2014年9月30日火曜日

●大学

大学

大学のなかぬけて来て秋まつり  久保田万太郎

大学の空の碧きに凧ひとつ  山口誓子

大学も葵祭のきのふけふ  田中裕明

大学の門の多さや濃あぢさゐ  井関雅吉〔*〕


〔*〕『なんぢや』第26号(2014年8月27日)

2014年9月29日月曜日

●月曜日の一句〔亀割潔〕相子智恵



相子智恵







崩れゆく花火の上を鳥の影  亀割 潔

句集『斉唱』(2014.9 ふらんす堂)より

大輪の打ち上げ花火が崩れて消えかけている夜空。花火の名残りの明るい空を見ていると、その上を鳥の影がスーッと渡っていった。夜空の中の影という、ふつうは見えない微妙な陰影を繊細に描き出した、絵画のように美しい一句である。

〈崩れゆく花火〉の喪失感と、横切る鳥の影は、夏から秋への移り変わりを深く印象付ける。納涼の花火から渡り鳥の季節へ、静かに季節は移り変わってゆくのだ。季節は巡るが、この瞬間は一度きり。瞬間を切り取りながらも、同時に留まることのない時間というものが描かれていて「あはれ」のある句だと思った。

2014年9月27日土曜日

【俳誌拝読】『星の木』第13号

【俳誌拝読】
『星の木』第13号(2014年7月31日)


A5判、本文20頁。同人4氏の作品より。

恋猫や満月ははや三日月に  大木あまり

ほうたるの出るころといふ床柱  石田郷子

とほるたび鏡に映り夏館  藺草慶子

あをぞらに響きて穢土のほととぎす  山西雅子


(西原天気・記)


2014年9月26日金曜日

●金曜日の川柳〔本間かもせり〕樋口由紀子



樋口由紀子






三点差あるからパンツ穿き替える

本間かもせり (ほんま・かもせり)

野球かサッカーをテレビで観ているのだろう。贔屓のチームが三点差で勝っている。たぶん、このままでだいじょうぶ、今日は勝てる。テレビにかじりついていたが、三点差でやっと余裕が出てきた。

ズボンであっても下着であっても、「パンツ」にインパクトがある。テレビを凝視しながらのその姿を想像して、笑ってしまう。熱狂的なファン心理の可笑しさ、可愛さ。

私の父は大のトラキチだった。試合に勝っていると、必ず夕涼みに出掛ける。観ると逆転されると言うのだ。どきどきしてよう見ておれないのだ。おそるおそる帰ってきて、どうだったと玄関の戸を開けて聞く。勝った日は嬉しそうにスポーツニュースを夜遅くまではしごしていた。

〈数学が苦手で鳥になりました〉〈アマゾンで探すバールのようなもの〉 「川柳カード」6号(2014年7月刊)収録。

2014年9月25日木曜日

【俳誌拝読】『静かな場所』第13号

【俳誌拝読】
『静かな場所』第13号(2014年9月15日)


A5判、本文20頁。発行人・対中いずみ。連絡先メール zws10134@nifty.ne.jp

招待作品として、第5回田中裕明賞受賞のお二人。

しやぼん玉割れてたばこのけむりかな  榮猿丸

少し寝る夏座布団を腹に当て  西村麒麟

以下、同人諸氏作品より。

陽炎の向かう翳れる街広し  和田 悠

人の顔白く浮かべる網戸かな  対中いずみ

雀らの短く飛んで池普請  満田春日

馬の息にはかに近き夏祭  森賀まり

明易や雨の降りたる跡ありて  木村定生


(西原天気・記)


2014年9月24日水曜日

●水曜日の一句〔亀割潔〕関悦史



関悦史








ひとりゆゑ微笑みあるく樟落葉   亀割潔

平畑静塔の句集『旅鶴』に《一本の道を微笑の金魚売》という句がある。この売り声も立てずに一本の道をゆく金魚売の微笑が、取りようになってはかなり薄気味悪い悪魔的なものにも取れて、どう読んでいいやらよくわからなかったのだが、作者の自解によると、楽しそうなものとして書いたつもりであったらしい(この句に限らず静塔の自句自解は意外なものが少なくない)。

さて亀割潔の句の微笑みはどうか。

ひとり「ゆゑ」がやや曲者。複数で談笑しながら歩いていれば微笑んでいても何の問題もないのだが、「ひとり」である。そしてひとり「なのに」ではなく、ひとり「ゆゑ」なのだ。

