2015年11月30日月曜日

●月曜日の一句〔長浜勤〕相子智恵



相子智恵






海鼠噛むいつも調子の悪き人  長浜 勤

句集『車座』(2015.11 本阿弥書店)より

海鼠は酒の肴であろう。〈いつも調子の悪き人〉は、だから重い病気などではない。

酒を酌み交わし、肴の海鼠を噛みながら、「最近、腰の具合が悪いんだ」「ちょっと前は、膝が悪いって言ってなかったか?お前はいつも、どこか調子が悪いよなあ」などと、小さな不調を酒の肴に、笑いながら語れるぐらい、普通の(いつもどこか調子の悪い)人なのである。

「病気自慢」などという言葉もあるが、年を重ねると、どうしても体の不調が増える。だから、調子が悪いことが社交辞令や、お互いの近況報告になることもあろう。もちろん、この人が年配だとはどこにも書かれていないのだが、季語の〈海鼠噛む〉という渋さが、そう想像させる。この渋さはまた、〈いつも調子の悪き人〉と作者とが、古くからの友人であることを想像させ、ネガティブな物言いなのに決して意地悪な感じになっていない。飄々と諧謔に転じてみせているのである。

作者は、平成26年の俳壇賞を受賞しており、その受賞作〈車座の老人月へゆくような〉が本句集の題名となっている。この〈車座〉の句もまた、「老い」を飄々と(あるいは、ぬけぬけと)諧謔に転じた句で面白い。

2015年11月28日土曜日

【みみず・ぶっくす 48】 文字の近傍 小津夜景

【みみず・ぶっくす 48】
文字の近傍

小津夜景



 ある店の窓に、つぼみの形をした指輪が飾られていた。
 かさなる幾重もの花びらには、ほとぶ寸前のあやうい均衡があり、そのあやうさがまるいつぼみの勢いをより引き立てている。その様子をじっと眺めていると、うしろから母が覗いて、ああほんとに蕾は雷をふくむのね、と言った。
 ふりむいた私のてのひらに、母はふたつの文字を綴る。
 おもしろい。世界がちがってみえる。
 「ね。中国の文字って剥製みたいでしょう。生きていてかつ死んでいる。存在として完成されていると思わない?」
 それからしばらくの間、私は「この現実を美しいフォルムとして実現した漢字」のことばかり考えて日々を過ごした。それは即ち不安定な生でなく、その十全なる実現としての死に対する興味でもあった。生ける屍——
 とはいうものの、私は漢字が自分と全くちがう存在様式を有することにただ魅了されていたにすぎない。生ける屍という在り方は、自分自身の憧れとするには少々完全無欠すぎたし、その全能性に巧妙なトリックを嗅ぎ取ってもいたから。 
 私は生きていることが楽しく、うごめくものが大好きで、木登りをするような年頃でもう、生死は人の可能性を二分する合わせ鏡ではないと思い、高い所をながれる雲を眺めながら、生とは決して死に辿りつくことのない、果てしなく終りのない、どこまでいっても死の近傍の世界なのだということを驚きと共に確信していた。
 ここに漢字がある。だが私はその中に入ってゆくことができない。いや、もしかするとそれは文字一般に対して言えることなのかもしれない。私は文字の世界の近傍を、ダイナミックにドリフトしては生きる。

北風の帆のふくらみを贈られし
ビスケット耳をすませば枯芝の
泣くによき離宮あれかし鶴姉妹
骨肉が冬の昴にたてこもる
冬眠や須恵器の鳥のがらんだう
影見れば神は旅寝のくさまくら
そろばんのマンボは冬の乱となり
忘却をえぼしなまこと思し召す
よく眠る山と我楽多文庫かな
仮名日記つめたき虹に捧ぐつもり

2015年11月27日金曜日

●金曜日の川柳〔東野大八〕樋口由紀子



樋口由紀子






死にかけた話他人は笑うなり

東野大八 (とうの・だいはち) 1914~2001

たいへんな目にあったのに笑うなんて、ひどい話である。しかし、ありそうである。笑われるのは心外だろうが、死にかけたのであって、死んだのではない。こうしてその話をしているのだから、よかったのだ。死んだ話には人はまちがいなく涙する。

一歩間違えばとんでもないことが起こる手前の、じたばたやどたばたは話としては確かにおもしろいものがある。掲句は人間観察の鋭さというのではない。うすうすそうかと気づいていたことを、「あるある」という共通感覚を下敷きにして一句にしている。川柳のひとつのスタイルである。それをよしとするかしないか、そこに川柳の評価の分かれ道があるように思う。

