2013年11月30日土曜日

●絶望

絶望


一木の絶望の木に月あがるや  富沢赤黄男

青い薔薇あげましょ絶望はご自由に  池田澄子

人もつと困る溜息を吐き桜絶望のように散る  橋本夢道

僕たちの絶望は俳句の死などではなく、俳句の緩慢な生にこそある。僕たちにとってより切実な課題は、だから、俳句が目の前にあることに戸惑いを感じるたびに、俳句を選択し続ける根拠をいかに見出すのかということだ。そしてその根拠の発見は自分と俳句との関係をその都度問い直す作業によるほかないのである。
外山一機「通行という戦略」
http://haiku-space-ani.blogspot.jp/2010/07/blog-post_18.html

2013年11月29日金曜日

●金曜日の川柳〔絃一郎〕樋口由紀子



樋口由紀子






取り替えてやりたいような鼻に会い

絃一郎

映画「清須会議」を観た。秀吉一族の特徴は耳が大きく、織田家一族は鼻が高かったらしい。織田家の面々に扮した俳優は特殊メイクで鼻を高くしていた。しかし、織田信長の弟役の伊勢谷友介は鼻が高くてりっぱで、そのまんまでよかったらしい。作者はイケメンの伊勢谷くんのような人に出会ったのだろう。

「取り替えてやりたい」は相手の身になってそうしてあげたいというやさしい心持ちの表われとも読むこともできる。が、私は相手の鼻が素敵で、自分の鼻と取り替えたいくらいだという、うらやんでの「やりたい」だと思う。それだけの鼻に出くわしたのだ。

昭和38年に『番傘一万句集』、昭和58年に『続番傘一万句集』、平成15年に『新番傘一万句集』が出版されている。その中で昭和38年版に一番おもしろい川柳が多い。川柳のよき時代だったように思う。しかし、昭和38年版には作者の下の名前しか載っていなく、それ以外は何もわからない。『番傘一万句集』(創元社刊 1963年)

2013年11月28日木曜日

●続・秒針

続・秒針


秒針のかがやき進む黴の中  津久井健之〔*

かなかなや鏡を逆にゆく秒針  澁谷道

秒針の吹矢山火事濃く残り  林田紀音夫

震度5の揺れ秒針は立春へと  渡邉とうふ


過去記事「秒針」
http://hw02.blogspot.jp/2013/09/blog-post_10.html

〔*『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より




2013年11月27日水曜日

●水曜日の一句〔玉田憲子〕関悦史



関悦史








かぶさりくる冬の星星豚生る  玉田憲子

大いなる自然の流れのなかで、星々のきらめきに祝福されての生誕というには、「かぶさりくる」の重量感はあまりにも不穏だ。「冬の星星」であることも冷厳さの印象を強める。

この豚は育った後で食われてしまうのかもしれないが、しかしこの句の冷厳さは、そうした陳腐な情緒とは明確に一線を画している。

一句は生命誕生の神秘と末路の悲惨さの両方にまたがりつつ非情な肯定を下し、豚の誕生を荘厳する。

豚は詠み手の自己投影や自己憐憫では全くないが、かといって他人事として同情が寄せられているわけでもない。

豚と詠み手は厳然と違いつつ、同じ立場を分有してもいるのである。その認識が、情を述べないこの句の背骨を成す。


句集『chalaza(カラザ)』(2013.8 金雀枝舎)所収。




 

2013年11月26日火曜日

〔おんつぼ48〕ロナルド・ジェンキーズ 小津夜景

おんつぼ48

ロナルド・ジェンキーズ
Ronald Jenkees


小津夜景

おんつぼ=音楽のツボ


私は、あまり音楽を知らない。Soundcloud や bandcampが生まれてから、ミュージシャンがレーベルというものに無関心になり、私のような素人には新しい音楽がますます探しづらくなった。そんな中、実弟から教えてもらったのがロナルド・ジェンキーズ。三年ほど前のこと。

