2011年3月30日水曜日

●熊本電停めぐり10 田崎橋(たさきばし)・下

熊本電停めぐり 第10回 田崎橋(たさきばし)・下

中山宙虫


3月1日に熊本市交通局は市電の路線名と電停の名前をリニューアルした。
これまで、2号線と3号線と表示していた運転系統をA系統とB系統とした。
A系統はこの田崎橋から建軍町までの路線。
B系統は第9回までに紹介した上熊本~建軍町までの路線。
電停にナンバリングがされて、この田崎橋が1番となっている。
なお、既に紹介済みのB系統の電停のうち「本妙寺前」の電停は「本妙寺入口」と改名されている。
そして、3月12日(土)。
静かに九州新幹線は博多から鹿児島中央駅まで全線開通。
前日の11日の未曾有の大震災が東北関東地方を襲ったため、九州新幹線の開通イベントは軒並み中止となって静かな開業スタートとなった。



さて、「田崎橋」電停は、もちろんここから先は線路がない。
駅前の再開発で道路のど真ん中にあった線路が鉄道側に移設し、軌道には芝生を敷き、緑化とともに都市熱の抑制を目指している。
緑化は駅前までと市役所前あたりの二か所されている。



さて、再びこの電停から終点建軍町を目指すとするか。

次の電停は「二本木口」

2011年3月29日火曜日

●熊本電停めぐり10 田崎橋(たさきばし)・上

熊本電停めぐり 第10回 田崎橋(たさきばし)・上

中山宙虫


A系統 田崎橋・熊本駅前~健軍町の1番目の電停。




3月22日(火)
16時。
熊本は、昨日開花宣言。
この田崎橋電停から徒歩5分のところにある熊本市立古町小学校の桜が開花宣言の標準木になっている。


実は、九州新幹線の開通(3月12日)に合わせて駅周辺の再開発で国の合同庁舎がこの電停の前に移転してきた。
熊本地方気象台もこの合同庁舎に入居したため、いままで気象台のなかにあった標準木の桜が使えなくなり、今年からここの桜を標準木としたのだ。
写真の中央に田崎橋電停。
左のビルが熊本地方合同庁舎。


熊本駅を中心にして再開発が進む熊本駅前だが、写真の坪井川を挟んで古い街並みが広がっている。
この坪井川にかかるのが田崎橋。


この周辺にはなぜか石仏や地蔵がとても多く、路地ごとにぶつかる感じがする。
そのひとつが放牛石仏。
放牛というひとが少年時代に武士に無礼打ちされた父を偲んで全部で107体の石仏を建立したというもの。
享保時代(1970年代)のもの。
写真はそのうちの30体目と39体目の石仏である。
田崎橋のたもとにある。


(明日に続く)

2011年3月28日月曜日

〔今週号の表紙〕第205号 団地

今週号の表紙〕
第205号 団地



撮影場所は東京・国立市の富士見台団地。

  西日吸ひきつて団地の美味さうな  上田信治


(西原天気)

2011年3月27日日曜日

●週刊俳句・第204号を読む 小林苑を

週刊俳句・第204号を読む

小林苑を

渦中にあるとき、生き延びるためにもがいたり、息を止めたり、或いは激しく吸ったりする。
いったん広がった渦は次第に輪を小さくしながら収束する。
渦中にあるとき、わたしたちは言葉を失う。それから、誰かが語り始め、それぞれが語り始める。

第204号は、東日本大震災直後の第203号「非常事態号」のあとの、最初の週刊俳句として記憶されるだろう。
それは語り始めのひとつで(大震災以前の稿も含まれているだろうが)、語り始められた言葉は、受け止められて広がる。受け止めたひとりとして、これからどんな言葉が生まれてくるのかを思う。

恐怖や不安の前で、ひとは強張り緊張する。だからこそ、柔軟でありたい。小さなおどけやユーモアを大切にしたい。すぐにできなくても、柔らかく受け止めようとしたい。ときには、沈黙に耳を傾けたい。しっかり聞いているかと、自分に問いかけよう。それから、ぼそぼそと語り始めるのかもしれない。

いまも、わたしたちが平常な生活を取り戻せたとは言えない。まだ渦中にある。むろん、渦のどこにいるかで大きく違うし、昨日と今日とでも違う。
まだ「いつも」の生活は取り戻せないし、このあと別の「いつも」の生活が始まるのかもしれない。

なにかひとつ、第204号の記事からと言うのなら、野口裕氏の「林田紀音夫全句集拾読156」を挙げたい。
後記で生駒大祐氏もふれているが、阪神淡路大震災に遭遇したおりの句群。
被災の場にあった句はやはり深く落ちて来る。けれども、ひとはそれぞれの場で思いを書くのだ。同時に、それぞれの場に思いを馳せる。

もう少し、さらにもう少し、時間が過ぎてから、たとえば週刊俳句第204号を読み直してみたい。
どんな風に語り始められ、それからどうなったかを知るために。
最初は静かに、呟くように。たぶん近しい者たちに向けて、次第に遠くへ。
そして言葉は熟し、あらたな語り部(それは個人ではないかもしれない)が顕れるのだろう。

2011年3月26日土曜日

●ためふん 橋本直

ためふん

橋本 直


蕪村の俳句に、

  公達に狐化けたり宵の春

という、わりと知られた句がある。もう一つ、

  戸を叩く狸と秋を惜みけり

という句もある。前者は一目して全くの知的操作だとわかる句だが、後者の方はどうだろう。同様に空想のようではある。野生の狸は人里近くにいても気づかれないくらい警戒心が強いから、実際に半野良の猫みたく人家に近づいて鳴いたり、窓やドアにすりよるなんてことはありえないだろう。しかし狐の方とは違って、空想というよりは、お腹の出たお友達がやってきたのを喩えたようにも見えるし、そのほうが滑稽。

ところで、この句を調べるついでに狸が気になって調べると、タヌキの習性に「ためふん」なるものが。

もう何年も前、雪が解けたばかりの戸隠の森の道をあるいていたときに、人間なら十人分ぐらいありそうなのが木の根元に積み上げられていた(あ、あきらかに人のではないですよ)。なんのふんだろう、まさか寝起きの熊じゃねえべ、とか思っていたのだが、その時は地元の人に聞いても分からずじまい。ため糞はニホンカモシカもやるらしいが、場所柄どうやら狸だった模様。ただ、形状が違うので、雪でふやけたとみるべきか。あるいは、やはり熊だったかなあ。



ところで、狸汁。

「狸汁は普通皮を剥ぎ採った後、腹を割き料理し、蒟蒻、牛蒡、里芋、大根、葱などの野菜を添えて、味噌汁、または醤油汁としたものである。人を誑かすという小賢い狸、腹鼓を打つ狸を思うとユーモラスである」(編集代表富安風生「俳句歳事記」冬の部は山口青邨編 昭和三四年初版)

この解説すごい。たんたんとした描写で、皮をはぎ取り腹を割き汁にしたものが人を誑かし腹鼓をうつ狸だと思えばユーモラスだと言い切っている。なんちゅうか、シュールな。

狸はふつうまずいが、冬になるとうまくなって汁で食うのだとか。いまでも食うのかな。これまで熊と猪と鹿と雉子と鴨(ついでに言えばトドにアザラシにハトにカエル)は食したことがあるが、狸はまだない。主に「ホトトギス」の作家でまとめたみたいだけど、だれだろこれ書いたの。狸汁好きそうだな、その人。

ところで狸は近代になって季語になったもの。子規は季語として使っていませんね。

2011年3月25日金曜日

●MACHINE CIVILIZATION

MACHINE CIVILIZATION

2011年3月24日木曜日

【裏・真説温泉あんま芸者】空疎なスローガン 西原天気

【裏・真説温泉あんま芸者】
空疎なスローガン
小野裕三「今回の大地震に関連して思うこと~次の時代の日本へ。次の時代の俳句へ」の違和感について

西原天気


大震災(津波被害を含む。以下同)と原発危機。当然ながら、この2つは、大きく質が異なります。地震も津波も人類が生まれる前からあったものですが、原発の歴史はこの50年ほど。いま生きている世代が手にしたものです。そして、いまこのときも、私たちは原発の電気を使っています。私たち全員が原発の利用者なわけです。

このさき数週間か数十年か原発がもたらすであろう厄災は、過去数十年の私たちの生活と密接な関係にあります。地震や津波といった生活の「外」からもたらされるものとはワケが違う。

福島原発の事態の収束後には、いろいろなことの見直しがされるはずです。それには、「私たちの生活」を見直すことも含まれます。

小野裕三さんの「今回の大地震に関連して思うこと~次の時代の日本へ。次の時代の俳句へ」(週刊俳句・第204号)も、この「見直し」が出発点になっています。

≫http://weekly-haiku.blogspot.com/2011/03/blog-post_8950.html

これまでどおりではダメだろう。私もそう思います。ところが、小野さんの記事には、なんだか、ひっかかるところがたくさんあります。

小野さんは、次のように書きます。
今回の原発の問題であらためて思うのだが、今の日本人(もしくはその他の先進国)の生活は過度に電力に依存している。そして原発は、その生活様式を支えていた。
私たちの生活が電力に依存している。これはそのとおりです。さきほど私も書いた。原発危機のスタート地点は、そこにあります。
しかし、一方でこれもよく思うのだが、俳句をやっていると、そういった生活スタイルとは違う生活様式が少し前までの日本にあったのだということを強く感じる。自然と共に生き、人々と共に生きる、いわば「俳句」的生活がそこにはあった。
電力依存度の低い生活がかつてあったことは、俳句などやっていない人も知っています。クーラーが「三種の神器」の1つとして日本の家庭に普及したのは、たかだか50年前。繰り返しますが、原発はたかだか50年の歴史なのです。

1960年代までの暮らしを、「自然と共に生き、人々と共に生きる」「「俳句」的生活」と呼んでいいのかどうか、私にはちょっとわかりません。

小野さんは続けます。
こういう風に書くと綺麗事のように聞こえるかも知れないが、そうではない。「自然」との共生、というのは単なるお題目ではなく、まさに俳句という作法の必須の核心として、いわばその根本を支える哲学として長く存在してきたものであることは、多くの俳人がすんなりと肯定してくれるはずだ。
常套句として、俳句と自然をセットにした物言いは、よく目にします。この場合の「自然」は「天然物」程度の意味と、私は捉えています。「「自然」との共生」が、俳句の「核心」「根本を支える哲学」であるという部分、間違ってはいないのでしょうが、常套句が常套句のまま、スローガンのように唱えられても、やや空疎な感じが漂います。

つまりは「「俳句」的生活」が、これからの指針になるということですが、では、具体的にどうすればいいのでしょう。

小野さんは、
火鉢と団扇の生活に戻れ、と言っているわけではない。
と言います。ここはいっそのこと「夏炉冬扇」の生活スタイルを提案してくれたほうが、まだしも、まともな反応がしやすいのですが……。「それは無理だろう」とか、「いや、一考の価値がある」とか。

戻らないとすれば、どうするか。
過度なエネルギー依存の生活を見直し、さらにはエネルギーに対する取り組みをもっと個人レベルでも高めるなど(例えば太陽光発電といったものを個人レベルでも多用する)、できることはあるだろう。
これが「見直し」の解答になるのでしょうか。こんなことなら、これまでいろんなところで言われっぱなしです。いわゆる「エコ」とか「ロハス」とか……。解決策になると、私は思いませんが、なるとしても、「俳句の美学」がこのことに寄与するとは思えません。

と、こう書いていくと、いちいちうるさいことを言っているようで、困った。まとめましょう。

小野さんの今回の記事に対する違和感を、手短にいえば、〔俳句と自然〕という手垢にまみれた常套的セットを、このタイミングで「絶対善」のように扱ってしまっている点です。

大量エネルギー消費を前提とした私たちの生活がこのままでいいのかという疑問は、なにも俳句など持ち出さなくても、多くの人が感じているはずです。

そこで、「俳句」は解決のヒントになると小野さんはお考えのようですが、あまりそう思えません。

加えるに、俳句的なるもの。これについて小野さんは確固とした把握をお持ちのようです。けれども、おそらく、私の把握とはずいぶん違う。例えば、私の考える「俳句的なるもの」は、「自然との共生」などというお題目を真に受けない態度です。「自然との共生」が悪いということではありません。中身が問題。

小野さんの記事には俳句関係の人たちに向かっても提言もあります。
我々は今こそ、「俳句」を取り戻すべきだ。そしてそれは誤解のないように言っておくが、決して旧来的な俳句を墨守せよ、と言っているのではない。我々の生活が火鉢と団扇の生活は戻れないように、我々の俳句も子規や虚子には戻らない。だが、俳句的な哲学を生かして今の時代に合わせて再デザインすることはできるはずだ。
ざっくりとした書き方は、紙幅の関係からしかたのないこととしても、これを読んで何をすればいいか、どう考えればいいかがわかる俳人/俳句愛好者はごくわずかではないしょうか。

ひとつには、小野さんは、「俳句」総体として、万人に理解可能な共通の「哲学」「美学」がある、と信じすぎていないかということがあります。げんに小野さんの考える「俳句的」と私の考える「俳句的」は大きく違う。

「俳句」「俳句的」「自然との共生」その他もろもろ、ざっくりスローガンとして掲げて、人に伝わることは少ないように思います。

「エネルギー消費を抑えたライフスタイル」へのシフトが必要だと、多くの人が思っているはずです。私も思います。いま東京の街を歩いて思うことは、「これまでムダに明るすぎたんじゃないの?」ということです。エネルギー政策についても議論が沸騰すること確実です。

そのとき、俳句の「哲学」「美学」が有効だと考える小野さんと、そんなふわふわとして訳のわからないものは、スローガンとしてさえ、あまり役に立たないと考える私。その違いは、ぞんがい大きいかもしれません。