一方、季語の「樟落葉」は落葉とはいっても「常盤木落葉」の一種で、夏である。初夏に若葉が出始めると、それと入れ替わりに古い葉が赤らんで落ちていくらしい。

そうした若葉と古い葉の静かな交代劇に感応しての微笑みとなれば、同行者は邪魔だろう。自分と自然だけの方がよい。ただし自然との連帯や感応とはいっても、例えば石田郷子の《掌をあてて言ふ木の名前冬はじめ》などに比べると屈曲がある。幹の確かな不動性への帰依にも似た接触ではなく、新生と滅びの交代を見つつ歩き過ぎる奇妙な「微笑み」。

この句が持っている感情は、耐えがたい孤独でもなければ、自然の中での自足でもなく、植物の生動に同調して、人間社会からやや逸れはじめたものの変容の愉しみであろう。そしてその愉しみは、普段意識されることはないものの、おそらく誰もがどこかで味わったことがあるものである。穏やかさ、軽やかさの見かけにひそむわずかな無気味さは、そこから発する。


句集『斉唱』(2014.9 ふらんす堂)所収。

2014年9月23日火曜日

【俳誌拝読】『絵空』第8号

【俳誌拝読】
『絵空』第8号(2014年7月15日)


A5判、本文16頁。連絡先メール:esora@sky.so-net.jp

同人4氏の作品より。

はつなつの濤のぶつかるたび白し  土肥あき子

植木屋に梯子が庭に夏の月  中田尚子

水門の青きハンドル夏来る  山崎祐子

手を洗ふことの涼しさ日の暮るる  茅根知子


(西原天気・記)


2014年9月22日月曜日

●月曜日の一句〔船橋とし〕相子智恵



相子智恵







対ひあふ真夜の文机虫しげし  船橋とし

句集『輪唱』(2014.6 角川学芸出版)

真夜中、向かい合わせに並んでいる二つの文机。何気ない部屋の中の風景であるが、「向ひあふ」ではなく〈対ひあふ〉と「対」の字を使ったことで、この二つの文机がより緊密に、対となって存在している感じが出てくる。

静かな緊張感で佇んでいる文机は、対峙しているようにも思え、文机の持ち主たちはここに座って真夜中のおしゃべりをするのではなく、二人でありながら一人一人の世界を形成するものとして文机が存在しているようだ。この文机の持ち主の関係も、たとえば老夫婦のような静かな密度を思う。

誰の声も聞こえず、物体と虫の声だけで構成された句。その奥に、二人でいながら一人と一人という、人間の静けさも見えてくる。秋の夜長らしい、しみじみとした句である。

2014年9月20日土曜日

●週俳の記事募集

週俳の記事募集


小誌「週刊俳句は、読者諸氏のご執筆・ご寄稿によって成り立っています。

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【記事例】

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そのほか、どんな企画も、打診いただければ幸いです。

2014年9月19日金曜日

●金曜日の川柳〔森茂俊〕樋口由紀子



樋口由紀子






横綱のくしゃみが聞ける夏祭り

森 茂俊 (もり・しげとし) 1953~

急に涼しくなった。もう秋である。夏祭りの余韻はもう残っていない。でも「横綱のくしゃみが聞ける夏祭り」があったのなら行ってみたかった。横綱に会える夏祭りならあるだろうが、くしゃみが聞けるなんて、そんなチャンスは滅多にない。でも、よく考えるとそんな夏祭りなんてあるわけがない。よくよく考えると「くしゃみ」を聞いたって、どうってことない。「くしゃみ」に引っ張られるくだらなさが良い味を醸し出している。まんまと作者の仕掛けに嵌ってしまった。

こんなことをあっけらかんと一句にしてしまうところに感心する。こんな嘘に一瞬、楽しませてもらう。虚構とはまた別のような気がする。〈上半身だけはモノクロのビール〉〈賽の目に切れば良かったお中元〉 「ふらすこてん」(2014年9月刊)収録。

2014年9月18日木曜日

●本日はジミ・ヘンドリックス忌

本日はジミ・ヘンドリックス忌


2014年9月17日水曜日

●水曜日の一句〔中村慶岳〕関悦史



関悦史








枡酒のやうに新茶を枡で飲み   中村慶岳

容器が変わっただけのことで味は変わらないはずではあるが、枡から飲む新茶は量感、質感とも湯呑みのそれとは相当異質の物体のようにも思える。澄んだ中にもコクや色艶を帯び、重みを増して、酒とも茶ともつかない、その両方の性質を帯びた液体と化しているようだ。

