2012年4月30日月曜日

●月曜日の一句〔小池康生〕 相子智恵


相子智恵








燃えだすも咲くも四月のひとしごと  小池康生

句集『旧の渚』(2012.4/ふらんす堂)より。

何かと忙しい四月も、今日で終わりだ。毎年、ドドドッと連休になだれ込んで、四月が終わってゆく。

掲句、なるほど花が咲き乱れるのは〈四月のひとしごと〉である。

そして〈燃えだす〉のも四月の仕事だと言われれば、それは一瞬の驚きとともに、確かな実感をもって迫ってくる。〈燃えだす〉の熱さや高揚感、そして痛みは、四月という季節が、ただの花咲く美しい季節ではないことを伝えてくれる。春は美しく楽しい季節であるとともに、万物が一斉にメラメラと燃えるように動き出す「しんどさ」もあるのだ。

縦書きの詩を愛すなり五月の木

明日からは五月。四月にくらべてすっきりとした風通しのよい五月を、作者は〈縦書きの詩を愛す〉る月だと捉えた。

そうだ、すっきりとした五月は〈縦書きの詩〉を愛そうか。なかでも俳句という、短い詩を愛するのはどうだろう。

新緑の〈五月の木〉のように一本すっくと伸びた、瑞々しい俳句という詩を。

2012年4月29日日曜日

2012年4月28日土曜日

●窓



江戸住や二階の窓の初幟  一茶

家に窓窓に雨ある若葉かな  尾崎紅葉

哭く女窓の寒潮縞をなし  西東三鬼

小鳥来るあゝその窓に意味はない  岡野泰輔〔*〕

裏窓の裸醜し又美し  瀧 春一

ぶらんこの飛び出すブリューゲルの窓  日原 傅

室町期おわるようなり窓に風  阿部完市

灯を消せば涼しき星や窓に入る  夏目漱石

窓に他人の屋根また迫る朝の紅茶  林田紀音夫


〔*〕『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より


2012年4月27日金曜日

●金曜日の川柳〔田中五呂八〕 樋口由紀子


樋口由紀子








欠伸したその瞬間が宇宙です


田中五呂八(たなか・ごろはち)1895~1937

春は眠い。眠いとき退屈なとき疲れているときについ欠伸が出てしまう。欠伸は血液中の酸素の欠乏などで起こるらしく、あまりみっともよいものではない。しかし、この句は宇宙とつなげた。欠乏で起こる欠伸がなにやら別のものに思えてくる。そういえば欠伸をすると耳がしゅんとなるが、異次元につながっているからかもしれない。

新興川柳には宇宙を詠んだ句がなぜか多い。宇宙は現実の時空ではなかったのだ。未知の比喩で、あこがれであり、大きなもの、日常の些事を忘れさせるものであったのだろう。

田中五呂八は新興川柳の祖と言われている。小樽から川柳誌「氷原」を創刊した。「表現」を意識していたのだろうか。「新興川柳」とは五呂八が名づけたもので、のちの「新興短歌」「新興俳句」運動の先駆をなしている。五呂八は川柳は詩であり、短詩型文学でありたいと願った。〈人間を摑めば風が手にのこり〉〈足があるから人間に嘘がある〉〈人の住む窓を出てゆく蝶一つ〉