東野大八には『風流人間横丁』『没法子北京』などの好著があり、死後『川柳の群像』が刊行された。『現代川柳選集』第三巻(芸風書院 1989年刊)所収。

2015年11月26日木曜日

〔人名さん〕 ウォーレン・オーツ

〔人名さん〕 
ウォーレン・オーツ

ウォーレン・オーツくしゃみする京成の踏切  近藤十四郎

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2015年11月25日水曜日

●水曜日の一句〔矢上新八〕関悦史


関悦史









かめへんけど老猫眠る客布団  矢上新八


方言を俳句に入れると、情緒的にどこか押しつけがましくなることが少なくない。読者よりも作者が先に興じすぎ、読者が作者の感興を見せられることになるからだ。「きれい」「美しい」といった形容を不注意に使い、物から離れた句と似たようなことになってしまうのである。方言にしただけで句の内容がほとんど述志になってしまうと言ってもよい。

この句が収められた『浪華』は大阪弁に特化した句集である。収録作品はおおむね五七五定型だが、季語はあったりなかったり。そのもたらす興趣は自由律俳句や短歌に接近する。淋しさを詠んでも、句としては自足の気配が濃厚になる。

「かめへん」は「かまわない」。

方言を使わない場合は、「かまわないが老猫眠る客布団」「かまわないけど老猫眠る客布団」といったことになる。音数を合わせるなら「かまわぬが」、口語調を強調するなら「いいけどさ」などとも置き換え得るか。いずれにせよ句の持ち味は大きくずれる。

この場合、大阪弁は意味内容よりも、語り手のキャラクターや土地柄を示す役割語として働いている。

物件としての「老猫眠る客布団」ではなく、それと語り手とが作りだす、やわらかく許容し、包み込みあうような関係の方が句の主題になってくるのだ。

布団を乗っ取って寝る猫というのも、普通の句に入れたら甘くなるモチーフだが、この句の場合、大阪弁であることによって、マイナス同士の掛け合わせがプラスに転じるような効果が上がっているのではないか。ここに描かれているのは「老猫眠る客布団」自体よりも、むしろそれを包み込むゲニウス・ロキ的なものであり、その中での生活である。


句集『浪華』(2015.10 書肆麒麟)所収。

2015年11月24日火曜日

〔ためしがき番外編〕 三島ゆかりさんのコメントに答えて 福田若之

〔ためしがき番外編〕
三島ゆかりさんのコメントに答えて

福田若之

「もう一度、「発句」と言いはじめるために」にコメントをいただきました。
三島ゆかり さんのコメント...
《「発句」という語は、「俳句」よりも、一句になにか別のものが連なっていくという事態に対して寛容である。》というご意見、そうなのでしょうか。
私は捌き人として脇を付けることが多いのですが、発句って、顔としてしゃんとしてないといけない、俳句よりもずっと不自由な役割のものだとずっと思っていました。切れ字という鎧を身にまとい、脇以下から切れて矢面に立つ発句。
たまに聞く「最近の俳句には立句の風格がない」みたいな話、それはしゃんとした発句への追慕でしょう?

連句の作り手としての実感をともなった、示唆に富むコメント。 ありがとうございます。

まず、「一句独立」と「切れ」の区別について。

僕が「なにか別のものが連なっていく」と書いたのは、まさしく「脇以下」のことであって、それによって言いたかったのは、発句は俳句よりも「切れ」が重視されないということではなく、俳句ほど「一句独立」を志向していないということです。

たしかに、連句についていえば、発句は「切れ」を重視します。けれど、「脇以下」が付くことを隠そうとはしませんよね。その点で、「一句独立」という理念からは、さしあたり自由であるように思われます。

僕としては、「切れ」は、「なにか別のものが連なっていく」かどうかではなく、連なっていく「なにか別のもの」 が、どういう意味で「別のもの」なのかに関わる概念だと考えています。

いわゆる「俳句」は(あくまで理念的には)「脇以下」が付くということをそもそも拒んでいるという気がします。たとえば、「七七が付く」というのは、「俳句」にとっては褒め言葉ではないですよね(これにはもちろん短歌との差別化の問題がからんでいるので、ちょっとややこしいのですが。細かいことは割愛します)。

「「最近の俳句には立句の風格がない」みたいな話」はたしかにあるし、それはたしかに「しゃんとした発句への追慕」だと思います。けれど、それはやはり「一句独立」よりはむしろ「切れ」にかかわることではないでしょうか。

いただいたコメントにはもうひとつ言外に重要な問題提起があります(そう読みました)。要するに、もし、これまで「俳句」と呼ばれてきたものを「発句」と言うことにするとしたら、それは現代の連歌・連句における「発句」とどう関わるのかということです。

簡単なことで、現代の連歌・連句における発句は「発句」という語の従来の意味(のひとつ)であって、それは揺るぎません。僕が書いているのは、「発句」という語にもうひとつの意味を与えたいということです。

「俳句」にあまりなじみのない人の多くは、「俳句」と聞くと「わび・さび」を連想します。その点、「発句」という語にはおそらくそれほど先入観がないように思います。歴史的に見ても、俳諧以前の連歌の第一句も「発句」には違いありませんから、「発句」という語を、「わび・さび」と必ずしも関係ない、季語を含んだ五七五の(そして、そこから発展した無季かつ/または自由律の)詩形式を指す語として用いることには、いくらか正当性があるはずです。

