2011年7月31日日曜日

【林田紀音夫全句集捨読・番外編】二十句選 2/4 野口裕

【林田紀音夫全句集捨読・番外編】
二十句選 2/4

野口 裕

本誌・林田紀音夫全句集捨読


6 滞る血のかなしさを硝子に頒つ (p77)

塚本邦雄「百句燦燦」には、「鉛筆の遺書」と「滞る血のかなしさ」、二句が取りあげられているが、俳句門外漢の頃の私にとって、林田紀音夫の名は、「鉛筆の遺書」よりも「滞る血のかなしさ」とともに記憶されている。「許されず」と書いているが、屈する前に反抗があったようには見えない。流血ではなく、血も静かに抜き取られた。昆虫標本のように硝子上に置かれる血。林田紀音夫が「血」の特性として上げているのは、生命のシンボルとしての血ではなく、色でもなく、凝固性なのだ。確かにそれは、彼の句の特色をペシミズムと呼ぶにふさわしいものだろう。だが、受け身でありながらも、一面で冷静な意志につらぬかれた観察眼がもたらしたものでもある(「林田紀音夫全句集拾読」から)


7 他人の眼鏡に銀いろの河ジャズ途切れ (p79)

金子兜太に、「どれも口美し晩夏のジャズ一団」(昭和43年刊「蜿蜿」)がある。この句はそれを意識しているだろう。「美し」は一瞬の出来事。終わった後の孤独(孤立?)の象徴としての川の色を映す眼鏡。高揚が徐々に引いてゆく様を活写している。


8 ピアノは音のくらがり髪に星を沈め (p80)

写すときに、「星沈め」とタイプしていた。もう一度本文を確認すると、「星を沈め」となっていた。この「を」は、リズムの上で重要な役割を果たしている。リズムを整えると、描写だけに終わるように感じるところが、「を」によって、描写される髪に読み手の意識が引き寄せられる。対象となっている髪は配偶者のものではないだろう。隔世の感がある。(「林田紀音夫全句集拾読」から)


9 泡の言葉のみどりご鉄の夜気びつしり (p82)

嬰児の喃語を、「泡の言葉」といいとめたところは見事な表現。対して、外界の状況を認識する作者の目には鉄の夜気が映っている。この誕生を素直に祝う気持ちと、こんな幸福があるはずがないと言いたげな戸惑い、すぐにこの幸福は崩壊するに違いないという予感がない交ぜになった句が、長女が誕生してから並ぶがその中では一番の出来。

  -長女亜紀誕生
  レールをわたるそのひとりの生誕
  生後すぐのたたかい満面に蟹棲まわせ
  嬰児翅生みゆりかごの父を責める
  泡の言葉のみどりご鉄の夜気びつしり

十五句ほど長女生誕に関係したものが続くが、その中から抜粋。正直パスしようかとも思った。だが、やはり拾っておこうという句もある。「レールをわたる」が、人生の悲惨を連想させる。だが、そう言っている口の端から笑みがこぼれるようなところあり。「ゆりかごの父を責める」は、ちょっと甘いかもしれない。「満面に蟹棲まわせ」や「泡の言葉のみどりご」が、印象的な言い回し。(「林田紀音夫全句集拾読」から)


10 乳房をつつむ薄絹夢の軍楽隊 (p85)

句集の流れからは、母子像と読める。ただ、一句独立して読む場合には、母子像とは無関係と読むこともあり得る。ただし、そう読むと句の後半の措辞は不安定になるだろう。「林田紀音夫全句集拾読」ではスルーした句。紀音夫の吾子俳句に特徴的な、幸福とその失墜の予感のうちの、幸福のみが描かれているような気がしたからだ。しかし、言葉による聖母子像として見事であると思い返して、この二十句選では選び直した。


2011年7月30日土曜日

【林田紀音夫全句集捨読・番外編】二十句選 1/4 野口裕

【林田紀音夫全句集捨読・番外編】
二十句選 1/4

野口 裕


1 少女が黒いオルガンであつた日の声を探す (p69)

紀音夫のロマンチシズムがよく出ている句。この句で思い出すのは、三鬼の「白馬を少女?れて下りにけむ」。白と黒、オルガンと馬を対比させてみれば、少女への視線は同質であるといえる。紀音夫句の場合、過去形の少女であるだけに、この時代特有の破調であるが、「黒いオルガンであった日の声」が、喪失感を良くつたえている。

   列の拘束いつまでも白いトルソ立つ
   鋼材を移し囚徒の歩幅に似る
   胸腔に海を湛えたながい失語
   遺体の泥は拭った後も忘れるな
   トンネルが奪う日本海上の星一粒
   沖の曇天パン抱いて漂泊をこころざす

個々の句の意味、個々の句の鑑賞は今回やらない。一気に連続六句を並べたのは、どうもこのあたりリズムが悪いなと感じるからだ。現代仮名遣いの変更にともなって、口語文脈を句に取り入れようとしたせいだろうか。「立つ」。「似る」が必要なのか、などとどうしても考えてしまう。実験中という不安定さを抱えている、としておこう。ただし、トンネルの句は捨てがたい原石の輝きを放っていると見た。(「林田紀音夫全句集拾読」から)


2 トンネルが奪う日本海上の星一粒 (p70)

表現上、海ではなくなぜ日本海なのかを考えてゆくと、芭蕉の「荒海や佐渡によこたふ天河」に突き当たる。

照明のある列車の室内から窓の外の星の光を見ようとすると、列車内の光景には目を背け、ひらすら窓の外を見つめ続けなければいけない。しかし、そうしても天の川どころか星ひとつがいいところ。だが無情にも、トンネルはそれさえも奪ってしまった。芭蕉句を巡る思索はそこで中断された。

上述の文は、紀音夫句が抱える戦後史とは無縁である。そこを考えてゆくと、日本海は別の歴史から導かれることになるだろうが、とりあえずこう解釈しておく。


3 その日が食えた明るさの乾いた陸橋 (p73)

