2013年9月30日月曜日

●月曜日の一句〔遠藤若狭男〕相子智恵

 
相子智恵







一葉落ちしと思ひしがふりむかず  遠藤若狭男

句集『旅鞄』(2013.8 角川書店)より。

〈一 葉落つ〉は、淮南子(えなんじ)の「一葉落ちて天下の秋を知る」からきている。梧桐の葉が一枚落ちるところを見て秋が来たことを知る、という意味だ。これ は桐一葉が落ちるところを「見た」言葉であるが、掲句は逆に〈ふりむかず〉だから、実際には桐の葉が落ちるさまを見ないで、気配や音だけでそれを感じ取り 〈一葉落ちしと思ひしが〉と詠んでいる。

桐の葉が像を結ばないながらも〈一葉落つ〉を見て詠んだ句よりも、私は見ていない掲句のほうに、なぜか「秋が来た気配」を濃厚に感じた。

そ れは秋になり、乾いて硬質感が増した空気が、「気配」や「かすかな音」などを伝えやすいからだろう。振り向かないことで、背中で気配を感じているのだろう が、そんなことができる硬質な空気そのものが、秋だなあ、と思わせるのだ。〈ふりむかず〉には、戻すことのできない季節の運行も感じる。

2013年9月29日日曜日

【新刊】山田露結・宮本佳世乃・四ッ谷龍『彼方からの手紙 vol.7』


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山田露結・宮本佳世乃・四ッ谷龍『彼方からの手紙 vol.7』

MyISBN - デザインエッグ社/2013年9月23日





2013年9月28日土曜日

●砂漠

砂漠


折鶴のところどころの砂漠かな  岡村知昭〔*〕

砂漠に一滴目薬落ちて炎上す  八木三日女

砂漠に妻匂う一直線に真黒に  和田悟朗

髑髏磨く砂漠の月日かな  津田清子

妹よ淀は砂漠の水車  鈴木六林男


〔*〕『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より

2013年9月27日金曜日

●金曜日の川柳〔佐藤岳俊〕樋口由紀子



樋口由紀子






ふるさとを掘ると一揆につきあたる

佐藤岳俊 (さとう・がくしゅん) 1945~

近年、社会性川柳を書く人が少なくなっている。今の世の中は決して平穏であるとはいえない。それよりもきな臭い方向に進んでいるように思う。危機意識を持っている人は多く、書く材料には事欠かないはずである。

岳俊は岩手県で生まれ、育ち、現在も岩手県に住んでいる。彼は若い頃より社会性川柳にこだわる数少ない川柳人である。東北の風土性に密接に関係したものが多い。それも一貫して労働者、農民などの弱者の視点で書いている。

「一揆」という実際に起こったものが句の支柱になっている。フィクションではなく、ノンフィクションとして。圧政で我慢の限界を越えた農民が死を覚悟して、戦った。その上に今の自分たちは生き、今の生活がある。彼は一揆を起こした農民の辛苦を忘れてはいけないと思っている。

〈うつぶせのまま出稼ぎの棺がかえる〉〈赤字線折ればごくごく血を吐ける〉〈野仏に祈る名もない人ばかり〉

2013年9月26日木曜日

●オルガン

オルガン


リンゴ食い古いオルガンのようにいる  金原まさ子*

オルガンのペダルを踏んで枯野まで  対馬康子

梅雨空となるオルガンの踏みごたへ  奥坂まや

破門ずオルガンだーらの蛆拾遺よ  加藤郁乎


*金原まさ子句集『カルナヴァル』(2013年2月)

2013年9月25日水曜日

●水曜日の一句〔志賀康〕関悦史



関悦史








相打ちのつもりで摘むや花菫   志賀 康

小さい可憐な植物の茎が引きちぎられる感覚、その取り返しのつかなさと一体の、怪しい快感のようなものが立ちのぼる。

この句にあるのは、「花菫」と人を対等に見るアニミズムでは、必ずしもない。

「相打ち」の語にはまず「攻撃」の要素がある。こちらからも攻撃し、向こうからも攻め返され、そこで相打ちとなる。しかしそれも「つもり」であって、人の側は討ち果たされるわけではない。人が花菫を摘むのは一方的、非対称的な行為であり、花菫の側から対等にやり返す機会はない。