僕にとって肝心に思われるのは、「俳句」という言葉に「俳」という字が含まれていることが、「俳句」と呼ばれているものの全体像を指し示すのに今やふさわしくないように思われるということ、そして、僕らがこれまで「俳諧の発句」を「俳句」として読んできたように、今度は「俳句」を「発句」(「俳諧の」が付くとは限らないという意味での、ただの「発句」)として読み直す可能性を考えることです。

2015/11/23

2015年11月23日月曜日

●月曜日の一句〔小川軽舟〕相子智恵



相子智恵






伐つて無き樹を見上げたり冬の雲  小川軽舟

句日記『掌をかざす』(2015.9 ふらんす堂)より

切り株から目を上げ、自分の記憶の中にある、伐られる前の樹を見上げる。現実には、見上げた先にはぽっかりと冬の雲が浮かんでいるだけである。

“無い”と“有る”とが重なり合う、不思議な句である。喪失感や、冬らしい寒々しさ、寂しさもあるのだが、妙に安らかな気持ちにもさせられる。その安らかさは、今ここに“有る”〈冬の雲〉によってもたらされているような気がする。ここにないものを見上げた先に、雲という常ならざる、けれども今は確かにここにあるものと偶然出会って、心が慰められるような気がするのだ。

冬の雲は〈伐つて無き樹〉も、かつて確かにここにあったことを肯定する。そして何もかもが“常ならざるもの”であることも、伝えている。

12月28日(日)の句日記から。句と対になった日記には〈俳句はそこに何があったかを思い出させてくれる言葉なのだと思う〉と書かれている。

2015年11月21日土曜日

【みみず・ぶっくす 47】 郵便あれこれ 小津夜景

【みみず・ぶっくす 47】 
郵便あれこれ

小津夜景



 郵便と聞いてすぐさま思い出すことは三つ。
 まずジャック・デリダの『絵葉書』。これは私のデリダ初体験本で、その衝撃といったらもう。ここまで自分らしくしちゃっていいの? 恥ずかしくないの? ううん、もちろん恥ずかしいよね。でも勇気を出して書いたんだよね。うんわかる。わかるよ。私もあなたの本に勇気を出して飛び込むよ。だって、だって、だってもう好きになっちゃったんだもん! まだ出だししか読んでないけど!といった感じ。
 七〇年代のデリダの文章はとにかく度胸があって、冷静で、しかも情熱的。読んでいると相当気恥ずかしい。でも思っていることをなんとしても形にしたいといった気迫でぐんぐん挑んでくる彼の、その勇敢さや清潔さがとても印象的で、思わず、だいじょうぶ、だいじょうぶよ、と生身の本人に手をさしのべたくなってしまうんです(なに言ってんだか)。
 おすすめは「真実の配達人」という一章。そこでデリダは「手紙は宛先に届く」というラカンのテーゼを批判し、ラカンの差し出し人受け取り人という図式は超越論的シニフィアンの自己回帰というトリックにすぎず、世界は転移関係からの不断なるズレによって構成されている、ということを示してゆきます。実はこの二人の相違に対するジジェクの論考も面白くって、ただジジェクという人は少々采配者根性があるというか、まあ郵便配達みたいな優雅な作業と何のかんけいもない人物ではありましょう。
 二つ目はジャック・タチの『のんき大将脱線の巻』。良い邦題です。これは手紙をアメリカ式に素早く配ろうと思い立った郵便夫が村中を駆け回ってみたけれど全然うまくいかない、といった内容のフランス映画で、原題は祝祭日というんですが、スラップスティックなのにおっとりして、うーん、超俗とはこういうことだなあ。配達を巡っての脱線につぐ脱線は、それが手紙であるだけにいっそう目が離せません。
 それにしても人って届かない手紙のエピソードが大好きですよね。配送の手違いで何十年か後に届いた手紙の話なんかも、冷静にかんがえれば事件でもなんでもないのに何かの運命を感じてみたりして。で、たぶんその理由は私たちが「かならずや手紙は届く」という信仰を、いくぶんねじれた形で胸に抱いているからだと思うんです。文字(lettre)というのが、伝達のさなか多義性によってその意図をほどかれ、ばらばらになり、手紙(lettre)という理念から遠くはぐれてしまうものであるからこその儚い願望、というか。
 三つ目は、差し出された手紙と受け取られた手紙とのあいだに存在する時空のこと。この時空を超越論的ブラックボックスとしてではなく、永遠のエアポケットのような、日だまりの記憶喪失のような、プンクトゥムめいた明るい場所として夢想するのが長年のお気に入りです。色褪せた写真を眺めるような心持ちで風景を眺めつつ、ああ、届くはずだった手紙がこんなところで居眠りしてる!と、心の中で叫んでみたりして。つまり、私にとって三つ目の郵便は、この歌。