その日が食えたことへの喜びを表す句とも取れるが、喜びよりもとまどいがあるように感じる。喜びを表す物として「乾いた陸橋」を持ち出してきたとは考えにくい。

時代は、高度経済成長のまっただ中。それまで必死に生きてきたけれど、そんなに事はうまく運ばなかった。なのに、今頃なんでこんなにうまくいくのか。陸地を渡るのに橋が要る。何か変だ。そんな気分ではなかろうか。(「林田紀音夫全句集拾読」から)


4 騎馬の青年帯電して夕空を負う (p74)

一瞬の幻想が現れる。句自体は旧知なのだが、句集の流れの中に出現するとびっくりする。林田紀音夫は、第一句集以前の作品、戦前の作品を残していない。何かその辺に根のあるような句ともとれるのだが、思い過ごしかもしれない。余談ながら、「騎馬」の誤変換で「牙」が出てきたのも興味深い。(「林田紀音夫全句集拾読」から)

騎馬はそれほど日本の風景とはなり得ない。そこで考えられるのが、紀音夫が従軍体験で得た華北の風景。「馬賊」というような言葉も、紀音夫にとってそれほど遠いものではなかっただろう。この句は、「火の剣のごとき夕陽に跳躍の青年一瞬血ぬられて飛ぶ」(春日井健)と発想を同じくすると考えられるが、春日井の歌が過去からも未来からも切れて、今この瞬間の光景であるのに対し、紀音夫句は「夕空を負う」となっているように、過去を背負っている。紀音夫は歴史から逃れられない。


5 いつか星ぞら屈葬の他は許されず (p77)

古代の人が、屈葬を行った理由については諸説ある。

A 掘らなければならない墓穴が小さくてすむためという省エネ説
B 胎児の姿勢をまねて再生を願ったとする説
C 休息の姿勢であるという説
D 死霊を恐れた事が原因とする説

これらの説が互いに隔たっていることから、屈葬に対する意識が変遷したのではないかと想像できる。その変遷は、屈葬が次第に消滅していったことから、屈葬に対して肯定的なものから否定的なものへと変貌したのであろうと想像することも容易である。紀音夫句の「許されず」は、意識が変遷しきった後の否定的なところから出た言葉なのだろうが、句にはどこか2にあるような肯定的な気分も漂う。それは、「いつか星ぞら」というような俳句では滅多に見られない悠長な出だしに起因すること大である。「星空」ではなく、「星ぞら」とかな交じり表記にしていることもそれを補助している。「許されず」と命令した他者の絶対性には抗いがたいとする感性を、古代の悲劇ならよくあることだが、近代に至った今日において表現するのは難しい。しかし、この句はその難事を、悠長な出だしをトランポリンのバネのように利用して軽々と超えてみせる。

ちなみに、春日井健に「跳躍ののち風炎がかぶされり屈葬の型にうづくまる背に」がある。歌集「未成年」では、「火の剣の…」の二首後である。

『Melange』の編集長、寺岡良信氏の作品がいつもながら俳句と詩の接点を感じさせて刺激的である。

 伝説   寺岡良信

 溺谷の淵で夕陽を拾つた
 銃眼の底で月光を拾つた
 霧氷を泳いできた馭者の嗚咽も
 今日腑分けされる白鳥の吐息も
 遠い故国のリラ冷えの甌ほどに
 つめたい
 曉が地に命じてとどけた泉に
 沐浴せよ屈葬の囚人たち
 曉は伝説を燃やす青い焚書の炎
 オリオンは磔刑のまま頤の奥に
 無垢なわたしを射る

思わず、林田紀音夫の「いつか星ぞら屈葬の他は許されず」を意識したかをたずねると、十分意識していたとの答だった。「無垢な」の部分に疑問もあるが、全体としては見事な詩になっている。俳句から離れて俳句と出会う。いつも、不思議な体験をさせてもらっている。(「林田紀音夫全句集拾読」から)

2011年7月29日金曜日

●金曜日の川柳 樋口由紀子


樋口由紀子
  







大阪市都島区に鳴るギター

中尾藻介 (なかお・もすけ) 1917~1998

昭和42年の作。そういえばギターの音色を久しく聞いていない。確か我が家にもギターはあったはずだがどこにいったのか。捨てたのか、それとも物置の奥にでも仕舞われているのだろうか。以前は窓辺でギターを弾く姿は映画のワンシーンにもよく使われたし、身近でもよく目にした。ギターを弾く姿は絵になり、その音色は哀愁を誘う。(と思っていた。)

作者は仕事か用事を終えたあとに、偶然耳にしたギターの音色に弾いている人を思い、同じ感慨にふけったのだろう。

この句を最初に見たときは「大阪市都島区に」が五七で、地名をこんな風に詠めるのだと感心した。都島区は大阪市の北東部に位置し、区の北部には淀川が流れている。「に」が効いている。『中尾藻介川柳自選句集』(1987年刊)所収。

2011年7月27日水曜日

●うぶげ

うぶげ

熱さめて虹のうぶ毛のよく見ゆる  八田木枯

水泳に灼けて女の産毛消ゆ  辻田克巳

白桃に諸行無常の産毛あり  櫂未知子

枝豆の産毛を口にして痩せる  大石雄鬼


2011年7月26日火曜日

●1972 中嶋憲武

1972

中嶋憲武


「ぴあ」の最終号を買ってみた。

1972年の創刊号復刻版が付録に付いていて、貴重な歴史的資料となっている。

ゴッドファーザーが7月15日から、今は無きテアトル東京で公開されている。個人教授、ひきしおなどもこの年だ。表4がひきしおの全面広告てか全面チラシになっていて、「よせてくる波は二人の愛を深め… ひいてゆく潮は、ふと、二人を孤独に…

