2015年7月11日土曜日

【みみず・ぶっくす 30】 思い出すこと 小津夜景

【みみず・ぶっくす 30】 
思い出すこと

小津夜景




 庭を眺めていると、たえまない樹のざわめきや、かがよう陽の薄い膜に、わたしの体のどこかに刻まれているらしい声や形、あるいは言葉といった記憶のかけらが反応し、一息に蘇ることがある。
 それは決して幸福なひとときではない。むしろ録音された肉声や、印刷された手記などと偶然出くわしたときに感じるあの、死体を見つめている感覚、に似ている。
 もしも或る思い出が蘇りうるならば、それはその思い出がすでに埋葬済みということだ(受肉とは消失である)。そのことに思い至るたびわたしは、蜜蜂のように経験の花粉をあつめて蜜をつくる営みを中断し、記憶と欲望とのいりまじったこの芳香の庭を飛び出して、あなたの、あるいはわたしの、ほんものの声に浸りたい、とおもう。
 聴き返す声。眺め返す形。読み返す言葉。こうした〈かつて、そこに、あった〉ものは生きられた時間の痣としてふいに現れる。永久に運び去られたはずが、元の場所に居座っている。時の気配を、埃のようにかぶって。
 さあ。海へ行こう。そして命あるべき一切をどんなことがあっても思い出さないでいよう。思い出せば、もしかして死んでしまったのではないか、と怯えなければならないから。それゆえわたしはあなたを思い出すこともない。陽炎に包囲された、暑い夏のただ中でも。

オリーブの花に没せり喉仏
羅のフランチェスカの素描かな
するすると序文をものす百日紅
晩年をまさぐるやうに枇杷を剝く
はんかちに唾吐く午後の遺稿集
古びたるフィルムに白き道しるべ
あかんべの舌で海星を創られし
毒薬の壜のきつねのてぶくろよ
明恵上人ひらくさびたの花扉
昼寝せり手は流木をよそほひて
 

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