 冬陽あびて世界ほろぼすひとことを配りわすれた郵便車たち / 荻原裕幸 



嵩うすき手紙うつくし冬に入る
手に落ちた手紙がふいにまた飛んで誰も引き取れないたましいがある

宛先にしずかに舌のしぐれかな
ゼラチンに雨の匂いを包むのと同じであります。お見せしましょう。

ふくろうの不在通知はなぜ海へ 
どこから来たか知らない町の回転木馬。私にとって、住みたい森。

父というダッフルコートを夢に見る 
風だけが吹く日々と知りももんがはエアログラムを書きにゆくのよ

雪よあなたの耳から下がハイデガー
届かない手紙の束を忘れない 愛の死ぬ心臓部はここですか

ロッキングチェアに冬蝶とまりけり
小春日の猫をあつめて光速でタイプミスだらけの世界を創った

ポストマンにビルの香りのして凩
あかねさすペーパーナイフ冬に入るすべての別離のログをひらいて

我らみなイル・ポスティーニョ枯野かな
月に照らされて、あかるい。少しだけ冷たい卵の兵士みたいに。

文字を打ち霜の柱はこわれけり
スパイラル・パスタを茹でる もういちど手紙を書いてそっと手放す

       デスマスク兆しくるかの冬を老ゆ
いいえ一等書記官の死について語っているのではないのです。

2015年11月20日金曜日

●金曜日の川柳〔竹井紫乙〕樋口由紀子



樋口由紀子






私より高い所に奈良の鹿

竹井紫乙 (たけい・しおと) 1970~

奈良に行ったときの写生句かもしれない。ふと気がつくと鹿が中腹にいる。どうってことない景であり、思い当たる景である。ただそういっているだけだが、一句になるとそれ以上の感慨をもった。なぜ私がこっちに居るのだろう。早くここまでおいでよと鹿に言われているようでもある。

姿や位置は違っても、時間はいままでもこれからも同じように流れていく。鹿のうしろには若草山が広がり、その向こうに空がある。世界は広く、空のにおいもしてきそうである。「奈良の鹿」に独自の存在感がある。高い所にいたのは恋人でもライバルでもなく鹿というのもまたおかしい。

〈あれはダメこれもイケナイぬいぐるみ〉〈ゆっくりとインクの染みが馬になる〉〈長いこと祖母は私の象だった〉 『白百合亭日常』(あざみエージェント 2015年刊)所収。

2015年11月19日木曜日

●サンドイッチ

サンドイッチ

サンドイッチ頬ばるスケート靴のまま  土肥あき子

実のあるカツサンドなり冬の雲  小川軽舟

冬空やサンドヰッチのしつとりと  田中裕明

噴水のひときは高しカツサンド  太田うさぎ〔*〕


〔*〕『なんぢや』第30号(2015年8月27日)


2015年11月18日水曜日

●水曜日の一句〔大牧広〕関悦史


関悦史









春の夜の大河ドラマはすぐ叫ぶ  大牧広


筆者個人はこの数年テレビ無しの生活をしているので、最近の作品は見ていないのだが、大河ドラマはそんなシーンが多かった。

合戦の際の号令といった、大声を上げてしかるべきシーンでの大声ではない。武将が食事中に注進が入るとやおら立ち上がって飯粒噴き出しながら叫んだり、合議や談判がこじれたときに叫んだりする、今の日常生活であればいきなりここまで振り切れることはないであろう場面での叫びである。

あの叫びは、顔のドアップの多用と並び、描写というよりは説明に近いものだろう。

説明が多くなればなるほど、作品としては弛緩し、安手になる。テレビなので仕方がない。自室で他のこともしながらだらだら見られるであろうものを、黒澤映画のような緊密な作り方をしたら、視聴者はちょっと気を抜いたら何の話かわからなくなる。

大河ドラマは、日本国民が共有すべき歴史的物語を一年間の長きにわたって映像化しているという趣きのものだが、それが実際にはどうしても安手に仕上がる。

「春の夜」という緩いつけ方の季語が、その安手さをややうんざりしながらも受け入れる。結局、本放送につきあって見てしまっているのだ。

あるあるという共感で成り立つ句だが、実際の戦火や修羅場が遠いままで済む(または済んだ)時代としての現代をこの「春」は肯っている。


句集『正眼』(2014.4 東京四季出版/2015.7 俳句四季文庫)所収。

2015年11月17日火曜日

〔ためしがき〕 なぜ、もう一度、「発句」と言いはじめることを考えるのか 福田若之

〔ためしがき〕
なぜ、もう一度、「発句」と言いはじめることを考えるのか

福田若之

»承前

もちろん、「発句」という語にそれなりの歴史的文脈があるのは承知している;「俳句」という言葉によって、ようやく、僕らがそうした「発句」から抜け出たところにある自由を確立することができたということも。

俳諧の発句を縮めて「俳句」である。それがさしあたり季語と切れ字を含む独立した五七五の形式を指す言葉として定着したのは、発句に自立的な価値を見出したのが俳諧の連歌の書き手だったから、というだけではないだろうか。

