2015年5月6日水曜日

●水曜日の一句〔村上鞆彦〕関悦史



関悦史








初蝶やネクタイ固く職を欲る  村上鞆彦


石田波郷の〈初蝶やわが三十の袖袂〉の現代版のような句で、初蝶と衣服の組み合わせは意図的に踏まえたものだろう。名句の胸を借りるといった弱々しい風情ではなく、堂々と張りあって立っている。

立場としては求職活動中の不安定な身であり、詠み方によってはもっと悲愴にも軽妙にもどうとでもなるところだが、この句材に対して与えられたのは「ネクタイ固く」という、さながら若武者の初陣とでもいった引きしまった男ぶり。これは「わが三十の袖袂」の決め姿に勝るとも劣らない、社会詠という捉え方からは出て来ない美観である。「職を欲る」が少壮の男性の魅力に転じるさまが意外で鮮やか。

就職活動に出る朝の緊張感が、「ネクタイ固く」という、柔らかい布製品が引き締められて固くなるフェティッシュな触感の変化として表されているのがその原因だろう。

同じ句集に〈枯蓮の上に星座の組まれけり〉という句があり、こちらは「組まれけり」によって質感の変化が起こっている。星座にまで枯蓮と同じ乾いた硬さが伝染していくようだ。「ネクタイ固く」の滑らかな手触りの快楽も、「職を欲る」へと伝染していく。「職を欲る」がほとんどセクシーな何ごとかへと変貌しているのである。

希望や明るさの単なる寓意になりかねない「初蝶」は、波郷句を呼び起こすのと同時に、一句に「周囲の世界」を与える。そこにあるのは伝統俳句に連なり、なおかつ社会人としての人生を踏み出す人の姿である。健康的で前向きというだけに終始していてもおかしくはなかったはずの句なのだ、「ネクタイ固く」のフェティッシュさがなければ。


句集『遅日の岸』(2015.4 ふらんす堂)所収。

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