2013年10月16日水曜日

●水曜日の一句〔齋藤朝比古〕関悦史



関悦史








蝮蛇酒まむし祀りてゐるごとし   齋藤朝比古

酒につかって大瓶に安置されていても、梅やカリンであればただ沈んでいるだけのこと。「祀りてゐるごとし」の見立てはマムシでなければ効かない。

強精剤としての効力というやや呪術的な連想がはたらくためもあるが、何よりとぐろを巻いたヘビの見た目が「酒」としては尋常ではない。

見た目の迫力だけならばホルマリン漬けの標本でも変わらないが、これでは自然科学に寄りすぎでお神酒=「祀る」という連想の親和性が消えるばかりでなく、「酒」の祝祭性や、それを飲むことへの畏怖混じりも期待感もなくなってしまう。

つまり「まむし」を漬け込んだ「酒」という両方の要素がなければ効かないのが「祀りてゐるごとし」の見立てなのだが、それがしかも単なる面白みのない「正解」からはちゃんと外れ、軽い滑稽さを帯びている。これはこの作者の句全てに共通の特徴だろう。

「祀りてゐるごとし」は「祀っているわけではない」という前提を強調しているようなもので、至極散文的な物件としての蝮蛇酒を前面に押し出しており、間違っても民俗学、宗教学的に蛇のイメージの古層をめざしたりはしていない。あくまで日常の枠内の捉え方を複数組み合わせて、それで「正解」から外している。《探梅や武家の道から公家の庭》《七色に疲れてゐたり石鹸玉》なども同じ方法。

いかにも卑近で奥行を欠いたせせこましい句、または、うまいことを言ったという臭みが鼻につく句ばかりを生みかねない方法だが、この作者の場合は、複数の捉え方の隙間にごく淡い隙間風のようなものを生成させ、それが日常生活で自動化した認識(蝮蛇酒を見れば「蝮蛇酒」があると、瞬時に記号として処理し終わるという)を裏からほぐし、寛がせるはたらきを生じさせている。

付記:うっかりやってしまったが、「ホルマリン漬け」での画像検索はおすすめしない。


句集『累日』(2013.9 角川書店)所収。

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