「俳諧味」と人が呼ぶもの: 軽妙さ、風狂、滑稽、おかしみ、などなど。 → これらはこれらで魅力的ではある(それを否定するつもりはない)。けれど、これらは別に、必要なものでもなければ充分なものでもないのではないだろうか:「俳諧味」に重きを置くのは、「発句」の数ある魅力的なありかたの一つにすぎないのではないだろうか。

「俳句」という言い方には一つの価値判断がすでに織り込まれている。そう考えると、バルバロイになってしまうかもという懸念は当然あるけれど、あえて「発句」と言いはじめてみたいという気持ちが湧いてくる;そのほうが、なんだか自由になれる気がする。

2015/11/4

2015年11月16日月曜日

●月曜日の一句〔柏柳明子〕相子智恵



相子智恵






焼藷の声のうしろの暮れてゆく  柏柳明子

句集『揮発』(2015.9 現代俳句協会)より

一読「ああ、冬だな」と思う。

焼藷屋の屋台が流す「いーしやぁーきいもー、おいもー」の声に振り向いて見ると、屋台の後ろには夕闇が迫っていた。冬の日暮れは早い。

〈声のうしろ〉が眼目。聴覚と視覚が混在している。写生句として見たものだけで構成すれば「焼藷の屋台の後ろが暮れてゆく」ということになる。それを〈声〉としたことで、焼藷屋の存在は消され、独特の染み入るような呼び声のみが脳裏に浮かび、〈うしろの暮れてゆく〉の寂しさが際立つ。それによって「ああ、冬だな」感も増すのである。また、聴覚と視覚の混在が世界の奇妙な捩じれを生み出し、黄昏時の異界性まで表現されているようにも思う。

「暮れにけり」のようにきっぱりとした切字を使わず、〈暮れてゆく〉と茫洋とさせているのも〈声のうしろ〉の不思議な感覚とよく合っている。

2015年11月14日土曜日

【みみず・ぶっくす 46】 シンシア 小津夜景

【みみず・ぶっくす 46】 
シンシア

小津夜景



 秋といえば、幼年時代こんな遊びが家で流行った。わたしが本を取り、たまたま開いたページを読み上げる。それを母がリコーダーで音にする。これを繰り返すのである。
 当時わたしは漢字がまるで読めなかったが、いつも大人の本ばかり選んでいたと思う。ルビを頼りに文字を辿ると、母がすぐさまリコーダーを吹く。その音を聴いてわたしは、自分の手にしている本の内容を理解した気になるのだった。
 ある嵐の夜、わたしは中国の詩を読んだ。母はそれを順に吹き流した。雲を巻きつけた山。人影を欠く木霊。風にめくれあがる鳥。散らばる花と音のない土。すばやい翻訳。とてもふしぎな。次はと母がたずねる。わたしは本をひらく。だが早く音が聴きたいあまりうまく文字が追えない。
 わたしは母の腕に、ぎゅう、と本を押しつけた。母はピアノの譜面台にその本をのせると、脇にあるランプを灯して連なる文字を照らした。そして着想を掘り起こすようにじっと天井を仰いだのち、おもむろな息づかいで、降る花の中、水の上をすべるひそかな人影を描いてみせた。
 わたしは母の魔法にすっかり心を奪われてしまっていた。嵐の勢いが弱まったのか、さっきまで電流の安定を崩していた室内がにわかに明るく輝き出した。ランプの熱で空気も循環しだし、天井にぶらさがるモビールが頭上でむずむず蠢いたのがわかった。思わず見上げると、モビールはああもう我慢できない、といった調子でゆらりと大きく一回転した。
 わたしたちは顔を見合わせて同時に笑いだした。

シンシアと書き出づるなり漆の実
在ることの膜をまぶかに紅葉す
銀幕寺いくたび尋ぬななかまど
手にトンボ鉛筆のある秋思かな
秋はさて野暮は夕のひとめぼれ
銀杏やパントマイムで酌み交す
ぬくき桃大事に僕の伯父さんが
死にがほによくある雁の使かな
夜着に入る虫も夜伽のなきどころ
露実るメガロポリスや刃を入れて

2015年11月13日金曜日

●金曜日の川柳〔苅谷たかし〕樋口由紀子



樋口由紀子






ご先祖のどなたの歳も越えました

苅谷たかし (かりや・たかし) 1919~2006

父は67歳、母は83歳、祖父は61歳、祖母は81歳だったから、私は祖父の歳は越えたが、まだみんなの歳は越えてない。もっと前のご先祖は不明だが、そう長生きしていないから、たぶん越えているだろう。いずれどなたの歳も越えるのもそう遠くないような気もするが、いつかは死んでしまう。

