画像はパソコンのハードディスクの片隅に残っています。

(西原天気)

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2011年11月19日土曜日

●ゆぶね

ゆぶね

霧は霧に飲まれ ゆぶねの母は鱶  山田耕司

原子心母ユニットバスで血を流す  田中亜美

あれは三鬼星バスタブ溢れだす  金原まさ子

夢夢(ぼうぼう)と湯舟も北へ行く舟か  折笠美秋


2011年11月18日金曜日

●金曜日の川柳 樋口由紀子


樋口由紀子
  







鍋一つ遺書のかたちに置くときも


村井見也子 (むらい・みやこ) 1930~

この句を読んだ男性諸氏はどきりとするのではないだろうか。一日の終わり、夕餉のかたづけを済まして、洗い終えた鍋を遺書のかたちに置くときがあるという。何事もないように振舞い、そしらぬ顔で生活している妻が死を見据えている。

男性目線ではない、それでいて女性の自立、社会進出などとは別の位置からの女性ならでは川柳である。物腰はやわらかいが、言葉が鋭く使われている。

町を行く人も電車に乗っている人も、みんななにくわぬ顔をしている。この中には遺書のかたちに鍋を置いた人も置こうとしている人もいるはずである。人は強いのだろうか。〈哀しいときは哀しいように背を伸ばす〉『薄日』(1991年刊)所収。

2011年11月17日木曜日

●スカート

スカート

スカートを敷寝の娘きりぎりす  瀧井孝作

寝押したる襞スカートのあたたかし  井上 雪

霜を掃くや犬がスカートに首つつこむ  田川飛旅子


2011年11月16日水曜日

●煮凝

煮凝

煮凝やうつけ泪のにじみくる  石原八束

スナックに煮凝のあるママの過去  小沢昭一

煮凝へ赤ちゃんが来て沈みます  坪内稔典

煮凝の途中なれども嗚呼をかし  嵯峨根鈴子


2011年11月15日火曜日

●青春

青春

青春の只中の黴諾へる  中原道夫

斑猫やわが青春にゲバラの死  大木あまり

せいしゆん に こくる ちくる や あけやすき  高山れおな〔*〕

冬銀河青春容赦なく流れ  上田五千石


〔*〕『豈』第52号(2011年10月)

2011年11月14日月曜日

●月曜日の一句〔今井豊〕 相子智恵


相子智恵








すれちがふ少女寒気のつぶてめく  今井 豊

句集『草魂』(2011.6/角川書店)より。

このところ、忙殺されていて毎日の記憶が薄い。そしていつの間にか、冬が立ってしまっていた。なんということだろう、万事が速すぎる。

……とはいえ、この句の颯爽とした速さには生き返る。冬らしい強さと楽しさがある。

少女が駆けてきて、作者とすれ違ったのだろう。すれ違う一瞬、少女が起こす風を感じる。その〈寒気のつぶて〉を投げるようなスピード感。

ランドセルで駆け抜けた小学生か、あるいは足早に闊歩する女子高生でもいいかもしれない。

言葉の感触は冷たいのに、この句には熱さがある。それは〈寒気のつぶて〉に、少女の生命の熱が込められているからだ。

大人になってからの「記憶の薄い速さ」と、少女の「生命が熱い速さ」は、真逆である。
記憶が薄い速さはいやだ。生命の熱い速さがいい。

空気がキリッと澄む冬はなおさら、そういう速さがいい。



2011年11月13日日曜日

〔今週号の表紙〕第238号 蔵 山田露結

今週号の表紙〕第238号 蔵

山田露結


我が家に「蔵」がありました。いわゆるなまこ壁のいかにも「蔵でございます」という風情の建物ではないのですが、ウチの家族は皆その建物を「蔵」と呼んでいました。

我が家は呉服店を営んでいて「蔵」には店の在庫やら備品やらがたくさん仕舞ってありました。ようするに倉庫ですね。何でも「蔵」は築百年以上は経っているらしくて私は物心ついた頃から毎日「蔵」を目にしながら育ちました。でも、私が実際に「蔵」の中に入ることは滅多にありませんでした。

小学生の頃のある日、ひとつ年下の弟が突然行方不明になってしまったことがあります。夜遅くまで家に帰らず、どこを探しても見つからないために両親が警察に通報し、夜中に警察官が何人も家にやって来て弟の捜索をはじめました。