「俳句的思考」のようなものが、生活様式のシフトに貢献することはあり得る。しかし、それには、もっと細かくていねいな作業の積み重ね(簡単に言えば、俳句の自然観って何? 自然との共生ってどんな?という検証の積み重ね)が必要です。それが結果として、ゆっくりじわじわと効果を及ぼすということはあり得ます(楽観的ですが)。

だから、小野さんのこの記事を、好意的に解釈すれば、私の言う「作業の積み重ね」の第一歩と言えるかもしれません。しかし、それにしては、あまりに空疎にスローガンが打ち振られるだけではないか、という印象です。



小野さんの記事を読んだとき私を包み込んだ違和感。その主なところは以上ですが、付随的な箇所への違和感も数多い。むしろ、こちらのほうが多くの読者にひっかかるかもしれません。つまり、感情的な反発を呼びやすい。これは小野さんの書き方が迂闊なのか、あるいは思考そのものが迂闊なのか。

そちらにも簡単に触れておきます。そちらのことには首肯していると誤解されないために。

まず、石原都知事の「天罰」発言を引いて、論を展開した点(小野さんは「某氏」などという、いやらしい書き方をされています)。これは、多くの読者の反発を呼ぶはずです。
「天罰」なんてとんでもない、と思う。けれどもその一方で、新聞などの報道によれば今回の災害に乗じた「義援金詐欺」なども起きているという。それが本当だとしたら悲しいことだし、「天罰」と言われることを批判する資格が今の日本人に本当にあるのだろうか、といった思いも過ぎらないわけではない。
これでは「天罰発言にも一理ある」と受け取られてしまいます。

「天罰」という思考の愚劣さの最たるところは、罰する対象を「天」ではなく「天罰」を口にする人間が決めていることです。簡単に言えば、石原氏の気に入らないことが罰される。「天」はダシに使われる。

そんなものに乗っかってどうする?という話ですが、さらに小野さんは、「義援金詐欺」を悲しむ。世の中に悪人がひとりもいないと思っていらっしゃるのでしょうか。ふだん振り込め詐欺を働く人間も、大災害となれば、日本人として心を一つに、善人に生まれ変わるとでも言うのでしょうか。ミッションスクールに通う深窓の令嬢のような口ぶりです。

次に、「俳句に見られるまさに“骨の髄までの平和主義”」という点。

俳句がそうだとはまったく思えませんが、それは置いておきます。一万歩くらい譲って、俳句がそうだとしても、領土問題を他国に全面委任すること、防衛という課題の放棄、これらを「俳句の平和主義」の観点から主張されたりしたら、たまりません。

もしも「俳句」が平和主義をふりかざして、こんなことを言ってきたら、私なら、「俳句よ、頼むから、黙っておとなしく、そのへんに坐っていてくれないか」と言います。



小野さんは、3月11日以来のこの事態に、俳句に何ができるかを考え、建設的な意見として、今回の記事を書かれたのだと思います。いわば、小野さんの善意が、この記事を書かせた。

「大いに賛同」という人もいるでしょう。しかし、この内容では、多くの反発を招くと思います。もちろん、私とはまったく別の角度での反論もあるでしょう。



俳句愛好者が、俳人が、いま何ができるかを考えることは大切です(社会人として何ができるかのほうがさらに大切と思いますが)。そのうえで、俳句は何もしないという選択だってあると思います。

暢気に俳句をつくりつづけるという選択。その「暢気さ」が社会に大きな役割を果たさないとも限らない。少なくとも〔俳句=自然との共生〕という、ふわふわとして無内容な、しかしそれだけに通りのいい美辞麗句よりも、暢気さのほうがよほどマシと、私は思っているのです。

2011年3月23日水曜日

●名家のことなど(2/2)上野葉月

名家のことなど(2/2)

上野葉月
2011年3月10日寄稿

承前

今日の中東の騒乱の中、ヨルダンでもデモが行われていると聞くと、さすがに無関心ではいられない。中東一の名家ハシミテ王家で唯一生き残った王室が打倒されることになれば、それは考えられている以上に急進的な思想が台頭しつつある証左とも言えるだろう。
その点サウジアラビアの王室などハシミテ王家に比べると単なる田舎大名の石油成金でしかないので、中東ではあまり尊敬を集めているとは言い難い。むしろあれほどの親米政権ともなれば、まあ良いところで犬呼ばわりぐらいだろうか。中東イスラム圏では反欧米が基本的な心情で親欧米という態度は支配層の極一部にしか見られない。イスラム圏でも欧州に距離的に近いほど反欧州気質が強くなるように見える。
このことはあまりにも根深い問題なので詳細に理解することはほとんど不可能のように思えるが、私的な解釈を述べるとヨーロッパという地域の成立は反イスラムに由来することが大きな原因ではないだろうか。
欧米経由の情報にさらされていると欧州はギリシャ・ローマの昔から綿々と続いているような印象を受けがちだが実際には現在ヨーロッパと呼ばれる文化圏が形成されたのは民族大移動の一応の終息を見る八世紀以降である。これはイスラム帝国の版図が最大になった時期と重なる。いわばイスラムの進入を防いだ地域が現在のヨーロッパなのである。反イスラムはヨーロッパのアイデンティティの基礎にある。
教典を共有するキリスト教徒からすればイスラムは七世紀に現れた恐るべき異端であるが、中東側からすれば欧州文明は中東(メソポタミヤ?)文明の辺境の亜種のひとつにすぎない。
東アジアの稲作地帯から眺める分には、教典の民は極端に排他的で自己中心的なように感じられるのだが、少なくともあの辺りの対立は理解不能なほど根が深いので可能な限り関わり合いにならないようにしなければならないという感は強くする。

イスラム教は現在この惑星上で最も勢いのある宗教だが、それは仏教やキリスト教に比べれば遙かに若い宗教であることも大きいかもしれない。しかしそればかりではなく世界規模の大宗教の中でイスラム教が最もエレガントな宗教であることは忘れる訳にはいかないだろう。原理主義などに流れないバランス感覚がイスラム本来の持ち味だと思われる。

中東には主な民族としてアラブ人、ペルシャ(イラン)人、トルコ人の三大民族が居てお互い対立し合っているという観点は中東理解のための基礎要件だが、この見解に沿った意見というのは概ねナイーヴ過ぎる嫌いがある。またイラン革命世代のせいかシーア派はペルシャ(イラン)人、スンニ派はアラブ人という思い込みがあったのだが、最近ニュースを見ていて改めて喚起されたのは、どうやらそんな単純な色分けではないらしいということである。

閑話休題。サウジアラビアの人口は少なく強大な米軍の駐留によって辛うじて支えられている脆弱な政治体制にしか過ぎないように見えるが、一方で米国がサウジアラビアを手放すことは絶対にあり得ないとも思う。沖縄や日本を防衛する努力の少なくとも五千倍程度の真剣さで取り組んでいるはずだ。
もう20年以上経つので忘れがちになるが、ソビエト連邦を崩壊に導いた最後の一撃の引き金を直接引いたのはサウジアラビアだった。
イラン革命後の第二次石油ショックでの原油高は石油輸出国だったソ連の崩壊しかけた経済を一時的に快癒させていたのだが、1985年サウジアラビアが徹底的な原油増産に踏み切り原油価格を長期にわたって押さえ込んだため、ついにソ連は1990年前後に立ちゆかなくなってしまった。戦争と革命の世紀だった二十世紀が実は石油の世紀でもあったことを改めて強く印象付ける事件だった。

今後もし騒乱がサウジアラビアにも飛び火し親米政権が倒れることになったとしたら、それは米国が覇権国家としての役割を自ら捨てたがっているということに他ならない。少なくとも第一次世界大戦後、議会の反対で国際連盟に加盟しなかった頃と同じ程度には内向きの政治思想に傾いていると見るべきだろう。

(了)

2011年3月22日火曜日

●名家のことなど(1/2)上野葉月

名家のことなど(1/2)

上野葉月
2011年3月10日寄稿

句会で「高得点句に名句なし」という言葉を耳にすることがある。言われてみれば名句かどうかはともかく、一点句や無点句に面白い句が多く感じられることは珍しくない。

けっこう状況に即した言葉だとは思うのだけど、かえって不安な気持ちになるのは何故なのだろう。
どうした理由なのか判然としないのだが私は幼い頃から「少数意見が常に正しいとは限らないが多数意見は常に間違っている」という思い込みが強かった。
仮に多数意見が常に間違っているのなら、議会制民主主義は常に間違った政策に傾くわけだから、世の中どんどん悪くなっていくのも不思議ではない、そんな暗い気分を抱えていたことを思い出したりする(考えてみればちょっと変な子供だ)。
長じて「民主主義は最悪のシステムだ。しかしそれ以外の全ての物よりマシだ」という(たしかチャーチルの)言説に出会ったときはずいぶん救われたような気分になったものだ。

チュ ニジアの政権があっけなく倒れて以降、中東各国に騒乱が伝染したとき、一部マスコミがあれを民主化デモと報道したのには、もういくら何でもというか、突っ 込みどころが多すぎてどこから突っ込んで良いのやらと、さすがにバカな話に耐性の強い私ですら途方に暮れてしまった。

マスコミ(特に日本)の報道が偏向しているのは昨今始まったことでもないので、突っ込むのは諦めて、現代中東に関する印象を徒然に書いてみたい。

私は十代の時にイラン革命に遭遇した世代なので、そのせいか二十世紀の代表的な政治家というとまずアヤトラ・ホメイニを思い出す。
他 にも中東系で思い出す政治家は多いのだけど、その中で特に印象的だったのは先代のヨルダン国王、フセイン1世。1999年にリンパ腫で亡くなったときまだ 60過ぎたばかり若さだったのには改めて驚きを覚えた。何しろ在位期間40年以上にのぼるわけだが、即位したのがまだ十代だったことを思い出せば別に不思 議がる理由もない。

フセイン1世が歴史に登場するのは1951年、トランスヨルダンの初代国王、祖父アブドゥッラー1世がエルサレムでの 金曜礼拝の際に暗殺されたときに遡る。祖父と共にいた少年フセインも銃撃を受けたが、胸に掛けていた祖父から授与されて間もない勲章が銃弾をはじいたため 一命を取り留めたとされる。まるでマカロニウエスタンのような展開だがどうやら実話らしい。
なにしろ聖なる予言者の末娘ファティーマと第四代カリ フ・アリーの血を引く中東一の名家ハシミテ王家の王子なのだからこの程度の僥倖を奇跡呼ばわりするのは不敬かもしれない。そう言えば後年、シリア上空を飛 行中に国籍不明の戦闘機に攻撃された際、自ら操縦桿を握って追撃を脱出したなんて話もある。今時ハリウッド映画だってそんな王様は出てこないよというよう な展開ではあるがこれも実話らしい。

ともあれ祖父の暗殺から一年後に即位した少年が引き継いだ王国は、ある意味エルサレムに近すぎた言え る。1948年のイスラエル建国宣言から数年、今後中東がいかなる方向に進むかまったく不明な中、戦闘だけはおさまらず、自国民よりパレスチナ難民の方が 領土内での人数が上回る、当時の地球上でももっとも不安定な王国だった。まさかこの少年がその後40年以上の在位を全うするとは、当時どんな楽観的な人物 も期待しなかったのではないだろうか。
同じくハシミテ王家のファイサル1世(『アラビアのロレンス』で有名)は第二次大戦前にシリアをすでに失っ ており、大国イラクの統治者ファイサル2世(ファイサル1世の孫でヨルダンのフセイン1世のハトコ)には、1956年にスエズ運河国有化に成功し、アラブ 諸国のみならず第三世界で広く英雄視されたエジプトのナセル大統領の主導する汎アラブ主義の影響力が強大だった時期1958年に軍部のクーデタにより王族 多数と共に宮殿で射殺される運命が待っていた。
ちなみに今日のエジプト情勢に世界が過敏に反応するのも、エジプトがアラブ諸国最大の人口を抱えて いるからばかりでなくかつてナセル大統領を生んだ汎アラブ主義の総本山だからでもある。リビア情勢が内戦化し緊迫の度合いを高めているのも、エジプトから 衆目を逸らすために英米が必死に工作しているようにしか見えない(邪推かもしれないが)。

一方、イスラエルは1950年代60年代と既成 事実を積み重ね地盤を固めつつあり、それにともないパレスチナ難民も増加しつつあった。やがてヤセル・アラファト率いる武闘派ファタハがPLOの実権を握 ることとなった1969年にはヨルダン領からのイスラエルへの攻撃が激増する。
それに対し1970年には歴史に大きな爪痕を残したヨルダン国王フセイン1世によるPLOへの徹底的な弾圧が決行された。
フセイン国王の脳裏からはおそらくエルサレムで暗殺された祖父の姿が終生離れなかったと思えるが、血で血を洗うとはまさにこのことである。ヨルダン国王はイスラエル以上にパレスチナ人の殺したと評され、屠殺人とまで呼ばれることとなる。

フ セイン1世に対する評価はその人の置かれた政治的な立場によって大きな振れ幅があるのはもちろんだが、彼がおよそ統治者として遭遇し得るありとあらゆる困 難を乗り越えて40年以上の治世を全うしたことは疑いない事実だ。この長い治世の間ヨルダン国民の生活は全般的な向上を見たため国内的な評価は概ね名君と 言って差し支えないものであるらしい。よそ者に過酷であり自国民に対して寛容、ある意味、王らしい王なのかもしれない。

かたやパレスチナ の指導者アラファト議長も天寿を全うした。ファタハを率いるようになった時から数えれば42年。その間ずっとナンバーワンであり続けたわけだがナンバー ツー以下およそPLOの幹部と呼べるポジションにいた人間のほとんどは戦死または暗殺の憂き目にあっている。交渉窓口のトップが変わることを敵方が嫌うと いう事情も鑑みなければならないだろうが、アラファト議長がエルサレムの名家フサイニー家の出身であったことにも預かる部分があるように思う。元来フサイ ニー家がハシミテ王家と関係の深い一族であることを考えると何かしら因縁めいたものを感じる。

