2015年5月20日水曜日

●水曜日の一句〔澤田和弥〕関悦史



関悦史








冷蔵庫にいつも梨ゐて父と話す  澤田和弥


「少女と父さん」と題された20句のなかの句であり、その文脈で読むと、この「父」を見ているのはどうも「少女」のようである。

いや中七の「梨ゐて」で意味上切れて、少女であるらしい語り手が「父」と梨のことを話している、あるいは冷蔵庫内に常駐する梨の存在感に圧されるようにして少女と父が話しているという読み方もありうるが、「いつも梨ゐて」と奇妙な人格化を被った梨が、すんなり「父と話す」に繋がっていることを思えば、素直に「梨」と「父」が話していると読むべきなのだろう。

やや家族から浮いている父とも思えるが、別にそれがひどく淋しく見えるというわけでもなく、また話す梨という妙な物件とのコミュニケーションを父一人が特権的に担っているわけでもないようだ。語り手本人も、話す梨の存在をごく当たり前に受け止めているし、わけのわからないものと話す父をことさら冷淡に見ている様子もない。

「梨ゐて父と」という語順からすると会話の主導権を握っているのは梨の方なのかもしれない。冷蔵庫の扉の向こうにペットとも妖怪ともつかない「梨」が当たり前にいるという、ファンタジー的な異界性を帯びた家庭がごく淡々と描かれ、しかも感情的にはどこかほのぼのしたものがあるのが美点だろう。

同じ20句のなかにある〈いつまでも運動会に行く途中〉も、あたかも植田正治の写真のような、懐かしくもシュールな世界を作っている。

*

澤田和弥と直接会ったのは3回程度だと思う。現俳青年部か何かのイベント後の飲み会と、「天為」20周年記念大会。

飲み会では澤田はにぎやかな盛り立て役といった感じだった。俳句関係の人付き合いがさほどないまま来た私より遥かに知人も多く、場に馴染んでいたようだった。

「天為」の大会では澤田は、20周年記念作品コンクールの随筆賞を受賞し、檀上で挨拶していた。

3回目は一昨年、ワタリウム美術館の寺山修司展関連企画として「テラヤマナイト on リーディング」なるイベントに出た時。これはテレビ収録が入った。俳人で誰か一緒に出られる人を探していて、澤田和也の句集『革命前夜』に寺山忌ばかりで埋めつくされた一章があったのを思い出し、声をかけたらすぐ快諾してくれた。

当日、展覧会場で顔を合わせた澤田は、膝が悪いとのことで杖をついていたが元気そうではあり、開演まで近所の店で食事やコーヒーを共にし、話し込んだ。澤田と同年同郷生まれの髙柳克弘の学生時代のエピソードなどを聞いたのではないかと思う。

澤田の朗読は絶叫型の非常に熱っぽいもので、しっかり会場を掴んでいた。

一昨日18日に澤田和弥の訃報に接し、未だに何とも呑み込みがたい思いでいる。


「のいず」第2号(2014年12月)掲載。

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