2012年2月29日水曜日

【俳誌拝読】『なんぢや』第16号を読む

【俳誌拝読】
『なんぢや』第16号(2012年春)を読む

西原天気


発行人・榎本享。本文24頁。

巻頭に〈招待席〉を置き、本号では仲寒蟬「河童フォーエヴァー」5句。

  原発遺憾と年頭の辞を河童より  仲寒蟬

  青き踏む人類滅亡後の河童  同

句作品に添えられた短文に「俳句にメッセージ性は不要との考え方もありますが私は敢えて成功率の低いその道を行きたいと思っています」とあります。

以下、同時諸氏の各10句より。

  おはやうと言はれて言うて寒きこと  榎本享

  小春日や紙飛行機によきチラシ  高畑桂

  誰かれに子猫の鳴きて炭おこす  中村瑞枝

  数へ日の木に動かないものがをり  えのもとゆみ

  枯蔓の先をどらせて比良の水  林和輝

  じつとしてこちら見てをる嫁が君  井関雅吉

  餅百個食べるつもりか御つ母さん  土岐光一

  春節の街の夕ぐれ茶葉ひらく  鈴木不意

2012年2月28日火曜日

2012年2月27日月曜日

●月曜日の一句〔杉山久子〕 相子智恵


相子智恵








命名の半紙さゆらぐ雪あかり  杉山久子

『俳句』3月号「命名」(2012.2.25/角川学芸出版)より。

〈雪あかり〉のほの明るさに、生まれたばかりの子どもの〈命名の半紙〉がふわっと揺れている。なんと穏やかで、無垢な景だろう。

白色には冷たい白色とあたたかい白色がある。雪が照らす自然なほの白さと、人の手を感じさせる和紙の白さは、そのどちらもあたたかい白色だ。

そしてこの句は、色とともに響きもあたたかさを生んでいる。〈さゆらぐ〉と〈半紙〉のかそけきS音、〈さゆらぐ〉と〈雪〉の穏やかな「ゆ」の音。その流れるようなつながり……。

あたたかな白と、穏やかな響き。実景を描いた句でありながら、それらが象徴する色と音は、無垢な新しい生命の誕生の言祝ぎに、たしかにつながっている。


2012年2月26日日曜日

〔今週号の表紙〕第253号 えきすぱんしょん 佐藤りえ

今週号の表紙〕
第253号 えきすぱんしょん

佐藤りえ


曇っているのに妙に明るい。

じぶんの影も見えないような曇天。めぐりのものがくっきりと見えてその輪郭にゆらぎがない。日の光を受けて必要以上に強調されたところがないからなのか、すべてが等しく遠くにあるような、まったく近くにあるような、不自然な距離感に支配されだした。

ふと、目の前の西洋の駅のようでもある建物が膨張をはじめたような錯覚に陥った。低い雲のほうへ向けて、周囲の建造物や道路との隙間を埋めて、どんどん膨らんでいく。煉瓦のひとつひとつがわかちがたく結びつき、こちらへ向けて迫ってくる。

巨大な建物は基礎ごと宙に浮かび上がり、虚空のかなたで、いつかどこかで見た天空の城になるだろう。

……か?

いや、ならない。

妄想も膨らむ、ものみな芽吹く春である。

撮影場所:恵比寿


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2012年2月25日土曜日

●五吟マンガ歌仙「虫の音の巻」

五吟マンガ歌仙「虫の音の巻」

某連句掲示板で巻かれた歌仙です。

虫の音や我ら遠方より来たる  月犬(白土三平『忍者武芸帖影丸伝』)

 秋思に沈むケムンパスべし  なむ(赤塚不二夫『もーれつア太郎』)

お仕置きを三五の月の下に待ち  篠(武内直子『美少女戦士セーラームーン』)

 転がり落ちて開く反物  祐天寺(楠勝平『茎』)

滑るのがどんなときにも得意技  苑を(ゆでたまご『キン肉マン』)

 雲の峰へと最後の離陸  犬(ちばてつや『紫電改のタカ』)



隅田川乱一なれば茄子刻み  む(山上たつひこ『喜劇新思想大系』)