(明日に続く)

2011年3月21日月曜日

●カステラ

カステラ

春よりもわづかおもたきかすていら  八田木枯

春今宵オペラかすてら仮住ひ  笠井亞子

カステラの皮の色して木菟眠る  大石雄鬼


2011年3月20日日曜日

〔今週号の表紙〕第204号 木瓜の花

今週号の表紙〕
第204号 木瓜の花


木瓜の花期は3月から4月らしいが、うちの玄関脇の木瓜は1月くらいからしょっちゅう咲いている気がする。はっきりしない点、「ボケ」とベタ付き。おまけに写真がボケボケと来ているわけです。(西原天気)

2011年3月19日土曜日

●卒業

卒業

校塔に鳩多き日や卒業す  中村草田男

クレーンを見てたたずんで卒業子  行方克巳

卒業の兄と来てゐる堤かな  芝不器男

卒業歌胸いたきまで髪匂ふ  寺山修司

卒業や尻こそばゆきバスに乗り  西東三鬼

ががんぼの一肢が栞卒業す  斎藤慎爾

運命は笑ひ待ちをり卒業す  高浜虚子

2011年3月18日金曜日

●落第

落第

笛吹いて落第坊主暇あり  石塚友二

落第の机に深く彫りし名よ  行方克己

珈琲濃しけふ落第の少女子に  石田波郷

落第の指をインコにつつかせて  山田弘子

志俳句にありて落第す  高浜虚子

落第も二度目は慣れてカレーそば  小沢信男

2011年3月17日木曜日

●暗闇ラン

暗闇ラン

lugar comum


大地震の夜以来の帰宅ラン。そもそも、外走りするのも久しぶり。これから先は、出来なくなるのか。

いつもスタート地点にしている日比谷のジムが暫く休館なので、会社のサーバールームでランウェアに着替えて、バックパックに服を詰める。非常階段で地上まで降りて、駐車場出口から脱出。8時前。さほどの混乱はなさそうな浜松町の駅前を抜け、ふらふらと新海岸通りを西へ進む。

遠く汐留から田町、品川にかけての高層ビルが、暗い。大通りには、トラックの群れが目に付く。人通りは、ほとんどない。

走り慣れた歩道なのに、街の灯が乏しいせいか、様子が違いすぎる。気がついたら、もう山手通りを渡っている。

ふと思いついて、右折して新馬場を越え、東品川へ。山手通り沿いに看板を探す。走友が経営するカラオケバーを目指す。

あるいは休店中かも、と思って向かったが、幸いオープン。マスターも在店。店内は節電モード。でも、地震の被害も軽微だったとのことで、ひと安心。熱いおしぼりと冷たいウーロン茶という、ありがたい帰宅ラン・エイドをいただく。また寄ります、お互いゆるっと頑張りましょう、で別れる。

出掛け、マスターに教えていただいた目黒通り沿いの桜並木を辿って、池尻まで上る。あとは246経由、駒沢公園経由で、瀬田に10時半着。きっかり20km。

それにしても、中目黒のカフェ系も、三茶のラーメン屋も、あちらこちらのコンビニも、徹底した節電ぶり。でも、街は、このくらいの光量で十分、とも思ってしまう。

2011年3月14日月曜日

2011年3月12日土曜日

●週刊俳句・第202号を読む 樋口由紀子

週刊俳句・第202号を読む

樋口由紀子

日曜日のびわこ毎日マラソンでは新鋭の堀端宏行が日本人トップでタイムもクリアして世界選手権の出場権を得た。先月の東京マラソンでも無印の川内優輝が日本人トップになり、話題になった。知らない選手の活躍を見るのは心が新しくなり、うきうきする。

週刊俳句を読む楽しみの一つに今回はどんな俳人にお目にかかれるのだろうかというのがある。週刊俳句がなかったら読むチャンスがなかっただろう俳句が読めるのはありがたい。川柳のジャンルにいるので、あたりまえだが、ほんの一部の俳人しか知らない、なんと知らない俳人の多いことか。それにしても編集部はいろんな人をよく見つけてくる。

第202号の淡海うたひもはじめての人。

  雛人形美人とことん得なりけり

我が家も女の孫が二人いるので雛人形を飾っている。あらためてじっと見てみると、こころなしかお雛様は三人官女より美人に見える。それだから、最上段のお内裏さまに横にすまして座っていられるのだろう。「とことん」は最後の最後、徹底的にという強い意味で、得とか損とかははしたないからあまり言わない方がいいのだけれど言ってしまいたいのが人の世の常。それに世の中の女性の95%以上は得していないのだから、ちょっとぼやいてみたくなる。けれども、この「とことんとく」は意味とは関係なくやわらかく軽やかに響く。これこそが言葉の役得だと思う。

週刊俳句の202号も驚きだが、週刊時評が26回というのも感心する。神野紗希の時評で教えられることは多い。今号も旬の言葉である「なう」に焦点を当てた着眼はさすがである。しかし、

  焼そばのソースが濃くて花火なう   越智友亮

この俳句のよさがわからない。現状をありのまま書き、現状をありのまま受け入れる。気負いがなく、親しみやすくわかいやすいのは確かだが、ひっかかってくるものがない。川柳を始めた頃、ベテランの川柳人に今どきの人の作る句はわからない、ついていけないと言われたことがあるが、私もだんだんとついていけない人の方になってしまっているのかもしれない。しかし、それは「なう」という語に対する嫌悪感からではない。
「なう」という一語を入れることで、「今、ここ」の花火大会のリアル感に加えて、「花火なう」のtweetが拡散していった先の、たくさんの人の「今、ここ」が現れる。
神野紗希が書くようなところまで私の頭も足も辿り着けないのだ。

サラリーマン川柳にも「なう」の句はあるのではないかと調べたら、第二十四回の優秀100句にやっぱりあった。サラリーマン川柳にはいち早く旬の言葉を盛り込んだものが多くある。

  部下からの 遅刻のメール 渋滞なう     コバヤ氏

参考までに。

●安否確認その他

安否確認その他

google Person Finder 消息情報


災害用伝言板 docomo

2011年3月9日水曜日

●靴屋

靴屋

浅草の靴屋は月の真下なる  斉藤夏風

スターリンも靴屋の息子花八つ手  榮 猿丸

如月の靴屋に靴の死んだふり  佐山哲郎


2011年3月7日月曜日

〔今週号の表紙〕第202号 パンジー

今週号の表紙〕
パンジー


ひと株100円かあるいはもっと安く買ったパンジーをプランターに植え塀の上に置く(買ったのも植えたのも置いたのも私ではないのですが)。ふだんは見下ろすように見ている小さな花々を、しゃがんで下から見上げると、また違った表情が見えたような気がしました。(西原天気)

2011年3月6日日曜日

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2011年3月5日土曜日

●200号記念誌上句会・選句一覧(5)

200号記念誌上句会・選句一覧(5)

お待たせいたしました。選句一覧と作者です。句数が多いので、1日1題ずつ、5日間にわたって発表させていただきます。

誤記・漏れ等お気づきのときは、shino.murata@gmail.comまでお願いします。

選句の際に頂戴できなかった選外コメント、ご感想、その他なんでもコメント欄にお書き込み下さい。≫コメントの書き込み方

多数のご参加をいただき、ほんとうにありがとうございました。



【雑詠】

いかに非日常自動接着剤  埋図
○知人
■接着剤って、工作でもしない限りあまり使わない、非日常なものですね。自動ならなおさら。(知人)

さへづりの端に石ころ跳ねにけり  どんぐり
○佐間央太○天気○牛後○鴇田智哉○山田耕司
■時計の振り子が二秒に一度鳴るように(佐間央太)
■さへずりには、そういう感じ、石ころが跳ねる感じがあります。「端に」という技巧は、この場合、かえって邪魔になっている感も(天気)
■「さへづりの端」が、囀りを聞く人の夢心地に割って入った異音を、うまく表現していると思います。(牛後)
■何だかおもしろい。ぽけっとしていたら、目の隅の方で石が、みたいな。(鴇田智哉)
■「さへづりの方」に、でもなく、「端の石ころ」でもない。「さへづり」というとらえがたい空間を意識でとらえ、「俳句」で見せている。(山田耕司)

だくおんだらけハーモニカはすっぱくとおく  知人
○笠井亞子○痾窮
■濁音……言われてみれば。この酸っぱさは……ハーモニカならではの。遠く……深い余情。(笠井亞子)
■これが作者が句として句会に投げた句で無ければ何言ってんの?だけど、「俳句」と言うのだから、その無謀に1票。(痾窮)

ぶらんこの少女をダウンロードする  鈴木茂雄
○苑を○廣島屋○瀬戸正洋○山田露結○藤幹子○学
■あやしさがヨロシイ句。(苑を)
■ダウンロードですね。これで決まり。まさに非実在青少年。(廣島屋)
■すごく嫌な感じ。だが、その、変な「嫌さ」に、僕は惹かれた。(瀬戸正洋)
■もしかしたら、少女の「画像」をダウンロードするのかもしれません。しかし、ここでは「画像」を省略することによって、少女そのものをダウンロードしてしまうようなシュールな印象になっています。ややアキバ系な感じがするのは「ダウンロード」の所為でしょうか。(山田露結)
■物悲しいです。PCの中あるいは携帯電話の中に、永遠にぶらんこする少女を閉じ込める。さみしい、さみしい、話です。(藤幹子)
■このぶらんこに類句なし。(学)

栄光と屈辱バレンタインデー  米男

海風に雛酒の酔ひ醒ましけり  中村 遥
○柳 七無

亀鳴くやハッブル宇宙望遠鏡  木野俊子
○風族○苑を○中村 遥○中塚健太○痾窮○めろ○柳 七無
■どちらもこの世にあらざるごときもの。(風族)
■「亀鳴く」がなんともよろしいです。(苑を)
■大いなる宇宙に浮かぶ巨大望遠鏡の実在と地上の実際には鳴くことはないであろう
〈亀鳴くや〉の情趣ある季語と取り合わせの面白さ。(中村 遥)
■絶好の取り合わせだと思いました。(中塚健太)
■この荒唐無稽の季語に宇宙は付き過ぎかと思うが単純さは俳句の原点。(痾窮)
■非現実と現実。些細と甚大。虚と実の遊び心は大事です(めろ)

堅雪のあかるきところふみにけり  義知
○めろ○学
■夜のわずかな明かりに光る堅雪が見えてくるようです(めろ)
■堅雪をよく見ている。(学)

公園の時計は正午春ショール  篠
○楚良
■春めいた女性の姿にうっとりです。(楚良)

降る雪たんもう背表紙の無い世界  佐間央太

佐保姫のリア友いない引籠り  痾窮

指先に紅梅触るる肉の味  すずきみのる
○学
■指先に 類句なし。(学)

春の灯や優しさ世代てふ言葉  中塚健太
○るかるか
■はかなげな「春の灯」を合わせる事で、その世代への批判になりえている。(るかるか)

春の日に転がすトローチのさらら  牛後
○風族○野口裕
■「さらら」がどうなのかというところですが私はいいと思いました。(風族)
■舐めてねっとりしているはずのトローチが、さららとは、春風邪の治りも早いのだろう。(野口裕)

春嵐なにもなくなりさばさばす  苑を

春を待つ木々の中なる給水塔  信治
○佐間央太◯憲武○鴇田智哉○学○篠
■木々の根をすり抜けてパイプが通っているのかと思うと密かに涙を禁じ得ませぬ(佐間央太)
■水彩画のような句。こういう淡い味わいも好きです。(憲武)
■心に沁みる風景。(鴇田智哉)
■春を待つの季語が効いている。(学)
■木と給水塔。空へ伸びてゆく縦の線が、待春の気持ちと響き合う。(篠)

初花や蕊も花弁も真白なる  池田瑠那

女性器の笑つてゐたる春灯  山田露結
○米男○痾窮
■こうエロスの欠片も無く、あっけらかんと言われたらしょうがない(米男)
■リアルでは面と向かう事も有りませんが(笑われているのかも知れませんが…)、ネットでは毛も剃り落としたあからさま映像、エロチックというよりファニー。(痾窮)

女性用シェイバー春の琺瑯に落つ  田中槐

傷口の一針ごとに木の芽植う  千代
○俊子
■その芽が花をさかせたら、気が狂うかも。このメタファの鮮明さに脱帽します。(俊子)

新豚骨醤油拉麺の踏絵  和人

人体は付根が多し春もよい  笠井亞子
○米男○田中槐○俊子
■たしかに付け根だらけだ。(米男)
■からだのなかの「付根」に注目したのは新しいのではないかと。春はうずうずしますし。(田中槐)
■考えればそうですね。付根から春が生まれるのですね。(俊子)

水温む頭の芯にある不安  瀬戸正洋
○池田瑠那
■何やら青春ぽいですね。(池田瑠那)

石鹸玉吹く二百人いやもつと  太田うさぎ
○杉原祐之○信治○楚良○野口裕○篠
■「石鹸玉」を一切に吹いた様子を写生。下五の「いやもつと」で石鹸玉の数がどんどん増えていきます。(杉原祐之)
■週刊俳句の風景と、とってもよろしいんでしょうか。おめでたい。(信治)
■二百人以上のしゃぼん玉とはどんな光景なんでしょう。「いやもつと」が良い表現です。(楚良)
■二百号おめでとうございます。(野口裕)
■「いやもつと」に明るさと余韻とめでたさと。壮観です。(篠)