2012年4月26日木曜日

●明後日は5周年オフ会

明後日は5周年オフ会

4月28日は5周年オフ会です。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/03/5.html

御参加表明いただいていなくても、気が向けばお出かけください。

かまちよしろうさん「犬サブレ 赤」の即売会ほか、イベントもいくつか。

2012年4月25日水曜日

●The Extra Terrestrial

The Extra Terrestrial

宇宙船錆びるともなく浮くともなく  岡野泰輔〔*〕

灯火親し英語話せる火星人  小川軽舟

末黒野に捨つるほかなき宇宙船  太田うさぎ

夏の星どれか故郷だとおもふ  中嶋憲武


〔*〕『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より


2012年4月24日火曜日

〔俳誌拝読〕『鏡』第四号(2012年4月)を読む 村田篠

〔俳誌拝読〕
『鏡』第四号(2012年4月)を読む

村田 篠

発行人・寺澤一雄。本文48頁。同人作品のほか、散文として谷雅子「慈庵旅日記 稲田の闇を引寄せる」、羽田野令「「鏡」三号を読む」、寺澤一雄「羽田野令の俳句」など。

本誌の中心的存在だった八田木枯氏が3月19日に逝去され、この号に寄せられた14句が氏の最後の作品となってしまった。

我を置き去りに我去る墓参かな  八田木枯

本号掲載のインタビュー「八田木枯戦後私史(2)」(聞き手・中村裕)の中で、現在の俳句の状況について「いまの評論はほめすぎ」「すぐれた編集者の不在」「作家は作品で勝負しなければ」といった主旨の苦言を呈しておられるのが心に残った。お会いしたことはなかったが、文字としてでも、もっともっと氏の発言をお聞きしたかった。ご逝去が悔やまれる。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

以下、同人諸氏の句より。

寒鯉を飼ひ筆舌を尽しけり  八田木枯

不眠症氷柱先まで白濁す
  遠山陽子

雛壇を離れわが顔つるんとす
  大木孝子

銀河鉄道なら間に合った光りかな
  中村十朗

帽子ごと眠つてしまふ翁かな
  東 直子

これもあげるわしやぼん玉吹く道具
  佐藤文香

水光り又わかさぎの釣られけり
  菅野匡夫

消えさうな火星見上ぐる狐かな
  谷 雅子

冬薔薇の果てを紀の国からまはる
  羽田野 令

初地震か我身の揺れか止みにけり
  中村 裕

冴返る琳派ラカン派不受不施派
  大上朝美

春が来て紙屑箱の中の紙
  村井康司

雪搔き分ける儲かりますように
  木綿

春宵を私の馬がついてくる
  佐藤りえ

雪のほか動くものなき真昼かな
  笹木くろえ

隣りから醤油を借りるかひやぐら
  寺澤一雄

風動き己を恃む狩の犬
  森宮保子

2012年4月23日月曜日

●月曜日の一句〔藤本美和子〕 相子智恵


相子智恵








天空は音なかりけり山桜  藤本美和子

句集『藤本美和子句集』(2012.3/ふらんす堂)より。

句集『天空』を読んで以来、ずっと愛唱してきた句だ。今回、また新たな装いの句集でこの句に出合ったが、やはり惹かれる。

しんと無音の大空と、瑞々しい新葉とともに咲く清潔な白い山桜。

ただそれだけの世界だ。が、この句を唱えるだけで、自分が何か大きくてまばゆい光に包まれているような気持ちがしてくる。それでいて、万物が無音のうちに移り変わるような、大きな寂しさにも同時に襲われる。

ここまで書いてきて、なんだか主観的過ぎて、うまく鑑賞できていないことに気づく……すみません。

ただ、俳句のエッセンスを搾った一滴がここにあるような、ここには俳句にしか到達しえない世界があるような気が、個人的にはしているのである。

ただただ、好きな句である。

2012年4月22日日曜日

〔今週号の表紙〕第261号 ピクニック 西丘伊吹

〔今週号の表紙〕
第261号 ピクニック

西丘伊吹
・文 菊地朋子・写真



所属しているhi→(ハイ)という女子4人のユニットが、週俳まるごとプロデュース号のお話をいただいた。さて、どういうふうにしようか、と皆で考えているときに出たアイディアが、「若草物語」をテーマにするというものだった。

こう書くと、普段から芝居好きだったり宝塚好きだったりする、ちょっと「あれ」な女子たちなのではないか――と勘ぐられそうだけれど、そういうことでもない。むしろ、本とか現代アートとかzineとか映画の方が好きな、きっと「文化系」と呼ばれてしまうのだろうな、とどこかで諦めているような面々である。

hi→が「若草物語」っぽいのは、末っ子気質のエイミーの存在(参考)によるものであり・・・とつい言い訳しそうになるのだけれど、4人でいるときのそれぞれのふるまいや全体の雰囲気を観察してみると、どうしたってやっぱり、私たちは4姉妹なのだった……。