 君のためなら死ねると言つて  篠(梶原一騎原作、ながやす巧作画『愛と誠』)

おばさまとマウスピ~スでくちづけす  寺(東海林さだお『新漫画文学全集』)

 大塚のボンカレーの匂ひ  を(手塚治虫『ブラックジャック』)

夜が来れば祈りのやうに組む掌あり  犬(林静一『赤色エレジー』)

 きみらも喫茶ぽえむへおいで  む(永島慎二『若者たち』)

ストリート・キッズの頬に冴ゆる月  篠(吉田秋生『BANANA FISH』)

 古毛布にやライナスの夢  寺(チャールズ・M・シュルツ『Peanuts』)

とりあへずアサー!といへば朝なのだ  を(谷岡ヤスジ『ヤスジのメッタメタガキ道講座』)

 デーンと大き富士があるはず  犬(つげ義春『長八の宿』)

花大樹背に彫りたるは覚有情  む(バロン吉元『柔侠伝』)

 蝶の化身を無言で呼べば  篠(夢枕獏原作、岡野玲子漫画『陰陽師』)

名残表


ガムすけのふうせんしぼみ墜落し  寺(杉浦茂『猿飛佐助』)

 ゴミを掃き出す隣の芝生  を(長谷川町子『いじわるばあさん』)

やつかいな機械仕掛けのM.モンロー  犬(楳図かずお『漂流教室』)

 持杉ドラ夫の配牌役満  む(片山まさゆき『ぎゅわんぶらあ自己中心派』)

新緑をくはへ煙草で登校し  篠(田渕由美子『フランス窓便り』)

 弁当箱のなかは胡瓜で  寺(水木しげる『河童の三平』)

少年はお尻プリプリパンツ脱ぐ  を(臼井儀人『クレヨンしんちゃん』)

 ぬけられさうでぬけられぬ恋  犬(滝田ゆう『寺島町奇譚』)

厩戸の嫉妬の渦に揺蕩ひて  む(山岸凉子『日出処の天子』)

 喉にふたつの血を汲みし痕  篠(萩尾望都『ポーの一族』)

月光に濡れてま白きオートバイ  寺(井上球二、村山一夫『月光仮面』)

 ホーホッホッと笑ふ秋風  を(藤子不二雄A『笑ゥせぇるすまん』)

名残裏


芒背に阪東太郎に糸垂れむ  犬(つげ忠男『舟に棲む』)

 釣果はブルマ悟飯クリリン  む(鳥山明『DRAGON BALL』)

ピッチャーで双子で永遠にライバルで  篠(あだち充『タッチ』)

 南海ここで代打を告げり  を(水島新司『あぶさん』)

修羅の道ゆく父と子に花よ降れ  犬(小池一夫原作、小島剛夕作画『子連れ狼』)

 旗をかざせば春風の吹く  寺(佐山哲郎原作、高橋千鶴作画『コクリコ坂から』)


起首:2011年10月 9日(日)23時19分27秒
満尾:2011年10月25日(火)09時23分7秒


2012年2月24日金曜日

●金曜日の川柳〔森中恵美子〕 樋口由紀子


樋口由紀子








旅ひとり仁王の口を真似てみる


森中恵美子(もりなか・えみこ)1930~
          
森中恵美子は一世を風靡した時実新子と人気を二分した川柳人である。新子はうわべの取り澄ましたものの奥にある真実を女性からの鋭い視線で川柳にしたが、恵美子は既成の女性観を受け入れ、そのための葛藤が句に表れている。作品はやさしくて明解だが、どきっとするほどの寂しさがにじむ。

どんな気持ちで仁王の口を真似たのだろうか。仁王の口をした自分を見て、笑って、泣いて、そして笑ったのだろうか。

恵美子は現在番傘川柳本社の副幹事長。〈母はまだひとりでまたぐ水たまり〉〈いい人に逢う踏切の多い町〉。『仁王の口』は平成九年第一回日本現代詩歌文学館長賞を受賞。『仁王の口』(葉文館出版・1996年刊)所収。