戦争の知らない子らや土筆んぼ  学

卒園の子が覗き込む兎小屋  金子敦
○埋図○杉原祐之○苑を○信治○たゞよし
■昨日迄、動物がかりだった園児が、入学式の帰りに、また見にやって来た。新しい動物がかりの子が誰なのか気にしているのだ。(埋図)
■手堅いです。兎って何か気になる存在なのでしょうね。具象的に描いてあり、余韻があります。(杉原祐之)
■可愛い!(苑を)
■常識的内容ではありますが、かわいいかな、と。(信治)
■多分いつもと同じ目で覗き込んで、ただ「バイバイ」というくらいの卒園子。いつもと同じ感覚で駆け寄ってくる肥った兎。明日以降一生目を合わせることがなくなるかも知れないのに、その関係に涙などない。一期一会。(たゞよし)

太陽光パネル働く涅槃西風  一雄
○中村 遥○篠
■新しいものと古い季語の取り合わせの妙。(中村 遥)
■人目につかず動いているものと涅槃西風の取り合わせが面白く、早春っぽい。(篠)


大蒜の串焼き追加夜の逢瀬  正則
○栗山心
■肉食系カップルのデート風景。(栗山心)

淡雪でつくるだるまのやうなもの  恵
○るかるか○瀬戸正洋○金子敦○義知○千代○牛後○山田耕司
■「季語のやうなもの」俳句は危険ですが、これはアリかも。エロティック。(るかるか)
■雪だるまを作ろうとしたら、淡雪なので「のようなもの」になってしまった。僕らは、人生の端端でも、よく、同じようなことを経験する。(瀬戸正洋)
淡雪でつくるだるまのやうなもの
■「雪だるま」ではなく、「だるまのやうなもの」が可笑しい。(金子敦)
■堅くしまる雪だとかたちの工夫も容易でしっかりとした雪だるまが出来る。淡雪はつくったそばから融けてゆく。(義知)
■「雪だるま」と言うのに十七文字もかけたなんて。とても詩的。(千代)
■淡雪だからちゃんとした雪だるまにはならないのが、残念でもあり可笑しくもあり。(牛後)
■「だるま」と思って作った本人の「故意」がカタチにならない。何かを見立てるのではなく、未然に終わったことを、つい「だるま」と言ってしまうオカシさ。(山田耕司)

点滴の管ゆるやかに雪解かな  憲武
○学
■なるほど、納得がいく。(学)

田螺田螺と二〇〇ぺん言うてみよ  天気
○沖らくだ○千代○太田うさぎ
■十ぺん超えると超早足の大名行列みたいになった^^;映像的にはタイムボカンのミニロボ行進のように田螺が列をなしている。200号の記念キャラとして田螺に一票!(沖らくだ)
■ナンセンスと具体性。(千代)
■二百号への挨拶でありましょうが、持ってこられたのが田螺、の愉快。「タニシタニシ」と言っているうちに「ニシタ」になったり「シタニ」になったり。二百遍も唱えたらくちびるが田螺化していそう。(太田うさぎ)

桃の花添へてプレートランチかな  栗山 心
○金子敦
■桃色が鮮やかで、とても美味しそう♪(金子敦)

二百から那由他不可思議風光る  野口裕
○天気
■200号への挨拶句は意外に少なかったw みなさん、ガチで来てますね。そんななか、この句はしぶい。那由他まで、どんだけ飛躍する?(数十桁!)というおもしろさ。不可思議も数の単位ですが、未来の不可思議さも思わせてくれます(天気)

薄氷や終の栖という悪夢  沖らくだ
○栗山心○痾窮
■桐野夏生の「アウト」を思い出しました。現代的な怖さ。(栗山心)
■悪夢ですね!それを得る過程も得た後も。(痾窮)

父子草父とはならぬ子がひとり  山﨑百花
○知人
■父の立場になっても、子の立場になっても、複雑な心境になる句です。(知人)

風花の競馬中継無音なる  杉原祐之
○信治○佐間央太○藤幹子○中塚健太○池田瑠那
■電気店? 場外馬券場? ま、どちらでも。(信治)
■何処かの星の遠いターフの万馬券(佐間央太)
■固唾を飲むようなレースに解説はいりません。風花がスローモーションのよう。(藤幹子)
■聴覚が遮断されて、視覚を外から見ているような感じです。(中塚健太)
■大画面に映る競馬中継、そこを掠める風花。「無音」ゆえに、趣ある景になりましたね。(池田瑠那)

棒鱈やたんと喰ひたる成れの果て  たゞよし

木の上に登りたさうな春の鴨  鴇田智哉

夜の河口の寄せあふ舷の雪と雪  山田耕司

葉牡丹やらくがき帖に地獄など  藤幹子
○知人○佐間央太○天気◯憲武○恵
■「など」が効いています。ほそい線やふとい線、色とりどりの混沌とした地獄。そこにひょっと天国もあるかも。(知人)
■知り合いの奥さんがスプラッタ好きなのです。同い歳なのです。(佐間央太)
■らくがき帖は子どもが書いたものと解しました。そこに「地獄」w 本質をつくような凄みと可笑しみのある句。葉牡丹がとてもいいと思いました(天気)
■葉牡丹とらくがき帖の地獄絵。オツ。(憲武)
■葉牡丹がなんとも不気味。このらくがき帳には多分地獄があるのだ(恵)

立ち上がる 児子の額に 痣三つ  柳 七無

恋猫のスパムメールとともに来て  廣島屋
○風族○苑を
■うざい感じがいいです。(風族)
■開くと恋猫が飛び出して来るスパムメールだったのですね。雌猫探しするのか、傷を癒しに居座って丸まるのか。そんなこともあるでしょう。(苑を)

老いし身の命を取れや春の風邪  真鍋修也

嗚呼飲むぞ名残の雪があがるまで  るかるか
○沖らくだ
■もうすでに出来上がっている。それまで一緒に飲んでいた友達も帰っちゃった。店にはいい年のマスターがひとり。常連だし、しょうがないなぁと思いながら、マスターは店を閉めて自分もつきあう。雪で表の音も消えて静か。「名残の雪」でこんなに妄想させていただきました^^;(沖らくだ)

蘖や占ひ信じ北に行く  楚良

縷々と春他人のやうな右の耳  めろ
○瀬戸正洋○千代○米男○太田うさぎ○牛後○田中槐
■微かに絶え間なく続いている春。右の耳は他人のような気がするのだ。そういえば、ゴッホがコーギャンを殺そうとして果たさず、カミソリで切り落とした自分の耳も右側だった。それは、娼婦への贈り物としたのだ。そして、ふたりは、狂院と南の島へ行くことになる。(瀬戸正洋)
■「る」音の連なりが心地よい。右の耳はそんな音遊びをしている自分を冷静に見ているのだろうか。(千代)
■蝸牛は無事なのだろうか?(米男)
■不思議、というより鋭敏な感覚の持ち主なのでしょう。内容に深く立ち入る以前に韻律に魅了されました。(太田うさぎ)
■縷々と話をしているのは作者自身でしょうか。それを聞いている耳はもはや他人のよう、というところが面白い。(牛後)
■この右耳は何を聞いているのだろう。身体感覚から離れそうで離れない痛み。(田中槐)

鮟鱇の万有引力なすがまま  風族
○学
■いえる。(学)


2011年3月4日金曜日

●200号記念誌上句会・選句一覧(4)

200号記念誌上句会・選句一覧(4)

お待たせいたしました。選句一覧と作者です。句数が多いので、1日1題ずつ、5日間にわたって発表させていただきます。

誤記・漏れ等お気づきのときは、shino.murata@gmail.comまでお願いします。

選句の際に頂戴できなかった選外コメント、ご感想、その他なんでもコメント欄にお書き込み下さい。≫コメントの書き込み方

多数のご参加をいただき、ほんとうにありがとうございました。



【力】

あは雪や針葉樹より湧く磁力  藤幹子
○るかるか○埋図○風族○正則○池田瑠那
■「磁力」という奇怪なものを持ち出す事で雪と針葉樹にありがちな類想を逃れた。(るかるか)
■木の回りから雪が溶けていくのが、どのようなメカニズムかと云う説明に湧く磁力を使うのは困るが、そう云えば、だれでも真理に迫ることになると言うもんだろう。(埋図)
■情景が鮮明なので。(風族)
■針葉樹の必要性には疑問だが、磁力が面白い(正則)
■言われてみると冬の針葉樹には磁力があるような気がしてきます。(池田瑠那)

けふ春の雪にいくばくかの浮力  天気
○埋図○信治○山﨑百花○すずきみのる
■雪に浮力が生じるというのもなかなかな解答と云うべき、いや、そうでなければ、今日の春の雪をじっと眺めている気ににはならない。眺めれば、そう思う。(埋図)
■「けふ」がいいかんじ。(信治)
■春の雪に浮力を感じたのは素敵。止んで、日が差したのでしょう。(山﨑百花)
■季語の説明というような意見も出るかもしれませんが、それにしても「いくばくかの浮力」という受け止めと表現は巧みだなと感心しました。(すずきみのる)

しんきろう表面張力しんきろく  知人
○鴇田智哉
■口をついて出た感がいい。でも、どの言葉も動かしがたい。(鴇田智哉)

タンポポの力はいつも真下向く  木野俊子

つくしんぼ力むてふこと赤子にも  山﨑百花
○瀬戸正洋○たゞよし○和人
■土筆と赤子が力むすがたが似ている。赤子は大人の真似をして力むのである。真似をすることは人としての所作を学ぶことだ。言葉を真似、笑うことを真似、泣くことを真似、物を食べることを真似。そして、人間になっていく。(瀬戸正洋)
■柔らかくなりかけた土を持ち上げて、つくしんぼが頭を持ち上げるように、わずかに体を震わせて力をみなぎらせている赤ちゃん。ああ、お母さん。 次の仕事が待ってるね。忙しい。(たゞよし)
■べたべたですが、2人目の孫が生まれる私としては(和人)

たんぽぽの絮を力の限り吸ふ  信治

まつしろな力うどんのひかる春  鴇田智哉
○山﨑百花○義知
■おいしそうで元気出そう。うどん即エネルギーですもの。しかも力うどん。(山﨑百花)
■力うどんの注文が入ると、独特の節回しで「ちからうど~ん!」とオーダーが入る。その声を聞くとなんとも楽しい気分になるのである。(義知)

やどかりの引つ込む力並でなし  太田うさぎ
○すずきみのる
■私自身の子どもの頃の体験に直に繋がりました。個人的には、とても喚起力のある1句でした。(すずきみのる)

愛の日や力(ちから)ボタンのごとき君  栗山 心
○牛後
■恋人を力ボタンに喩えたのはとても新鮮。(牛後)

渦巻力持てなお止まぬ寄居虫の死  千代

永き日や変なところに力瘤  瀬戸正洋
○埋図○廣島屋○一雄○天気○米男○山田耕司○俊子
■二年もすると、初心を忘れる。忘れたのか、そんなものは持っていなかったのか、別の営業を始める。へんな物を力説して売る。帰りの出口を指す。(埋図)
■「変なところ」というノリシロ部分がよかったのでした。(廣島屋)
■いったい何処に力瘤ができるのでしょうか。力瘤と永き日は合います。(一雄)
■これはひとつの無聊感。力瘤を読んで、これだけ力の抜けた句はめずらしい(天気)
■どこだろう? ww(米男)
■変なところとはどこなのか、それがわからない。そのわからなさが、永日、という語にほどよく親しむ。(山田耕司)
■力こぶが変なところに出来た。探してみたが、たとえば指の先っちょとか。永き日がうごかず絶妙の季語。ひびきあっている。(俊子)

岡持は力まずに持てはだら雪  笠井亞子
○どんぐり○一雄○太田うさぎ○中塚健太
■岡持は見かけなくなったなあ。(どんぐり)
■岡持の持ち方を初めて知りました。(一雄)
■いちばん笑った句!新入りがアドバイスを受けているのでしょうか。はだら雪はたしかに足を取られそう・・・というか単純に可笑しい。(太田うさぎ)
■今回の中でいちばん俳句だ、と思いました。(中塚健太)

看板に力王たびや枝垂梅  一雄
○楚良○池田瑠那○田中槐
■全国各地に「力王たび」の看板があるのですね。(楚良)
■とぼけた味わい。(池田瑠那)
■これはもう、「力王たび」に脱帽です。(田中槐)

亀の頸断つにまつすぐ力ませて  山田耕司
○藤幹子
■指に筋肉の張りが伝わってくる。(藤幹子)

魚は氷に力うどんに揚げし餅  たゞよし
○どんぐり○中村 遥
■揚げし餅が効いている。(どんぐり)
■難しい季語を面白く句にされたと思う。うどんが氷で餅が魚を思わせる。(中村 遥)

金縷梅の風の力のぬけがらに  どんぐり

啓蟄や怪力少年頬赤く  米男
○信治○廣島屋
■いろいろいいです。(信治)
■夢枕獏の小説を読んでいるようです。(廣島屋)

拳闘家力石徹冴返る  和人
○憲武
■行け荒野を 俺らボクサー 朝日がぎらぎら 男の胸に 思わず「力石徹のテーマ」を歌ってしまいました。この力石さんは減量後でしょうね。(憲武)

光みな力となりぬ雪解川  るかるか
○苑を○山﨑百花○笠井亞子○太田うさぎ○学
■川面の反射光に「力」を感じる、納得の一句。(苑を)
■今回の特選。一面の雪に反射する光とともに、力強い音まで聞こえてきます。(山﨑百花)
■まぶしいまぶしい春の川パワー!(笠井亞子)
■水面をきらめかす陽光を力と捉えたところが素敵です。早春らしく、励まされるような句です。(太田うさぎ)
■写生が力を得ている。(学)

菜の花の力みて蝶となる夜明け  痾窮
○埋図
■意外なものの変化は、いつでも意表を突く。力み方で変化するというのはさらに意表を突く、見た事もないが、夜明けの説明で、朝の遅い者にとっては納得せざるを得ない。(埋図)

