2012年6月30日土曜日

●隙間

隙間


明け易くむらさきなせる戸の隙間  川崎展宏

甚平に隙間だらけの体かな  雪我狂流〔*〕

栗飯の隙間の影の深さかな  小野あらた〔*〕

月光に荒き隙間のありにけり  辻桃子

密密と隙間締め出しゆく葡萄  中原道夫

少年よ雪の隙間を走り来よ  井関雅吉〔**〕

いちにちが障子に隙間なく過ぎぬ  八田木枯


〔*〕『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より

〔**〕
『なんぢや』17号(2012年夏)より

2012年6月29日金曜日

●金曜日の川柳〔川上三太郎〕 樋口由紀子


樋口由紀子








河童起ちあがると青い雫する


川上三太郎 (かわかみ・さんたろう) 1891~1968

ぞくっとする河童である。「河童満月」と題された連作の一句で、他に〈新年を蒼蒼として河童ゐる〉〈この河童よい河童で肱枕でごろり〉〈河童月へ肢より長い手で踊り〉〈満月に河童安心して流涕〉〈河童群月に斉唱だが―だがしづかである〉〈人間に似てくるを哭く老河童〉がある。どの句も三太郎の言葉で河童は河童らしく書かれている。

河童は誰もが知っている想像上の生き物である。生身の三太郎の発想では限界がある。だから河童を登場させたのだろう。その架空の河童の存在を描写したり、河童に語らせたりと自在であり、詩情あふれている。

『孤独地蔵』に収載されている「河童満月」は7句だが、72句あるという説もある。一つのテクストとして書いたのだろう。三太郎は川柳の一時代を大きく牽引した人で、伝統川柳と詩性川柳の二刀主義で知られている。『孤独地蔵』(1963年 川柳研究社)所収。

2012年6月28日木曜日

●ハンカチ

ハンカチ


祖父の振るハンカチ白くゆるやかに  高野素十

蝙蝠にハンカチ借りるふと泣けて  渋谷道

手渡さるるハンカチにある湿りかな  山下つばさ〔*〕

ハンカチを挿せば鏡の中も挿す  望月 周〔*〕

ハンカチを正しくたたみ出奔す  渋川京子〔*〕

たはむれにハンカチ振つて別れけり  星野立子

ハンケチ振つて別れも愉し少女らは  富安風生


〔*〕『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より


2012年6月27日水曜日

●ペンギン侍 第47回 かまちよしろう

連載漫画 ペンギン侍 第47回 かまちよしろう

前 回


つづく


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2012年6月26日火曜日

●コモエスタ三鬼33 来る 西原天気

コモエスタ三鬼 Como estas? Sanki
第33回
来る

西原天気


おそるべき君等の乳房夏来る  三鬼(1947年)

初出時(最初の発表は前年46年9月「日本俳句新聞」)は、《おそるべき君等の乳房夏に入る》。

「来(きた)る」と「入る」では、ずいぶんと印象が違う。

俳句という短い言葉の連なりのなかでは、構文(文法)と離れて、語と語が反響し合う。「来る」はもちろん「夏」に掛かるのだが、同時に、乳房もまた「来る」ような気がしてしまう。

こちらへとずんずん近づいてくるかのような乳房。それはもう「おそるべき」としか言いようがない。


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2012年6月25日月曜日

●月曜日の一句〔石原 明〕 相子智恵


相子智恵








ください蝙蝠の翼でいいから
  石原 明

句集『ハイド氏の庭』(2012.6/文學の森)より。

軽い可笑しみと、哀しみの暗い熱とが同居している句集だ。序文を書いた花森こまによれば〈60年代、70年代を駆け抜けてき〉た作家のようで、たしかにそういう空気をまとっている。

自在な読みぶりの中には、たとえば〈旅に病んで暑中見舞を書いてをり〉のような本歌取りなんかもあって、そのなかで掲句はやはり「翼をください」というあの歌が下敷きにあるのだろう(1971年 フォークグループ「赤い鳥」によって発表され、現代まで歌い継がれるあの曲だ)。

悲しみのない自由な大空を飛ぶ明るい「白い翼」ではなく、夜や暗い場所を飛ぶ「こうもりの翼」でもいいという。明るい空を飛ばなくていいから翼がほしいというのは、なんとも切実な願いに思える。さまざまに希望のない状況であってもやはり、私たちは飛びたいものなのだ。