だが摘んだ瞬間、人の内部でも「相打ち」と呼ばれるに足る何かが起こっているというのが、この句の抉りだしたところで、力学的な手応えから、人の中にひそんでいた「花菫」性が不意にあらわになる。

生命や自然への畏怖には違いないが、巨大な山や森ではなく、引きちぎられた瞬間、人の中に侵入し、充満した「花菫」の身体性が大小の差を無化して、偈のように響き、香りを残す。

その快感に浸ることもなく、至って冷静に納得している辺りに、マッドサイエンティストの所業を垣間見るような風情があり、空恐ろしくも、微妙に可笑しい。


句集『幺』(2013.8 邑書林)所収。 

2013年9月24日火曜日

●火星

火星


箱庭に火星のひかり届きをり  雪我狂流

灯火親し英語話せる火星人  小川軽舟

火星燃ゆ阿鼻叫喚の蛙らに  相馬遷子

夏深く我れは火星を恋ふをんな  三橋鷹女


2013年9月23日月曜日

●月曜日の一句〔玉田憲子〕相子智恵

 
相子智恵







洗剤の泡の向かうに稲架暮れて  玉田憲子

句集『chalaza』(2013.8 金雀枝舎)より。

台所で洗い物をしながら、シンクの前の窓から稲架をぼんやりと見ている……そんな景が浮かんできた。洗剤の半透明の泡と、夕暮れの稲架の黄金の輝き。〈洗剤の泡〉と〈稲架〉は意外な組み合わせだが、この光りあうさまはとても美しい。

序文で今井聖氏が〈予定調和の外にある、意外な、それでいてどこにでも転がっている現実〉と玉田氏の句の傾向を読んでいるが、なるほどこの句は、何も起こらない小説のような、じわじわくる面白さがある。

〈八月やギプスに残る己の香〉〈犬小屋より前脚二本良夜かな〉〈自販機の後ろの闇やちちろ鳴く〉こんな秋の句にも惹かれる。〈ギプス〉〈犬小屋〉〈自販機〉生活の中のさして美しくもないものたちが「ふと」といった感じと質感で描かれていて、それでいて「ただごと」でもない。

〈月光遍し抱かれたくなき乳房にも〉〈逢ひたくもなき初旅の小半時〉など真情を吐露する強い句も多く、それが作者の本領なのかもしれないが、洗剤の泡のような句があることで、それらのドラマティックな句がリアリティを持って響いてきた。

2013年9月21日土曜日

●野球

野球


菊月夜君はライトを守りけり  攝津幸彦

新庄がぴよんと跳んだぜ牡蠣フライ  佐山哲郎

夏草やベースボールの人遠し  正岡子規

黄金の蓮へ帰る野球かな  攝津幸彦


【ニコニコ動画】野球選手の名前を使って回文つくったんですけど


2013年9月20日金曜日

●金曜日の川柳〔宮内可静〕樋口由紀子



樋口由紀子






老人は死んでください国のため

宮内可静 (みやうち・かせい) 1921~

掲句が発表されたときは話題騒然だった。賛否両論の嵐で、否の方が圧倒的に多かった。実は私も否の側であった。内容の過激さに拒否反応の感情が先に立った。

川柳はポエジーであってほしかった。川柳は言葉から言葉への想像力のはたらくものであってほしかった。掲句は衝撃的な意味内容だけで、言葉に工夫がないと思った。が、それは狭い了見であり、読みが足らなかった。言葉の知恵に気づかなかったのだ。