新茶の清冽と覚醒、枡酒の芳醇と酩酊では方向が反対のはずだが、そのどちらもが損なわれないまま、二重性のうちに味わわれているようなのである。

落語の「貧乏花見」よろしく酒に見立てた新茶で我慢しているというわけではない。それどころかここには、この姿を見よといわんばかりの充実と自足があふれている。

「色即是空」「心頭を滅却すれば火もまた涼し」などというかわりに新茶の覚醒即枡酒の微醺という形でこの世のうつろい、流動を全肯定してみせた格好であり、いささか灰汁の強さはあるものの、「新茶」のうまさと、そこから呼び覚まされる幸福感を、かくも慎ましやかでなく、大ぶりに打ち出した句は稀なのではないか。

ちなみに作者は妻帯せる臨済僧であり、この句は「夫・中村慶岳を心から尊敬している」と略歴に書く二十歳下の妻・文(ふみ)との合同句集に収められている。


中村慶岳・中村文句集『東福寺』(2014.9 本阿弥書店)所収。

2014年9月15日月曜日

●月曜日の一句〔泉田秋硯〕相子智恵



相子智恵







闇を押し闇を招きて踊の手  泉田秋硯

自注現代俳句シリーズ・八期9『泉田秋硯集』(1996.12 社団法人俳人協会)より。

盆踊は手を押し出したり、引いたり、打ったりする所作で進んでゆくが、その動きを〈闇を押し闇を招きて〉と表現した。それによって盆踊の夜の暗闇が踊る手の先にくっきりと描かれたばかりではなく、自らがその闇を押したり、呼び寄せたりしているという、闇との積極的な関わりが出てくる。もっと踏み込んで言えば、呪術性を帯びてくるのである。

盆踊は念仏踊が起源であり、もともとは盆に迎えた霊を供養し、かの世へ送り返すためのものだった。掲句はその本意に通じる不思議な世界が生まれている。

2014年9月12日金曜日

●金曜日の川柳〔伊志田孝三郎〕樋口由紀子



樋口由紀子






いつの間に寝た仕合せな人の顔

伊志田孝三郎 (いしだ・こうざぶろう) 1896~1972

本屋に行くと眠るための本が平積みされている。睡眠は現代人にとって重要な関心事である。「眠りたいのに眠れない」と不眠に悩んでいる人が多い。睡眠薬の進歩が長寿をもたらしていると聞いたことがあるが、そうかもしれない。

さっきまで話していた人が、静かになったなと思って見てみると、すやすやと寝息をたてている。幼子のように、なんともしあわせそうな顔をして眠っている。こちらまでしあわせに感じるほどの、それはそれはなんとも言えぬほどのほほえましい顔だったのだろう。こうありたい。「極楽や極楽や」と祖母が蒲団にもぐりこんでいた姿を思い出す。どんな顔して自分は眠っているのだろうか。

2014年9月11日木曜日

●九月

九月


九月靴屋の夜は自由に靴眠り  服部圭何

時計鳴る九月の草木やはらかく  田中ただし

九月来るピースの函の金の鳩  橋本さゆり


『季語別鷹俳句集―鷹創刊五十周年記念』(2014年7月・ふらんす堂)より。

2014年9月10日水曜日

●水曜日の一句〔辻まさ野〕関悦史



関悦史








子を呼びに出てたちまちに秋の暮   辻まさ野

外で遊んでいて呼び戻される子供の立場ではなく、親の立場からの句で、ノスタルジックな過去回想の世界ではなく、いま現在の生活が詠まれているようだ。

子を呼びに出てちゃんと連れて戻り、その後に「秋の暮」が到来したのならよい。しかし句からはその辺りは確定できず、子を見つけられぬままに釣瓶落としに日が落ち、闇が殺到するという不穏なイメージも張りついている。

三橋敏雄の《顔古き夏ゆふぐれの人さらひ》なども思い浮かぶが、これとも違って古い昔のことでもなければ、人さらいという明確な悪人のイメージもない。目を離されていた子と親の間に割り込み、押しつぶすような「秋の暮」があるばかりだ。

家族との暮らしを常に秘かに押し包んでいる破局の予兆や、この世にあることのものさびしさに、日常性を手放さないままさりげなく触れている句である。


句集『柿と母』(2014.4 角川学芸出版)所収。

2014年9月9日火曜日

2014年9月8日月曜日

●月曜日の一句〔岩田暁子〕相子智恵



相子智恵







天高し貫くものを人持てり  岩田暁子

句集『花文字』(2014.6 角川学芸出版)より。

ふだんはほとんど意識していなくても、人はそれぞれ「これだけは」という譲れないものや、気付かないうちに自身を形作っている信念があるものだ。〈貫くもの〉とはそういう「精神の芯」のようなものだろう。