太陽と白砂の浜辺に ドヌーブの髪は乱れ 愛は哀しくきらめく」という惹句が付いている。

音楽は異質なというか混沌とした組み合わせが興味を引く。

日本青年館ホールでは、7/15にガロ、頭脳警察、マギー・メイ。観たい。

7/16にポプコンの東日本大会が厚生年金ホールで開かれていて、ゲストに上条恒彦、ジュンとネネ、モップス。司会が大石悟郎。ううむ観たい。

他に観たいところでは、よしだたくろう+井上尭行グループ、日比谷野音の、かまやつひろし、加藤和彦+サディスティック・ミカ・バンド、成毛滋+コライドエッグ(フライドエッグの誤植か)、7/26には青山タワーホールでケメとピピ&コットが、郵便貯金ホールでは、はっぴいえんど、遠藤賢司、小坂忠+フォー・ジョー・ハーフがっ、ジャン・ジャンではRCサクセションと井上陽水、長谷川きよし、浅川マキ、はっぴいえんど+ジプシー・ブラッド、松岡計井子等が連日入れ替わり出演している。うううむ、観たい。ものすごく観たい。

来日アーティストはどうだろう。オイゲン・キケロ、ジェスロ・タル、エマーソン・レイク&パーマー、ショッキング・ブルー(!)、マル・ウォルドロン+笠井紀美子、ファンダリエンソ楽団(!!)、ダスティ・スプリングフィールド、そしてかのディープ・パープル先生だ。どうだ、すごいだろう。聴きたいだろう。ぼく的にはそのころ小学校6年生でピンポンパン体操など聴いてたので、この辺のシーンはまったく把握してなかったんだけどね。

2011年7月25日月曜日

●月曜日の一句 相子智恵


相子智恵








おくのおに・ないてゐるおに・しんだおに  村井康司


同人誌「鏡」(2011.7/創刊号)「津波見に行きて干潟を見て帰る」より。

「晩紅」休刊を経て、八田木枯氏らが同人誌「鏡」を発刊した。創刊号。

掲句、村井氏は作品に添えたエッセイで〈高柳重信が、三橋敏雄が、攝津幸彦が、塚本邦雄が、もし健在だったら、この厄災(筆者注:東日本大震災)をどう詠んだのだろうか〉と書く。

死者のことを「鬼」というが、この句にまずはそれを思った。

だが〈おくのおに〉とは何か。億人の「億」か、奥州の「奥」か、それとも記憶の「憶」なのだろうか。いずれにせよ重い〈おく〉だ。〈ないてゐるおに〉からは、私は幼い頃に読んだ『泣いた赤鬼』の童話を思い出した。そこからの連想で〈しんだおに〉は、幾多の昔話の中で退治されていった鬼たちを思い起こさせた。死者への鎮魂が、いつしか鬼の深い悲しみに転化してゆく。

『全訳古語辞典』(旺文社)には〈漢字の「鬼(き)」は死者の霊魂の意だが、日本の「おに」は、元来これとは別の観念である。「おに」は、「隠」の字音「おん」からの転で、本来は形をみせないものだったようだ〉とある。

童謡のように口誦性のあるこの句の、平仮名の「おに」は悲しい。「おに」という語を発するたびに、おんおんと深いところから湧く、見えないものたちの悲しみが、心に押し寄せる。


2011年7月24日日曜日

〔今週号の表紙〕第222号 虹 宮本佳世乃

今週号の表紙〕第222号 虹

宮本佳世乃



あなたにこの虹のすべてをあげよう

すべての半分をそろえてあげる
水の半分
海の半分
茜の半分

それから
雲の半分
朝の半分
光の半分

風の吹く丘
ハイビスカス

彼方にある
すみか


写真はワイキキビーチ。



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2011年7月23日土曜日

●苔 中嶋憲武



中嶋憲武


恋をすると不安だ。だから本当は恋なんてしたくない。年がら年中彼女の事が気になってしまう。落ち着かないのだ。今夜の空模様みたいに。ついさっきまで晴れていたと思ったら、冷たい風が吹き出して猛烈な雨になった。ひどい雨だ。スクランブル交差点の中ほどでざあっと来たので、目についたコーヒーショップに入った。苦くて濃いコーヒーを飲みながら、雨の渋谷を眺めた。

昨夜の俺は有頂天であった。有頂天のひとりよがりで余計な事まで喋りすぎてしまったのかもしれない。駅で別れるとき、素っ気ない彼女の横顔が気になった。

降り止まないので透明な傘を購めて、JRに沿う公園を歩いた。銀色の雨の中、彼女の横顔ばかり目に浮かぶ。果たして俺は何を言ってしまったのか。ローファーはつるつる滑るし、彼女の機嫌は気になる。重苦しい夜空を浮遊する海亀のような気分だ。ぼんやり歩いていたら滑って転んだ。チノーズは泥でびしょびしょ。苔? 外灯の明かりに苔がぬめぬめと光っていた。最低。

  世界ぢゆう雨降りしきる苔の恋  西原天気 (はがきハイク・第4号)

2011年7月22日金曜日

●金曜日の川柳 樋口由紀子


樋口由紀子
  







茹で玉子きれいにむいてから落し

延原句沙彌 (のぶはら・くしゃみ) 1897~1959


初出は1951年川柳誌「ふあうすと」。当時の玉子は貴重品であった。私も子ども頃の遠足にお弁当と別に茹で玉子と塩を入れた袋をよく持たされた。おかずの補助品であり、お弁当を食べた後に茹で玉子を食べるのは楽しみの一つであった。殻をきれいにむいて、さあ食べようとしたらつるんと手からすべりおち、せっかくの玉子が土まみれになったことがある。あーあーである。誰にでも思い当たることを川柳に詠んでいる。人生はこのようなことの繰り返しかもしれない。

