2014年1月22日水曜日

●水曜日の一句〔染谷佳之子〕関悦史



関悦史








裏口に山の来てゐる鴨雑煮  染谷佳之子

雑煮にもいろいろあるが、鴨雑煮となると高級感と同時に野趣がある。

その野趣の方を引き立てるレトリックが「山の来てゐる」で、同じ裏口の山を意識するにしても「見えゐる」とは異なり、山河と生命の厚みを頂いている風情となる。

鴨の出汁の複雑な濃密さから土地柄への連想が引き出されたとも取れるので、それと椀の中身がたがいに照らし合い、「山」までが雑煮に滋味をもたらしている。

正面ではなく「裏口」なので、台所が山河と生命の厚みとの紐帯に位置しているようだが、台所俳句的なものに収まるには「鴨雑煮」は晴れやかだ。

地に足のついた中に、晴れやかなもの、閑寂なものを織り込んでいる暮らしぶりが窺われ、そのいずれもを貫いて流れる生命の諸相を多面的に感じ取っているさまが、無駄も力みもなく一句にまとまっているのであると、ひとまずはいえる。

ところで、戸口に迫り来る山河といえば原石鼎の《風呂の戸にせまりて谷の朧かな》があり、裏口の山といえば飯田龍太《父母の亡き裏口開いて枯木山》がある。

掲句には石鼎句の圧倒的な自然の精気は、現代の生活を詠んだ句らしく、もちろんない。あの「谷の朧」に張りあうには、詠み手にも相応の意力が要るのだ。

山河の微弱な精気を引き入れつつ、龍太句への連想を利かせたところに、晴れやかなだけではない、詠み手の、自身の身命への危ぶみがひそかに染み透っているのである。


句集『橋懸り』(2013.12 角川学芸出版)所収。

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