警察が家に来るなんてただ事じゃないと思いながら私も一緒に弟を探しました。捜索がはじまって数時間後、弟は「蔵」の屋根裏で熟睡しているところを発見されました。すると母親がすかさず弟のところに駆け寄って行って涙を流しながら無事だった彼を抱きしめました。弟はどうしてそんなところで寝ていたのかを繰り返し聞かれていましたが、結局何も答えませんでした。私はこんな妙な騒ぎを起こして家族を心配させる弟をなぜか少し羨ましいと思いながらその光景を眺めていました。

今年、あちこち傷みの激しかった「蔵」を取り壊すことになりました。それでふとこの弟の一件を思い出したのです。「蔵」の思い出といっても私にはこの一件以外にはほとんど何も思いあたらなかったのですが、それでも「蔵」がなくなると思うと何だか急に切ない気持ちになりました。そして「蔵」は解体業者によってあっけなく取り壊されてしまいました。

馴れ親しんだ建物が無くなってしまうときには、大切な人と別れるときと同じような感情が起こるものなんですね。今回、そのことをはじめて知りました。


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2011年11月12日土曜日

【俳誌拝読】『や』第57号を読む

【俳誌拝読】
『や』第57号(2011年10月30日)を読む

西原天気


発行人・戸松九里。本文52頁。同人諸氏それぞれ10句ずつを掲載。ほかに、外部から「『や』56号を読む」の寄稿(この号は今井肖子氏)、同人・関根誠子第二句集『浮力』特集、「や」15周年関連の記事など。

同人諸氏10句より。

花火咲ぐたあだそれだげで泣ぐ泣ぐ泣ぐ  菊池ゆ鷹

方言(東北弁のひとつ?)で10句。

真つ直ぐな煙三尺瓜の馬  久能木紀子

クチナシの花の仰山母細し  石井 和

八月やお腹が減ると見る時計  遠藤きよみ

見ますね、たしかに。

暑さ蒸し蒸し家計簿のぼうぼう  吉野さくら

「ぼうぼう」の感興。

通学の後の通勤朝曇り  中村十朗

我画雅餓蛾偽妓疑義愚解夏吾伍後誤語  関根誠子

雷鳴や原稿用紙の薄きマス  松田磨女

大西日富士を見やうと崖の上  小山 渚

めりめりと割れば西瓜の呵々大笑  のら

蔓あぢさゐ見あげる鼻の穴涼し  三輪初子

炎天のベンチに正座無精ひげ  中沢 春

毒りんごめきて大暑のりんご飴  菊田一平

あんまりなのけ反りやうや今年竹  矢島哺陀

八月の夫婦茶碗の底に月  柏原空見子

実柘榴の天変地異の入歯かな  豊田美根

天変地異!

学校にいうれい話麦の秋  麻里伊

目の前のバッタ大腿四頭筋  石川ひろ子

笑ふ眼に涙滲みて秋の蝶  田中由つこ

一面の空と瓦礫と秋近し  三瓶つなみ

月の無い夜を背負うてカブト虫  田沼塔二

蝿生れて障子を叩く命かな  戸松九里

2011年11月11日金曜日

●金曜日の川柳 樋口由紀子


樋口由紀子
  







後手で夕焼けを閉めポルノでも見にゆこ


奥室數市 (おくむろ・かずいち) 1923~1986

夕焼けは鮮やかである。夕焼けを直視できないやましさがあったのだろうか。「後手」がなんともやるせない。しかし、さらにやましさとやるせなさを加速させるように「ポルノ」を見にゆこうとする。「夕焼け」という美的なものと「ポルノ」という通俗的なものの並列によって屈折した男の心情を出している。

數市氏とは一度だけ川柳大会でお会いしたことがある。大正生まれの人にしては大柄で、といっても太っているのではなく骨格が大きく、手もびっくりするほど大きかった。聞けば、元力士さんだったらしく、わざわざ四股を踏んで見せてくださった。やさしい人柄がにじみ出ていて、このやさしいが力士寿命を短くしたのかなと思った。〈胃の中で暮しの蝙蝠傘押しひろがり〉

『奥室數市集』(川柳新書・第二十三集)所収。

2011年11月10日木曜日

〔今週号の表紙〕第237号 電飾

今週号の表紙〕第237号 電飾


田舎育ちの特徴。

贈り物には、手作り(手編みのセーターなど)よりも既製品(洒落た小物やブランド品)のほうがいいと思っている。

自分の部屋にカーテンではなくブラインドを付けたがる。

ネオンを見ると、ドキドキする。


私儀、すべて当てはまります。恐縮です。

(西原天気)