〈噴水のくにゃくにゃくにゃととまりけり〉。句沙彌には軽妙なユーモア句が多い。『川柳延原句沙彌句集』(ふあうすと川柳社内、句沙彌句集刊行会 1964年)所収。

2011年7月21日木曜日

●east end girl

east end girl


2011年7月20日水曜日

●ハンカチ

ハンカチ

ハンカチを清ら銀座につとめけり  山口青邨

蝙蝠にハンカチ借りるふと泣けて  渋谷道

祖父の振るハンカチ白くゆるやかに  高野素十

春哀し胸にのぞけるハンケチも  久保田万太郎

ハンカチは美しからずいい女  京極杞陽

ハンカチのやうな蛾のゆく晴夜かな  柴田千晶

たはむれにハンカチ振つて別れけり  星野立子

2011年7月19日火曜日

●週刊俳句・第220号を読む 江渡華子

週刊俳句・第220号を読む

江渡華子


〔句集を読む〕興梠隆『背番号』を読む ハイクマシーン(佐藤文香×上田信治)より。

文香 「ぶらんこの子の顔が飛ぶ日暮かな 」には、驚いた。

信治  これは描写の句ではないの? 

文香  顔だけ飛ぶことはないでしょう。ホラーだ。

信治  日暮れだから、顔だけビュンビュン飛んでいる「ように見える」ってことかと。

文香   これは、俳句への疑念に感じられた。それに、この書き方は「ビュンビュン」じゃないぜきっと。

信治  ああ、おもしろいな。それはきっといい読みだ。

文香  子供はひとりだよ。このぶらんこのある公園全体に、この子しかいない。

このホラーを、ぶらんこ(春)且つ「日暮+かな」でいかにもフツーの一句と同じように
見せてるあたりが、ヤバいと思う。この人は、俳句きらいなんじゃないかと。

確かに。普通に見せることができるのが、隆さんの巧みなところだと思う。私は5句あげるのなら、この句を入れたと思う。シュールで素敵だ。この句は、妄想させてくれた。見えた情景は、文香さんの見た情景に近いかもしれない。


少年は、ブランコを漕いでいた。漕ぎ始めてから、そう長い時間は経っていない。それまでは友達と色鬼をやったり、ジャングルジムに上ったりしていた。皆が帰ってしまったさっき、さてどうしようかと見渡して、ブランコが目に入った。普段、酔うからブランコはあまり漕がない。どんどん高くまで漕ぎ、漕ぐのをやめて、また高くまで漕ぐ。繰り返すうちに、やっぱり酔ってきた。漕いでいるうちに、あっという間に日が暮れた。夕焼けが鮮やかになる頃、公園に電気が灯る。電気はブランコを照らさないから、ブランコのある場所は、空と一緒に暗くなるのだ。

暗いのは、怖い。公園は暗い場所が多い。家に一人でいる怖さとはまた違う。

また強くブランコを漕ぎ始める。ブランコの終わり方はいつもこうするというやり方のために。

大きく大きく揺らし、一番高いところで、跳んだ。地面から跳ぶ時は、足が一番先に出るけど、ブランコは、顔が一番先に出る。その時、顔だけの存在になるような気分がして、それが楽しい。

跳んだ瞬間、光のあたる場所に出た。顔から、光に入ったのだと思う。


俳句を詠み、詠まれた俳句を読むことは、堂々巡りにも思える。しかし、俳句を読んで、散文化されたものが、再び俳句に戻ることはない。それは、読むとき、読む対象が完全なる詠まれたものだからだと思う。散文化されたものが、俳句に戻ることがないと言って
も、それは広がった世界が再び同じ17音に収まることがないという意味で、あくまでそれは17音から広げた世界だということだ。

「こんな世界を感じとった」「作者はこんなことを言いたいんだと思う」

凝縮した17音から、そういうことを並べる意味を、まだ見つけることはできない。完成された作品をくずして、散文にすることに意味はあるのだろうか。

もしかしたら、読むことが一番俳句のためにならないのかもしれないと不安になることもある。上手く読めなかったことが、その対象である俳句が人目に広がる時に、悪影響を与えることはあると思うから。

それでも、読むのだ。無駄なことなのかもしれないが、私が俳句を詠むとき、どんな読まれ方でも、読んでくれる人がいると信じて詠んでいるのだから。

2011年7月18日月曜日

●月曜日の一句 相子智恵


相子智恵








水面の雨粒まろし生身魂  山口昭男


句集『讀本』(2011年6月/ふらんす堂)より。

「生身魂(いきみたま)」は私にとって、俳句を作らなければ知らなかった言葉のひとつだ。

『図説 俳句大歳時記』(角川書店)には、お盆に目上の人に対して礼を行うという生身魂の一般的な解説があった後、「生者の霊(みたま)を意味する生身魂は、祖霊に対応する語であると同時に、祖霊そのものをも生身魂と呼んだ例がある」と出てきて驚いた。死者の霊も「生身魂」と呼んだ地域があるというのだ。生の延長線上に死があると同時に、死の延長線上に生がある。生死をつらぬく「たましい」というものの不思議さ。

さて、掲句。水面に落ちた雨粒が跳ねて、球形になる。いわゆる「ミルククラウン」というやつだ。水面をじっと見つめる作者の目には、スローモーションのように跳ねては消えてゆく水の玉が、ひたすらに繰り返されている。

一粒の雨に目を凝らせば、生まれてすぐに消えてしまう水玉に、生のはかなさと一瞬の生の輝きを見ることができる。と同時に、降り続く雨全体を見れば、絶え間なく繰り返される水玉からは永遠が思われてくる。