それで、週俳用の写真を撮るために、ピクニックへ行くことにした。バスケットには、ワインの瓶、りんご、クッキー、紅茶を入れ、色鉛筆にクレパス、ノートにトランプ、沢山の本、それにチェックのレジャーシートを持って。お揃いの服がいいね、と言って、蝶ネクタイも買った。

この写真は、ピクニックのあとの1コマ。場所は、日曜日の大学のキャンパス。桜は終わりかけていたけれど、グラウンドに抜ける春風が心地よかった。

ところで、この写真は私が撮ったものではない。小学校からの友人の菊地朋子さんが撮影してくださったものである(hi→プロデュース号の写真はすべて彼女による)。

朝早くから、蝶ネクタイ姿でならぶ私たちに困った顔もせず、芝生に顔を寄せながら撮影してくれた菊地さん、本当にありがとうございました。


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2012年4月21日土曜日

●『週刊俳句』創刊5周年記念オフ会のお知らせ

『週刊俳句』
創刊5周年記念オフ会のお知らせ


『週刊俳句』は来る4月をもちまして5周年を迎えます。これもひとえに皆様のご支援の賜物と深く感謝申し上げます。つきましては、下記により心ば かりの宴席を設けました。ご多用中とは存じますが、万障お繰り合わせの上ご参席賜わりますようご案内申し上げます。

  記

日時:2012年428日()午後5:00開場 5:30開演-8:30

場所:小石川後楽園・涵徳亭
アクセス/地図はこちら  東京都文京区後楽1丁目6-6

参加費:4000円 (学生2000円)

ご参加いただける方は、4月22日(日)までにメールにてお知らせください。
≫連絡先 http://weekly-haiku.blogspot.com/2007/04/blog-post_6811.html

※早めに到着、小石川後楽園を散策、というのもオススメプランです。

2012年4月20日金曜日

●金曜日の川柳〔加藤久子〕 樋口由紀子


樋口由紀子








ぎゅうっと空をひっぱっている蛹


加藤久子(かとう・ひさこ)1939~

加藤久子は宮城県岩沼市在住。東日本大震災で被災した。「大震災からまもなく一年になる。なにか書こうとすると、まだあの日から離れられない」(「杜人」233号)と書いている。被災地の日常はまだまだ戻ってはいない。

そんなときにふと目にした蛹の糸を張る姿が空とつながっているように見えたのだ。あんなに小さな蛹があんなに大きな空を支えにして生きていこうとしている。それも能動的にひっぱっているように思った。蛹に希望をもらったのだろう。それよりもそのように感じた自分にほっとしているのかもしれない。閉じ込めていたものから解き放されつつあるから「ぎゅうっと」と把握し、書きとめることができたのだろう。(「MANO」17号 2011年4月)収録。


2012年4月19日木曜日

●コモエスタ三鬼29 唐突に

コモエスタ三鬼 Como estas? Sanki
第29回
唐突に

西原天気


中年や独語おどろく冬の坂  三鬼(1946年)

戦後、作句を再開してすぐの作。

すこしまえツイッター上で、若い人たちだろう、「この独語って、ひとりごと? それともドイツ語?」などという、微笑ましいやりとりを目にしたが、それはさておき、この句、「おどろき」の詠み込みというだけでなく、全体から勃発感、唐突感のようなものが鋭く立ち上がってくるのは、中年にも、冬の坂にも、もちろん独語にも、勃発、唐突の要素が色濃いからでしょう。