2012年6月24日日曜日

〔今週号の表紙〕第270号 沖縄の屋根 宮本佳世乃

今週号の表紙〕第270号 沖縄の屋根

宮本佳世乃


那覇の国際通りから少し歩くと、「壺屋やちむん通り」という焼き物の小道があります。

そこかしこにシーサーがいて、大きなガジュマルの樹や、古い井戸なども見どころです。

半日くらい散歩したあとに、草花に埋もれたような屋根を見つけました。


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2012年6月23日土曜日

●週俳の記事募集

週俳の記事募集

小誌「週刊俳句がみなさまの執筆・投稿によって成り立っているのは周知の事実ですが、あらためてお願いいたします。

長短ご随意、硬軟ご随意。お問い合わせ・寄稿はこちらまで。


【記事例】

『俳コレ』の一句 〔新〕

掲載記事 ≫こちら

これまで「新撰21の一句」「超新撰21の一句」を掲載してまいりました。『俳コレ』も同様記事を掲載。一句をまず挙げていただきますが、話題はそこから100句作品全般に及んでも結構です。



俳誌を読む ≫過去記事

俳句総合誌、結社誌から小さな同人誌まで。号の内容を網羅的に紹介していただく必要はありません。

句集を読む ≫過去記事

最新刊はもちろん、ある程度時間の経った句集も。

時評的な話題

イベントのレポート

これはガッツリ書くのはなかなか大変です。それでもいいのですが、寸感程度でも、読者には嬉しく有益です。

同人誌・結社誌からの転載

刊行後2~3か月を経て以降の転載を原則としています。


そのほか、どんな企画でも、ご連絡いただければ幸いです。

2012年6月22日金曜日

●金曜日の川柳〔高橋古啓〕 樋口由紀子


樋口由紀子








その傷を待ってたように噴き出す血


高橋古啓 (たかはし・こけい) 1936~2005

そんなにたいした傷と思ってないのに血が噴き出してびっくりすることがある。血は身体の内にあってこそのもので、身体の外に出すものではない。まして、血が待っていたかのように噴き出すとは絶対思ったりしない。

たとえ血であっても迎えようとする。歓迎されない、見たくないものに対する作者の認識である。それと同時にそういうものを裡に持っている自負だろう。自らの想いやこだわり、切実な感情を表現しているのかもしれない。独自の身体感覚である。

本名は「啓子」で逆さにして「古啓」とした。元新劇の女優さんで、真っ赤な口紅が印象的で、素直なのに素直にはなれない人だった。懐かしく思い出して、個性的な川柳人が少なくなったと感慨深くなった。昨日が誕生日。〈此處から落ちたファウストの階段〉〈太陽に黒点 愛人がひとり〉

2012年6月21日木曜日

●ノート

ノート

若芝にノートを置けばひるがへる  加藤楸邨

本くらくノートあかるく夏の暮  神野紗希

丸善にノートを買つて鰯雲  依光陽子〔*〕

障子閉めノートの余白無限大  山下つばさ〔*〕

沖を鷹ノート細字を以て埋む  中島斌雄


〔*〕『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より


2012年6月20日水曜日

●ペンギン侍 第46回 かまちよしろう

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2012年6月18日月曜日

●月曜日の一句〔金子 敦〕 相子智恵


相子智恵








夏料理運ぶや玩具またぎつつ
  金子 敦

句集『乗船券』(2012.4/ふらんす堂9)より。

〈夏料理〉は、見た目にも涼しく、味のさっぱりとした夏向きの料理の総称だから、どんな料理を運んでいるのかは、はっきりとはわからない。

だが、この句の夏料理は〈玩具またぎつつ〉の生活感によって、おそらくあまり手の込んでいない、ごくごく家庭的で気軽な料理だろうと想像できる。一枚のスケッチ画のように、軽いタッチで一瞬を活き活きと描写していて、気持ちがいい句だ。

なにより、子供がいる一家庭の暮らしに向けられた作者のまなざしがあたたかい。色とりどりのおもちゃをまたいで運ばれる涼しげな手料理という、幸福な夏の日の記憶。ノスタルジーを感じさせる一句である。

2012年6月17日日曜日

〔今週号の表紙〕第269号 灯台 青山茂根

今週号の表紙〕第269号 灯台

青山茂根


空と白の対比。城ヶ島灯台です。

先日、2012年6月3日号の「週刊俳句」編集後記にて、村越敦さんが書かれていた、「週俳は、どこまでも自由で、どこまでもアナーキー。」という箇所を読んで、この写真を撮ったことを思い出しました。

何気ない景も、切り取り方でまったく別の意味が生まれることもある。俳句って、そんなものでしょうか。

英国の児童文学作家、エドワード・アーディゾーニに、『チムとうだいをまもる』(福音館 2001)という本があります。原題は、「TIM TO THE LIGHTHOUSE」 by Edward Ardizzone, Oxford, U.K.,1968。英国の当時の灯台の断面図が描かれていて面白いのですが、ストーリーはちょっとスリリングで、「なんぱせんあらし」に灯台守が襲われて怪我をする話です。