〈まろし〉と描写された丸い雨粒。その水玉の「たま」と、生身魂の「たま」は遠く響きあう。不思議な取り合わせである。


2011年7月17日日曜日

〔今週号の表紙〕第221号 精霊棚

今週号の表紙〕
第221号 精霊棚

西原天気

佃島盆踊りは、毎年7月13日~15日。曜日で定めないところが潔い。今年は15日20時からの「大人踊り」を観に行きました(「子供踊り」はそれより早い時間)。

社が住吉さんであることからもわかるように、佃島は、むかし(江戸初期)、大阪の佃村から移ってきた人たちが住んだところ。古い東京のなかでも異質な場所です。

もんじゃ焼きで有名な月島は、佃島の隣り、というか、余所者の私にとっては「おんなじような」場所です。

写真は、盆踊り会場の一画に設けられた精霊棚(盆棚)。数年前に撮影したものですが、今年も同じ場所にありました。

盆踊りの櫓から見て、精霊棚の向こう側が隅田川。屋形船が浅草方面へと上っていく。川の向こうには聖路加病院の新しいタワーも見えます。今年も川風が涼しく、気持ちのいい夜でした。



2011年7月16日土曜日

2011年7月15日金曜日

●金曜日の川柳 樋口由紀子


樋口由紀子
  







金魚鉢かきまはしたい気にもなり


浅井五葉 (あさい・ごよう) 1882~1932


浅井五葉は「川柳は写生」と提唱した人である。しかし、俳句の写生句とは肌触りが違う。金魚鉢を見ての写生句なのだろうが、金魚鉢のありさまは詠んだモノでも、金魚鉢の客観的事実を書いたモノでもない。金魚鉢を見ているとかきまわしたくなったコトを書いている。

「触らないでください」という張り紙をよく目にする。触ってはいけないとわかっていてもつい触ってしまう人がいるからだろう。

金魚は涼しそうに泳いでいる。こう暑いと水の中に手を入れたくなる。ひやっとして気持ちいいだろう。ついでにかきまわして金魚はびっくりさせたくなる。人間の遊び心を軽く突いている。原発も節電も関係のない、古き良き日本ののんびりとした夏。五葉は日本最大の結社「番傘」の創立同人。「番傘」(1915年刊)収録。

2011年7月14日木曜日

●500 Days of Summer

500 Days of Summer

2011年7月13日水曜日

●原子力10句 西原天気

俳諧スピーチバルーン・シリーズ03
西原天気 原子力




2011年7月12日火曜日

●握れ寿司職人 中嶋憲武

握れ寿司職人

中嶋憲武


暑いし御徒町なので、回転寿司に入る。
ぼくの場合、注文はしない。ぐるぐる回ってる寿司を取る。
それが俺の流儀。
なかなか繁盛してる店らしく、客がぎっしり。
まず、帆立。つぎに穴子。
カウンターのなかに寿司職人がふたり。
つぎつぎに注文が来るので、それに応えるのに必死と言ったありさま。
寿司はあまり回っていない。
マグロ、烏賊、イクラと取る。
ここでまた穴子が食いたくなったが、穴子はもう回ってない。
そこで寿司職人に穴子穴子穴子穴子握れ握れ握れとテレパシーを送る。
寿司職人は海老を握り始め、6皿ほど握ったところで回す。
回ってきた海老を食う。
穴子穴子穴子穴子握れ握れ握れ旅立て女房女房女房。
寿司職人は、甘海老を握り始め、やがてそれを回す。
隣の太った若いアベックの男が、サーモンのマリネさび抜きでと注文。
まあいい。
サーモンのマリネを余分に握って、ベルトコンベヤーに乗せる。
回ってきたサーモンのマリネにはマヨネーズがかかっている。気持ち悪い。
太ったアベックの男は、美味い美味いと言い、太った女に同意を求めている。
俺は、穴子穴子穴子握れ握れ握れ寿司職人旅立て女房女房女房。
と際限なくテレパシーを送る。
太ったアベックの男は、まぐろさび抜きでと注文。
さびが入ってんのが寿司だろうが。
穴子穴子穴子穴子握れ握れ握れ。
寿司職人は生海老を握り始めた。
俺は回ってきたそれを食う。
10皿食ったところで退散。今夜は穴子で締められなかった。うなぎでもよかったんだけど。甘いたれがかかってるやつが食いたかったのだ。
なにかこうマンゴーのアイスが食いたくなり、ファミリーマートへ入る。
マンゴーのアイスはなくて、すいかバーがあった。
すいかバー西瓜無果汁種はチョコ(榮猿丸)
という句を思い出す。そこで俺は天の神様の言う通り、グリコのパリットとか言う、期間限定の、コーヒークリームとチョコクリームが螺旋状に混じり合ってるアイスを買った。これが意外に美味く、次に目についたローソンでもう一個買った。
漱石の坊ちゃんのなかでふらりと入った蕎麦屋の天麩羅蕎麦が意外に美味かったので、七杯お代わりした旨書かれてあるが、パリッテ七個は無理。だって気持ち悪くなってしまうだろうから。
夏の夜風に吹かれて自転車を漕ぎ続けた。


2011年7月11日月曜日

●月曜日の一句 相子智恵


相子智恵








白南風や地図の四隅に四人の手  興梠 隆


句集『背番号』(2011年7月7日/角川書店)より。

梅雨が明けて白い輝きを感じる南風。その風の中で、地図を四隅から覗き込む四人の手だけが描かれている。

この四人、大人ではなく少年や少女の感じがある。「スタンド・バイ・ミー」のように。

それは〈四隅〉という描写の律儀さによる。それぞれが隅を持って囲み、四隅から指をさす地図は、少年期特有の友情の証のような、ともに冒険をするための特別な地図であるような気がしてくる。もしかしたら、自分たちで描いた秘密基地や宝の地図かもしれない。

そして、地図の四隅にあった四人の手はやがて離れ、「さようなら」と振るための手になることを予感させる。

そう、この句は未来の地点から過去の夏休みを回想しているように読めるのである。〈四隅〉の一語により、四隅が一度に見える俯瞰からのアングルが読者に与えられるからで、それが回想の風景を思わせるのだ。そして〈白南風〉という季語と〈手〉に絞った描写で、物語がふくらんでゆく。