中年。

これ、経験してみると、「しだいに中年となる」といった感じではまるでなく、「ある日、気づくと中年だった」という感じ。間抜けなお伽噺みたいなものです。

坂道を行くコートの中にある、たるんで力のない物体、肉の固まり。これ、なに? あ、私だ。……てなもので。

このとき、三鬼46歳。書いている私は、中年も過ぎて初老と言うべき齢。もう一度、申し上げますが、気がつくと、こんなに年をとってしまっているのです。

リアル浦島太郎。これを驚かずにいられましょうか。


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2012年4月18日水曜日

●トランク

トランク

カナリヤをつめこむ春のトランクに  杉山久子〔1〕

トランクをぱたんと閉めて夏終る  大輪靖宏

旅馴れてトランク一つ夜の秋  星野立子


〔1〕『超新撰21』(2010年・邑書林)所収

2012年4月17日火曜日

〔今週号の表紙〕第260号 蓋

〔今週号の表紙〕
第260号 蓋

西原天気




道に蓋がしてあるのをよく目にします。いや、道に、ではなく、溝に蓋がしてあるわけですが。


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2012年4月16日月曜日

●月曜日の一句〔山﨑十生〕 相子智恵


相子智恵








羽化希ふ大黒柱春の宵  山﨑十生

句集『悠悠自適入門』(2012.4/角川書店)より。

夕暮れのあと、明るく艶めいた風情ある〈春の宵〉がおとずれる。そんな時分、家を支えている〈大黒柱〉が羽化して飛び立つことを強く願っているという。面白い句だ。

この〈大黒柱〉は、長年家を支えてきた、どっしりと重厚な柱を思う。家を支え続けて、はや百年以上が経っているかもしれない。つやつやと黒光りした木肌の質感を想像する。

そんな安定感のある大黒柱が、じつは眠りから覚めてキラキラとした羽根を生やし、重くのしかかった家から飛び立つことを夢に見て、強く願っている。

これから大黒柱を見るたびに思い出しそうな、不思議な春の一句である。

2012年4月13日金曜日

●金曜日の川柳〔渡辺康子〕 樋口由紀子


樋口由紀子








夜桜を見て来て誰も寄せつけず


渡辺康子 (わたなべ・やすこ) 1942~

やっと桜が満開になった。桜は不思議な花である。人は桜に誘われてふらふらと出掛けていく。そして、桜を観たあともなにやらふらふらとしている。この句、夜桜の本質をついているように思う。

川柳をはじめて少し経った頃に掲句と出会って、ドキリとした。桜の季節になると毎年思い出す。大人の女性の句で近づけない雰囲気があった。その当時も充分に大人の歳であったけれど、私にはまだ縁のない世界で、いつかはこのような川柳を詠めるようになるのだろうと淡い期待を抱いた。それから月日も流れて、大人の歳を充分すぎるほど過ぎてしまったが、まだ詠めないでいる。

〈むらさきの夜をつくっていくさくら〉〈あれは花火だった 前略のはがき〉〈赤い実は赤らむことをたまわりぬ〉


2012年4月12日木曜日

●コモエスタ三鬼28 偶然と固有性

コモエスタ三鬼 Como estas? Sanki
第28回
偶然と固有性

西原天気


特高警察に検挙(1940年)とその後の保護観察処分、また太平洋戦争やらで、およそ5年の休俳期間があり、終戦。

国餓えたりわれも立ち見る冬の虹  三鬼(1945年)

寒灯の一つ一つよ国敗れ  同

こうしたいかにも敗戦直後、といった2句で、三鬼の戦後が始まるわけですが、どうでしょう? 2句ともに、魅力は薄い。

日本全体が飢えていたことは、今からすれば歴史的事実。当時を知らなくても誰もが知っている(気がする)、いわゆる「ニュース」的な事柄です。空腹のまま路上に立ち、仰ぐ虹。あるいは、夜、街の灯を眺めながら、敗戦という揺るがぬ事実を思う。1945年の景色として納得はするものの、それは、きっと誰がそこにいても抱くような感慨、という気もします。

例えば、

広島や卵食ふ時口ひらく  (1947年)