「その呆け具合といい、突っ込み具合といい、国家と個人の関係が見事に川柳的に描かれている」(『セレクション柳論』)と渡辺隆夫はまっさきにこの句を認めた。確かに独自のひねりがある。全般を覆っている大きな突っ込みが見えなかった。やっとこの句に向き合えるようになった。

宮内可静の78歳の時の作。「オール川柳」(平成9年12月号)収録。

2013年9月19日木曜日

●本日は子規忌

本日は子規忌


猫髭:ホトトギス雑詠選抄〔35〕秋の部(九月)子規忌
http://hw02.blogspot.jp/2010/09/35.html

子規忌
http://hw02.blogspot.jp/2009/09/blog-post_19.html



2013年9月18日水曜日

●水曜日の一句〔堀込学〕関悦史



関悦史








赦されて咳(しはぶき)をする機械かな  堀込 学

同じ「ゆるす」であっても「赦」の字は許可ではなく、罪をゆるすの意である。咳にまで許可が要ったということではない。いずれにしても、背後に法的もしくは権力的な支配関係があることになるが、「赦された」以上、支配-被支配がせめぎ合う局面の、緊張のピークはさしあたり過ぎたことになる。

この「咳」は、赦されたことによる気の緩みといった心理性よりは、「赦される」ような関係に参入し、得体の知れない人間じみた物件となった機械のなまなましい単独性を際立たせることに寄与している。この機械は「機械のような」正確さ、無駄のなさ、複製可能性のうちには収まりきっていない。

「機械」をメタファーに回収すべきではない。「機械のように使役される人間」という常識の枠内におさめてしまってはならない不穏さがこの句には充ちている。さらにいえばデュシャンの描く「花嫁」のような、人工的な構築物とも何らかの生命体ともつかない構造体が、そのままで発散する性的な眩惑性に似たものさえもが感じとれる。この句に描かれているのは、生体であり、同時に機械でもある、ハイデガーの用語でいえば「現存在」とも「道具的存在」ともつかない何かである。

権力関係の圧力を被ってたわめられた、得体の知れないもの。近現代の歴史の中を生きる人間の、誰であってもよい、しかし単独の者の、顔のない肖像。

案外この句は、寓意性を排したフランシス・ベーコンの強烈な画面に最も接近し得た句であるのかもしれない。この「咳をする機械」は顔のない肖像として、抜き差しならない不気味な親近性をもってわれわれに迫ってくる。不気味なのは、ここに描かれているのが、或る別種のスケールから捉え直されたわれわれ自身に他ならないからである。


句集『午後の円盤』(2013.7 鬣の会)所収。

2013年9月17日火曜日

【リンク集】金原まさ子

【リンク集】金原まさ子


TV番組『徹子の部屋』(2013年9月16日)出演後のツイッター上での反響
http://togetter.com/li/564906

金原まさ子百歳からのブログ
http://sea.ap.teacup.com/masakonn/

金原まさ子:セロリスティック 10句:週刊俳句 2013年5月26日
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/05/10_26.html

金原まさ子さん 101歳お誕生日 インタビュー:週刊俳句 2012年2月5日
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2012/02/101.html

【評判録】金原まさ子句集『カルナヴァル』
http://hw02.blogspot.jp/2013/04/blog-post_6.html

【評判録 on twitter】金原まさ子句集『カルナヴァル』
http://hw02.blogspot.jp/2013/03/on-twitter.html

藤幹子:金原まさ子『あら、もう102歳』 この振れ幅が催眠術の振り子となって
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/08/102.html

関悦史:足が美味な蛸としての私 金原まさ子句集『カルナヴァル』
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/02/blog-post_17.html

近恵:いくつか節穴が 金原まさ子句集『カルナヴァル』の一句
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/03/blog-post_17.html

北大路翼指:一本の遊戯 金原まさ子句集『遊戯の家』を読んで
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2010/11/blog-post_5406.html




