2013年4月17日水曜日

●水曜日の一句〔堀本裕樹〕関悦史




関悦史








常闇の遠祖や光り出す茸  堀本裕樹

先祖とはいっても系図が辿れるレベルの話ではなさそうで、光る茸が太古へと視線を引き込み、神気、霊気の満ちる実在感ある常闇をもたらしている。

動物とも植物とも明確に分類しがたい茸が、今目覚めたかのように光り出す。

それが「常闇」「遠祖」という語と結びつくと、生命現象の流れそのものが不意に目の前に顕現したかのようで、遠祖も闇の奥深くでこの茸に出会ったことがあっただろうという想像的な感情移入もさることながら、それと同時に、光る茸のような得体の知れない生命の原初形態にまで進化を遡られた先祖というイメージも現れる。つまり、この暗闇も茸も、己の淵源に位置するものなのだ。

この遠祖は原始仏教的な理論的明快さの中に空じられてもいないが、個人としての貌やまとまりももはや残してはいない。

個々の存在者ではない存在そのもの、生命そのもののようでもあるが、そこまで一般化・抽象化するには、湿り気を帯びた、固有の土地、固有の氏族のにおいが重い。

己に連なる生死の流れが、具体性の中に露出してしまっている特異な場として、この常闇=茸は認識されているおだが、「常~」「遠~」といった場の規定や距離の測定が出来てしまっているあたり、まだ安全圏からの憧れに留まっているともいえる。

だが「光り出す茸」には、見入っているうちにその距離を無効化されてしまいかねない不穏さも漂っている。


句集『熊野曼陀羅』(2012.9 文學の森)所収。

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