は、戦争・敗戦を色濃く反映した有名句ですが、この句と前述2句との決定的な違いをざっくり言えば「固有性」の有無といえます。

飢えや虹や寒灯や敗戦が「一般性」と契りを結びすぎているがゆえに、その句が切実にそこにある理由が見出しにくい。

一方、広島、卵、開いた口。それらは、一般性とは断絶し、「たまたま」そこにあります。作者・三鬼がそのとき卵を食べたこと、「口ひらく」という認識を句に定着させたことに必然はありません。固有性とは、しばしば偶然の別名でもあるようです。

俳句にまつわるスタンスや好悪もありますが、私たちが俳句を読んで、驚いたり心を揺すぶられたり気持ちがよくなったりするのは、たまたま「そこ」に生起した(ゆえに「そこ」にしかない)「それ」を見せられたときです。

みんなが思っていること、思うであろうことを巧く17音にまとめるのも俳句、とはいえ、それは俳句の重要な仕事ではないような気がします。俳句は要約ではなく(凝縮でもなく)、ひとすじ壁を汚すペンキの刷毛跡、イメージの一閃、みたいなものでしょう、きっと。


ちなみに、《広島や卵食ふ時口ひらく》は、『俳句人』1947年5月号初出時は《広島や物を食ふ時口ひらく》。「卵」でなく「物」。卵のほうが断然いいのは、やはり「個別」という問題と関連するはずです。なお、この句、「有名なる街」と題された連作のうち一句。《広島に月も星もなし地の硬き》など「広島」で始まる句が9句並ぶ、そのうちの一句。

もうひとつ、ちなみに、今では三鬼の代表句のひとつとして有名なこの句、句集『夜の桃』(1948年・七洋社)には収録されなかったことでも知られる。


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2012年4月11日水曜日

●タイプライター

タイプライター

とつぐとき過ぎつつ風邪のタイピスト  山口誓子

凍蝶の眼を怖ぢタイプライター打つ  横山房子

洋梨とタイプライター日が昇る  髙柳克弘

手をとめて春を惜しめりタイピスト  日野草城


2012年4月10日火曜日

〔今週号の表紙〕第259号 歩道橋 西原天気

〔今週号の表紙〕
第259号 歩道橋

西原天気



東京都国立市の大学通りの桜。都立国立高校近くの歩道橋は観桜スポットのひとつです。


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2012年4月9日月曜日

●月曜日の一句〔南 うみを〕 相子智恵


相子智恵








虚子の忌の蚯蚓はな屑まみれなる  南 うみを

句集『志楽』(2012.3/ふらんす堂)より。

昨日、4月8日は虚子忌であった。

さてこの句、〈虚子の忌〉〈蚯蚓〉〈はな屑〉と季語のオンパレードで、いわゆる「季重なり」の句だ。ただこの句の場合、その季重なりには計算されない実景の強さがある。表現の方は「花屑」と書かずに〈はな屑〉と書いて「花」の強さを抑え、主季語の〈虚子の忌〉を際立たせるなど、繊細な計算が働いているが、描かれた景の方は計算がなく、リアルで野太い。

散り敷いた桜の花びらと、土の上に思わず出てしまい、花屑まみれになりながらくねっている蚯蚓。美の象徴ともいえる桜の花と、気味の悪い蚯蚓に、美醜を超越した生命力を感じる。桜の木の根元の、湿った黒土の匂いがする。

花屑と蚯蚓だけでも一句は成立するのに、作者はそこにわざわざ虚子忌を持ってきた。この景と虚子忌との響き合いがまた、面白いのだ。

虚子は自身が提唱した「花鳥諷詠」のイメージからか、美しき正統派という印象を与えるところがあるが(もちろんそういう句も多いが)、虚子の本当の凄みは〈酌婦来る灯取蟲より汚きが〉〈川を見るバナナの皮は手より落ち〉〈爛々と昼の星見え菌生え〉のような、美醜を超越した句の、ブラックホール的な吸引力の強さにあるような気がする。この句は、虚子のそんな美醜を超えた底なしの魅力を思い起こさせる。

