2015年10月13日火曜日

〔ためしがき〕 死体と笑い 福田若之

〔ためしがき〕
死体と笑い

福田若之

アメリカのテレビ・ドラマ・シリーズ『BONES――骨は語る』のオープニング・シークエンスは、しばしば、腐乱死体の発見者を笑いものにする;発見者の絶叫が腐乱死体のクローズアップに重ねられる。∴人間は腐乱死体に対しては叫びをあげるが、腐乱死体のクローズアップに対しては笑うことができる。

もちろん模型には違いないが、それは極めて精巧なものに思える(僕は本物の腐乱死体を見たことなどないにもかかわらず、なぜかそれを「本物らしい」と思う)。∴笑いは演出の「お粗末さ」に対する反応ではない(演出はむしろ徹底されている)。

だが一方で、おそらく、この場合、模型がそれほど精巧でなくとも、腐乱死体を見ながら笑うことができる(模型の精巧さは、発見のシークエンスよりはむしろ、後の科学的考察のシークエンスが要請するものである)。∴ここでの笑いはもっぱらシナリオに起因している。

シナリオがもたらす笑いは、腐乱死体の映像が与えるショックへの感覚を麻痺させる効果を担っている;それは多くの場合、シニカルな、ピリッとした笑いである(ちょうど、食肉の腐臭をごまかすために香辛料を用いるようなものである→スパイスとしての笑い)。

このとき視聴者の身に起こっていること:眼と精神の人工的な分離。この分離は、物語上の効果(発見者の滑稽さ)が視覚的な効果(死体の模型の精巧さ)の関数ではないという事実に対応して引き起こされるといえそうだ。

2015/8/25

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