2014年4月23日水曜日

●水曜日の一句〔閒村俊一〕関悦史



関悦史








草餅買へば漏れなくついて来る貉   閒村俊一

小泉八雲「怪談」の貉は、目も鼻も口もないのっぺらぼうで、しかも行く先々に増殖していく。

草餅のあのなりも、いかにものっぺらぼう的な生気があり、貉への連想は、飛躍がありながら無理がない。どちらも、古い東京のゆるやかな坂道あたりに出没しそうな、イメージが鮮明なようで、しかし絵に描こうとすればつかみどころがないものどもでもある。

手作業でかたちづくられ、有機的な湿りをおびて幾つも並びあう、野趣あふれるなまあたたかい食物の中から、任意の幾つかを、あたかも契約でも結ぶごとくに選びとり、買って帰るというのも、考えてみれば、何やら怪しいふるまいのようではないか。貉くらいついてきても不思議はない。

買った側も、奇妙に恐怖も驚きも欠いていて、当然のこととして妖怪変化となれあっているように見える。「漏れなく」の一般論が句中に書き入れられていたほうがいいか否かは好みの別れるところであろうが、ここに書かれているのは、一回限りの意外な出来事ではなく、草餅や貉と必然的にとりむすぶことになる奇妙な関係を成り立たせる、あったかなかったかもわからない、過去の暮らしの残滓のようなものなのだ。

しかし「ついて来る」は現在のことであって、記憶の彼方のこととして描かれているわけではない。貉や草餅と化かし化かされしていた昔のことを現在形で書いているのか、それともそういう風情が今でも都市のどこかに息づいているのかは判然としないが、それは噂というものが生息するには絶好の環境ともいえる。いわば、この句自体が人を化かしに出てきた貉のようなものなのである。


句集『抜辨天』(2014.2 角川学芸出版)所収。

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