2013年7月29日月曜日

●月曜日の一句〔関悦史〕相子智恵

 
相子智恵







スクール水着踏み戦争が上がり込む  関 悦史

「俳句」八月号「三連画」(2013.8 角川学芸出版)より。

〈戦争が廊下の奥に立つてゐた 渡辺白泉〉の現代版としてゾッとした。

掲句の「スクール水着」は同時掲載の〈水遊びする子撮りたる親は消ゆ〉の句(これも田中裕明の健康的で明るい〈水遊びする子に先生から手紙〉を踏まえているが)と関連があろう。〈水遊びする子撮りたる親は消ゆ〉には長い前書きが付いていて〈イギリスで孫の水遊び写真を所持せる祖父が「児童ポルノ単純所持」に問はれ逮捕。日本も「法改正」でその轍を踏まんとす〉とある。

渡辺白泉の〈廊下の奥〉というささやかな日常生活のすぐそばにある戦争という狂気を、関は〈スクール水着〉という、いかにもチープで現代的なモチーフ(会田誠の「滝の絵」を思ったりする)の表現を踏んで、どかどかと正義の顔で戦争が上がり込んでくるさまに転化した。

現代風俗の、行き詰まり退行していく〈スクール水着〉の幼さも怖いが、正義づらでどかどかと〈上がり込む〉好戦的な幼さも怖い。「もはや戦後ではない」と言われたのは昭和31年だが、高度成長を経て「もはや戦後ではなく、戦前」という歴史の繰り返しの中に、いま私たちはいるのだろうか。

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