2011年7月10日日曜日

〔今週号の表紙〕第220号 お化け屋敷 山田露結

今週号の表紙〕
第220号 お化け屋敷

山田露結


おやのないこは
しんしんさびしい。
ポッケにゃ地球
カチンとさみし。
お代はみてのおかえりです。
ぼーや。
じょうや。
おはいんなさい。
「少年あります。鈴木翁二童話店」鈴木翁二著/シマモトケイ インナープロジェクト

子供の頃、地元の神社で行われる夏祭の夜店で毎年一番楽しみにしていたのが「見世物小屋」と「お化け屋敷」だった。「見世物小屋」と「お化け屋敷」はいつも神社の敷地の一番奥に並んで建っていた。

当時から「見世物小屋」も「お化け屋敷」もインチキ臭くてずいぶんお粗末なものだと子供心に感じていた。「見世物小屋」の「蛇女」も「牛娘」もつくりものだったし、「お化け屋敷」も仕掛けがバレバレでちっとも怖くなかった。

でもそのときはきっとそのインチキ臭さに何とも言えない魅力を感じていたのだと思う。親にお小遣いをもらうと友達を誘って真っ先に「見世物小屋」と「お化け屋敷」へ走って行ったものだった。


今年3月、6歳と2歳の息子たちを連れて岡崎城公園(愛知県岡崎市)へ花見に出かけた。震災直後の自粛ムードの中、どことなく後ろめたさを感じながらのお出かけであった。

公園から土手を下ると岡崎市内を流れる乙川の河川敷いっぱいに、所狭しと露店が並んでいた。平日の昼間だがけっこうな人出だった。

わた飴、金魚掬い、射的...。こういう風景だけは昔とちっとも変わっていない気がする。好きな場所である。

露天商を冷やかしながら河川敷の広場の外れまで来るとそこには「お化け屋敷」が建っていた。私の記憶では、それは私が子供の頃に夏祭で見たものとまったく同じ、あの「お化け屋敷」だった。

私はその「お化け屋敷」を見た途端、身震いがするほどのノスタルジアにおそわれ、まるで吸い寄せられるように子供たちの手を引いて「お化け屋敷」の中へと入って行ったのである。


入口で突然門の扉が開いて生首が出でくる仕掛け(入口のおじちゃんが操作しているのがバレバレ)も、血を流した落武者の人形が倒れている箇所を過ぎたところで白い布をかぶった男が「わーっ」と飛び出してくるのも、何もかも感激するほど昔のままだった。

そして、やはりちっとも怖くなかったのである。子供たちも怖がるというよりはびっくりしながらはしゃいでいた。

怖くないお化け屋敷の中を歩きながら、私は子供の頃に見た情景が目の前で実景となってフラッシュバックしているようで、たまらない気持ちになってしまった。

ほんの短い時間だったけど、子供たちと一緒に我が「あの頃」へとタイムスリップさせてくれた「お化け屋敷」に感謝、感謝なのである。


2011年7月9日土曜日

●週刊俳句・第219号を読む 山田耕司

週刊俳句・第219号を読む

山田耕司


もりだくさんである。



〔現代俳句協会青年部勉強会レポート〕「三鬼、語りぬ」(生駒大祐)

のっけからの宇多喜代子が数世紀を生き抜いてきた八百比丘尼のようでもあり、その前で緊張する青年の様が想像される。

「作家の肉声を蘇らせながら句を読むと楽しい。それが今はみんなわかってしまっているから味がない。だから想像する力が失せていきますよね。」と、こういう切り出しでは、「自らが想定する作家の声」を頼みとするべきであって、リアルでの接触を以て作家の声そのものとしてはいけない、という戒めにも聞こえてきて、なるほど宇多さんは鋭いことをいわはると思っていたら、結局は、三鬼のテープを聞くのであった。

三鬼のサービス精神がみずからの発言をいささか行儀の良いものにしているキライがあるように思われるが、何にせよ、このような時空を超えた試みが行われることに敬意を表す。
結局、三鬼の言うことは読者の問題に立ち返るのだ。いくら社会生活を詠んでいても読者がそれを読み取らなければそれは伝わらない。逆に、社会生活から一見離れた句を詠んでいるように見えても、読者がそれを読み解けば社会生活は必ずそこに反映されている。
社会生活を伝えるために俳句を書くことと、社会生活を読者との理解の回路として言葉の表現に執着することと、表象は似ているが方針は異なる。三鬼の放つ煙幕はさておき、生駒大祐が触れる読者との問題はこれからぜひ続きを読ませていただきたいテーマではある。



〔週刊俳句時評第38回〕ビフテキと冷奴 宇多喜代子句集『記憶』を読む(神野紗希)

なるほど、最新句集を扱うに、過去の句集をふりかえりまとめていって、本人の言葉を用いて「ビフテキから冷奴」へとの嗜好の変化になぞらえるのは、文章として読ませる構成。さすがである。

さて、その変化のみならず、一貫性をも指摘していて、これが死についての言及の多さだというのだが、これはどうだろうか。
おそらく統計をとったとしても、これだけ、「死」の語を用いて句を作ってきた俳人は、珍しいのではないだろうか。しかし、彼女は「みんな死ぬ」という事実の前に、ニヒリストにはならない。 
なんだかおおざっぱだけど立派な感じ。やはり人格的に優れていることが句に反映されていると言ってさし上げるのが礼儀なのだろう。神野はあらかじめ礼を以て接しているのである。

  サフランや映画はきのう人を殺め  宇多喜代子
『りらの木』(昭和55年)

この句において神野は次のように述べる。
映画の中で人が死んだことをいうとき、「映画」が「人を殺め」ているという表現をとることで、映画を作った人間たちと、それを見ている私たち、双方への冷ややかな批評の視線が突き刺さる。「サフラン」は、紫で涼しげな花だ。その色彩が、ひやひやとした心理感覚を体現している。
あれ? 「きのう」については?