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2011年11月9日水曜日

●「豆の木」合宿記 2/2 近恵

「豆の木」合宿記 2/2

近 恵

※同人「豆の木」の合宿(10月末)の様子を
近恵さんにレポートしていただきました。



部屋の窓からは海じゃなくて山が見える。新幹線の熱海駅も見える。だから朝から新幹線の始発なんかも見えた。ちょっと曇っている。

こしの組長の部屋からは海から昇る朝日が見えたらしい。

昨晩3時までネットラジヲに勝手に出演し、寝たのがおよそ3時半ちょっと前。

眠い。けど6時過ぎになんとか起き出す。金曜の夜も3時間くらいしか寝てないから眠い。
ぼーっとしつつ顔を洗い化粧をし、7時の朝食へ。

ちゃんと食べる。米は少なめ。鯵のぺらぺらの干物と納豆、味噌汁、生野菜など。牛乳を飲む。9時に出句。部屋に戻って考える。

同室のぽぽにゃんと、ちょっとした家庭のことなんかも話す。


集合し、句会。朝一はやっぱり頭が冴えない。どうにもつまらない句ばっかり。

それから海にいっておさかなフェスティバルというのに行ってみる。七厘で色々と焼いて食べられるらしいが、なにせまだお腹が減っていないので諦める。

ぶらぶらと露店を物色していたら、田島氏を囲んでなにやら交渉中。講談社版のカラー図版日本大歳時記が、新年の欠けた4冊で1000円!と、こしの組長の押しでもって露店のおじさんが粘り負け。おおー、ええ買物しましたなあ。

その露店は他にも分厚い画集やなんかが積んであって、かなり興味があったのだけれど、なにしろ分厚くて大きな画集なんか持って歩くのは大変なので買うのはやめた。

秘宝館のあたりをとおり、海沿いにずーっと歩く。ええーと、スコットという有名な老舗の洋食屋さんで昼食を食べるのだ。

天気は悪くない。程よく晴れていないので、汗ばむほどでもない。海で晩秋だというのにちっとも寒くない。オイラの実家の方のこの季節の海とは大違い。さすが熱海。

洋食屋さんへは開店の五分くらい前に着いたが、入れてもらえず店の前に並ぶ。すぐ傍にその店の本店があり、開店時間が30分遅いそうなのだが、そこには行列が出来始めている。私たちはこじんまりとした旧館の方に入るのだ。

店の中は古いけれども清潔にしてあって、テーブルクロスも刺繍をしたものにビニールが重なっている。お料理は美味しかった。ビーフシチュー、ミートコロッケ、牡蠣フライ、チキンステーキ、えーっと貝の入れ物に入ったチキングラタン。どれもちゃんと美味しい。

幸せな気分で店を出て、宿に戻り荷物を持ってバス乗り場のホテルに移動。

途中、試食品につかまるご婦人方多数。

ホテルについて、少し時間があったからぶらっと散歩に出る。ちょっと行くと川沿いに遊歩道が海の近くまで続いている。両脇にはスナックやら小料理屋やら、小さな店が軒を連ねる小路がいくつか。ああ、昔の繁華街なんだ。

泊まったホテルは駅の近くだったけど、昔は海に近い方がメインの温泉街だったのだなというのがよくわかる。昼の2時前だというのに、カラオケスナックみたいなところから歌が聞こえてきたりして。なんとも香ばしい感じ。

雨がぱらついてきた。ほどなくバスが到着し、一行は上野へ向かう。
…眠くて起きていられない。席題が出ているのだが、まったく考えられない。

小田原で鈴廣の巨大なかまぼこの館が風祭の駅から直通でいけるようなのが出来ていた。いつの間に。

いやあ、館内練物三昧。あれもこれも欲しくなる。これはまた来たい!素敵なところだ。

うとうとしつつ、俳句を作り、上野のカラオケボックスに入って最後の句会。

それから数曲歌って解散。

か、体を休めねば…。とか思いつつ、実は家に帰ったら、友人から大量の海産物が、ダンナの実家から大量の野菜が届いているのである。だからお土産は鈴廣の竹輪が一本だけ。

とりあえず疲れは残ってしまったけれど、合宿は楽しかった。

もう3時間とか2時間の睡眠ではもたないのだ。老化ちう現実…。

ま、いっか。もう47歳だもんね。20代のときと同じ様に遊ぼうと思ったって、そんなふうにはできないよね。お肌にも良くないし。

あ、でも温泉につかったので、とりあえずお肌はすべっとしていたのでありました。

2日目は30句。2日間で80句ばかり作ったけれど、目標の100句にはとどかなんだ。そりゃーあんなに眠くっちゃあしょうがないよね。

でも楽しかったし美味しかったからヨシ!とするのであります。

( 了 )