空気が澄み、晴れ渡っている秋の空〈天高し〉の取り合わせによって、精神の芯が人の背骨から天に向かってまっすぐに伸び、空を貫いているように感じられる。

人間一般のことを言っている書き方ではあるが、もしかしたら誰かを描写しての作かもしれない。心が澄んで、強さのある人物が思われてくる。

2014年9月6日土曜日

●サラダ

サラダ


白磁に盛るひかりごけのサラダとさじ  金原まさ子

たんぽぽのサラダの話野の話  高野素十

舞ふブロンドの髪のサラダよ星条旗  攝津幸彦


2014年9月5日金曜日

●金曜日の川柳〔山本半竹〕樋口由紀子



樋口由紀子






おや降って来ました迄の立話

山本半竹 (やまもと・はんちく)

偶然に会って、「久しぶりですね」と、世間話などをする。近況を聞いたり聞かれたりしているとぱらぱらと雨が降ってきた。「雲行きがあやしいですな」「本降りにならないうちに帰りましょうか」「では、また」となったのだろう。

日常のひとコマを切りとって、人と人との関係性や立話の輪郭をうまく捉えている。立話は気のおけない雑談であり、膝を突き合わせて話すような深刻な話はしない。軽みの川柳であり、シンプルなよさが出ている。古川柳に<本降りになって出てゆく雨宿り>がある。

〈君と僕 俺と貴様になって酔い〉〈これで子があるとは見えぬ乗馬服〉〈汽車ゴッコやめれば暗くなってゐる〉 句集『はんちく』(1977年刊 『はんちく』刊行会)

2014年9月4日木曜日

●日暮里

日暮里

日暮里からむこうは蝶の空であった  大口元通

西日暮里から稲妻みえている健康  田島健一

日暮里に近き西日暮里良夜  齋藤朝比古

日暮里へ師走の道のつゞきけり  久保田万太郎



2014年9月3日水曜日

●水曜日の一句〔利普苑るな〕関悦史



関悦史








仰ぎ見る僧の背丈や水の秋   利普苑るな

出家者の、いわばこの世に無用な身が見上げるほど大柄というのも、力がありあまっているようで、何か不穏な気がするが、「水の秋」がまたやや不思議な付き方で、見ている側が水に変じ、地よりも低いところから僧を仰ぎ見ているような錯覚が生まれる。

屹立する僧のほかは皆、水とも人とも知れない秋の自然と化しており、それとの照応で、僧自体も内面性の奇妙に稀薄な、非人格的な得体の知れない大きなものに変じているようだ。

だがここまで句のなかに踏み入ると、そこで不意に、僧を見上げる小柄な人という当たり前の存在が復活し、僧もそれに応じて人がましい表情を取り戻すこととなる。「水の秋」も、ごく穏当に、周囲に広がる背景の位置にまで分離する。

この句は「背丈」に還元された僧を境界線として、図と地が反転する騙し絵のようだ。「水の秋」が視点人物の内面にまで染み入って一体化し、また分離する、その波打ち際にこの句が成り立っているのである。


句集『舵』(2014.9 邑書林)所収。

2014年9月2日火曜日

●週俳の記事募集

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2014年9月1日月曜日

●月曜日の一句〔長嶋有〕相子智恵



相子智恵







鯖雲や犬の興味は他の犬  長嶋 有

句集『春のお辞儀』(2014.4 ふらんす堂)より。

脱力して、ふっと笑ってしまう句だ。犬が興味あるのは他の犬……そりゃそうだろうなぁ、と思う。たとえば犬を飼うとき、人間は飼い犬に対して深い愛情を注ぎ、犬も自分に対して何よりも興味を持ってくれているだろうと信じたいけれど、犬にとって一番の興味は、人間ではなくやっぱり〈他の犬〉なのだ。

高い空にあるモコモコとした〈鯖雲〉が長閑で、私は飼い犬を散歩している秋の昼下がりの風景を想像した。犬は散歩中に他の犬と出あい、興味を持って尻を嗅ぎあったりしているのだろう(吠えあうには鯖雲が暢気すぎるので、尻を嗅ぎあうくらいの友好的な興味の持ち方ではないかと思う)。

個別の犬の描写ではなく、犬一般のこととして、漠然と定義付けをしているゆるさが、茫洋と広がる鯖雲とよく響きあっていて、心地よい脱力感を誘うのである。