『半島』が一定の変化の境になっているのは私も同意するが、それ以前と以降では、時間軸に対しての態度に変化があるのではないかと思われるがいかがであろうか。眼前の「サフラン」と、記憶の領域に属する映画の内容と、すぐさまには切り結ぶことがない二点間に回路を切り開こうとしている。そうした邂逅を実現させるのがまさしく定型への挑戦であった、そんな時代の句。

一方、『記憶』では、定型への挑戦というよりは、作者内の「いいたいこと」の典型をいいおさめておきたいという気配へと変化するようである。典型への志向は、構造的で衝撃的な円環を有する句の立ち姿ではなく、条理として他者と共有され流通するコードの安定を句の顔つきとするようであり、「死」は作者の一貫性ではなく、表現の不連続性において検証されてこそ、宇多喜代子の履歴を表現から探ることになるのではないだろうか。

宇多喜代子のビフテキは、かなりガッツのあるものだったと思うのだが、そこんとこはあまり触れないことにでもなっているのだろうか。



「何か」とは何か 田島健一電子句集『霧の倫理』を読む(山田露結)

散文的な「意味」の拘束を揺さぶりながらふやかしながら、言葉同士のかすかな磁場に耳を傾ける、そんな気配の田島健一の句を評するのは、なまなかな散文では実現できない。これが山田露結の個性によって絶妙に掬い出されている感あり。
そこで、掲句が読者に示そうとしているのは、読後に立ち上がるその別の「何か」の存在ではないだろうかと考えてみる。

「雉子」が現れて沈むまでの一部始終。

これをそのまま俳句表現そのものに対するメタファーとしてとらえることが可能であれば、掲句は俳句という表現形式を機能させることによって生じるひとつの効果の有り様をやや皮肉めいたかたちで暗示しているようにも受け取れる。
「何か」を意味として伝えるのではなく、俳句であろうとすることそのものが伝える「何か」を導くのが田島健一の句の特徴であるとすることには、異議無し。



週刊俳句・10句競作 第1回 結果発表

さて、何と言っても、この企画の「途中」感が面白い。

作家のベスト&ブライテストを見せてやろうというよりも、チャレンジしてみるぞという「途中」の柔軟さが出句作品に感じられた。また審査諸氏も「読む」ということを個人の立場で行っていて、そこに「何らかの権威として入選作を世に示す」的な気負いが感じられない点に、制度のここちよい「途中」感がある。

この感覚は、週刊俳句ならではの気配なのだろうか、それともネットという環境が育むものなのだろうか、もちろん、かかわる方々の創造性なくしては語れないものであることはいうまでもないのだが、活字媒体ではあまり味わえないのではないかと思われる。この「途中」テイストを併せて味わいながら、俳句を書いたり読んだりすることの楽しさとスリルを拝読。

「途中」、もちろんこれは「ライブ」という語に置き換えてさしつかえない。



余談。

虚子に学ぶ俳句365日』、現在手元に三冊。
差し上げて出て行ったと思ったら、別の人からいただいてしまった。
不思議な運動をする書籍である。

2011年7月8日金曜日

●金曜日の川柳 樋口由紀子


樋口由紀子
  







七月の雨にっぽんが濡れている


大西泰世 (おおにし・やすよ) 1949~


この句は7月3日に開かれた第62回玉野市民川柳大会の兼題「日本」の題詠吟で、岡山県知事賞を獲得した。兼題は半年以上前から決まっていたが、「日本」は東日本大震災以前と以後では変わってしまった。「七月の雨」は夏の水不足に備えての恵みの雨のはずである。しかし、今はそのようなプラス思考の読みはできない。震災が人の心にもたらしたものは大きく、つらくてやるせない。悲しくて日本が濡れているのだ。現実が言葉を超える。

●『虚子に学ぶ俳句365日』絶賛発売中

週刊俳句編『虚子に学ぶ俳句365日』絶賛発売中


解説は注目の若手執筆陣!

相子智恵 神野紗希 関悦史
高柳克弘 生駒大祐 上田信治

一年三六五日、一日に虚子の句を一句ずつ配し、二十代から四十代の新進俳人六名と小誌編集部が記事を付しました。(「はじめに」より)


『虚子に学ぶ俳句365日』執筆者座談会
高浜虚子な日々
http://weekly-haiku.blogspot.com/2011/06/365.html


【ネット注文】
紀伊國屋書店 Book Web
丸善+ジュンク堂ネットストア
e本 ;ネットで注文、近くの書店で受け取るシステム。
amazon

2011年7月7日木曜日

●Stardust

Stardust



2011年7月6日水曜日

●バナナ

バナナ

川を見るバナナの皮は手より落ち  高浜虚子

バナナ剥く夏の月夜に皮すてぬ  芥川龍之介

温室にバナナ実れる野分かな  岸本尚毅

夢のやうなバナナの当り年と聞く  上田信治


2011年7月5日火曜日

●歩く

歩く

2011年7月4日月曜日

●月曜日の一句 相子智恵


相子智恵








大暑なりゴム手袋をぶはと嵌め  奥坂まや


句集『妣(はは)の国』(2011年6月6日/ふらんす堂刊)より。

暑い暑い七月がやってきた。もやもやと暑い夏。うだるような暑さの中で思考停止に陥りそうになりながら、それでも考える。

何はともあれ、掲句。〈ゴム手袋〉という暑苦しいものを「ぶわっ」と嵌めてのぞむ、大暑の台所仕事だ。

〈大暑〉に〈ゴム手袋〉と、これでもかと暑苦しい素材を重ねているのに、その潔い重ね方と〈ぶはと〉の措辞が豪快で力強くて、読後感が快い。心頭を滅却すれば火もまた涼しという感じ……って、ちょっとちがうか。