2011年11月8日火曜日

●「豆の木」合宿記 1/2 近恵

「豆の木」合宿記 1/2

近 恵

※同人「豆の木」の合宿(10月末)の様子を
近恵さんにレポートしていただきます。


総勢10名。はるばるNYから参加のぽぽにゃんもいる。お菓子係のイチローさんも初参加。

今年も集合場所をきちっと確認せずに行ってしまうが、駅で組長とうさぴょんに遭遇したので難なく集合場所にたどり着く。そうか、駅前集合じゃなかったんだ。どうりで誰もいないと思ったよ。

ことしはおおるりじゃなく伊東園グループ。バスが広々としてるよー。

豆の木賞の選評を読みつつバスは進む。ベイブリッジを渡り、川崎の工業地帯を通り、結構スムーズに行く。今年も矢羽野鬼軍曹が采配をふるい、ほどなく題詠スタート。基本とにかく駄句しかできないので、だばだばと作る。詠み捨てて詠み捨てて詠み捨てていく…とかいってきっちり短冊に書いて出句してるわけだが。それでもスタートしたばかりのは、自分で読んでもダメダメすぎる。

11時にドライブインで1時間の休憩。そう、高速道路じゃないからPAじゃないのねん。バスが止まったドライブインと道路を挟んで向かい側の海鮮料理屋へ入る。海が目の前にどばばーんと広がる座敷で、今朝捌いたばっかりなのでお勧めですという戻り鰹のたたき定食を食べる。おおおおー、この鰹は美味い!大きい鰹だったらしい。もう今回の旅はこれでいいや…とか思うほど。これには舌の肥えた朝様も満足の様子。カメラマンのヨン様はここで一発目の集合写真を撮る。

バスはだいたい予定通り熱海へ到着。熱海館ちうホテルのロビーのラウンジで清記する。ええーとA3で3枚。5時15分の夕食まで近所を酒屋探しがてら散歩。戻ってきて作句して食事。

食事はバイキングにもかかわらずビールも飲み放題。参加が叶わなかった今年の豆の木賞受賞者の宮本佳世乃ちゃんへカンパイを捧げつつ、などどいってもカニの足が出てきたとたんに目の色を変えてカニに突進するこしの組長。カニさえ与えておけばあとはどうでもいい的な勢い。どうやらお祝よりもカニの方が重要事項らしい。ひとしきり食べて落ち着いたようである。

温泉に入って背中の流し合いをし、7時に部屋に集合。更に1枚清記し、地酒を飲みながら句会スタート。終了は12時過ぎ。1日目は50句駄句を生産してしまった。

前日3時間しか寝ていなかったのだが、句会終了後がまだあった。田島氏がインターネットラジオをやるというのだ。トリオ・ザ・レモン(とっさに今命名。昨年の豆の木賞受賞者うさぴょんと、一昨年の豆の木賞受賞者ぽぽにゃんと、来年の豆の木賞受賞予定者が一人)と今年の豆の木賞一句賞の葉月さん、ヨン様と5人で田島氏を盛り上げる。どうやらあの人もこの人も聞いていたようであるが、そんなことお構いなしにオールナイトニッポンのオープニングソングを歌って盛り上げるトリオ・ザ・レモン。

なんだかんだと俳句や豆の木賞や角川賞の話など、酔った上に半分眠りつつもがやがやと話して3時に終了。おやすみなさい。明日の朝起きられる自信が全くありません…

てな感じで1日目が終ったのであります。

(明日に続く)