2012年4月8日日曜日

〔評判録〕『吉田鴻司全句集』

〔評判録〕
『吉田鴻司全句集』

初旅(はつたび)吉田鴻司 :林誠司 俳句オデッセイ

:喜代子の折々

:俳句魂

≫『吉田鴻司全句集』抜粋100句・平山雄一:週刊俳句・第258号
前口上 http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/04/100.html
吉田鴻司100句 http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/04/100100_01.html

2012年4月7日土曜日

〔俳誌拝読〕『静かな場所』No.8を読む 上田信治

〔俳誌拝読〕
『静かな場所』No.8(2012年3月)を読む

上田信治

発行人・対中いずみ。A5判。本文17頁。

田中裕明作品研究中心の1〜6号までとは体制が変わっての2冊め。目次と奥付を入れても19ページというささやかさが、ここちよくもあります。招待作品・岩田由美。連載第2回・青木亮一「はるかなる帰郷 田中裕明の「詩情」について」。

枯芝に影なく朝の来てをりぬ  岩田由美

下がりきし蔓に棘ある秋日かな  対中いずみ

左手がすこし小さし秋昼寝  満田春日

汗ながら静かな顔でありにけり  森賀まり

鉄は人小鉄は猫や秋の風  和田悠

まぶしくもさむくもありて落葉踏む  木村定生

薔薇園は薔薇いつも咲く今は冬  同

2012年4月6日金曜日

●金曜日の川柳〔松本芳味〕 樋口由紀子


樋口由紀子








おんがくが耳をさがしている 冬


松本芳味 (まつもと・よしみ) 1926~1975

四月になったというのにいつまでもたっても肌寒い。先日は暴風と豪雨で、今の日本を象徴しているみたいだ。掲句の「冬」は季節の冬、季感ではないだろう。社会や人間の心の寒さを表しているような気がする。

耳が音楽を探しているのではない。音楽が聞いてくれる、わかってくれる耳を探して鳴っているのだ。身体が冷たくなって、心も次第に冷たくなっていく。しかし、そんなときでも、あるいはそんなときだからこそ出会いを待っている。自分を理解してくれる人や社会を求めて、音楽は鳴り止まない。

これはたたみか芒が原か父かえせ母かえせ〉〈ローソクを点けろ!!にんげんの夕餉けものの眠り〉〈難破船が出てゆく丘のひそかな愛撫〉などの多行形式の川柳を残した。どの句も抒情性があり、無念を抱えている。芳味は怒る人であり、強直な男であったようだ。昭和50年に49歳の若さで亡くなっている。


2012年4月5日木曜日

●チャコちゃんの街 中嶋憲武

チャコちゃんの街

中嶋憲武


むかしむかし「チャコちゃん」というテレビドラマがあった。大層な人気であったのでシリーズ化され、後にはチャコちゃんの弟の物語になり、更にその兄妹の物語になり、更に更にその妹に弟が出来てその弟の物語になり、20年ほどそのシリーズは続いた。

あまりに物語が続くので、ぼくは途中で飽きて自然に見なくなってしまったけれど、初期の「チャコちゃん」の一連のシリーズは面白く見ていた。チャコちゃんを演じていたのは、四方晴美という天才子役。あんまり可愛くない。四方晴美というと、茨木のり子の「女の子のマーチ」という詩をいつも思い出す。そのお父さん役が安井昌二、お母さん役が小田切みき。小田切みきは、黒澤明の「生きる」で志村喬の相手役をした少女だったと思う。この両親は四方晴美の実の両親だ。どんなドラマだったかまるっきり忘れてしまったんだけど、まあ概ね茨木のり子の「女の子のマーチ」の詩のようなドラマだったと思う。元気な女の子の元気はつらつな元気せきららドラマだ。