おんつぼ的には「Guitar Sound」が抜群。



この曲の面白さをかいつまんで言うと、まず一番目にジャンルの折衷ぶり。一見インテリっぽい感じのテクノなのに、ギターで弾いてみると実は思いっきりガンズ&ローゼズだった、といった仕掛け(?)が、ほほえましい、というか、胸にぐっとくる。さらにピアノで弾いた場合は完全なスティーヴ・ライヒになるところも、何か、変身系のオモチャみたいで愉しい。

フルーティループスを使って、1〜2小節のループをずっと鳴らしながら音を足したり減らしたりしつつ、そのループを少しずつ増やしてゆくといった作曲法は、この時期わりと流行してしたようだ。その中でも彼は、ダントツの折衷的才能でもって、素敵なスコア・デザインをする人。

で、面白さの二番目は、彼の使っている「音」がとても新しいこと。この人はPC98やメガドライブ世代特有の、音響に対する一種「野良っぽい」出自&感性を、ミュージック・シーンにまるごとすっきり移植しえた数少ない一人なのではないでしょうか。

Disorganized Fun とか



Throwing Fire とか



わかりやすいのを挙げれば、こんな感じ。

ヘッドフォンをして一人でアルバムを聴いていると、どんな「使えない」ひどい音も他の音と等価なデータベースとして扱われているのがわかる。彼のそんな(奇妙な非人情ともいえる)ヒューマニズムにはたまらなくアートを感じるし、またそれとは逆に、もともとのテクノというのは、音に対するこの手のユーモアや粗暴さのない、つまりは(趣味と選別の良さを披露する)ナイーヴな教条主義だったんだなーと(もちろん、それは当時から、隠された秘密でもなんでもなかったのだけれど)、ちょっと思ったりもする。


2013年11月25日月曜日

●月曜日の一句〔矢野孝久〕相子智恵

 
相子智恵







活字組み替へ木枯となりにけり  矢野孝久

句集『風の断面』(2013.6 私家版)より。

一読、〈活字〉〈組み替へ〉〈木枯〉〈けり〉のK音が響く。この硬い音が、活版印刷の活字の、鉛版の金属の冷たさと、木枯の冷たさという句の内容を強く印象付けているように思った。

〈活字組み替へ〉〈木枯となりにけり〉という全く関係の無い二物の取り合わせも詩的に響き合っていて、全体を貫く硬い音の響きとあいまって、寒く、凛とした冬の世界を形成している。また冷たさの中に、どこか懐かしさもある。解説の付けようがない句であるが、美しく印象深くて惹かれた。

 つい最近、活字拾いのボランティアの記事(http://www.1101.com/watch/2013-11-07.html)を読んだ。全く関係ないが、そのことも思い出された。

2013年11月24日日曜日

●続・地獄

続・地獄


若き胃の薔薇色地獄牡蠣沈む  馬場駿吉

ばら紅し地獄の先は何ならむ  油布五線

八月や地獄の沙汰の黒たまご  水原春郎

ひらがなの地獄草紙を花の昼  恩田侑布子

君地獄へわれ極楽へ青あらし  高山れおな

蟻地獄孤独地獄のつづきけり  橋本多佳子


≫過去記事「地獄」
http://hw02.blogspot.jp/2013/08/blog-post_22.html


2013年11月23日土曜日

●本日はルイ・マル忌

本日はルイ・マル忌



Zazie dans le Metro(1960) 全篇 1:28:31



2013年11月22日金曜日

●金曜日の川柳〔岸本吟一〕樋口由紀子



樋口由紀子






こんにちわさよならを美しくいう少女

岸本吟一 (きしもと・ぎんいち) 1920~2007

秋晴れが続く。こんな日にこんな少女と出会ったら、こころがさらに晴れわたる。「美しくいう」がなんともよい。

あいさつをしなくなったと思う。一昔前まで道で人に出会うと挨拶をしたものである。そんなに親しくなくても、知らない人であっても、あいさつを交わした。「こんにちは」「さよなら」、きれいな日本語である。イントネーションもよく、やわらかく、こころが和む。人は人と触れ合うことによって育っていく。人を豊かにするのは人である。