詩は古く無駄力なす雪解川  野口裕

手の甲に力む血管目貼剥ぐ  恵
○るかるか○野口裕
■血管フェチか。目貼剥ぐ際の写生詠として良い。(るかるか)
■よほど頑丈に目貼りしたのだろう。「甲」で景が見えてきて、読む方も思わず力が入る。(野口裕)

春の風春の風力計になる  鈴木茂雄
○義知○佐間央太
■春の風の吹き様が春の到来の計測器となっているという。繰り返しが春へ向かう一進一退感もあり。(義知)
■ヤマザキ春のパン祭り、と続けたいのをぐっとがまん。(佐間央太)

春一番かな入力に切り替へる  田中槐
○杉原祐之○めろ
■「入力」「出力」が妙に季題の「春一番」と響いています。(杉原祐之)
■春とひらがなとの関係は容易に考えつきますが「かな入力」は盲点でした(めろ)

春雪や上野へいそぐ人力車  池田瑠那

春日影なにに喩へん力瘤  すずきみのる

寝返りを打つにも力春炬燵  楚良
○山﨑百花○義知○和人○牛後○田中槐○恵○俊子
■季語が春炬燵ですから、からだに重大な障害があるわけではなく、単にずぼらなのですね。それが分かる、というこちらの状態も困ったものですが。(山﨑百花)
■寝たまま向きをかえるにはどこに力が入るのか。腹、背には力が入るし、足や腕、頭もちょっと上げたりする。結構いろいろなところに力が入る。(義知)
■確かに確かに春炬燵は生臭物の神様です(和人)
■春炬燵で居眠りしていると、寝返りを打つのも大変です。「力」の使い方が巧みです。(牛後)
■脱力、という力のありようを実感しました。こんなだめな人間にはなってはだめだ。(田中槐)
■寝返りを打つにもということは、起き上がることにも力がいるんだろうなあ。いかにも春炬燵ならではの風情(恵)
■大変リアルな一句。若い時は気付かないが、年をとると寝返りにも大変なエネルギー。まして炬燵は脚が4本ある。(俊子)

新入社員へんな力の入り方  中塚健太
○たゞよし○正則
■新入社員は、とかく先輩から見て首をひねるような癖を持っているようだ。社風に慣れるのか先輩が諦めるのか、そんな変な力さえ馴染んでしまうか消えるのか。(たゞよし)
■新入社員とは、こんな感じもあるのか(正則)

蒼天の石榴を割るる力あり  学

大臣の力説虚し桃の花  正則

脱力のポーズのままに冴え返る  篠
○信治
■ポーズ(静止)してたら冷えてきちゃった、という。(信治)

胆力といふもの持たず草の餅  苑を

踏青や女は見せぬ力瘤  憲武

俳人の膂力を隠す春ショール  牛後
○田中槐
■太くてたくましい二の腕を想像しました。素敵です。(田中槐)

白魚を啜るや臍に力入れ  中村遥
○杉原祐之○山田露結○池田瑠那○山田耕司○恵○篠
■「白魚」は軽く啜ることができないですね。確かにどこかに力が入ってしまいます。(杉原祐之)
■「白魚を啜る」という行為と「臍に力を入れる」という行為のアンバランスが妙に可笑しい一句です。臍に力を入れるのは、何か肝心なときに踏ん張るようなイメージがあるのですが、もしかしたら作者は生きたままの白魚を口にするのが嫌で、臍に力を入れて我慢しながら啜っているのかも知れません。(山田露結)
■白魚を啜る自分自身の肉体を意識したのが良いと思います。(池田瑠那)
■力の入れ具合の妙なバランス。「や」に大げさぶりを込めているのがかえって可笑しい。(山田耕司)
■これは間違いなく踊り食い。臍に力入れというあたりに、生きたままを啜る若干の覚悟のようなものが(恵)
■白魚を啜るのは勇気が要る。だから臍に力が入る。(篠)

白梅の咲きしも今朝の力みかな  沖らくだ

味噌豆を煮る一連の力足  義知

目力でオリオンの膝伸ばしけり  佐間央太
○鴇田智哉
■やりましたね、目力でついにオリオンを。元気があれば何でもできる。(鴇田智哉)

力むなら力んでみせろいぬふぐり  廣島屋

力学や官女雌雛の日の暮るる  めろ
○知人○千代
■慣性の法則でひっそりと、じっとしているひなたちの顔を思い出します。(知人)
■お雛様が座っているのも、日が沈んでゆくのも、この宇宙の力学にしたがっている。(千代)

力山ヲ抜けど雛罌粟揺るるのみ  風族
○すずきみのる○柳 七無
■項羽のエピソードを素材としていますが、それを離れて独自の世界を作り上げているように思います。(すずきみのる)
■項羽と虞姫の悲哀が伝わってきます。(七無)

力石七つ並びて黄水仙  杉原祐之

力無く 言葉の喉に 流れ落ち  柳 七無

力瘤見せて遠退くうかれ猫  真鍋修也

恋の花影知らずコントラバスの軋み力  埋図

恍惚の眉間に力春の雪  山田露結
○真鍋修也○るかるか○憲武○柳 七無
■女性の恍惚と思いたい。四畳半一間での情交と淡く消えやすい牡丹雪。見事な「神田川」の世界である。(真鍋修也)
■眉でなく、眉間に力があるところが凄い。「春の雪」は動く。(るかるか)
■渡辺淳一の世界ですね。いいっ。(憲武)

朧夜の圧力鍋の微動かな  金子敦
○真鍋修也○るかるか○風族○苑を○義知○どんぐり○栗山心○千代○野口裕○正則○太田うさぎ○中塚健太○めろ
■我が家には圧力鍋はない。鍋の中に蒸気が充満して微動するのだろう。それが柔らかな霞んだ感じの朧夜を的確に表現している。(真鍋修也)
■「朧夜」が効いている。(るかるか)
■上手い句ですね。(風族)
■発見、ですね。朧と圧力鍋の質感の対比、絶妙。(苑を)
■圧力鍋の重い蓋が蒸気で震える、静かな静かな朧夜。(義知)
■何か美味しいものが出来る予感が微動。(どんぐり)
■「微動」が上手いな、と思いました。丁寧に毎日を暮らしている方、という気がします。(栗山心)
■生活の中のこんなところに「力」という字があったのか。(千代)
■圧力鍋は料理時間を短縮するはずだが、えらくじっくり料理しているように見える。言葉のトリックの面白さ。(野口裕)
■朧夜との取り合わせは変わっている(正則)
■朧夜がなんとも効いています。蓋の立てる微振動の音、あの疼くような感じを上手く言って下さった。(太田うさぎ)
■不穏な感じがしました。(中塚健太)
■圧力鍋のわずかな振動の伝わる様は朧夜そのものです(めろ)

2011年3月3日木曜日

●200号記念誌上句会・選句一覧(3)

200号記念誌上句会・選句一覧(3)

お待たせいたしました。選句一覧と作者です。句数が多いので、1日1題ずつ、5日間にわたって発表させていただきます。

誤記・漏れ等お気づきのときは、shino.murata@gmail.comまでお願いします。

選句の際に頂戴できなかった選外コメント、ご感想、その他なんでもコメント欄にお書き込み下さい。≫コメントの書き込み方

多数のご参加をいただき、ほんとうにありがとうございました。



【引】

いつせいに椅子の引かるる桜かな  池田瑠那
○埋図○苑を○山田露結○金子敦○沖らくだ○鈴木茂雄○中村 遥○栗山心○佐間央太○すずきみのる○正則○米男○太田うさぎ○めろ
■新入生たちは、着席をまず習う、カタカタと一斉に着席する。本当に可愛らしく、生意気なのは、一人だけである。外から見ていた桜も、それが少し気にはなったか、枝がゆれた。(埋図)
■入学式かな。満開が見える句。(苑を)
■入学式の風景でしょうか。ぴかぴかの一年生たちの姿が目に浮かびます。わが家の長男坊もこの春から新一年生です。(山田露結)
■「いつせいに」に、臨場感があります。(金子敦)
■卒業ならひとつの区切りとして、入学なら白紙のスタートラインとして、「いつせいに」がとてもいい。(沖らくだ)
■一読、規律正しく椅子の引かれる音がする。きびきびした人の動作が見えてくる。この「いつせいに」は椅子だけではなく「桜」にも掛かっていて、窓外には満開の桜が咲き競っている。何の不信感もなく歌えた蛍の光、古きよき時代の卒業式。わたしの脳裡に懐かしい風景を蘇えらせてくれた。(鈴木茂雄)
■入学式か式典の様子でしょうか、〈いっせいに〉がいいですね。(中村 遥)
■新学期の教室のような、初々しい感じがします。(栗山心)
■まさに(佐間央太)
■俳句の本道を行く1句という印象。(すずきみのる)
■この桜には、皆一目置いているのか(正則)
■起立!の号令が聞こえる(米男)
■卒業式や入学式。パイプ椅子の軋む音と、起立した人々の表情が見えてくるのはやはり窓外の桜の効果。(太田うさぎ)
■想像できそうで想像できない設定がシュールです(めろ)

ガラス戸引いて湯気に人体与へけり  山田耕司
○太田うさぎ
■湯気が生き物のような不気味さがなんとも良い。(太田うさぎ)

トンネルに牽引車入る春の雪  藤幹子

のどけしや索引何度読み返す  正則

みつみつと索引つづく庭朧  笠井亞子
○知人○牛後
■索引が続くのはどんな本? 文字にあふれる庭はぼんやりしています。(知人)
■朧なる庭に囲まれた部屋に、びっしりと小さな字で書き込まれた索引。その取り合わせが気持ちよく決まっています。(牛後)

闇を引く牡丹焚火の焔かな  学
○金子敦
■迫力のある焔に、圧倒されそうです。(金子敦)

引きこもりよろしくもぐる春炬燵  沖らくだ

引き回され二月礼者の一日かな  たゞよし
○学
■「引き回され」が二月礼者を表しており、うまい。(学)

引き金を引く指で引け寒の紅  鈴木茂雄
○栗山心○笠井亞子○痾窮○俊子
■カッコいい!峰不二子しか思い浮かびません。(栗山心)
■鈴木清順。(笠井亞子)
■電車の中で化粧している女性をよく見かけますが、周りの視線は気にならないのかな~。(痾窮)
■美人がうかびきて、いいなあ。(俊子)

引き際のわからぬままに踏絵かな  野口裕
○るかるか○風族○義知
■人生の縮図。「踏絵」を出したところが成果。(るかるか)
■こんなことよくありました。(風族)
■いつの間にかここまで来てしまったことに、納得しながらも釈然としない。踏絵という季語が活きている。(義知)

引き際を心得てをり咳ふたつ  楚良
○中塚健太
■「咳ひとつ」だとクリシェ。「咳ふたつ」が巧いんだ、と。(中塚健太)

引き算の宿題する子日の永し  杉原祐之
○苑を○中村 遥○楚良
■三鬼の句に対して「日永」を持ってきたところ、いいな。年齢を見えるし。(苑を)
■季語によりなかなかすらすらと引き算が出来ない様子が伝わり、ずっと見守ってやりたい思いが。(中村 遥)
■計算の苦手な子の宿題はとても長いです。(楚良)

引き時を知らぬ老兵亀の鳴く  痾窮
○正則
■昔気質の人も最近は少なくなった(正則)

引くときに音するドアや朧月  田中槐
○義知○千代○池田瑠那
■押すときには音はしないのかというとそうではない。引くときでも引きようで音はしないのである。朧なる。(義知)
■押しても引いても音がするのではなくて、引くときだけ鳴るというのが、ありそう。なんとなく物悲しい。でも生活感がある。(千代)
■ドアの軋みと朧月が良く合っています。(池田瑠那)

引く際のルルと波紋や鴨の池  めろ
○野口裕
■音が聞こえてくる。(野口裕)

引越のあとの畳と紙ふうせん  天気
○信治○金子敦○たゞよし○憲武○太田うさぎ○鴇田智哉
■ばたばたの中の、うすい感慨をクローズアップ。(信治)
■そこはかとないペーソスに、心惹かれます。(金子敦)
■当事者、作者がどのような状況なのかで解釈が変わってきそうだが、何もかもが無くなった後の部屋は変にがらんとしていて、そこに何かが忘れ去られているとなれば寂寥感が強調される。(たゞよし)
■この紙ふうせんからドラマが始まりそうですね。(憲武)
■幾分日に焼けた畳と膨らんだままの紙風船があたたかく又せつない。直接描かれていないけれど人の匂いがします。(太田うさぎ)
■しみじみと、いい。(鴇田智哉)

引金に三寒きたるひきにけり  るかるか
○沖らくだ○田中槐
■うわー、引いちゃったんですね。命にかかわる方じゃないと思うけど、でも人生にかかわるちょっと怖い感じがする。いい方に転びますように。(沖らくだ)
■切羽詰まった感じ。引金は非日常のものであるはずなのだけれど、そこここにあるような。(田中槐)

引出しに浅蜊酒蒸国境線  佐間央太

引責のボスの項につちふれり  牛後

引鶴の業より発ちて業に降る  千代

心臓と脳の引き合う二月かな  木野俊子
○真鍋修也○るかるか○池田瑠那○柳 七無
■二月は1年のうちで最も寒い時期である。狭心症、心不全、脳梗塞などが死因となる場合が特に多い月である。どちらが先に来るか。どちらが勝つか、負けるか。心臓と脳の綱引きである。(真鍋修也)
■共感。見立てがうまい。(るかるか)
■心臓(ハート)は「こころ」であり、「いのち」でもある。それが料峭の頃、寂しき頭脳と引き合う……、物語の始まりを感じました。(池田瑠那)
■読んだ瞬間に「うわっ」ときました。(七無)