2012年2月23日木曜日

●夏蜜柑

夏蜜柑

山田露結


少し前にツイッター上で「夏蜜柑」は春の季語か?夏の季語か?をめぐるやり取りがありました。
http://togetter.com/li/249721

「春派」、「夏派」に別れてのこのやり取り、結果的にはどちらにも軍配は上がらなかったのですが、私は俳句に関わる者同士(私も含めて)が「どっちだ、どっちだ。」みたいな感じで真剣にやり合っていることの「可笑しさ」を感じながら楽しく参加させてもらいました。

「春派」、「夏派」、どちらの意見もそれなりに納得出きる(たぶん)ものであり、まあ、どちらでもいいじゃないかという気も少しするのですが(春か夏かによって句の鑑賞に大きく影響しますので本当はきちんとして欲しいw)、個人的には「夏」の文字が付いている「春」の季語というのもなかなかオツだよなあということで、今のところとりあえず「春派」です。

さて、いったい「夏蜜柑」は春、夏どちらなのか。

皆さんもご一緒に頭を悩ませながら、ぜひ「夏蜜柑」で一句詠んでみてはいかがでしょうか。


2012年2月22日水曜日

●もぐら

もぐら

東洲斎写楽頤出しもぐら打つ  長谷川双魚

雲雀・土龍罪とおもはゞ告げて来よ  川口重美

恋人は土竜のやうにぬれてゐる  富澤赤黄男


2012年2月21日火曜日

●コモエスタ三鬼26 乞食バクチ

コモエスタ三鬼 Como estas? Sanki
第26回
乞食バクチ

西原天気


昭和15年(1940年)8月31日早朝、三鬼は、治安維持法違反容疑で特高警察に検挙され、京都松原署に連行される。松原署での拘留は2か月以上に及び、この間のことは「俳愚伝」に書かれている。三鬼の筆致に悲壮感はなく飄々として、どのエピソードもおもしろい。例えば、監房に居合わせた人々との交流。
その房に、賭博で挙げられた連中が充満した。彼等は織屋、染色屋、会社員などで、他の房の連中にくらべると「エエ衆」であった。夜になると看守に預けた金で、菓子や果物を買って、房内にふるまった。勿論、その前に看守が買収されていた。
監房といっても、どこかのんびりと享楽的な雰囲気。
彼等は、寝るまで外にいる私に(筆者註・三鬼は取り調べは担当警部補との散歩などもあった)、何かと土産を頼んだ。ある日、サイコロを頼まれたので、特高室に預けてある角砂糖を三つ四つ持って帰り、鉛筆で星を書いて与えたら、ワッと歓声が上り、たちまち監房は賭場と変じた。
賭博で捕まった連中にサイコロを与えたら、そら、そうなりますわな、という。
その後、サイコロの角は丸くなり、手垢でまっ黒くなったが、最後に自転車泥棒の少年の胃に収まるまで、まことに貴重品であった。
ずいぶん汚い話だが、これとそっくりのことが、その十数年後、所をかえて池袋駅前の喫茶店で繰り返されていたことを知って、ずいぶんと驚いた。角砂糖をサイコロにするところまはまったく同じ。違うのは、最後に食べるのが罰ゲームであるという点。
変っているのは勝負が終ると、負けたやつがサイコロを食ってしまわなければならないことだ。(…)何しろ文字通り手に汗にぎる熱戦だから各人各様の体臭におう掌の汗がたっぷりしみ通って、角砂糖の白がたちまちどす黄色くなる。/それにカウンターの埃やこぼしたコーヒー液が得体の知れないしみとなってこびりつき、おまけにころがしているうちに、角砂糖の角がとれてゆがんだ丸みを帯びるので、色といい形といい、何ともつかぬグロテスクなシロモノに仕上がっている。
(種村季弘「ああ乞食バクチ」(『好物漫遊記』筑摩書房・1985年)
「乞食バクチ」のさなかにいた種村季弘の熱気を帯びた筆致と、道具を与えるだけ与えて横から見ていたと思しき三鬼のクールで軽妙な筆致と。この対照も興味深いが、博打好きが角砂糖を見て思いつくことは同じという、その情けないような微笑ましいような「真実」に、にんまりしてしまうのだ。