吟一は日本最大の結社「番傘」を築いた岸本水府の長男。彼自身も昭和53年から57年まで番傘主幹に就任している。また、映画のシナリオライターであり、「東京フイルム」の代表者として、映画制作を行っていた。そのせいでもないが、掲句からも映像が浮かぶ。少女はきっと可憐でかわいいだろう。

2013年11月21日木曜日

●続・眼帯

続・眼帯


眼帯のうちにて燃ゆるカンナあり  桂信子

眼帯をして飛魚を喰っている  大石雄鬼

黒い眼帯してあつまれよ翡翠に  飯島晴子

まつしろな眼帯をして野にゐたり  渡辺白泉

眼帯の中の目ぬくし黄落期  角谷昌子〔*〕

眼帯の中で目覚めている寒夜  対馬康子


≫既存記事「眼帯」
http://hw02.blogspot.jp/2011/12/blog-post_07.html

〔*〕角谷昌子『地下水脈』2013年10月/角川書店



2013年11月20日水曜日

●水曜日の一句〔渡辺誠一郎〕関悦史



関悦史








干大根みんなピアノになるために  渡辺誠一郎

一見、詩的直観のみで予想外なもの同士が結びつけられた、飛躍の自由感を楽しめばよい句とも見えるが、干されている大根は垂直にであれ水平にであれ、何十本もがずらりと方向を揃えて日にさらされているものであり、言われてみればピアノの弦のように見えなくもない。

ただし干大根とピアノの弦が似ているという比喩的な関係を物に帰着させて一句にしおおせてしまった場合、その表現は例えば「ピアノの弦の如きかな」といった、およそ冴えない代物となるはずで、この句においては両者の類似の発見は、いわば大前提の部分をなしているに過ぎない。

干大根たちは意志を持ち、ピアノになろうとしている。

その意志と期待の感覚、そしてその果てに奏でられるありえない楽音といったものたちが全て日を受ける干大根の輝かしさへと転化されているのである。ただし修辞による物の再現が眼目になっているわけではない。これはアニミズムというよりは、干大根の形状、様態から導き出される感覚に内在的に同調することで成り立っている句であって、それを詠む=読むときには読者の側も人間ではなくなっている。その愉しさがこの句の核心にある。

われわれは俳句を読むとき、ピアノになる潜在性を秘めた干大根といった、わけのわからないものでも在り得るのだ。


句集『数えてむらさきに』(2004.11 銀蛾舎)所収。

2013年11月19日火曜日

●財布

財布


鳥ぐもり母の財布のおそろしや  渋川京子〔*

芝畠の皮の財布よ眠れかし  攝津幸彦

瓢と財布春の別れを対し泣く  尾崎紅葉

蛇の衣入れたる財布ふくらみぬ  名久井清流

落ちてゐるのは帰省子の財布なり  波多野爽波


〔*『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より

2013年11月18日月曜日

●月曜日の一句〔ふけとしこ〕相子智恵

 
相子智恵







懐炉欲しざつとほぐしておく卵  ふけとしこ

WEB「詩客」(2013.11.15号)「雨脚」より。

〈懐炉欲し〉と〈ざつとほぐしておく卵〉という、まったく関係のない二つが無造作に置かれたように見えながら、この二つの響きあいによって寒々とした厨の風景が浮かんでくる。プラスチックパックの中の冷たい卵を取り出して割り、どろんとした黄身を箸でぷっつりと破り「ざっと」粗くほぐす。黄身と白身は完全に混ぜ合わさることなく、まだ黄色と透明のまだらになったままだ。

卵焼きのように卵が料理になればどこか温かみを感じるのに、生卵には絶妙な寒さを感じるのはなぜだろう。〈懐炉欲し〉がしっくりくるのである。〈ざつと〉の〈ざつ〉の素早い音も冷たさを感じさせる。ざっとほぐされただけの、まだらな卵は、まだ冷たい銀色のボウルの中にある。実験を待つ一個の壊された細胞のように。