「なんぱせんあらし=難破船荒らし」とは、大きな船が近くを通る時刻に、本物の灯台の光を消して近くに偽者の光をつけ、偽者の光にだまされた船が岩に乗り上げ難破すると、浜に打ち寄せられた金目の積荷を盗む泥棒のことです。

いや、この場合、被害者が出ますから強盗の一種というべきでしょうか。(フランス、ブルターニュ地方沿岸の難破船荒らしの話。参考までに。http://www.kourita.com/jp/zukan/ag_izanabi.html

これが児童文学の題材になるということは、周囲を海に囲まれた英国ではしばしばそのような事件が起きたのでしょう。

灯台、時々思い出したように触れてみたくなります。


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2012年6月15日金曜日

●金曜日の川柳〔岩根彰子〕 樋口由紀子


樋口由紀子








あぶらあげあるとあんしんしてしまう


岩根彰子 (いわね・あきこ) 1942~

油揚げは冷凍保存できるので、我が家の冷凍庫にはいつでも2、3枚は常備している。油揚げは地味だがなくてはならない食材で、あるとないのでは料理の出来ばえは格段に違ってくる。

が、掲句はひらがな表記にすることのよってそのような生活臭は緩んで、おっとりする。〈油揚げ有ると安心してしまう〉と漢字を入れて書くと単なる事実を述べているだけに終ってしまって、ほんとうにつまらない。なぜ、ひらがなの羅列が事実を含みながらも、意味はどうでもよくなってくるのだろうか。

まず、視覚。まんまるいひらがなが絵のように跳ねて、並んで、やわらかく、目で楽しませてくれる。そして、聴覚。前半の四つの「あ」、後半の三つの「し」のたたみかけるような音。目と耳が言葉の隙間を想像させ、実用の意味を超え、のどかな雰囲気をかもしだした。「Tuzuki」(2012年3月刊)収録。

2012年6月14日木曜日

●コモエスタ三鬼32 うごく 西原天気

コモエスタ三鬼 Como estas? Sanki
第32回
うごく

西原天気


枯蓮のうごく時きてみなうごく  三鬼(1947年)

句のどこをとっても「描写」。「物語」も「鮮烈なイメージ」もない。三鬼作のなかでは、俳句の伝統的な骨法を用いた成功例、言い換えれば当時の「伝統俳句」畑から生まれてもおかしくない句にも見える。つまり、新興俳句っぽくない(なにしろ沖積舎『西東三鬼全句集』では、この句の次が《露人ワシコフ叫びて柘榴打ち落す》なのだ)。

しかしながら、「動くときは動くんだし、動かないとき動かないんだよ」てなふうに読めば、ある種メタ的な達観にも思えてきて、マジメな描写とはちょっと違う。三鬼は、やっぱり不思議だなと思う。


なお、この句は、日めくり詩歌 俳句 高山れおな (2012/06/08)で取り上げられている。
http://shiika.sakura.ne.jp/daily_poem/2012-06-08-9166.html


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2012年6月12日火曜日

●ペンギン侍 第45回 かまちよしろう

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2012年6月11日月曜日

●月曜日の一句〔茨木和生〕 相子智恵


相子智恵








きりころと聞けばころきり雨蛙
  茨木和生

句集『往馬』(2012.5/俳句四季文庫19)より。

2001年に出版された句集だが、新たに文庫版で刊行された。入手困難となっている句集がこうして改めて読めるのはありがたい。

掲句〈きりころ〉〈ころきり〉という、雨蛙の鳴き声のオノマトペがなんとも楽しい。小さな雨蛙は、蟇などの大きな蛙よりも声が高い。一匹だけを聞くと「ギョッギョッギョッ」とも聞こえる鳴き声だが、この時期、たくさんの雨蛙が、まさに“かえるの合唱”状態になると、遠くの鳴き声と近くの鳴き声とが重なりあって音階に幅が出る。

〈きりころ〉〈ころきり〉は、一匹の蛙が鳴く軽快な高い声のようでもあるし、こうした大合唱の全体を捉えたようでもある。

先週末に関東も梅雨入りした。鬱陶しさもあるが、掲句のように、いま楽しめる音を楽しみたいと思う。

2012年6月10日日曜日

〔今週号の表紙〕第268号 釣堀 西原天気

今週号の表紙〕第268号 釣堀

西原天気


東京・市ヶ谷駅そばの釣り堀。電車やホームからも見えるので、平日、ここを見下ろしつつ、「ああ、あんなふうにのんびり過ごせたらなあ」と溜息をつくサラリーマンは多いと思う。


