2015年6月23日火曜日

〔ためしがき〕 出来事 福田若之

〔ためしがき〕
出来事

福田若之


僕は駅で電車を待っていた。メロディーが鳴って、アナウンスがあって、特急列車がホームに入ってくる。特急券も買っていないし、特急に乗る気はない。特急列車の窓に、自分が立っているホームの景色が映る。僕が映る。僕の後ろに並んでいるニット帽の男の人が映る。その男の人がギターケースを背負っているのが映る。

メロディーが鳴って、アナウンスがあって、特急電車はやがて出発した。乗る電車が来るまではまだ少し時間がある。

「もしもし」

背後から、突然大きな声がした。おどろく。どうやら、僕の後ろの男の人がケータイで通話をはじめたようだ。僕も人のことを言えないけれど、彼の声はよく通る声だった。この声ならギターボーカルだろうか。会話の断片が、聴こうと思わなくても聞こえてしまう。うろ覚えだけれど、確か、シフトがどうのこうの、スケジュールがどうのこうの、といった話をしていたように思う。バイトのことかバンドのことか、そこまでは彼一人の発話だけではよく分からない。

ところが、そのうち、彼がこんなことを言った。

「うんうん、昨日お通夜だったから行ってきたんだよ」

だが、しんみりしてはいない。その言葉にもかかわらず、声はむしろ軽い調子だった。え、それってそんなふうに話すことだろうか、と思ってしまうくらいの。しかし、その思いがその人に伝わることはないだろう。彼から見て、僕は背中でしかないのだから。その人は話を続ける。

「うんうんうん、それで……」

ほんとうによく通る声だ。

「……俺がお経を読んで……」

……ん。

「いや、本葬は俺じゃなくて田中さんが……」

……んっ?

確かに、彼の声はよく通る声だった。それこそ、弾き語りだけでなく、読経にもうってつけの。

そう。お坊さんだったのだ。

おそらく、田中さんも。

メロディーが鳴って、アナウンスがあって、乗るつもりの電車がホームに入ってきた。

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