※承前のリンクは 貼りません。既存記事は記事下のラベル(タグ)「
コモエスタ三鬼」 をクリックしてご覧くだ さい。

2012年2月20日月曜日

●月曜日の一句〔阪西敦子〕 相子智恵


相子智恵








雛飾る雛しまひたくなりながら  阪西敦子

アンソロジー句集『俳コレ』(2011.12/邑書林)より。

雛人形は女の子の成長を祝うとともに、その子の一生の災厄を人形に身代りにさせる形代(かたしろ)でもある。

そして雛人形というのは、一年のうちでしまわれている時間がほとんどだ。人形たちはずっと暗闇の中で眼を開いたまま、シンとしまわれている。その眼が光を浴びる期間は一ヶ月ほどしかない。

掲句は雛人形を飾る華やかな「明」の気分とともに、形代(かたしろ)としての人形に感じるうすら怖い感覚や、人形がしまわれている闇の深さなど「暗」の感覚をも同時に、鋭敏に捉えている。

飾るときに、もうしまいたくなってくる……という明暗織り交ぜた感覚は、みなが潜在的に感じていながらも、案外読まれていなかった視点ではないだろうか。

歳時記の例句にしたくなるような、再発見の句である。


2012年2月19日日曜日

〔今週号の表紙〕第252号 断面 四ッ谷龍

今週号の表紙〕
第252号 断面

四ッ谷龍


三鷹市の新川丸池公園で見た、えごの木の枝の断面。白い切り口が美しくて、デジカメで撮影しました。えごの木は、東京の水辺に多い樹木です。初夏に白い花をびっしり咲かせたときには、それはもう、すばらしい景色です。


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2012年2月18日土曜日

【新刊紹介】高橋睦郎『シリーズ自句自解Ⅰベスト100』

【新刊紹介】
高橋睦郎『シリーズ自句自解Ⅰベスト100』

ふらんす堂・自句自解シリーズの5冊目。シリーズ1冊1冊に特徴を見出すことができるが、「中学時代」=「投稿時代」の句に始まる本書は、自伝的な記述が随所にあること。

《山入れて人の二階に昼寝かな》が、神戸に多田智満子を訪ねた際の句であること、《鎌倉に大き訃のある大暑かな》では、著者が兄事した澁澤龍彦に触れるなど、著者の交流を垣間見る楽しみも。(西原天気)

2012年2月17日金曜日

●金曜日の川柳〔高橋散二〕 樋口由紀子


樋口由紀子








腰元になって舞台で眠くなり


高橋散二(たかはし・さんじ)1909-~1971

確かにセリフも少なく、見せ場もなく、ただ座っているだけの腰元の役では眠くなるのはしかたがない。が、役者なんだから、眠ってはいけないし、眠ったらたいへんなことになる。人生にも似たようなことが多々あるなと思う。

〈尻からげして死んでいる定九郎〉〈女房へ平に平にと太郎冠者〉など芝居を材にした川柳を散二は多く詠んでいる。芝居を原寸大で詠み、余分な感慨は加えていないけれど、切り取り方に人間の哀歓が見え、そこに作者の思念がある。

〈うちの社の山本富士子茶をくばり〉などのユーモアのある句も多く、〈茹で玉子きれいにむいてから落し〉の延原句沙彌と〈院長があかんいうてる独逸語で〉の須崎豆秋と「ユーモア作家三羽烏」と呼ばれていた。『花道』(1973年刊)所収。


2012年2月16日木曜日

〔今週号の表紙〕第251号 大規模小売店

今週号の表紙〕
第251号 大規模小売店

海外資本の大規模小売店(大と小がどっちも入ってる!)は、私たちの伝統的な「お店」概念とは大きくかけ離れています。


これ、上のほうの品物はどうやって?

