2014年6月11日水曜日

●水曜日の一句〔たちおか帽子〕関悦史



関悦史








見事だったワみんな―海にのっと紙満月   たちおか帽子

「見事だったワみんな」という何ものかの発語から始まっていて、これが学芸会か何かを終えた生徒たちに対する女性教師のねぎらいの言葉のようにも見える。

運動部の試合や吹奏楽部の演奏といったイメージが出てきにくいのは「紙満月」なる模造品が舞台装置を思わせ、演劇的な何かを連想させるからだが、やや異様なのは「海」がどうも書割ではない本物の海であるらしいことだ。省略されているだけで「海」も紙製なのだとの解釈もあり得るかもしれないが、それでは単なる学校行事の報告句じみたことになる。そうではなく実景の「海」に「紙満月」が上がっているという飛躍がこの句の勘所なのである。

もう一ヶ所異様さを引き起こすのは、「のっと」である。「見事だったワ」と過去形になっている以上、この演劇的な何ごとかはすでにそのパフォーマンスを終了しているはずであり、舞台に役割を終えた書割の海と満月が残っているだけならば、それが改めて「のっと」と動きを示す必要はない。

この句の奇妙さは字義通りに読まれなければならない。くり返すが、本物の「海」に「紙満月」が上っているという食い違いが、世界が不意にコラージュと化したような謎と魅惑を生むのである。「紙」のような「満月」というメタファーとして取ってもならない。

これは舞台なのか海辺なのか、虚構なのか現実なのか。「見事だったワ」と女言葉を発しているのは誰なのか、「みんな」とは誰なのか。本物の海や天体までが舞台であるなら、その終演は世界の終わりを示していよう。ところがここに世界滅亡の壮大な悲劇性などなく、あろうことか女性教師じみた何ものかに褒められたりもしており、そして舞台=世界の終演後には、何やらモダニズム的な明快さと軽薄さを持ちつつ「紙満月」という形で虚構が現実へ割り込んでくるのである。

「一期は夢」や、「色即是空」といった認識に通じるところがないでもないが、そうした決まり文句からは遠く離れた気安い天国性が一句に漂っている。あまりに気軽なので「見事だったワ」と言っている当人も含め、みな劇中劇の登場人物のようにも思えてくるが、現実も宇宙もみな劇や虚構に昇華(?)させつつ、その飛躍をごくフラットに言いとめているのがこの句の魅力なのだ。


句集『ユノカニア』(2014.5 霧工房)所収。

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