一昔前では考えられなかった、それほどの高齢化社会である。ご先祖の歳を越えた人はたくさんいる。作者もよもやどなたの歳も越えるとは思っていなかっただろう。その年齢まで生きられたことへの感謝とそれにあまりある感慨が掲句から感じられる。いい事も悪い事もいろいろなことがあった。これからもいろいろなことに出合うだろう。さて、この先はどう生きようか。踊って暮らそうとは思わなかっただろうか。

〈緞帳の降りるあいだを見得のまま〉〈割り箸にうどん素直についてくる〉〈どの汽車に乗っても終着駅がある〉 苅谷たかし遺句集『ちびた鉛筆』(2015年刊)所収。

2015年11月12日木曜日

●卵焼

卵焼

茄子漬の色移りたる卵焼  藤井あかり〔*〕

寒風に売る金色の卵焼   大木あまり

杉折ににじむ春の日卵焼  長谷川櫂

行春のわが家の色の卵焼  小川軽舟

葉桜や蕎麦屋でたのむ玉子焼  鈴木真砂女


〔*〕藤井あかり句集『封緘』(2015)


2015年11月11日水曜日

●水曜日の一句〔井口時男〕関悦史


関悦史









夏逝くや呼人といふ名の無人駅  井口時男


「無人駅」はよく詠まれるにもかかわらず、およそ名句にならない素材の一つだが、この句の場合は「呼人」という地名が利いている。網走市にある実在の地名である。もとはアイヌ語の「イ・オピ・ト」(別れ出ている湖)から来ているらしい。

この句には以下の前書きがついている。

「永山則夫の出生地は「網走市呼人番外地」だつた。」

文芸批評家である作者が、永山則夫の故郷を探訪した折に詠んだ七句中の一句なのだ。貧困、連続殺人、獄中での小説執筆、死刑執行という永山則夫の生涯が終わったのが一九九七年のこと。それと重ねあわせて見ると、「呼人」と「無人駅」の組み合わせは死者からの呼びかけのようにも、忘却を経て再帰した亡霊のようにも見える。無人駅とはいっても、単なる閑寂な好ましい廃墟といった無害さの中には収まらない、実存性にひっかかるようなものになってくるのだ。季語「夏逝く」が、起こしてしまった亡霊を無害な眠りのうちへと返すべく、自然の運行を利用して慰撫しようとしているかのような働きをしている。

現在のJR呼人駅の写真を見てみると、ホームこそ夏草が押し寄せているものの、駅舎の外観は小さな薬局か何かのようなごく小奇麗なものになっていて、荒廃の気はあまりない。昭和もバブルも果てた後に、なお人を呼びつづける亡霊は、このような姿がふさわしいということか。


句集『天來の獨樂』(2015.10 深夜叢書社)所収。

2015年11月10日火曜日

〔ためしがき〕 雨が降ると自転車のことを考える 福田若之

〔ためしがき〕
雨が降ると自転車のことを考える

福田若之

雨が降ると自転車のことを考える。∵乗れないからだ。

車は移動速度は徒歩よりも格段に速いが、一人の人間を同じ距離だけ運ぶのに、より多くのエネルギーを消費する。それに対して、自転車は移動速度が徒歩よりも速い上に、エネルギー効率もよい。

これは、僕らが歩くよりも自転車に乗っての移動に適した肉体を持っているということを意味している。これはおそらく、樹上生活をしていた祖先の名残である。僕らの肉体は、おそらくまだ、地に足をつけて移動するのに最良の形態にまでは進化していない。→車輪がいかに偉大な発明だったかを証明するのは、なによりも自転車だ。

だが、車輪が重要であるのは自転車を道具と見なす場合だけだろう。僕らは自転車を単なる道具ではなく親愛や友情の対象とさえ見なしうる。それには自転車が人間的、あるいは少なくとも生物的であると見なされていなければならないだろう。自転車のこうした性質はどこから来るのか? →おそらくベルである。ベルは自転車に声を与えるのだ。自転車のベルは、声と生命の経験的に分かちがたい結びつきを利用して人の心に働きかけるのである。

(とはいえ、実際には、自転車のベルが鳴らされることはほとんどない。それは社会的には騒がしいものと見なされていて、しばしば通行人を不快にするからだ。それでも、自転車についているベルというのは、鳴らさないかぎりにおいては愛らしいものである。それに、段差などを下りるときには、それが振動のせいで小さく鳴ってしまうことがあり、そうしたとき、自転車はすこぶる人間的であるように思われる)

(ときたま、小さな子どもがベルを無意味に鳴らして走っているのを見かけることがある。社会的な抑圧がなければ、人はあんな風に自転車と会話をしたいと無意識のうちに思っているのではないか?)