まこと、懐炉がほしくなる寒さの句だ。

2013年11月17日日曜日

【新刊】ひらのこぼ『俳句発想法歳時記〔冬・新年〕』

【新刊】
ひらのこぼ『俳句発想法歳時記〔冬・新年〕』

2013年11月16日土曜日

●忍者

忍者


夜の凍滝無数の忍者攀じのぼる  田辺香代子

双六の忍者の伊賀を一跳びに  下村ひろし

梅雨寒し忍者は二時に眠くなる  野口る理〔*1〕

昼の忍者桜を見たら眠くなる  長嶋肩甲〔*2〕

電車忌の忍者の雨の眼鏡かな  忌日くん〔*3〕


〔*1〕『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より
〔*2〕長嶋肩甲『健康な俳句』(2004年)
〔*3〕忌日くん「をととひの人体」

2013年11月15日金曜日

●金曜日の川柳〔宮田あきら〕樋口由紀子



樋口由紀子






垂直に沈む艦(ふね)までとどかぬ 手

宮田あきら (みやた・あきら) 1923~1986

「艦」だから、戦いに用いる船であろう。やぐらかどこかの上から見おろす大きな軍艦。その軍艦が沈む。戦争映画などで船首を垂直にたてて、沈む軍艦を見たことがある。ぐんぐんと瞬時に沈没する。

一字空けのあとの「手」が意味するものは何か。人間の手でも、神の手でも、沈みはじめると、それはもうどうすることもできない。「手」の示唆するものはあまりにも多い。戦争は始まってしまったら、誰にもどうすることもできない。

宮田あきら小学校の頃から句会に出席し、甫三・豊次・あきらの宮田三兄弟として、京都の川柳界で活躍した。生涯、川柳革新運動に挺身した。〈三十年の反旗を巻けば 孕む眼球〉〈テレビ受像 マラソンランナー掌を挙げて落下(おち)〉

2013年11月14日木曜日

【俳誌拝読】豆句集『みつまめ』その三粒目

【俳誌拝読】
豆句集『みつまめ』その三粒目(2013年立冬号)


A6判、本文16頁。頒価300円。てのひらにほぼ収まるくらいの小さな冊子。井上雪子、梅津志保、西村遼3氏による俳句作品(それぞれ15句)のほか、鑑賞文、吉野裕之氏(「プロデューサー」名義)による短歌と俳句を掲載。

脱ぎ捨ていちにちどこからが月光  井上雪子

嵐と嵐とあいだ月とバス停は  西村遼

あたらしき金魚放ちて水動く  梅津志保


問い合わせ・詳細ほか(PDFファイルの表紙+本文ダウンロードも可)

(西原天気・記)

2013年11月13日水曜日

●水曜日の一句〔中原道夫〕関悦史



関悦史








火事跡の湯気荘重に朝日かな  中原道夫

たまたま数日前に筆者の家のすぐ近くで本当に火事があり、貸家が一軒全焼してしまった。

夜間のことで消火活動中は下から火に照らされた煙が盛大に上がっていたが、翌朝この句のとおりになっていたかどうかは確認しなかった。

それはともかく、近所が火事で全焼するのはこの二十年くらいに限っても既に三件目である。他人事のようだが、かなり身近な惨事でもあるのだ。

炎上している最中には、人々が集まる。まずはどこが焼けているのかを確認しなければならない。知人の住まいか否か、怪我人はいないか、自宅への延焼がないか。

危険度の確認等が終わっても容易には帰れない。

突如顕在化した滅びの姿にあてられてしまうのだ。

たとえ小さな民家一軒であったとしても、焼けたとなると途端にこの世の真理を体現したかの如く、ギリシャ建築のように「荘重」なものになってしまうのである。

この句、何ごとかを成し終えたかのごとく、焼け跡の「湯気」となって朝日にさらされ、初めて「荘重」となり得た物件を諧謔的に描いている句には違いないのだが(この「かな」止めの馬鹿馬鹿しくも荘厳な決まりようはどうであろうか)、下五の朝日は「祭のあと」の明晰さをもってさわやかに湯気とぶつかり、小さな滅びをも呑み込んで進む日常の再開を告げ知らせつつ焼け跡を照らし尽くし、やや酷だ。