2013年9月16日月曜日

●月曜日の一句〔中原道夫〕相子智恵

 
相子智恵







退路なき颱風あはれとぞ思ふ  中原道夫

句集『百卉』(2013.8 角川書店)より。

そういえば、颱風に進路はあっても退路はない。風に押されてただ前へと進むだけで、後ろに戻ることはできないのだ。逃げることなく進むしかない颱風を「あわれ」だと言われれば、なるほど、あわれであるかもしれない。

掲句のように「颱風そのもの」を詠んだ句はあまり見たことがない。今は天気予報で気象衛星からの映像が見られるから、何の不思議もなく颱風の進路や大きさな どがわかるが、昔は颱風にそもそも進路があることなどわからなかっただろう。颱風によってなぎ倒された草花は詠めても、気象衛星から見た「颱風そのもの」 を詠むことはできなかった。

人は天からの視点を得たことで、実際の身体としては颱風の直撃を怖れながら、同時に颱風を上空から眺めて、頭の中であわれだと思うことができるまでになった。空の下の身体と、空の上からの情報、その二つを得た現代の私たちの状況の不思議さを、改めて感じる。

2013年9月15日日曜日

●カレー

カレー


雷が落ちてカレーの匂ひかな  山田耕司

秋の暮カレーに膜の張りにけり  小野あらた〔*〕

サイレンとカレーの混ざり合ふ朧  山下つばさ〔*〕



〔*〕『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より

過去記事「カレー」
http://hw02.blogspot.jp/2010/07/blog-post.html



2013年9月14日土曜日

●体温

体温


月夜茸へ体温の雨がどしゃぶり  金原まさ子*

草の実三粒その体温が部屋中に  高野ムツオ

メロン買ひわが体温の紙幣消ゆ  福永耕二

寝袋に体温満ちぬ冬銀河  小川軽舟

鶏頭の立つ体温のあるやうに  奥坂まや


*金原まさ子句集『カルナヴァル』(2013年2月)

2013年9月13日金曜日

●金曜日の川柳〔片柳哲郎〕樋口由紀子



樋口由紀子






ロイド眼鏡の驢馬が麦食う口開けて

片柳哲郎 (かたやなぎ・てつろう) 1925~2012

驢馬が麦を食べているのを見たのだろう。でもロイド眼鏡はかけてないだろうが、風貌がそのように見えたのかもしれない。驢馬だって、物を食うときは口を開ける。あたりまえだが、あらためて見ると不思議な光景のようであり、なおかつその動作がユーモラスに見えた。そして、その姿が自分と重なり、自分自身を凝視した。自分もこのように物を食べているのだろうか。そういえば、片柳は眼鏡をかけた面長の紳士であった。

「ロイド眼鏡」はセルロイドの円形太縁の眼鏡で、アメリカの映画俳優ハロルド・ロイドが用いたことで有名になった。ロイドは明朗で勇敢な青年気質を演じ、三大喜劇王の一人である。片柳は「現代川柳の美学」を希求した。「ロイド眼鏡」も「驢馬」も彼特有の美学であり、矜持であろう。

〈陽は西に三枚五枚わが肋骨〉〈人や老いたりムーランルージュくるくるくる〉〈ともしびや ひたすらつぶす 飯のつぶ〉 『黒塚』(作家集団「鷹」発行 1964年刊)所収。

2013年9月12日木曜日

〔人名さん〕むらかみさん

〔人名さん〕
むらかみさん


村上龍村上春樹馬肥ゆる  澤田和弥

2013年9月11日水曜日

●水曜日の一句〔柿本多映〕関悦史



関悦史








起きよ影かの広島の石段の  柿本多映

先日、外出先で不意にこの句のイメージが頭によみがえってきて(などと書くと小林秀雄じみた通俗性が漂うが)、誰のどの句だったかしばらく思い出せずにいたが、読んで間がない柿本多映句集の句だった。石段の影のように、私も句に貼りつかれてしまったようである。