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2012年6月9日土曜日

〔人名さん〕直喩

〔人名さん〕
直喩

フリードリヒ・ニイチエのごとき雷雨かな  平井照敏


すんなりわかる直喩よりも、わからなさを残した直喩。あるいは、わかる人にはわかりすぎる句なのでしょうか? 哲学畑の人、どうなんですか、これ。(西原天気)


2012年6月8日金曜日

●金曜日の川柳〔吉川雉子郎〕 樋口由紀子


樋口由紀子








世の中におふくろほどの不仕合せ


吉川雉子郎 (よしかわ・きじろう) 1892~1962

小説家の吉川英治は二十歳前後のときに雉子郎の雅号で川柳を詠んでいた。雉子郎は焼け野の雉子の子を思う親心をしのんでの命名で、彼はかなりの親思いの青年だったらしい。

母親が不幸であると嘆いて、母親を哀れんでいるのであろうか。どうもそうではないように思う。偉人の伝記によく登場する母と同じにおいがする。立身出世した人の伝記には「誰よりも早くから起きて働き、誰よりも遅くまで夜なべをして、私は母の寝ている姿を見たことがない」というようなことが書かれている。それと同様に、自分のことよりも家族のために生きている母に感謝し、母を称えている。不仕合せな母を幸せにしたいという強い思いが見られる。だから「吉川英治」が誕生するのだ。〈貧しさのあまりの果ての笑ひ合い〉〈この先を考えている豆の蔓〉

2012年6月5日火曜日

●ペンギン侍 第44回 かまちよしろう

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つづく


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2012年6月4日月曜日

●月曜日の一句〔岩淵喜代子〕 相子智恵


相子智恵








今生の螢は声を持たざりし
  岩淵喜代子

句集『白雁』(2012.4/角川書店)より。

鳴く虫も多くいる中で、螢は求愛の声を持たない。

螢は声を持たない代わりに、小さな光を持った。螢は、前生では声を持っていたのだろうか。あるいは、来生では声を得るのだろうか。螢が求愛のための声を得たとき、きっとその代わりに、あの光を失うのではないだろうか。螢の光ほどの、かぼそい声を得た代わりに。

〈ばらばらに集まつてきて螢待つ〉〈螢から螢こぼるるときもあり〉

同じページの実開きには、魅力的な螢の句が並ぶ。螢が来るのは、深い闇を持つ山村だろう。そこに、螢を見るために人々が〈ばらばら〉と懐中電灯を持って集まって来て、螢を待つ。人間たちの放つ光と、あちこちから現れる螢の光が、つかの間、闇に集う。

そして〈螢から螢こぼるる〉ように、螢たちが集った歓びの奥底には、それが永遠には続かないのだという淋しさが、確かにある。

2012年6月3日日曜日

〔今週号の表紙〕第267号 グラウンド 西原天気

〔今週号の表紙〕
第267号 グラウンド

西原天気



ポイント(撮影者の主旨)は、野球部員(手前)と何部だかの部員(向こう)。高校のグラウンドにしては狭いのは、東京都心に立地するせいも。

緑は、新宿御苑の緑。

今年も夏がやってきました。



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2012年6月2日土曜日

●ろくぐわつ

ろくぐわつ

ろくぐわつのひしほのにほひ存へる   八田木枯(以下同)

ろくぐわつのうつたうしきは麦粒腫(ものもらひ)

銀どろのろくぐわつ鳥の肝を刺し

ろくぐわつをあくせくと生き獣肉(ももんじい)

亡き母とゐるろくぐわつの夕がれひ


六月(2010年6月1日)

2012年6月1日金曜日

●金曜日の川柳〔山河舞句〕 樋口由紀子


樋口由紀子








怒怒怒怒怒 怒怒怒怒怒怒怒 怒怒と海


山河舞句 (やまかわ・まいく) 1940~

第二回高田寄生木賞大賞受賞作品。実際の句は中七の「怒怒怒怒怒怒怒」は上下反対になっている。山河は仙台市在住。特選に推した渡辺隆夫は「三・一一を一句で表現すればこうなる。それにしても津波の音を『怒』で表現できるとは思ってもみなかった」と選評した。

衝撃と動揺をこのように表現したことに感心する。津波、原発、無策、あらゆる事態を生んだすべてのものに対しての山河のやり場のない強い怒りと決して忘れないと言う決意がこの句にみなぎっている。「怒怒怒怒怒~~~」の視覚効果、音声的にも「どどどどど~~~」と迫ってくる。中七の「怒」を反転させることでより強力度も増した。しかし、どれだけ「怒」を重ねても、「怒」を逆さにしてもどうすることもできないジレンマも同時に感じる。「怒怒と海」はつらい。「触光」(22号 2011年6月)収録。