2011年11月7日月曜日

●月曜日の一句〔西原天気〕 相子智恵


相子智恵








アンメルツヨコヨコ銀河から微風  西原天気

句集『けむり』(2011.10/西田書店)より。

「アンメルツヨコヨコ」という、肩こり・筋肉痛に効くスーッとする塗り薬。この商品名、よく見ると不思議な文字づらだ。

「アンメルツ」はちょっと「アンドロメダ」に似ている。「ヨコヨコ」は何かの信号みたいだし、「ワレワレハ、ウチュウジンダ」みたいな感じも、ちょっとする。

それはもちろん〈銀河から微風〉が取り合わされたことで読者にもたらされる気づきであり、こう書かれなければ、決して肩こりの薬の名前が、宇宙からの交信と結びつくことはない。心地よく楽しい言葉のワープだ。

〈糸屑をつけて昼寝を戻り来し〉〈枝豆がころり原稿用紙の目〉〈しまうまの縞すれちがふ秋の暮〉

読者をどこにも連れて行かず、とどまらせる俳句がある(もちろん良い意味で。じっくり着実な)。逆に、読者の首根っこをつかみ、急に世界の反対側に引きずり込む俳句もある(こちらも良い意味。独創的な)。それらの俳句を読むのには、集中力と体力がいる。だから、こちらが疲れているときは、少しだけ躊躇する。

『けむり』という句集がくれるのは、そのどちらでもない「小さな心のワープ」だ。赤坂見附の地下鉄入り口に入ったはずなのに、ホームに出たら永田町だった、というくらいの小さなワープ。

『けむり』の俳句は、だから、元気のないときでも読める。むしろ元気のないときに読むと、ほっと疲れが取れて、少しだけちがう場所に出られる。

それはちょっと肩が凝ったときに塗る「アンメルツヨコヨコ」に、そういえば似ていなくもない。


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2011年11月4日金曜日

●金曜日の川柳 樋口由紀子


樋口由紀子
  







わたくしがすっぽり入るゴミ袋


新家完司 (しんけ・かんじ) 1942~

近頃のゴミ袋は大きくなった。人間一人ぐらいはやすやす入りそうである。人間もゴミもたいした違いはないのかもしれない。私も用が済めば、ゴミのようにこの世から消えていく。

川柳は発見と認識の文芸でもある。平易に平明に書かれているが、人の存在そのものを問うているように思う。自分も含めて人とはなにものなのだろうかと考えさせられる。

新家完司は一貫して現実を詠む。彼は現実のくだらなさやつまらなさを知っている。だからこそ、現実を見つめて、人の豊かさを探し求めている。〈横丁を曲がれば住所不定なり〉〈岬から先はあの世でいつも明るい〉『平成十年』(私家版 1998年刊)

2011年11月3日木曜日

●文化の日

文化の日

草の戸や天長節の小豆飯  正岡子規

菊の香よ露のひかりよ文化の日  久保田万太郎

明治節乙女の体操胸隆く  石田波郷

うごく大阪うごく大阪文化の日  阿波野青畝

2011年11月2日水曜日

●ガム

ガム

首吊りにみとれてガムを踏んじゃった  江里昭彦

かなかなかな別れるときにくれるガム  中山美樹

にっぽんチャチャチャもう味のしないガム  なかはられいこ


2011年11月1日火曜日

●角川俳句賞受賞作品一読

角川俳句賞受賞作品一読

野口 裕


久しぶりに角川「俳句」を購入した。昨日、大阪に所用があり、その帰りの電車でうつらうつらしながらの読書だったのであまり読めてはいないのだが、とりあえず角川俳句賞の「ふくしま」(永瀬十悟)を読んでみた。賞は、かなり偶然が左右する世界だと思っているせいか、それほど違和感がなかった。おもしろいと思った句

  蜃気楼原発へ行く列に礼  永瀬十悟

ちょっと前に見た「ブリーチ」だったか「ナルト」(愚息の要望に応えて見に行ったが、もともとそういう世界に疎いのでごっちゃになっている)に、死者の群れがシャボン玉のように消えていくラストシーンがあった。後日読んだ、「ゲド戦記」最終巻に似たシーンがあったので、その援用だろう。その映像を思い出した。同じ趣向の、

  陽炎の中より野馬追ひの百騎  同

の方が出来上がり具合はすっきりしているが、やはり句の迫力は蜃気楼の方が上回っている。この句、蜃気楼が夢幻世界のような現実世界のような不思議な雰囲気を醸し出している。「礼」が私の趣味には合わないが、それはそれとして、句にいちゃもんを付けるほどのことではない。

ここまで書いてきて、この感想は原発事故のあるなしに関係なく成り立つなあと気づいた。俳句とはそういうものなのかも知れない。