でも、まあ、倉庫で買い物をさせているのだと思えば合点が行きます。

撮影場所はIKEA某店。(西原天気)


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2012年2月15日水曜日

【評判録】『子規に学ぶ俳句365日』

【評判録】
週刊俳句編『子規に学ぶ俳句365日』


「俳句を若い人へ」
http://hontasu.blog49.fc2.com/blog-entry-1233.html

奄美海風荘ブログ
http://kaihu.blog.ocn.ne.jp/amami/2012/01/365_b623.html
リンク岸本尚毅 俳句月評:伝統と新風(毎日新聞2012年1月29日・東京朝刊)
http://mainichi.jp/enta/art/news/20120129ddm014070022000c.html
現在の伝統が往時の革新であったことを顧みるには正岡子規を思えばよい。『子規に学ぶ俳句365日』(草思社)は子規の再発見・再評価の試みである。子規の「蛇逃げて山静かなり百合の花」という句を「不安と美がせめぎ合い、緊張感漂う一句」(上田信治)と評するなど、朴直な子規の写生句は今日の読者にとっても十分に新鮮である。
上田信治×西原天気×江渡華子×神野紗希×野口る理:スピカ
http://spica819.main.jp/tag/20120102


2012年2月14日火曜日

2012年2月13日月曜日

●月曜日の一句〔田島健一〕 相子智恵


相子智恵








昏睡のあおき正午や雲雀降る  田島健一

電子句集『式服の食事』(2012.1.14/オフィス・タジマ)より。

雲雀といえば「揚雲雀」というくらい、鳴きながら空に舞い上がる姿が印象的な鳥だ。

だが、急降下もするのである。「落雲雀」という季語があるが、ここでは〈雲雀降る〉という言葉の選び方が美しく、心に残った。

〈昏睡のあおき正午〉もうっとりと美しい。〈雲雀降る〉とあいまって、真上に太陽がある春昼の青空のイメージがオーバーラップしてくる。

深い眠りの中の真っ青な世界に、自分という存在はすっかり融けてしまって、落ちてくる雲雀たちとは逆に、太陽に向かって浮き上がってゆく気体にでもなった気分だ。雲雀の声は天上の音楽のよう。たくさんの雲雀が降り、声も降ってくる。

死を悼む美しい挽歌、あるいは快楽の極みのようにも思える一句である。



2012年2月11日土曜日

●鏡



人も見ぬ春や鏡の裏の梅  松尾芭蕉

水仙や古鏡のごとく花をかかぐ  松本たかし

朝寝して鏡中落花ひかり過ぐ  水原秋桜子

金魚飢う部屋のどこにも鏡なし  矢口 晃〔*〕

黒揚羽ゆき過ぎしかば鏡騷  八田木枯

炎天や鏡の如く土に影  中村草田男

熱気球来る鏡の中の手鏡に  須藤 徹

愛しきを抱けば鏡裏に蛍かな  攝津幸彦

手鏡を回せば雪の吹きこぼる  中原道夫

さびしくて鏡の中の鬼と逢う  大西泰世


〔*〕『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より

2012年2月10日金曜日

●金曜日の川柳〔徳永政二〕 樋口由紀子


樋口由紀子








犬小屋の中に入ってゆく鎖


徳永政二 (とくなが・せいじ) 1946~

先日京都で俳句の写生についての研究会があった。私の写生観がいかに狭いものであったのかと思った。〈甘草の芽のとびとびのひとならび 高野素十〉〈桔梗の花の中よりくもの糸 同〉などの俳句を聞いていると、ふと川柳の写生ならこの句かなと思った。

「鎖」に目がいくところが川柳的である。確かにジャラジャラと音を立てながら、犬について鎖も犬小屋に入っていく。たったそれだけのことを言っているのだが、この句を読むとなぜか今いろんなことを思っている気持ちがふっと別のものになるような気がする。

徳永政二は昨年の11月にフォト句集『カーブ』(あざみエージェント)を出版し、話題になっている。「川柳大学」(第2号 1996年3月)収録。


2012年2月9日木曜日

●原発

原発

before 311

原発を借景にして毛糸編む  山口東人

風光る風にも放射能あらむ  仙田洋子

秋茄子に少し似ている軽水炉  上野葉月

放射能雨むしろ明るし雜草と雀  鈴木六林男

after 311

原子炉が灯るこの世の菫摘む  谷口慎也 (*)