『妣の国』という句集、淋しさだったり、面白さだったり、さまざまな顔を見せてくれるけれど、芯の部分は必ず力強い。そういう芯のある世界が、わたしは好きだ。




2011年7月3日日曜日

〔今週号の表紙〕第219号 藤田哲史

今週号の表紙〕第219号

藤田哲史


あかりに心がおちつく、これは一体どういう理由なのか。電車から見る町のあかりにしても、そこが生まれた場所でなくても(誰も知らない場所であっても)美しいと思い、眺め入ることがある。そういうことが誰にもある。

世界のどこかではじめて電球が灯る前、「あかり」はつまり火だった。穀物を育てる前から、火は、人が夜をおそれないために使われていた。「火=光と熱を同時にもつもの」。

そしてモダン以後。電球は、火から光だけを抜き取ったという。しかし、はじめて電球が灯ったあとも、いまこうして電球に手をちかづけてみれば、灯る電球はやはりあたたかい。

本来、人間にとってあかるさとあたたかさは一体のものなのだろう。だからこそ人は、冬には部屋をあたためるし、夜には明りをともす。

(撮影場所 千石カフェ

2011年7月2日土曜日

●週刊俳句・第218号を読む 岡田由季

週刊俳句・第218号を読む

岡田由季


小学生の頃、作文の題で得意だったのは「家族について書きなさい」といった内容のものでした。うちの家族はみんなどこか変だったので、題材に困ることがなかったから。

逆に苦手だったのが読書感想文。たとえば「メロスのような勇気ある人に私もなりたいと思います」といったようなありきたりで白々しいことは書きたくないのに、いざ書こうとすると、ほかに何も思いつかないし、当時は、自分なりに、かなりの集中力をもって本を読んでいて、「この文章は何を言いたいのか」などと余計なことを考えず、ただ読んで内容を受け止めて味わうことを純粋な喜びとしていたいという気持ちがあるのに、自分の稚拙な感想なんかを述べることは苦痛でしかないし、本を読む楽しさが台無しになるように感じていました。

その後、中学、高校と、出会った国語の先生との相性が何れもみごとに悪く、すっかり文学アレルギーになってしまっていたはずなのに、なぜか、今、俳句などと関わっています。そうすると、俳句作品や、書かれた文章について「何か書く」という機会が時々はあるものです。今でもそういった行為は得意ではなく、稚拙な感想しか浮かんでこないのは同じです。ただ小学生の頃のように、純粋に読むことに没頭するということもできなくなっているように思います。それは長く生きてきたからいろいろな物がまつわりついてきたからかもしれないし、どこかに書き手としての自分がいるからかもしれません。その今の自分と、「書かれたもの」との距離を探るために、ぽつりぽつりと書いていくしかないのかもしれません。

さて、週俳218号。

あとがきによると、今号は原稿が少なく、編集部の方が急遽書かれたものもあるとのこと。

コンテンツは、まず超新撰21を読む、の記事が3本。生駒大祐さんの「たじま酔い」という言葉が面白い。たじまさんは俳句の話をし出すと止まらないので、その熱弁を聞いていても「たじま酔い」になることがあります。

野口裕さんの林田紀音夫全句集拾読はなんと170回に。この全句集が出たときに、図書館で手にとり、その分厚さ重さ字の細かさ、ぎっしり余白なく2段組みの俳句にすっかりくじけた覚えがあります。その時の印象では重く暗く貧乏くさい(失礼)句が並んでいると思ったのですが、こうやって数句ずつ、解きほぐしていただくと、そうでもなく感じます。研究肌の継続的ワークに感服です。

そして、「その他もろもろ毛呂篤」。ええと、読み方、「もろあつし」さんであっているのでしょうか。記事からのリンク先で、大畑等さんは、「モロトクさん」という呼び方をされています

この毛呂篤さん、私は全く存じあげなかったのですが、西原天気さんが西村麒麟さんスタイルで、一句一句つっこみを入れながら紹介されているのも納得です。「つっこんで!」て言わんばかりの句が並んでいます。

  あいつと夫婦(めおと)になるぞらっきょう畑全開

って…

らっきょう畑で画像検索をしてみると、花の時期はとても美しいのですね。鳥取までらっきょうの花を見に行きたくなりました。「全開」が花の時期を示しているとは限らないのですが。何かとても祝福したくなるような句です。

この目でおがむ 毛呂篤の本いろいろ」を見ると、その句集の装丁の美しいことに驚きます。リトグラフのように連番が入っているのです。このような美麗な本に「らっきょう男」とか「ハアー」とかの句が入っているのかと思うと、美学だなぁ、と思います。

100句ほど毛呂篤の詰め合わせ」は、御教訓カレンダー(今もあるのですね)のように、日めくりにして発売してもらいたいです。壁にかけて毎日眺めれば、最近よく耳にする、ちょっと癇に障る表現でいうと、「元気をもらえる」のではないかと思います。



2011年7月1日金曜日

●金曜日の川柳 樋口由紀子


樋口由紀子
  







ご公儀へ一万匹の鱏
(えい)連れて

筒井祥文 (つつい・しょうぶん) 1952年~


昨今の政局を見ているとふとこの句を思い出した。でもなぜ「鱏」なのだろうか。どうせ連れて行くなら「鮫」の方が迫力のありそうな気がしていた。先日、須磨水族館で飄々と泳ぐ鱏を見た。けったいな魚である。見学者をからかっているような泳ぎっぷりで、こんな魚を引き連れて来られたら適わないだろうなと妙に納得した。同じ水槽には鮫もいたが鮫の方がナチュラルだった。鮫ならば来る理由もわかるし、来られる方も対処の仕方がありそうだが、鱏ではどうしようもない。セレクション柳人『筒井祥文集』(邑書林 2006年刊)所収。