湯気のように重厚で、大理石のように軽薄な滅びの姿それ自体もたちまち消え去っていくのである。


句集『百卉』(2013.8 角川書店)所収。

2013年11月12日火曜日

●誕生日


誕生日


煙草消す露金剛の誕生日  角川源義

独房に林檎と寝たる誕生日  秋元不死男

誕生日飯食い始む星座の前  金子兜太

逆さまの椅子がずらりと誕生日  五島高資

どくだみの十字に目覚め誕生日  西東三鬼

蟻と同じことを考えている誕生日  鈴木瑞恵〔*〕


〔*〕『豈』第55号(2013年10月)第2回攝津幸彦記念賞・準賞受賞作「無題」より

2013年11月11日月曜日

●月曜日の一句〔本宮哲郎〕相子智恵

 
相子智恵







障子張り替へて薄暮の水の音  本宮哲郎

句集『鯰』(2013.10 角川書店)より。

一読、しみじみとした。障子を張り替えてほっとした黄昏、その障子越しに、うっすらと薄暮の光が入ってくる。ほわんと黄色っぽい、やわらかな冬の光だ。そこに水の音が聞こえている。庭の井戸や池などの水音だろうか。あるいは近くに小川でもあるのかもしれない。いずれにせよこの水の音は、きっとささやかな音だろう。だんだん目が効かなくなってくる夕暮れに、目と交代するように、耳がよく聴こえてくるのだ。

障子の張替えという日常の一仕事を終えたささやかな充足と、全体が夢の中であるような、やわらかな光と音の風景。日常の中に詩の扉があるとすれば、こういう一瞬のことなのかもしれない。

2013年11月10日日曜日

【評判録】金原まさ子『カルナヴァル』〔続〕

【評判録】
金原まさ子『カルナヴァル』〔続〕


≫承前01 評判録 on twitter
≫承前02 評判録

≫:575筆まか勢
http://fudemaka57.exblog.jp/20680577

≫:栗林浩のブログ
http://ht-kuri.at.webry.info/201307/article_6.html

≫金原まさ子『句集カルナヴァル』とハリー・ポッターシリーズ:雨音につつまれて
http://d.hatena.ne.jp/myrtus77/20130520/p1

≫祭り囃子はまだ遠きー金原まさ子句集『カルナヴァル』あとがきより発想を得て:雨音につつまれて
http://d.hatena.ne.jp/myrtus77/20130910/p1

≫小津夜景 へテロトピアとその悲しみ:週刊俳句・第340号(2013年10月27日)
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/10/blog-post_7385.html

2013年11月9日土曜日

●バター

バター


金塊のごとくバタあり冷蔵庫  吉屋信子

かげろふやバターの匂ひして唇  小澤實

パンにバタたつぷりつけて春惜む  久保田万太郎

思ひ出すまで邯鄲といふバター飴  小津夜景〔*〕

〔*〕『豈』第55号(2013年10月)第2回攝津幸彦記念賞・準賞受賞作「出アバラヤ記」より(前書割愛)



2013年11月8日金曜日

●金曜日の川柳〔麻生葭乃〕樋口由紀子



樋口由紀子






飲んでほし やめても欲しい酒をつぎ

麻生葭乃 (あそう・よしの) 1893~1981

お酒の美味しい季節である。秋の夜長、ついつい飲みすぎてしまう。夫が機嫌よくお酒を飲んでいる。しあわせそうな顔をしている。このままずっとその気分のままで飲ませてあげたい。しかし、深酒は身体によくない。明日にも差し障る。あと一杯だけと思いながら、つい酌いでしまう。