十年毎の原発爆ぜる祭かな  関 悦史 (**)

原子炉は何かの蛹だと思ふ  西原天気 追加(***


(*)
『連衆』No.62(2012年1月)
(**)関悦史句集『六十億本の回転する曲がつた棒』(2011年12月・邑書林)
(***虫の生活 2012年7月11日:スピカ

2012年2月8日水曜日

〔今週号の表紙〕第250号 波止場

今週号の表紙〕
第250号 波止場


気ままにぶらぶらと散歩しているうち空が暮れ始める。気持ちのいい時間です。それが港町の、海のすぐそばの道だったりすると、なおいっそう。

撮影場所は先週に引き続き横浜。数年前の夕暮のひととき。(西原天気)



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2012年2月7日火曜日

●「彼方からの手紙」第3号配信のお知らせ

「彼方からの手紙」第3号配信のお知らせ

宮本佳世乃


立春の日に京都の写生の研究会に参加したら、斜め前の男性が、これ持ってる? と「彼方からの手紙」を見せてくれました。きゃ~、それ、私なんです(ドキドキ)。

ということで、季刊「彼方からの手紙」第3号を配信いたしました。この手紙は、セブンイレブンのコピー機を使ったネットプリントで、コピー機から俳句が出てきます。山田露結×宮本佳世乃+毎号ゲストをお迎えしています。

今回のゲストは御中虫さん! しかもテーマは「虫」。あらゆる場所に虫が散りばめられています。漢和辞典の用意をして、ぜひぜひセブンイレブンへ!


【ネットプリントの受け取り方】

1. セブンイレブンへ行く。

2. コピー機の「ネットプリント」を選択して予約番号を入力する。

3. 手順に従ってプリントを開始する。

予約番号 46184182
プリント料金 60円
配信期間 2月4日(土)~11日(土)23時59分まで

※県内にセブンイレブンがないのよ、という方がいらっしゃいましたら、ツイッターで @ka4no までご連絡ください。

どうぞよろしくおねがいします。

2012年2月6日月曜日

●月曜日の一句〔日高俊平太〕 相子智恵


相子智恵








風邪ひかず和金のやうな妻とをり  日高俊平太

句集『簸川』(2009.9/角川書店)より。

〈和金〉とはフナの形に近いスタンダードな姿かたちの金魚である。

調べたところによると、日本には室町時代中期に伝来し、現在の金魚の品種はすべて和金から派生したらしい。和金はすべての金魚の原点種なのだそうだ。生命力も強い。

そういえばたまに、人の家の玄関の水槽に、お祭りの金魚すくいで得た金魚が巨大化して長生きしているのを見るが、それはたいてい和金であるように思う。

掲句、〈和金のやうな妻〉とは、言われたほうは嬉しくないかもしれないが、しみじみと幸せな諧謔である。ほかの金魚とくらべてそれほど華美でもなく丈夫な、和金のような妻とともに、自分も風邪を引かないで冬を過している。なんでもない日常がうれしい一句だ。



2012年2月5日日曜日

【俳誌拝読】『蒐』第8号(2011年12月25日)を読む


【俳誌拝読】
『蒐』第8号(2011年12月25日)を読む

西原天気


編集:鈴木不意、発行人:馬場龍吉。本文20頁。カラー刷りの美しい誌面が特徴。

同時諸氏の10句と短文を中心。この号では同人4氏による中嶋憲武『日曜のサンデー』(小誌「週刊俳句」から電子ブックとしてリリース)書評を掲載。
微妙な関係の二人にも限られた時間は与えられる。金木犀の匂いにかまけて時間は過ぎていく。明るい日差しの中をあてもなく切ない二人は歩きだすのだが。(鈴木不意「困ったときの言葉探し」)

