2013年2月16日土曜日

●季語としての「熊」 01 橋本直

季語としての「熊」 01

橋本 直


ツイッターで、なんで「熊」は冬の季語なんだろう?という疑問が話題に。




よく知られているように、熊は冬に一応「冬眠」するわけで、動物園にでもいかないと目にしない生物です。なぜ冬の季語になっていったのでしょうか。たしかに、なんでだろう、と思って調べてみました。

戦前までの季語大観といえる改造社『俳諧歳時記』も、高度成長期のそれたる角川書店『図説大歳時記』も、「熊」の項で生態についてや古文献の記述は解説しているものの、なんで冬なのかの理由の説明はありません。また、滝沢馬琴編、藍亭青藍補『俳諧歳時記栞草』(岩波文庫版)には立項がないので、近代以降に季語として認められるようになった語と考えていいようです。なお、『―栞草』で「熊」がでてくるのは秋之部で、「熊栗架を搔く(くまくりだなをかく)」。
〈時珍曰、熊、石巌枯木(せきがんこぼく)に在を、山中の人、これを熊舘(くまたち)といふ。性よく木に上り、好で栗を食ふ。故に攀縁(よじのぼり)て梢に至て、枝を折て並べ鋪て居所を設く。是を熊の架(たな)といふ。熊館(くまたち)の類也。〉
と解説がでています。

いわゆる「くまだな」を熊が設けている様子を季語にしたもので、山中では実際に熊に出会わないとしても、それを目にする機会は少なくないはずですから、いかにも秋の山らしい風物といえるでしょう。それにしても、「熊」はなぜ近代以降になって冬の季語に?

齋藤愼爾他編『必携季語秀句用字用例辞典』(柏書房)では、熊に関する冬の季語に「熊」(三冬・動物、類語に黒熊・月輪熊・羆)、「熊穴に入る」「穴熊」(初冬・時候)、「熊穴に蟄る」(仲冬・時候、「本朝七十二侯」の十一月節「大雪」の次侯)、「熊狩」「熊突」「熊猟」「穴熊打/突」(三冬・生活、)、「熊の子」(三冬・動物、類語に贄の熊・神の熊)、熊祭(仲冬・晩冬・行事)が掲載されています。だいたいこれで冬の季語である熊の類語のラインナップが勢揃いしていると考えていいでしょう。

ここで季語として冬と熊との関係の由来が一応はっきりしていると思われるのは「熊穴に入る」(熊蟄穴)です。これは二十四節気と同じく、もともと古代中国が由来の七十二侯を、日本にあわせて江戸時代に改訂された「本朝七十二侯」に由来します。しかし、同じく「本朝七十二侯」に由来する「魚氷に上る」は『―栞草』にありますが、「熊穴に入る」は入集していません。更に言えば、改造社『俳諧歳時記』も、角川書店『図説大歳時記』も、「熊穴に入る」は立項され「穴熊」と同義とし、熊の冬籠もりの生態に触れてあるものの、この「本朝七十二侯」は一言も触れていないのです。なぜでしょう? 生活実感は「魚氷に―」もないわけで、もしかすると季語としては俳人にぜんぜんウケなかったのかもしれません。そうすると、この語の暦由来の成分は熊が冬の季語である根拠にはしにくいでしょう。

整理すると、熊が冬の季語である根拠は、暦由来ではなく経験的または科学的知識としての「冬眠」や「冬籠もり」と同義としての「熊穴に入る」か、「熊突」等の猟にかかわる季語群か、「熊祭」の三系統となるかと思われます。

そこで句を探してみました。いまのところ手近にある資料で調べた範囲なのですが、最も古い記録は、明治31年1月30日『ほとゝぎす』に題詠「熊(冬季)」があり、選者吟で子規が

草枯や狼の糞熊の糞
冬枯や熊祭る子の蝦夷錦

の二句を詠んでいることです。この段階で少なくとも新派(日本派)では、冬季の季語として「熊」を認めていたということができそうです。しかしながら、明治34年3月から38年4月の間の日本派同人の雑誌新聞発表5万句のなかから1万を選んだという今井柏浦編『明治一万句』(博文館 明治38年、参照したのは明治41年の第八版)には、「熊」での立項はありませんでした。ただ「冬の部」人事の項に「熊突」での立項があり、

熊突や氷を渡る天鹽川  桐一葉
熊突の夫婦帰り来ず夜の雪  梧月

が載っています。柏浦は博文館の社員であった意外のことはよくわからない人なのですが、よく日本派の句の収集に努め、この後も数年ごとにアンソロジィを出しています。一方、明治43年にでた星野麥人編『類題百家俳句全集』冬之部には、立項がありません。星野は尾崎紅葉門で秋声会に参加。柏浦より広汎に句を集めていると思われますが、冬季に熊の句はありません。

そうすると、明治31年の題詠募集は、実験的な試みどまりであったのかもしれません。子規は「熊」を冬季とみなしていたか、みなそうとしていたわけですが、先の引用をみればわかるように、選者吟のうちは少なくとも後者「冬枯や熊祭る子の蝦夷錦」は、明らかに行ったこともない北海道を舞台に詠んでいると読めます。子規はいわば、蝦夷地想望句を詠んでいるわけですが、さらに柏浦選の句の一つ「熊突や氷を渡る天鹽川」も北海道が舞台になっています。これと「熊祭」を併せ考えると、明治に北海道を開発した際、ぶつからざるを得なかった猛獣としての「熊」の影がほの見えてくる気がするのです。

(つづく)

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