日曜日、南馬込を歩いた。南馬込は馬込文士村と言われ、三島由紀夫、萩原朔太郎、川端康成、北園克衛、川端茅舎、三好達治などの小説家、詩人、画家が住んでいた街だ。 坂の多い街で、坂を登ったと思ったら下り、下ったと思ったらまた登るというような街だ。ぼくは小さい頃、大田区池上に住んでいたので幼稚園は西馬込の幼稚園へ通っていた。南馬込からは第二京浜を挟んで反対側にあたる。

その日は池上本門寺にお参りして、本門寺裏の川端茅舎の住居跡を訪ねるのが目的だったのだけど、そこがいわゆる馬込文士村の端っこにあたっていたので、馬込文士村も歩いてみようかという事になったのだった。駅の大雑把な地図には、たくさんの小説家や詩人や画家の名前が載っていたが、どこに誰それの言われがあるのか歩き回ってみても皆目見つけられなかった。坂が多くって景色が面白いので、興味はもっぱらそちらに行ってしまって、シャッターをどんどん切ってしまった。カメラを持ち歩いていたのだ。そうやって写真を撮っているうちに、「チャコちゃん」のある回の話を思い出した。「チャコちゃん」のドラマが好きで再放送も見ていたが、話はとんと忘れてしまったのだけど、なぜかその回の話はうっすらと覚えていて、高台から低い街並を見ているうちにベランダに立つ微笑むお兄さんの話を思い出した。

チャコちゃんが、家の物干だったか二階の窓だったから眺めていると(望遠鏡で覗いていたのかもしれない)、遠い家の二階にカッコいいお兄さんが立って、チャコちゃんを見てやさしく微笑んでいる。チャコちゃんはそのお兄さんが気になり、お兄さんと遊んでいるところを夢想したりする。ある日、意を決してそのお兄さんの家のあるあたりを訪ね、お兄さんを見つける。だがそのお兄さんは二次元の人だったのだ。お兄さんはにこにこと微笑む看板だったのである。チャコちゃんがちょうどその家の前に立ったとき、看板のお兄さんはにこにこと微笑みながら、業者の手によって二階から引きずり降ろされているところだった。チャコちゃん悲しくなってお家に帰るといったような、記憶の断片をつなぎ合わせると、こういう話だったと思う。なぜ普通の家の二階のベランダにそんなお兄さんの看板が立っていたのか、突っ込みどころはあるでしょう。でも致し方ないのです。ぼくの記憶がそうなってしまっているんで。

ぼくは今でも高台に立って、低い街並の家々を眺めると、そのお兄さんのことを思い出し、チャコちゃんを思い出す。

2012年4月4日水曜日

〔俳誌拝読〕『雷魚』第90号を読む


〔俳誌拝読〕
『雷魚』第90号(2012年4月)を読む


発行人・小宅容義。B5判。本文42頁。同人外部からの前号句評をレギュラー化。本号では、市川榮次(昴)、岡田耕治(香天)両氏が各2ページの句評。

特別作品20句より。

初雀きのふの飯を食うてをり  寺澤一雄

会社から小春日和を座り見る  同

短日や眼鏡に双眼鏡を当て  太田うさぎ

温泉の床のつるりと寅彦忌  同

以下、同人諸氏「10句作品」より。

お手玉や元禄以後の雪もよひ  遠山陽子

万愚節パジャマ姿でひもすがら  三橋孝子

火事跡の便器がひとつ朝日浴ぶ  好井由江

蝶凍ててからの途方もない時間  小宅容義

狐火や五年日記の五年経つ  小林幹彦

雨音へ閉ざす障子の明るさよ  櫻井ゆか


(西原天気)