この句、現下の状況に照らし合わせた政治的メッセージを担った句としてももちろん読める。「唯一の被爆国」の再度の「自爆」と、その後の混迷、無責任に対する憤りが「起きよ」の強烈な命令形となったという読み方である。過ちは繰り返された。「安らかにお眠りください」どころではない。

しかしそうしたスローガン的な作りの句に見られる軽佻、言説のみが伝わればそれで事足りてしまう浮薄さの埒外に、この句はある。

死者の霊に対して同格に呼びかけているからというだけではない。「石段」に焼き付けられた「影」という、物質とイメージの狭間に封じ込められた生の痕跡としての霊、いわば現前としての霊というものを見出し、呼び出しているからである。

今のところ生きて動いている我々も物であり、歴史の流れの中の影であり、霊である。そうした生死の次元を超える自覚をいきなり読む者に叩きつけてくるからこの句は衝撃的なのだ。つまりこの句の衝撃は認識の深度によるものであり、単に怒りのすさまじさによるものではないのである。


句集『仮生』(2013.09 現代俳句協会)所収。



2013年9月10日火曜日

●秒針

秒針


秒針の強さよ凍る沼の岸  西東三鬼

秒針に冬の重さが少しずつ  秋尾敏

秒針のきざみて倦まず文化の日  久保田万太郎

秒針の速度牡丹雪の速度  五十嵐秀彦〔*〕


〔*〕五十嵐秀彦句集『無量』(2013年8月/書肆アルス)



2013年9月9日月曜日

●月曜日の一句〔柿本多映〕相子智恵

 
相子智恵







寂しさも塩気なりけり天の川  柿本多映

句集『仮生』(2013.9 現代俳句協会)より。

〈塩気〉とは、たとえば料理では、それがなくては味が締まらない、重要な味付けである。そう考えると〈寂しさ〉も、人生にとっては〈塩気〉のように、それがないと味が締まらないものかもなのかもしれないな、と思った。

だとすれば「塩加減」も大事で、薄味すぎては味気ないし、塩気が効きすぎて辛すぎるのも、どちらも人生を美味しくしないだろう。

そこに取り合わせの〈天の川〉が不思議な味わいを醸し出している。〈天の川〉は、その星々の輝きから気分を明るくする方向に働いているような気もするし、逆にしみじみと深い寂しさを効かせているような気もする。取り合わせる季語によっては「人生訓」のような臭みも出てしまいそうな上五・中七のフレーズを、〈天の川〉という人知の及ばない大きな季語が救っているのだ。

〈塩気〉からは「涙」も連想させるが、抽象度を上げていくことで、さまざまな想像が膨らむ句となっている。

2013年9月8日日曜日

2013年9月7日土曜日

●サキソフォン

サキソフォン


鮎よりも冷たし兄のサキソフォン  渋川京子〔*〕

秋淋し人の声音のサキソホン  杉本 零

荒星や毛布にくるむサキソフォン  攝津幸彦


〔*〕『俳コレ』(2011年12月・邑書林)より

2013年9月6日金曜日

●金曜日の川柳〔木村和信〕樋口由紀子



樋口由紀子






白黒の力道山は強かった

木村和信 (きむら・かずのぶ) 1941~

「力道山」、懐かしい名前である。「きゃりーぱみゅぱみゅ」と雲泥の違いである。彼を知っている人は何歳ぐらいまでだろうか。本当に強かった。空手チョップで外人レスラーを叩きのめす。それもいままでの数々の反則や理不尽な行為にがまんにがまんを重ねてきたあとに、やっつけてくれる。今思えば、「水戸黄門」と同じで単純な演出であった。

「白黒」とは白黒の付けやすかった試合のことだろうか。善悪のはっきりしていて、確かにわかりやすい試合だった。力道山は黒いタイツを穿いていた。それとも白黒テレビのことだろうか。テレビ放送は1953年2月1日にに始まった。もちろん、白黒である。