栄螺より闇を引つぱり出してゐる  恵
○風族○杉原祐之○山﨑百花○廣島屋○瀬戸正洋○山田露結○沖らくだ○鈴木茂雄○たゞよし○笠井亞子○楚良○すずきみのる○天気○野口裕○憲武○米男○藤幹子○中塚健太○痾窮○鴇田智哉○山田耕司○俊子
■新発見でもないのでしょうが、私の好みなので。(風族)
■リアリティがありました。身を肝ごと引っ張り出す感じを「闇」と捉えたのが見事です。(杉原祐之)
■栄螺にとっては迷惑なことです。食べられちゃうのですから。人間だって、誰でも何がしかの闇を隠しているのに、です。(山﨑百花)
■嗚呼あれはまさに「闇」って感じですねえ……(廣島屋)
■栄螺の肝を引っ張り出す。肝だけではなく、その回りの僅かな闇もいっしょに引っ張り出す。生きるには背後にある闇でさえ手なづけることが肝心。(瀬戸正洋)
■栄螺の身がうまく取り出せないでいるのでしょう。身を取り出そうと悪戦苦闘しているその様子を「闇を引つぱり出してゐる」と表現したのが見事。(山田露結)
■あのうにゃ~とした物体はまさに!出てくるまではアヤシイ「闇」も、白日のもとに晒すとなんだかな~^^; でもってあとは食べちゃうんですね。(沖らくだ)
■この「栄螺」はサザエの壷焼きのことだろう。その殻から身を引っ張り出すというところを「闇」を引っ張り出すと言ったのだ。断るまでもないが、闇を引っ張り出したことが詩なのである。闇を引っ張り出したあとに残るのは暗くて深い淵だが、ここから男と女の物語が始まるのだ。始めるのはこの一句の読者である。深淵は至るところにあって、闇はどこからでも引っ張り出すことができる。 (鈴木茂雄)
■奥まった栄螺の身を完全に切れることなく引き出すのは案外難しい。「わた」の味も含めてそれを闇と言い切ったのが痛快。(たゞよし)
■「闇」といえば貝なら栄螺。あの黒いとぐろ。小さい頃は栄螺をおいしそうに食べる大人がすごく野蛮に見えたもんです。「引っぱり出す」ことに焦点を当てたのがいい。(笠井亞子)
■その闇を是非とも見てみたいものです。(楚良)
■個人的には特選句という1句です。内蔵と一緒に妙なものまで出て来たという感じ。(すずきみのる)
■ちっちゃい闇wというところが宜しいです(天気)
■闇は、ちょっとだけなら、旨い。(野口裕)
■感覚として通じるものがあります。つげ義春の夢日記を読んででもいるような。(憲武)
■栄螺の殻の内側は磨かれた鏡ようである。そこに潜む闇とは。。(米男)
■いいですね。闇の手応え。闇にいるうちは栄螺の本体も得体の知れないままで、それをさらさんとほじくり出す。(藤幹子)
■まさにそんな感じします。(中塚健太)
■バレ句だと思えばいいのか、単に写生句として。(痾窮)
■私は全部食う派ですが、闇という感覚分かります。(鴇田智哉)
■もう身はほじり出してしまった、その後。爪楊枝かなにかで、栄螺と格闘している、その不毛な情熱。(山田耕司)
■私は貝が苦手だから。闇をひっぱり出しても、また闇が。永久運動の一句。(俊子)

鉛筆の線引いてゐる枯野かな  憲武
○真鍋修也○義知○和人○すずきみのる○天気○篠
■地形が、一本の細い鉛筆の曲がりくねった線の様に見える。枯野の寂寥感を、見事に描写した句であると思う。(真鍋修也)
■枯野が鉛筆で表現できるとは感嘆。この鉛筆は細く削られた硬質の鉛筆。(義知)
■この線は彼岸・此岸の線でしょうか(和人)
■個人的には特選句という1句です。絵画で言うとデッサンのもたらす感触という風ですが、この感覚は黙って浸っていたいというところです。(すずきみのる)
■枯野は鉛筆の感じですよね。スケッチと解しても成立しますが、イメージや質感のまとまりが宜しいです(天気)
■「鉛筆」と「枯野」がお互いに何も説明せずに、ちょっと捻れておさまっている不思議。(篠)

鴨引くや病原菌を撒き散らし  中村 遥
○山崎百花
■時事句でしょう。鳥インフルエンザで、大変なことになっていますね。鴨のせいかも、って。(山﨑百花)

花祭たまご焼くとき油引く  山﨑百花
○信治○佐間央太○一雄○恵○俊子○篠
■音と色が祝福的。(信治)
■玉子焼きが普段着で、卵かけご飯が部屋着。たまごで大きくなりました(佐間央太)
■「たまご焼くとき油引く」が花祭のめでたさとあいます。(一雄)
■当たり前で瑣末な事だけど、「花祭」と合わせると何かとてつもない意味を持ったことのように思える不思議。でもやっぱり気のせい。ただそれだけの事と読みたい(恵)
■当たり前のことを一句にして、出すところがえらい。私は100円ショップのたまご焼き器でえらい目にあった。(俊子)
■色、音、匂いの三重奏。何ともいえない明るさ。(篠)

空にある遠くの凧を引つぱりぬ  鴇田智哉
○信治○一雄○天気○中塚健太○めろ
■実感があります。(信治)
■たしかに凧をあげるとはこのような事です。(一雄)
■地上での実感。そのままなのですが、そのまま言ってしまうほうがむしろコクが出るというケース(天気)
■揚げているという現実感覚の喪失。(中塚健太)
■なんとなく近くより遠くの凧をおそるおそる引っ張りたくなりますね(めろ)

啓蟄や引導渡す口上は  廣島屋
○山﨑百花
■季語が啓蟄ですので、親離れする子に何か言っているところと思いました。子離れするにあたっても、親とは仰々しいものです。(山﨑百花)

綱引きて日の丸揚ぐる紀元節  真鍋修也

黄梅やたくさんの犬に引かれ行く  信治

綱引の綱のとぐろや龍天に  一雄
○和人○天気
■綱のとぐろから龍は天に上るのですね(和人)
■じょうずな見立て。両端にあります、とぐろ。綱引きの力感と「龍天に」がよくマッチ(天気)

索引の一冊薄き二月かな  義知
○瀬戸正洋○和人
■索引が独立している場合は概ね薄い一冊である。二月には、節分、立春、初午、雨水、針供養等の節気や行事がある。索引も、日数が一番少ない二月も薄いということで繋がる。そして、その薄いということを作者は肯定している。(瀬戸正洋)
■なるほど、索引と2月の取り合わせを珍しい(和人)

索引の文字の細かき余寒かな  金子敦
○どんぐり○楚良
■そうそう索引は文字が小さい。(どんぐり)
■調べごとに字が小さく、眼鏡が欠かせません。(楚良)

春の蚊や引き戸がたつくラーメン屋  栗山 心
○恵○柳 七無
■今時そんな店舗がと思うが、あるのやもしれず。ラーメンを食べつつ蚊を払いつつ(恵)
■老舗のラーメン屋のいでたちが目に浮かぶようです。(七無)

春一番彼女ら数人は引火する  知人
○廣島屋○憲武○藤幹子
■上六中九という字余りがほとんど気にならない力強さだと思いました。他の季節の風では確かに引火はしそうにないですね。(廣島屋)
■引火するのは恋の花火か。春一番なのできっと3人でしょう。(憲武)
■春一番が妖怪じみていて良い。(藤幹子)

春昼のジヤリジヤリジヤリと引きこもる  苑を
○知人
■引きこもる前のアクションはどのようなものでしょう。砂か小石を引きずる音に孤独を感じます。(知人)

人格引き終えて拍手のお気軽  埋図

大根引く嶋引く神のごとく引く  風族
○沖らくだ○天気○池田瑠那
■大げさもこう言われるとちょっと荘厳な感じがする不思議。(沖らくだ)
■ひつこいw ひつこさで採らされてしまいました(天気)
■大仰な言い方に、上質のおかしみを感じました。(池田瑠那)

淡雪の引き際早し障子引く  どんぐり

鳥引くや臍の緒のまだ濡れてをる  山田露結
○風族○千代
■こういう句を読むとうれしくなっちゃいます。(風族)
■生々しさにやられた。実際の出産の場面だけでなく、大人になっても精神的にそういうことがありそうな気がした。(千代)

鶴引くや風と会話を交はしては  すずきみのる
○どんぐり
■透き通る声が聞こえてきそうだ。(どんぐり)

二ン月の紐引つぱれば灯りけり  篠
○米男○池田瑠那○田中槐○恵
■他の月でも成り立つのだろうが、二ン月の「ン」がこの句の肝になってる(米男)
■照明の紐を引く句は、今までにもありますが、寒過ぎず温か過ぎずの、「二ン月」の空気に共感。(池田瑠那)
■「二ン月」でなくても成り立つ句と思いつつ、なんだかこの緩さに惹かれました。(田中槐)
■ナゾが多い。二月から紐が出ているようなのが可笑しい。手を伸ばして何やら紐を引っ張れば、なんだか明るくなるのだ。この灯るものは春の訪れとも(恵)

日月の 引き合う余波に 岩崩る  柳 七無

梅の蘂だらりロナウド引退す  米男
○笠井亞子
■2002の大五郎ヘアをはじめ、点のとれるFWのファナティックさを私に強く印象づけてくれたロナウド。人生は短し、いわんやFWの命おや。さてこの句。「蕊だらり」に ちょっとしたロナウド性があると思うのは私だけでしょうか?(笠井亞子)

白鳥も二葉百合子も引きにけり  太田うさぎ

比良八荒引田天功の不思議  和人

恋猫の月に引かれて猛りあふ  中塚健太
○憲武○牛後
■この作者(誰だかわからないけど)しばらく見ないうちに人間探求力が上がったなと思いました。(憲武)
■恋猫が猛りあうのは、月の引力のせいなのか、と妙に納得してしまいました。(牛後)

籤引や外れは紙風船とメンコ  瀬戸正洋


2011年3月2日水曜日

●200号記念誌上句会・選句一覧(2)

200号記念誌上句会・選句一覧(2)

お待たせいたしました。選句一覧と作者です。句数が多いので、1日1題ずつ、5日間にわたって発表させていただきます。

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多数のご参加をいただき、ほんとうにありがとうございました。



【有】

くず餅で有名な店のわらび餅  信治
○一雄
■葛餅からわらび餅がでてきたところが良かったです。(一雄)

これよりは有刺鉄線鳥帰る  正則
○杉原祐之○金子敦○柳 七無 ○篠
■下五の季題「鳥帰る」で視点が一気に上へむくのが面白いです。(杉原祐之)
■少年の頃を思い出しました。「鳥帰る」が上手い。(金子敦)
■北山修氏の「イムジン河」を思い出しました。(七無)
■上を眺める視線が、「これより向こう」をいろいろと想像させます。(篠)

たましひの有無をいはさず鳥帰る  山田耕司
○真鍋修也○たゞよし○米男○柳 七無
■そう。これは本能、遺伝子、DNAの世界だろう。考えて北へ帰る訳ではない。言われてみれば不思議な習性を、的確に捉えた句だと思う。(真鍋修也)
■シベリアに帰っていく鳥の中で一匹や二匹は「日本に残りたい」などと思っているのもいるのだろうか。鴨は残るのもいるが。(たゞよし)
■魂だけでも帰ってくれればいいが(米男)

ダリア植ゑて有無を言はせぬをとこかな  田中槐
○痾窮○山田耕司
■花の中でもダリアは威圧感満点、有無を言わず選ばせて頂きます。(痾窮)
■攝津幸彦か。有無を言わせぬ花としてダリア、よくなじむ。(山田耕司)

バレンタイン有袋類のふりをする  木野俊子
○るかるか○廣島屋○米男○中塚健太
■季語の斡旋が良い。「ふり」でなく、なってしまった方がもっと良かった。(るかるか)
■「有」で「有袋類」を引っ張り出した句は他にもありましたが、わかりやすいようで実は深い意味があるような……。(廣島屋)
■有袋類のイメージはのろま? 結構すばしっこいやつも多いけれど(米男)
■袋は一杯だからチョコはいらない?袋があるからチョコを頂戴?ポップで大好きです。(中塚健太)

ふきのたう有刺鉄線のある午後  苑を
○るかるか
■実際は、有刺鉄線が囲っている空き地に蕗の薹が生えているのだろう。でも、それ以上のものを想起させる(るかるか)

ぶらんこの有りしところの空いてをり  鴇田智哉
○信治○正則○学
■確かな句かと。(信治)
■今はそこにないのか?ちょっと不思議な句(正則)
■発想がいい。(学)

海市いま見えますと有線のこゑ  中村 遥
○知人○山田露結○栗山心○和人○千代◯憲武○藤幹子○中塚健太○鴇田智哉○恵○篠
■夏でもひなびていそうな海水浴場に響く、けだるい声。どこか幻想的です。(知人)
■「有線のこゑ」がいいですね。私が子供の頃にはわが町でも「本日予定されていた○○小学校の運動会は雨天のため、延期です。」といった有線放送が流れました。「ただ今、蜃気楼が見えています。みなさんお早めに見に行って下さい。」とか言っているのでしょうか。(山田露結)
■旅の気分が出ていて、臨場感がありました。(栗山心)
■この間延び感は何だろう。日本海側のなまりが、下の字余りで見えるよう(和人)
■海とラジオが爽快なイメージだが、蜃気楼が出ているという、一筋縄ではいかない味。(千代)
■富山県魚津市ではこのような放送があるんでしょうか。臨場感のある句。(憲武)
■興奮の声ですよね。しかし聴いてる方は冷めてるでしょうね。ギャップが良い。(藤幹子)
■いかにもありそうな景。リアリティを感じました。(中塚健太)
■「海市」と「有線」が響き合っている。(鴇田智哉)
■もしかしたら本当にそんなことがあるのかも。皆手を休めて見にゆくのだ。のんびりとした感じがいかにも春(恵)
■この臨場感。海市がたしかに見える。句の中には声しかないのだけれど。(篠)