以下、何句か。

落鮎の頃なり雲が雲を呑み  太田うさぎ

つまみみる耳の固さの早松茸  菊田一平

砂町の空より蒲団叩く音  鈴木不意

家具調のテレビのありき檸檬の香  中嶋憲武

狐火を見てきし喉を湿らしぬ  馬場龍吉

2012年2月4日土曜日

【俳誌拝読】『連衆』no.62(2012年1月)を読む


【俳誌拝読】
『連衆』no.62(2012年1月)を読む

西原天気


編集・発行人:谷口慎也。本文56頁。季刊。会員(誌友)の居住地は九州(福岡県)が多い。

巻末の「新規約」に「特別なスローガンは設けない。それぞれが主役である」「希望者者は誰でも参加できる。出入りもまた自由である」とあります。読俳句・川柳といったカテゴリーへのこだわりもない模様で、作品同士が一誌の中でせめぎ合うセッションのようなライヴ感があり、読んでいて刺激的です。

俳論、エッセイ、誌友による句集評、書評など、俳句作品以外の記事も豊富。閉じた感じがありません。

五十嵐秀彦氏の〔週刊俳句時評57〕「中央」と「地方」について考える に端を発し、俳句のローカリティ(地域性・現地性)について考える機会を得ました。「九州ローカル」と良い意味で言っていいこの『連衆』誌に、停滞や因習臭さは感じられません。地方とか中央とか、リアルとかネットとか、俳壇とかインディーズ系とか結社とか同人とか、そういう範疇分け・二項対立への拘泥とは遠いところで俳句が活性化する道は、まだまだたくさんありそうです。


空爆のあとを南京たますだれ  高橋修宏(招待作家)

束にして贈る空飛ぶねこじゃらし  内田真理子(招待作家)

心臓のまわりにすみれ集まり来  谷口慎也

日と月とまことおんどり飛びたがる  松井康子

掬ふたび妻が金魚になつてゆく  夏木 久

以上特別作品より。以下、誌友作品より何句か。

癪に効くおそろしくながい草の名  植原安治

自殺行一本の毛が歩いてくる  吉田健治

黄昏はふくろ縫いして西班牙へ  鍬塚聡子

走り出すペン幽霊はたしかにいる  普川 洋

電飾の昼のあはれや医師の家  大野 満

やまねこのほつと銀河を吐きだしぬ  森さかえ

大賞の菊とりあえず「へー」と言う  前原石舟

2012年2月3日金曜日

●金曜日の川柳〔草地豊子〕 樋口由紀子


樋口由紀子








民意とはインゲン豆の蔓であり


草地豊子 (くさち・とよこ) 1945~

「民意、民意」と今や飛ぶ鳥を落とす勢いの橋下徹大阪市市長が何かにつけてよく言う。確かにあれだけの支持をもらったら、政治家として、言いたくなるのだろう。そして、強引であっても、理解されなくても、自分の政策を推し進めていきたくなるのだろう。だって「民意」なのだから、と。

川柳人は「民意」をこのように茶化す。「民意」と言ったって、インゲン豆の蔓みたいに陽の当たる方に伸びていく、いいかげんなものである。天気次第のようでいて、実は自分次第で、ひょろひょろと右だって左だって、上だって下にだって、どっちにだってどこにだっていく。政治家が考えているよりも自分勝手で逞しいものである。

ちなみにこの川柳は2004年に作られている。セレクション柳人番外篇『草地豊子集』(邑書林刊 2009年)所収。



2012年2月2日木曜日

〔ネット拾読〕18 ヘケテペケ川の入り日を眺めつつ

〔ネット拾読〕18
ヘケテペケ川の入り日を眺めつつ
西原天気

例によって、表題と記事の内容には、何の関係もありません。

さて。

(続)『雑文集』抜き書き:僕が線を引いて読んだ所
http://d.hatena.ne.jp/mf-fagott/20120116

村上春樹『雑文集』の一節、レイモンド・カーヴァーを俳句に置き換える。これがなかなかの説得力をもってしまうのは、引用者(mf-fagottさん)のセンス。
僕はいわゆる「うまい俳句」を作ろうとしてはいない。僕が作るべきなのは、ただひとつ僕自身の物語である。僕にしか切り取れない世界の風景を、僕にしか語れない話法で、俳句として語ることである。(…)
で、「俳句は自分自身を「相対化」することで、自分を少しだけ救済することができると思う。」とはmf-fagottさんによるまとめ。