2012年4月3日火曜日

〔今週号の表紙〕第258号 うぶげ 西原天気

〔今週号の表紙〕
第258号 うぶげ

西原天気



うぶげのようなものがからまっているのです。葉の全体を覆う短い毛でなく、茎か葉のあたりからひょろひょろっと伸びた毛。


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2012年4月2日月曜日

●月曜日の一句〔八田木枯〕 相子智恵


相子智恵








蝶荒び空は沸騰しつつあり  八田木枯

句集『鏡騒』(2010.9/ふらんす堂)より。

蝶は美しいが、そのふらふらと定まらない飛び方は、どこか破滅的な感じがする。

気の向くままに飛ぶ蝶の〈荒び〉の高揚感に合わせるように、春の空もまた、熱せられた湯のごとくにうねる。

〈沸騰しつつあり〉と、熱湯のように表現された空。やわらかで、なまめかしく、まこと春の情感にあふれた美しい把握である。

いちまいの春の空なりやや撓る〉〈てのひらに春のゆふべをしたたらす〉氏が描く春の空はどれも、水分をたっぷりと含んでいて色気がある。

独自の耽美な句世界を残した木枯氏は、したたるような春の空に昇っていった。この『鏡騒』が、氏の最後の句集となってしまった。

2012年4月1日日曜日

●コモエスタ三鬼27 バカ

コモエスタ三鬼 Como estas? Sanki
第27回
バカ

西原天気


きょうは三鬼忌ですね(≫ウラハイ過去記事)。

1961年、三鬼61歳の秋、9月に胃癌発覚。10月9日、手術。退院後、翌年1962年は2月くらいまで仕事をしていたようですが、3月半ばからは病状が極めて悪化。4月1日、「朝より昏睡状態。午後12時55分永眠」〔*〕

三鬼忌とエイプリルフールとが同じ日である、この符合のことは、「いかにも三鬼」といった言辞とともによく話題にのぼります。

「いかにも三鬼」という、その「いかにも」がどこから来るのかをきちんと説明するのは難しい(あるいは、そんな説明はあまり意味がない)けれど、三鬼忌とエイプリルフールの親和性のようなものは、ふだん目にする句でも実感することが多い。三鬼忌という季語を用いた句は、そこを「四月馬鹿」と置き換えてみても違和感がなかったりする(逆も同じ)。

三鬼忌とエイプリルフールがこんなにも相性がいいのは、その作風よりも、むしろ「人物像」にまつわるイメージによるもの、ともいえそうです。
三鬼ほどたくさんのレッテルを貼られた文人もめずらしい。
「俳壇の雑役夫」「俳壇の政治家」「乾杯屋」「漁色家」「色事師」「人買い」「密告者」「スパイ」「手品師」「女形」「誇り高き雑俳」「肉体俳人」「知性的抒情詩人」「高雅な俗人」「貴族」「俳句の鬼」「新興俳句の申し子」「新興俳句の旗手」「鬼才」「終生の演技者」「永遠の青年」「生活破綻者」「個人主義者」「先駆的モダニスト」「言葉の魔術師」「ヒューマニスト」「ニヒリスト」「ダンディスト」「エトランゼ」「コスモポリタン」「ボヘミアン」「ロマンチスト」「コメディアン」「ドンキホーテ」「ナルシスト」「ハイカラ」「二丁目俳句」「前衛」「絶望の文学」「虚無の文学」
まあよくもこうバナナの叩き売りみたいにべたべたレッテルを貼りつけたものだとあきれるばかりである。
(原満三寿「三鬼の風景」〔*2〕
ちょっと多すぎません? ほんとに?と疑ってみたくなるレッテルも多い。「人買い」って(笑。「二丁目俳句」って(笑。

レッテルそれぞれの妥当性をうんぬんしてもしかたがない。ともかく、こうしたレッテルの在庫一掃セール並みに安っぽい列挙が、「いかにもエイプリルフール」です。

ところで「fool」という英語、「馬鹿」と訳せば、それはそうなのですが、動詞で使うと、「バカをやる」「おどける」といった感じで、場合によっては、ちょっと甘美でせつなくもあるのですよ。

なお、「バカをやるぜ!」よりも、「もうバカはやらないよ……(ウソだけど)」のほうが、よほどロックだし、俳句です。とりわけ今日、エイプリルフールの日には。


〔*1〕『西東三鬼全句集』(2001年・沖積舎)年譜
〔*2〕『別冊「俳句四季」西東三鬼の世界』1997年・東京四季出版

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