麻生葭乃は「川柳雑誌」(後の「川柳塔」)を創刊した麻生路郎夫人。路郎の川柳活動を支え、四男五女を育てた賢婦人である。彼女自身も明治末年から川柳を書き、「川雑婦人の会」などで女性作家を指導、尽力した。

葭乃自身もお酒を嗜んだらしい。だから、いっそう酒のうまさもこわさもわかっていたのだろう。〈福壽草松にしたがいそろかしこ〉〈悪人へ陽は燦々と惜しみなく〉『福壽草』(1955年 川柳雑誌社刊)



2013年11月7日木曜日

●広辞苑

広辞苑


膝掛と天眼鏡と広辞苑  京極杞陽

広辞苑重し鷺草の鉢は軽し  安住 敦

ざらざらの広辞苑あり北風に  花尻万博〔*〕

〔*〕『豈』第55号(2013年10月)第2回攝津幸彦記念賞・正賞受賞作「乖離集(原典)」より(前書割愛)


2013年11月6日水曜日

●水曜日の一句〔日下節子〕関悦史



関悦史








今日のやうな明日でありたき寒夕焼  日下節子

漠然とした不安と緊張が漂っている。

無事には済まない、今日のようでない明日がいつかは必ず来る。

それを知りつつ、今日一日が無事に過ごせたことへの感謝や満足も、句にはあらわれている。

不安と自足がともにあらわれているのは、寒さ、明るさ、一日の終わりをあわせ持つ「寒夕焼」のためだが、ここまでは比喩を読み取ったというだけのことだ。

寒さに包まれた夕焼けは、その赤さの中に意識を引き込むような力を感じさせる。その力が、「今日のような明日」をという願いの「持続」性と響きあう。


句集『店蔵』(2013,10 角川学芸出版)所収。

2013年11月5日火曜日

●本日はジャック・タチ忌

本日はジャック・タチ忌

Traffic


House


Kitchen

2013年11月4日月曜日

●月曜日の一句〔渡辺松男〕相子智恵

 
相子智恵







別の世へうつらば別の紅葉かな  渡辺松男

句集『隕石』(2013.10 邑書林)より。

花はこれから実る生命力に満ちた美しさだが、紅葉はこれから枯れて落ちる前の美しさで、だから私は毎年紅葉を見るたびに、美しいけれどどこか抜け殻のような、その華やかな赤色の中に死のにおいがするような気がして、薄ら寂しく思ってきた。

掲句の〈別の世〉に、そんなことが思い出された。ここではない〈別の世〉に移ったならば、そこには〈別の紅葉〉がある。その紅葉を見、また別の世へ移ったなら、また別の世の紅葉が……どこまでも定まらない無限の〈別の世〉への移動と、そのたびに死の直前の美しさを放つ紅葉を見続ける寂しさ。無常で空虚で、でもとても美しい一句である。

2013年11月1日金曜日

●金曜日の川柳〔東川和子〕樋口由紀子



樋口由紀子






私より古いお皿がまだ割れぬ

東川和子(ひがしがわ・かずこ)1948~

「ある、ある」と大きくうなずいた。そんなお皿が我が家にもたしかにある。私がこの家に嫁いでくる前から食器棚に鎮座していたお皿を今も使っている。食器棚の方は何度も新しくなっているのに。昔の食器は丈夫で味があり、使い勝手がいい。何よりも割れないと捨てられない。いい加減に割れてほしいとときどき思うが、割れない。

先日、家族も増えたので少し大きめの土鍋を買った。さっそく魚ちりをしたのだが、野菜を足すときに手がすべって、蓋を落としてしまった。蓋はあっけないくらい簡単に割れた。蓋のない新品の土鍋が残った。

今の食器は見栄えはいいが、脆い。不甲斐なく、根性がない。人間もそうかもしれない。「川柳 緑」(2013年8月)収録。