力道山の試合を観たいがために、当時かなり高額だったテレビが売れた。我が家もそうだった。祖父がどうしても観たいと無理をして買った。家族みんなでテレビの前に陣取り、力道山が期待を裏切らずに空手チョップで悪人を退治してくれたあとは家族全員の気分がすっきりして、笑顔になった。放映される日はいつもより仲の良い家族だった。「番傘」(2013年3月号)収録。

2013年9月5日木曜日

【新刊】鴇田智哉『今日から始める 楽しい俳句入門』

【新刊】
鴇田智哉『今日から始める 楽しい俳句入門』




『60歳からの楽しい俳句入門』(2008年)の改訂。


2013年9月4日水曜日

●水曜日の一句〔五十嵐秀彦〕関悦史



関悦史








本郷に軍人の墓黒麦酒  五十嵐秀彦

ハードボイルドな文体で名詞と助詞ばかりが並び、心情的なことは何も言っていないのにその裏にあるものを感じさせる点、ある種俳句の手本のような作り方。

縁者に軍人がいてその墓に詣でたというわけではなさそうだ。本郷でたまたま軍人の墓を見かけたという軽い意外感がこの「に」からは感じられる。

「本郷」からまず連想されるのは東大である。日本の急拵えの近代化を担うべく官僚養成機関として作られ、今も機能し続けている。これが「軍人の墓」と並ぶと、明治維新から大戦を経て現在に至る近代日本の歩みがおのずと立体的に浮かび上がってくる。

そうして不意に心の中に差し入ってきた近代日本の暗さ、重さに「黒」でもって和しながらも、それを飲み下せるものへと慰撫してくれるのが「黒麦酒」なのだ。飲み下すときの内臓感覚を通し、歴史の彼方に没した人たちの身体とつかの間ながら共振しあっているようにも思われる。


句集『無量』(2013.8 書肆アルス)所収。

2013年9月3日火曜日

●絹




赤い地図なお鮮血の絹を裂く  八木三日女

大阪に絹の雨降る花しづめ  ふけとしこ

一枚の絹の彼方の雨の鹿  永島靖子

二の酉を紅絹一枚や蛇をんな  太田うさぎ

乳房をつつむ薄絹夢の軍楽隊  林田紀音夫


※紅絹=もみ

2013年9月2日月曜日

●月曜日の一句〔安井浩司〕相子智恵

 
相子智恵







鵺一羽はばたきおらん裏銀河  安井浩司

「巨蛇抄」(『現代詩手帖』2013.9月号 思潮社)より。

〈はばたきおらん〉だから鵺はトラツグミのことだろうか。夜中にヒョーヒョーと寂しい声で鳴く鳥だ。この句ではもう一方の鵺ーー『平家物語』に出てくる、頭は猿、胴は狸、手足は虎に、声はトラツグミに似ている伝説の妖怪ーーにも思えてくる。その名の二重性が生きている不思議な句だ。

鵺が羽ばたくのは〈裏銀河〉という架空の場所。まばゆい星々が密集する銀河の裏には、逆に濃い闇が密集しているのではないだろうかと鵺から連想する。その闇は何もない「空っぽの闇」ではなく、充填された「満ちた闇」のように思う。なぜなら、たくさんの星が生まれて死んでいく銀河の裏は、たくさんの闇が生まれて死んでいく場所のように感じられるからだ。

現実にいる小さな鳥の大きな羽ばたきのようでもあり、巨大な妖怪のようでもある鵺。空虚なようで満ちている、架空の〈裏銀河〉の闇。目に見えるものと見えないものがぐちゃぐちゃと混ざりあって膨張してゆく、不思議に大きな世界。それでいて、すっきりとした立ち姿の一句に仕立てられている。惹かれる世界である。

2013年9月1日日曜日

●九月

九月


東西屋クラリネットが九月です     中林明美

アカシヤに囁く風も九月とよ  石塚友二

呼気吸気九月レンズを磨くなり     岡井省二

水昏くなりてすとんと九月かな  長谷川双魚

脇腹に鶏を抱へてゆく九月  柿本多映