絵踏みせし足裏に有り慈顔かな  真鍋修也

亀有をくすぐつてゐる春の風  太田うさぎ
○廣島屋○栗山心○笠井亞子○野口裕○鴇田智哉
■もしかしたらとても写実な句なのかもしれません。でも、「亀有をくすぐる」という措辞が非現実的で面白かったので。(廣島屋)
■「亀有」という地名のイメージが合っていると思いました。(栗山心)
■すばらしい地名だ。風のおかげで亀はすぐにでも鳴きそうです。(笠井亞子)
■どうしても、こち亀を思い出す。あまりにもつきすぎなのが、かえって効果的。(野口裕)
■地名が絶妙。(鴇田智哉)

空有の貼紙剥がれゆく東風よ  笠井亞子
○どんぐり○千代
■地方の寂しさも。(どんぐり)
■小さな荒廃。こんなふうに人工物(に自然が手を加えたもの)が詠めたらかっこいい。(千代)

啓蟄や有平糖の大人買い  野口裕

江の島弁財天恋猫の有無  瀬戸正洋

国有地より恋猫として現るる  篠
○杉原祐之○瀬戸正洋○山田露結○恵○めろ
■「国有地」の空地。そこから現れる「恋猫」。その前はなにに使われていたのか謎めいてきます。(杉原祐之)
■ひとつの歴史と思って見ると面白い。「国有地」とは、為政者の命により緻密に調べられた国の歴史。「恋猫」とは個人の思い出と希望。過去と未来だ。(瀬戸正洋)
■「国有地」といってもいろんな場所があると思うのですが、「恋猫として現るる」と言われると何だか急に「国有地」が妖しい場所のようにも思えてきます。(山田露結)
■国有地といえば荒れ放題の更地などであろうか。私道などをうろついていた猫が、鼻息も荒く、目をらんらんとさせた恋猫として国有地から出てくるというのは何だか風刺的でもある(恵)
■私有地なら恋猫で現れないのか?と軽く突っ込みたくなる(めろ)

桜湯や有袋類を裏返す  藤幹子
○佐間央太○笠井亞子○一雄○田中槐
■うらがへりしてうらがへりしておしり(佐間央太)
■すごく返しにくいと思う。(笠井亞子)
■有袋類を裏返すと、袋が見えるのかな。裏返してはいけない動物を裏返しているような気がします。(一雄)
■袋は裏返したくなります。桜湯のしょっぱさや香りがその動機になるという感じに共感。(田中槐)

子狐と仙人花菜漬有〼  佐間央太

春の雲有蓋貨車の屋根に人  栗山 心
○金子敦○一雄○すずきみのる◯憲武○藤幹子○牛後
■のどかな景に、「春の雲」がぴったり。(金子敦)
■妙な所に人が居ますね。緊急感よりも春の雲で長閑です。(一雄)
■あるいは情景的には日本ではないのかもしれませんが、駘蕩とした印象を受けました。(すずきみのる)
■一読、大列車強盗かキイハンターかと思いましたが、春の雲の下、無為に過ごしている若者でしょう。(憲武)
■のどか。でもインドっぽい。(藤幹子)
■有蓋貨車の屋根に人がいるなんて、アクション映画のワンシーンのようですが、実際は、修理か点検のために登っているだけなんでしょう。青い空、白い雲と、黒い貨車の対比が鮮やかです。(牛後)

春昼の有袋類の袋かな  池田瑠那
○鴇田智哉
■「有袋類」の句があまりに多くて度肝を抜かれたが、それはさておき、この句、飛びぬけておもしろい。「袋かな」って、あなた。(鴇田智哉)

春昼や有閑マダムは蝶の面  米男
○知人
■グロテスクな蝶の顔をストレートに表現にされているなと思いました。(知人)

雪間より有害図書の見えてをり  恵
○山田露結○中村 遥○たゞよし○笠井亞子○一雄○正則
■話題の「有害図書」を題材にしています。「雪間より」がチラ見えな感じでいいですね。(山田露結)
■この冬の間、雪の下に埋もれていた図書、このまま埋もれてそのまま土と化して欲しい。(中村 遥)
■雪の降る前に集積所に捨てられたものか、橋の下辺りに投げ捨てられたものか。有名なアイドルに似ても似つかぬ女の挑発的な顔が雪間に見えたらドキッとする。(たゞよし)
■ここを言うことがやはりおかしい。(笠井亞子)
■雪に埋もれたけど、また出て来る。さすが有害図書です。(一雄)
■有りそうな景に思えて(正則)

地中海よそ事の青さに屈有折  埋図

百千鳥有刺鉄線にて隔つ  山田露結

野遊びや有袋類の全盛期  千代
○牛後
■有袋類の全盛期なら、爆発的な野遊びができそう。エネルギーの満ちあふれた解放感に引かれました。(牛後)

有りたるも無きに同じや春炬燵  学

有り体に言へば墓場のクロッカス  天気
○風族○山田露結○どんぐり○山田耕司
■懐メロの♪かおるちゃん、遅くなってごめんね。。。を思い出して。(風族)
■墓場にクロッカスは不釣合いなものとして提示されているのでしょうか。誰かKYな他人を揶揄しているのかもしれません。「有り体に言へば便所の100ワット」とか、いろいろ試してみたくなります。(山田露結)
■クロッカスの黄に救われる。(どんぐり)
■なんらかを喩えようとしているのである。墓場のクロッカスになぞらえられるものとは何だろうか。そこ面白がれるか否かで評価が分かれる句。(山田耕司)

有り体に言わずにおれぬ磯巾着  沖らくだ
○痾窮○俊子
■磯巾着って口だけで出来ているような姿、さぞお喋り、写生句として。(痾窮)
■磯巾着のもつ悲哀を“有り体”と表現して佳作。(俊子)

有り体に包み隠さぬ枯木かな  憲武

有る者は 「無い」打ち消して 在ると知る  柳 七無
○埋図
■難しい言い方で云えば、それが云える程の文学的才能がないのが問題だが、本当は、それがあろうとなかろうと、大した問題ではない。それが大問題なのである。(埋図)

有楽町出社時間後四温晴  るかるか
○苑を
■午前10時頃かな。有楽町にしては閑散とする、「平日」の、たまたま「四温」で「晴」で長閑な時間。(苑を)

有機燐の人体離るる春の川  めろ
○野口裕
■有機燐自体は人体に不可欠の存在で、死を連想させるはずがないのだが、こう書かれるとどうしても連想させられてしまう。春は死に満ちている。(野口裕)

有限会社殺し屋殺す焼野  知人

有刺鉄線すり抜け春の雀ども  すずきみのる

有刺鉄線春が暴発する危険  牛後
○佐間央太○正則
■すん止めというえろす(佐間央太)
■春が爆発というのが突拍子もないように思えて(正則)

有資格者といふ蝶も紛れ飛ぶ  鈴木茂雄
○和人○藤幹子
■この蝶は自己主張しているのか?なんだかおかしい(和人)
■ハローワークかなあ。ただただ字面どおりに取った方が面白くて好きですが。(藤幹子)

有事とは起こさぬものよ春の風邪  杉原祐之
○楚良
■春の風邪でも戦争が始まりそうな嫌な世の中です。。。(楚良)

有人飛行魚氷に上るごときかな  義知

有線にユーミンの曲鳥雲に  金子敦
○中村 遥
■ユーミンの声質が季語と共通していると思う。何よりも〈有線〉の一語が伝える風土性がいい。(中村 遥)

有線の迷ひ人らし残る鴨  どんぐり
○すずきみのる
■「有線の迷ひ人」はどきりとする景で、とてもリアリティーの感じられる作でした。田舎などでは時に実際に経験することだと思います。(すずきみのる)

有線放送ボートレースが波紋呼ぶ  中塚健太

有田哲平枝に棘ある木瓜の花  和人
○栗山心
■これは有田哲平さん以外、ないでしょう。有吉弘行さんだったら、何でしょう。(栗山心)

有難い話じゃないか猫の恋  痾窮
○山﨑百花○天気○めろ
■なになに?と話に首を突っ込んでしまいそう。季語が猫の恋ですから縁談なのでしょうね。お幸せに。(山﨑百花)
■古い日本映画(麦秋とか)の父親のセリフ。「猫の恋」と近くに付けずに、もうすこし離す手もありますが、これはこれで妙味(天気)
■このご時勢、見初められるだけでも充分良しです(めろ)

有明の春月なれど五十肩  風族
○真鍋修也○笠井亞子
■歯痛が未経験者には分らないように、いやそれ以上に、五十肩の辛さは未経験者には分らないだろう。五十肩なのに、有明の月を見たくて車を運転して来た。しかし、月の素晴らしさより肩の辛さに気が取られる。そんな情景を思い描かせる。(真鍋修也)
■下五へのこの展開は・・・とらねば。(笠井亞子)

有耶無耶にしてしまひたり雛あられ  廣島屋
○沖らくだ○山田耕司○田中槐
■雛あられのかわいらしさで、うやむやにしたことも罪のない内容に感じられるところがいい。(沖らくだ)
■ひな祭りには決まり事が多い。その伝統のようなものをさらりと無視してくぐりぬけ、でも、いちおうは雛あられ。(山田耕司)
■雛あられという幸福感の象徴みたいなものを有耶無耶にしてしまう破壊力(?)(田中槐)

有理数指折り数へ入学す  たゞよし

朧から有人ロケット天の舟  一雄

霾や有事なくても滅ぶ国  楚良
○埋図○和人
■火の国、神の国も少しは怒る。灰が降って、土石流ともなれば、おおごとである。火も、神も国も、おかしなものとなる。(埋図)
■これはまた皮肉な時事俳句。確かに日本にはそのような危機が(和人)

芹の水ひたして有卦のたなごころ  山﨑百花
○沖らくだ○どんぐり
■有卦は七年続くそうで、明るい未来。やや大仰な言葉も、芹を取り合わせたことで全体的にあっさりした感じを受ける。(沖らくだ)
■きれいな水が一際、有卦ときたか(どんぐり)

2011年3月1日火曜日

●200号記念誌上句会・選句一覧(1)

200号記念誌上句会・選句一覧(1)

お待たせいたしました。選句一覧と作者です。句数が多いので、1日1題ずつ、5日間にわたって発表させていただきます。

誤記・漏れ等お気づきのときは、shino.murata@gmail.comまでお願いします。

選句の際に頂戴できなかった選外コメント、ご感想、その他なんでもコメント欄にお書き込み下さい。≫コメントの書き込み方

多数のご参加をいただき、ほんとうにありがとうございました。



【万】

あたたかや糸ひつぱれば万国旗  天気
○真鍋修也○山田露結○金子敦○楚良○すずきみのる○米男○池田瑠那○めろ
■糸というか紐というのか。確かに引っ張って運動会の準備をした。運動会は秋の季語だが、僕らが子供の時には春の運動会もあった。他の行事ではなくて、春の「運動会」の景色と思いたい。(真鍋修也)
■可愛らしい、子供の手品のような万国旗。「あたたかや」の上五が万国旗をより微笑ましいものにしています。(山田露結)
■手品師の帽子から、ですね。省略の効いた句。(金子敦)
■何気なく引けば万国旗、平和な世界となりたいものです。(楚良)
■上質のユーモアを感じます。「紐」ではなく「糸」というのも繊細で良いなと思いました。ふと、宮崎アニメの一コマを思い出したりもしましたが……。(すずきみのる)
■万国旗の間抜けさが季語にマッチしている(米男)
■手品の一場面なのでしょう。春らしい、心の弾みが伝わります。(池田瑠那)
■暖かい日本でだらだらと引く先の万国旗が思わせぶりです(めろ)

うぐひすや万年床をせりだして  どんぐり
○鈴木茂雄○中村 遥
■この「万年床」の主が健康な人かそうでないかによって、句意は若干異なる。つまり、前者なら文字通り無精の万年床ということになる。が、いずれにしても、作者が森羅万象の中から「うぐいす」という季語を斡旋し、なおかつその表記を平仮名で書き表すことによって、読者を明るい春の日差しのもとへと誘うことに成功している。いずれにしてもと言ったが、再読すると「せりだして」という描写に、後者の生に対する執着の逞しさが見えてくる。(鈴木茂雄)
■〈万年床〉がおもしろい。清と濁の対比のよろしさ。(中村 遥)

さえかえるお万の方のかくすメス  知人
○痾窮
■家康の側室(だろう)、人質なら懐剣、字数の関係でメスなのか?解らんけど、先ずは1票。(痾窮)

ジョン万次郎春風に鼻膨らませ  池田瑠那
○すずきみのる
■蕪村的な虚構の世界が楽しい。真実は細部に宿るというのか、細部の切り取り方が本当に巧みで上手いの一言です。(すずきみのる)

なだ万の皿の立派に蕗のたう  杉原祐之

パチンコの玉一万個花の雲  信治
○山崎百花○楚良
■買ったのではなく勝ったのでしょうね、季語が花の雲だから。きっと、うはうはですね。(山﨑百花)
■花の雲が良いですね。良い夢を見させて頂いております。(楚良)

バレンタインデー万力をゆるく締め  憲武
○廣島屋
■下五がよかったのでいただきました。微妙にバレ句の匂いもするのがいいですね。考えすぎでしょうか。(廣島屋)