もうひとつ、自転車に声を与えうる部品:ブレーキ。ブレーキが錆びると、自転車は下り坂のたびに悲鳴を上げるようになる。

反証:ブレーキがちゃんと整備された、ベルのない自転車を愛する人たちもいる。→こうした人たちにとって、自転車は、おそらくそのフォルムと用途によって、馬の隠喩なのである。

しかしながら、自転車の部品のなかで、もっとも神話的であるのはライトである。前輪との摩擦によってエネルギーを得る自転車のライトは、遠い昔の生活における火起こしの苦労と喜びに通じている。肉体の運動によって、夜を照らす光を得ること。その光は僕らから生まれる。光を自力で作り出すことの喜び。

2015/10/1

2015年11月9日月曜日

●月曜日の一句〔飯田冬眞〕相子智恵



相子智恵






影ひとつはみ出すホーム神無月  飯田冬眞

句集『時効』(2015.9 ふらんす堂)より

〈影ひとつ〉は何の影とは書かれていないのだが、私は「己の影」と読んだ。〈神無月〉が取り合わせられたことで、内観によって異界との境界を彷徨っているような感じがしたからである。

ホームの端に立っているのだろう。見るともなしに線路を見れば、ただ自分の影だけがホームをはみ出している。他の誰の影もホームをはみ出てはいない。影に託された己自身の、集団はもちろんのこと、この世からもはみ出てしまいそうな孤独な寂しさを感じる。いま、神はここにいない〈神無月〉であることも、どこか心細さにつながり、逆に神とともに旅立つ心の自由さ(それは孤独の裏返しである)も感じさせる。

〈影ひとつはみ出すホーム〉は写生であり、心の中のことは一言も言ってはいないし、あるいは自分の影ではないのかもしれない。ただ黒々とした影が一つだけはみ出していることに目をとめた心の孤独と、神無月という不思議な季語が相まって、モノトーンの鬱々とした世界ながら、裏側は自由に開かれている、不思議な解放感もあるのである。

2015年11月7日土曜日

【みみず・ぶっくす 45】 cocon de douceur 小津夜景

【みみず・ぶっくす 45】 
cocon de douceur

小津夜景





 秋になるたび、山ぶどうの木にのぼった。
 採れるだけの実をもいで鞄につめ、走って家にかえる。母に見せるためだ。母はいつでも日当りのよい和室に薄いカーテンを引いて油絵を制作している。その傍へ寄り、大量のぶどうを大いに自慢すると、母は種ばかりで食べるところがないね、酸っぱいし、と眉をしかめつつもほんの数口わたしの自慢につきあってくれる。そのあと、食べものを捨てる訳にもいかないから、と残りの実を圧しつぶし、ふきんで漉してガラス瓶に流し込んだものに砂糖を混ぜる。
 母のなめらかな没頭にはいたって淀みがない。その頃のわたしは、そのすこやかな没我の奥に固い自我をまとう若き日があった事実など考えてみたこともなかった。固さが残す、かすかな傷痕。だが今思い返しても、当時の母の姿にその痕を見つけることはできない。つまりそのように振舞う方法を、母は今のわたしより若い年齢で完全に学び終せていたということなのだろう。ちなみにこの方法は今日でも母のすべてに及んでいて、どんなに乱暴にわたしに抱きついてこようとも、どこか投げやりな調子で事に興じてみせようとも、その挙措はあやうい素をかいまみせることなく、常におのれを鎧う術を知る女性にふさわしい平静に包まれている。
 ガラス瓶にバネ式の蓋をした母は、ひと月もすればワインができるわよ、クリスマスが楽しみね、とにっこりする。母がそう言って微笑むたび、わたしは期待に胸を膨らませつつ、毎年クリスマスまでの時間を、素朴で優しい繭の中にとじこめられているようなそわそわした気分で過ごすのだった。

秋風やアコーディオンを折り畳む
もうすぐよコスモス抜けて隣町
カルテ書く風はもぬけの樹に凭れ
さよならの声と小鳥とパンケーキ
柿干すやひとり異郷に巣を構へ
うたかたはいつしか皺に秋の繭
下駄日和オリーブの実を潰しけり
スプーンを舐めて高きに上るかな
須臾かざす家族をつゆも思はねど
野の色で終はる出逢ひが此処にある

2015年11月6日金曜日

●金曜日の川柳〔加世田起南子〕樋口由紀子



樋口由紀子






この日閑(しず)か椿が雨を嚥んでいる

加世田起南子

「この日閑(しず)か」と捉えた表現力、「椿が雨を嚥んでいる」とみた描写力に目が止まった。おざなりの「静か」や「飲んでいる」とは違う、それでは言い表せない別のものが「閑か」「嚥んでいる」の表記が訴えかけてくる。椿は濡れるのではなく、自発的に雨を嚥み、ますます赤くなり、作者の心はより閑かになったのだろうか。言葉によって作者独自の景が浮かび上がる。そのように椿を見たら、世界や人の見方が変わってくるように思う。自分の生や内面、心の動きを見つめている。

私はこのように景を捉えることも見ることもできない。だから、掲句は自分と同じ気持ちであるという「わかる」ではない。かといって自分と同じ気持ちでないから「わからない」というのでもない。こういう感じ方があり、そう思う人がいる。ただ、自分はまだそこに立ち会っていない。〈赤鴉おまえに置き去りにされた落ち葉掃く〉〈しろいろがみずからつかれきっている〉 『翠雨』(1992年刊)所収。