「自分」や「私」に関連して。

山田耕司 公、ウスくも濃くも:詩客
http://shiika.sakura.ne.jp/jihyo/jihyo_haiku/2012-01-20-5285.html

全文は実際に読んでいただくとして、次の「まとめ」は、個と衆(筆者=私の把握です)、個別と一般の関係のなかで「作句」を捉えて、クリア。
◎ 私を探求していくことで、私のことしか言えないのは「芸がない」。私への踏み込みがないのもまた「芸がない」。
◎ 公として形式を牽引していくのは、形式を分析する力ではなく、形式を体現する力。
◎ 形式を体現をするのは、それを見届ける受け手あればこそ。どんな受け手を仮想するかで、送り手の芸の向きが変わる。


五十嵐秀彦 「中央」と「地方」について考える:週刊俳句・第249号
http://weekly-haiku.blogspot.com/2012/01/57.html

五十嵐秀彦 始めてみないか:無門日記
http://blog.livedoor.jp/mumon1/archives/51691700.html
五十嵐秀彦氏による2本の記事。前者の続きが後者という関係。「地方」と「中央」、それぞれが何を指すのかは、すこし微妙な問題(だからカギ括弧付きになっているのでしょう)。にせよ、五十嵐氏の情況に対する「もどかしさ」のようなもの、そしてそれを打開しようとする意志が伝わります。

これらを受けて私は自分のブログで、ちょっと別の角度から、インターネットの地域性について書いた。(≫「地方」とインターネット)。

五十嵐氏がこれを受けて、

五十嵐秀彦 20分の1
http://blog.livedoor.jp/mumon1/archives/51692195.html

「20分の1」は、「少ない」のではなく、北海道に暮らす五十嵐さんにとっては意外に「多い」のですね。
でもネットから離れたところで俳句を作るひとたちと話していて、週刊俳句を知っているという人に出会ったことがない。/思い返してみても本当に一人もいない。/圧倒的に「なにそれ?」という反応が返ってくる。/ということはどういうことかと言うと、週刊俳句の存在は北海道の既存の結社や俳句団体には1%の影響も与えていないということだ。
影響を与える必要はないと思うのですが、知ってほしいですね、やはり。

なにがしか変化への働きかけが必要かもしれません。そこで週刊俳句としての対応策なのですが、この手のことでよく言われるのが、「いま、そこにいる人たちに変化を求めてもムダだ。彼らが消えていくのを待つほうが早い」。

最善策は、長く続けること、かもしれません。



2012年2月1日水曜日

【俳誌拝読】『大(ひろ)』2012年新年・冬号を読む


【俳誌拝読】
『大(ひろ)』no.20(2012年新年・冬号)を読む

西原天気


発行人・境野大波。本文ページ数44頁。招待作家、同人諸氏の俳句作品、その選評・観賞のほか、俳論、エッセイ、書評等、ヴァラエティに富む誌面構成。
能の世界では、たとえどんなに悲惨な人生を描いたものであっても、多くは最後に舞を舞うことによって救われる、と虚子は述べている(『俳句への道』)。つまり、現世の地獄から極楽世界への転移を、舞い歌い遊ぶことで実現するのだが、そうし極楽の文学こそが俳句なのだ、と虚子は言いたかったようだ。(境野大波「悪人の俳句」)
以下、何句か。

聞耳を立つる蓑虫あらば切れ  ふけとしこ(招待席)

金華山より下りてきし猪道か 境野大波

雲下りて来る山早く眠れよと  花房なお

白桃を啜りて着きぬ川つぱら  前田りう

数珠玉の色づくほどの風そよぐ  石田遊起

どの舟も波に揺れをる帰燕かな  井関雅吉

かたつむり冬の日差しの石垣の  遠藤千鶴羽

鐘ついて綿虫育てゐたりけり  武井伸子

ひとところぐでんぐでんの酔芙蓉  土岐光一