ポッペン吹く岬に万の頭蓋骨  木野俊子
○埋図○知人○瀬戸正洋○山田露結○鈴木茂雄○野口裕○恵
■どの頭蓋骨も黙っている。だが、そこに爆音がするのである。誰かが云わせているのか。(埋図) 
■この岬は元戦場なのでしょうか。海の音の合間を縫うように響くポッペンの音。おかしくてさみしい風景が目に浮かびました。(知人)
■ポッペンといえば長崎、原子爆弾。ポッペンの音色が万の頭蓋骨に繋がる作者の心の動きに興味を覚えた。「ある出来事」に対して人は自分自身で対応しようとする。それができない場合、外に救済を求める。俳人は俳句を作ることによって、救済を求めるのだ。(瀬戸正洋)
■ポッペンの先端の丸い形状が頭蓋骨を思わせるのでしょう。「岬に」の一語によって、この頭蓋骨が先の大戦で犠牲になった人たちのものだということを連想させます。悲しい一句です。(山田露結)
■「ポッペン」を吹くと海岸線にびっしりと組み込まれた白い消波ブロック(テトラポット)が「万の頭蓋骨」に見えてくる。そんなふうに「岬」から海を眺めていると、ポッペンの音色に呼応するかのように、波間に浮かぶ(浮かんだり沈んだりしているようにみえる)おびただしい数の頭蓋骨が寄せては返し、そのひとつづつから叫びにも似た声が反響としてこの透き通ったポッペンに返ってくる。ここはどこだろう。ここは何処だったんだろう。いったいここで何があったのか。上掲の一句から物語が始まる。すでに始まっている。(鈴木茂雄)
■間延びした音と、過去の惨事の対比が絶妙と感じました。(野口裕)
■ポッペンと岬に吹く風が、さながら鎮魂歌のようであります(恵)

雨に煙る八百万神春競馬  野口裕

花粉症対策万全いざ出勤  正則

岩山を削りし氷河幾万年  楚良

亀鳴くや万年床を畳めよと  中村 遥
○真鍋修也○たゞよし○正則○俊子
■僕も万年床だった。畳むがこの字というのも今知った。亀が鳴くことはない。万年床が畳まれることもない。その取り合わせが僕好みの晩春の情趣となった。(真鍋修也)
■亀が鳴くほどの風の無い暖かな春の陽気。時刻ならば10時か11時頃か。お日さまに笑われますよ、とささやく母親のような亀。(たゞよし)
■虚と実の組み合わせが面白い(正則)
■だんだん匂いがしてきたようです。窓全開させましょう。(俊子)

恨めしや万病抱ふ老いの春  真鍋修也

春ショール久保田万寿を二合ほど  田中槐
○風族○栗山心
■いい酒ですねえ。酔って春ショールに包まれている情景がいいです。(風族)
■艶っぽくて、素敵です。日本酒は全く飲めないので、こんな女性に憧れます。(栗山心)

春の山万歳三唱してゐたり  恵
○中村 遥○一雄○鴇田智哉
■お目出度い雰囲気と活気ある空気が伝わる。(中村 遥)
■たいした万歳三唱じゃなくて、滑稽な感じがします。(一雄)
■万歳の、能天気さがいい。意外な春の山。(鴇田智哉)

春愁の持ち重りせし万華鏡  栗山 心

春の宵万国旗など見せませう  廣島屋
○正則
■手品師のとぼけた感じに味がある表現で良い句になったように思う(正則)

春の星封じ込めたる万華鏡  すずきみのる
○義知○中塚健太
○柳 七無
■煌く感じは冬の星の方が適当かと思うが、万華鏡の色とりどり感はやはり春の星。(義知)
■「春の星」だからこその高メルヘン度。(中塚健太)
■情景の頭に浮かぶ様が、とても綺麗でした。(七無)

春の風とは万国旗かもしれぬ  篠
○瀬戸正洋○太田うさぎ○田中槐
■春風の中に佇んでいたら、まざまざと万国旗のある風景が甦ってきた。僕ならば子供の頃に見たサーカスの万国旗。うら悲しさなど感ずることができず、明るい未来しか考えなかった不健全な精神の時代の話。(瀬戸正洋)
■春風が万国旗そのものという発想に惹かれます。明るさと期待感が広がっていく句。そういう点で「ジョン万次郎春風に鼻膨らませ」もとても好きでした。(太田うさぎ)
■春の風を「万国旗」という喩が的確に表現している。ただの幸福感でないところがよいと。(田中槐)

春は曙お万の方の不妊症  風族
○沖らくだ
■大奥には諸々思惑もあることでしょう、おお怖、というような話も、「春は曙」でちょっと漫画チックに感じられる。(沖らくだ)

春愁の踊つてゐたる万華鏡  金子敦
○たゞよし○佐間央太
■春愁は女のものとな。丁寧に千代紙が丸く張り巡らされている万華鏡には、過去と今とが鏡を通じて違った形の愁いを織り成す。(たゞよし)
■赤い靴になったり青い靴になったり(佐間央太)

春愁や万年暦に焉(をは)りなく  るかるか
○柳 七無
■終わり無い時の流れ感じる憂い、とても共感しました。(七無)

春立つや万に一つの違ひなく  たゞよし
○真鍋修也
■当然のことである。その当然が狂って来ている。今のうちに四季という日本の大自然の素晴らしさを満喫しておこう。(真鍋修也)

八百万の神々笑ひさざめき春  苑を
○学
■見方が面白い。(学)

保険屋が万一売りに来て四月  痾窮
○埋図○知人○山﨑百花○廣島屋○鈴木茂雄○千代
■春になり、入学式も終われば、新入社員の方が蠢き始める。死亡確率表を生命表と言い換えて、生命保険を売りに来る。当人を前にして、懸賞に当たる如く云う。(埋図)
■新年度はさまざまな勧誘業者にとって書き入れ時。ただやってこられる側にしてみれば、面倒な存在―そこがよく伝わってきました。(知人)
■四月。新入社員への勧誘で、保険屋さんは稼ぎどき。四月一日の四月馬鹿も絡んできそうです。(山﨑百花)
■大喜利で座布団がもらえそうな句。感心しすぎてギリギリまでとるかどうか悩んだのでした。(廣島屋)
■この「四月」というコトバには「四月は残酷極まる月だ」というT・S・エリオットの詩の一行が内在している。その四月には必ずやってくる。「万一」という不安を入れた黒い鞄を脇に抱え、笑みをさえ浮かべてやって来るのだ。「保険屋」という言葉の選択からすでに推し量ることができていようが、作者は保険会社の外交員という存在をつねづね苦々しく思っているのである。それは安心や保障という切実な問題を差し置いて「万一」を売り物にしているからだ。だが、けっして真面目にそう思っているのではないことは、この一句の軽快なリズムから察することができる。(鈴木茂雄)
■保険の人が売っているのは「万一」だったのか。四月ごろになるといろんな者が訪ねて来る気がする。保険屋もそのひとつか。(千代)

万(よろず)の目 貼り付き睨む 裏まぶた  柳 七無

万の蓮眠る関さん革命見る  佐間央太

万屋が焚き火のごとくなくなりぬ  鈴木茂雄

万力を締め上げてゆく春の月  山田露結
○鈴木茂雄
■「万力」と「春の月」とのあいだには何の因果関係もない。そう思うのは科学万能を信じるわれわれ現代人の悪弊ではないかと思うときがある。こういう作品を読んだときがそうだ。なるほど、いま昇っていく「春の月」が「万力を締め上げて」いる、締め上げるような作用を地球に及ぼしながら春の月が昇ってゆく。けっして錯覚ではない。それは月には何か不思議な力があると信じているところがわれわれの側にあるからだろう。ことに「春」にはそういう力が漲っている。(鈴木茂雄)

万屋の真ん中に立つ午祭  義知

万華鏡巡りて同じ黄沙降る  千代

万歳に腕は裸となりました  山田耕司
○鈴木茂雄○笠井亞子○藤幹子○牛後○篠
■「万歳」をしている光景をテレビか何かの映像で見て、作者は遠き日のことを思い出したのだ。意に反する「万歳」だったのだろう。「腕は裸となりました」に自嘲の心理的投影図がある。季語は「裸」だが、この句はそんなことを取り沙汰する範疇の埒外にある。和服の袖から丸裸になった腕が恥じ入るように俯いている。(鈴木茂雄)
■明るく、目出度くおかしく、そしてちょっぴりかなしい。(笠井亞子)
■講談調の泣かせるリズム、なのに「…そうですか」としか言えない内容、面白い。(藤幹子)
■バンザイをして見送った後の、めくれて露わになった腕に淋しさが感じられます。(牛後)
■和服の景でしょうね。ありのままを「なりました」と結ぶ可笑しさのなかに、「裸」の哀感。(篠)

万屋の店番になる風信子  学
○どんぐり○鈴木茂雄
■風信子がうまく溶け合っている。チュウリップではダメだと思う。(どんぐり)
■過日、「銀河系のとある酒場」で出会った「ヒヤシンス」が、きょうはなんと「万屋の店番」になっていた。だが、驚くには当たらない。こういうことはよくあることだ。酒場には「ヒヤシンス」が、万屋には「風信子」がじつによく似合う。そう思うだけでこの一句を読んだ価値はある。人が店番をするのは当たり前だが、花が店番をするというのだから驚く。この驚きが詩なのだ。(鈴木茂雄)

万歳は傘と箒や雪だるま  中塚健太
○真鍋修也○杉原祐之○金子敦○どんぐり○楚良○篠
■ある。ある。と言いたくなる風景。傘も箒も今でも家庭にある。しかし、目や口として使った豆炭はないだろう。近所の子供たちは、今は何を使っているのだろう。(真鍋修也)
■写生が効いています。素材を冷徹に見つめています。(杉原祐之)
■どちらかに統一してあげればよかったのに(笑)(金子敦)
■雪掻きお連れ様の万歳に。(どんぐり)
■いや確かに万歳をしています。(楚良)
■雪だるまの両手を「万歳」と言ったところが楽しい。(篠)

万力に締めらるる棒冴返る  めろ

万障を繰り合はせたる朝寝かな  太田うさぎ
○鈴木茂雄○和人○恵○俊子
■こういう作品に解説は不要だ。「万障を繰り合わせ」てどこへ行くかと思ったら・・・。どんでん返しに意味を探るのは詩の仕事ではない。コトバと遊んでいるから「朝寝」のようなものでも詩になるのである。(鈴木茂雄)
■この季語にあっていない大げさ感が好きだなぁ(和人)
■朝寝が最優先されているのが羨ましくも可笑しい。できれば年中そうだったらいい(恵)
■リアルな一句です。(俊子)

万太郎の文字ころころと草団子  笠井亞子
○杉原祐之○瀬戸正洋○栗山心
■「ころころ草団子」が上手い。ほんわかとします。(杉原祐之)
■万太郎の文字はころころしている。草団子もころころしている。万太郎の好物なのだろうか。(瀬戸正洋)
■意外性に惹かれました。草団子も文字を連想させて良いと思いました。(栗山心)

万端の端から落ちる薮椿  沖らくだ
○鈴木茂雄○痾窮
■この作品も解説は不要だろう。「万端の端」ってなんだろう、と詮索してはならない。およそ詩的とは言い難いコトバ、用意万端の「万端」。その「端」から落ちるから詩的なのである。この「藪椿」が動くか動かないか、これを詮索するのは無粋というもの。落ちるのは藪椿であると、作者が断定したのだ。詩は断定にあり。(鈴木茂雄)
■何事にせよ完璧などはない、強固に見えた中東の独裁政権も次々とポックリ死。(痾窮)

万灯をもつて春夜の婿迎へ  藤幹子
○太田うさぎ
■ノスタルジックかつ幻想的。(太田うさぎ)

万物が水であるなら春の水  牛後
○義知○沖らくだ○たゞよし○正則
■雪解けの水の迸る様子。生命を感じました。(義知)
■明るくてあったかくてめでたい感じが好き。(沖らくだ)
■命が生まれて来る予兆を持ち合わせた温かい春の水。「あるなら」という強い見做しに惹かれた。(たゞよし)
■水はすべての源か(正則)

万力に挟まれてゐる春愁  米男
○金子敦
■そこはかとないペーソスに、心惹かれます。(金子敦)

万札を八つ折りにして蜆汁  山﨑百花
○杉原祐之○野口裕○藤幹子○山田耕司
■飲み会の精算を済ませたのでしょうか、丁寧に札を折畳み「蜆汁」を啜る。ちゃんとした場に慣れている感じがします。(杉原祐之)
■蜆汁だけの食事をさっさと済ませて、急用に向かうところでしょうか。小さな殻に身がどっさり付いていることでしょう。(野口裕)
■息子の嫁さんにでも渡すんでしょうかね。八折りがリアル。(藤幹子)
■誰かに握らすのか万札。蜆汁に「オトナの都合」が溶けている。(山田耕司)

万力を締めたり鳥は雲に入る  鴇田智哉
○中村 遥
■理由はないのですが、何故か直観的に鳥の首と万力がだぶって眼前に見えてしまって…。 徐々に徐々に恐さが漂う句。(中村 遥)

恋猫の声や萬屋錦之介  和人
○廣島屋
■確かにあの人は妙に高音で色気があります。(廣島屋)

露しとど万量生産・万両消費日の翌朝  埋図

朧月亀屋万年堂に入る  瀬戸正洋
○苑を○和人○一雄○めろ
■これは本店ですね。固有名詞の「亀」「万年」を生かして、店を知らなくても雰囲気あります。(苑を)
■私も朧月もたまには亀屋万年堂に入るのでしょう(和人)
■お菓子が懐かしと言うより、亀屋萬年堂という名前が懐かしいです。俳句に使える名前です。(一雄)
■湿り具合と亀屋万年堂さんの入口がほどよい距離です(めろ)

涅槃会のインクの漏るる万年筆  一雄
○山田耕司
■何かの「終り」を終りにしきれない風情。「漏」が効いている。(山田耕司)