2015年11月5日木曜日

〔人名さん〕 島倉千代子

〔人名さん〕 
島倉千代子

昭和 あゝ島倉千代子のうたふ恋  筑紫磐井

筑紫磐井句集『我が時代 二〇〇四~二〇一三』(2014年3月/実業公報社)より。



2015年11月4日水曜日

●水曜日の一句〔大高翔〕関悦史


関悦史









未来都市かすみのなかにまた光る  大高翔


肝となるのは「また」なのだろう。一度光っただけではなく、明滅をくり返している。

それと「かすみ」の湿度が合わさることにより、都市そのものが無機的なまま生命感を帯びるのだ。都市の住人の姿はさしあたり見えていない。実際、「未来都市」で画像検索をかけると、出てくるのはメタリックな質感の際立つCG画像ばかりである。

「未来都市」は、すでに眼前に実現しているのであれば「未来的な都市」というだけのことだが、「的」を抜くことで、視点人物が何やら未来にトリップしているような、あるいは時間の流れの外に位置しているような浮遊感、眩惑感を帯びることとなる。

現実に夜の大都市を見渡すときにもそうした浮遊感、眩惑感は起こるので、それをレトリック上「未来」と言いきった形だが、「未来」を実見するという矛盾が句に孕まれることにより、都市の生成と、さらに遙かな未来におけるその消滅の可能性までもが抒情のなかに言いとめられたのである。

そう、句はあからさまに抒情している。都市の無機的な美を描いているとはいえ、その根底にあるのは非人間的なものへの畏怖や死の恐怖を根底に沈めた崇高さといったものではない。小説でいえばJ・G・バラードよりは日野啓三に近いものだ。この視点人物は、心地よく、心情的によりそうように「未来都市」と一時をともにし、無機的なものたちの清潔な冷たさ(それも春の「かすみ」のなかなので耐えられないほどのものではない)に身の内を照らされつつ、やがてそこを無事に離れるだろう。まちがっても破滅の愉楽へとつっこんでいくことはない。

無機的美観への観光という体験を穏当な句にすることによってあらわれたのは、「未来」が希望とも絶望ともさしあたり無縁な、漠然と儚げなものとしてあるという、一抹の寄る辺なさを含みつつも、比較的安定した生活感情であった。


句集『帰帆』(2015.10 角川書店)所収。

2015年11月3日火曜日

〔ためしがき〕 俳句:短命な物語 福田若之

〔ためしがき〕
俳句:短命な物語

福田若之

もし物語というものが本質的に自らを可能な限り長引かせようとする性質(=自己保存本能)をもつとするならば、俳句として成立するのはそもそも短命な物語だということになるだろう。

たしかに、当てはまる例は数多くある。思いつくままにいくつか挙げると――

向日葵が好きで狂ひて死にし画家    高濱虚子
生涯にまはり灯籠の句一つ         高野素十
滝の上に水現れて落ちにけり        後藤夜半
金魚玉とり落しなば鋪道の花        波多野爽波
海に出て木枯帰るところなし         山口誓子
いなびかり北よりすれば北を見る     橋本多佳子
湯豆腐やいのちの果てのうすあかり   久保田万太郎

などなど。これらの例の共通点:エントロピーが限界まで増大したように思われるということ(ひとつの閉じた系があるのだ)。

これらとは別の、特殊な例――

咳の子のなぞなぞあそびきりもなや   中村汀女
草二本だけ生えてゐる 時間       富沢赤黄男
分け入つても分け入つても青い山    種田山頭火 

これらの句においては、語られていることの限りなさが見いだされることによって、もはや新たに語るべきことがなくなるのである。

だが、俳句のなかには、ときに、物語の突然死とでも呼びたくなるものが見いだされる――

徐々に徐々に月下の俘虜として進む  平畑静塔
死にたれば人来て大根煮きはじむ    下村槐太
少年や六十年後の春の如し        永田耕衣

あるいは、

月下の宿帳
先客の名はリラダン伯爵          高柳重信

なぜ、ここで終わるのか:なぜ、これらの言葉はここでとどまらなければならなかったのか?

それを説明することができない(俳句にとどめようという作者の意識を抜きにしては):どの句も、何かを宙吊りにしたまま終わってしまう。だが、この宙吊りこそがこれらの句の魅力であることは疑いない。

2015/9/9

2015年11月2日月曜日

●月曜日の一句〔杉山久子〕相子智恵



相子智恵






小鳥来る旅の荷は日にあたゝまり  杉山久子

句集『泉』(2015.9 ふらんす堂)より

鄙びた無人駅でのひとコマを想像した。

日に数本しか来ない列車を待っている。ホームには小さな屋根しかなく、その屋根が作る日陰で秋の案外強い日差しを避けながら待っていると、渡り鳥の小鳥たちがやって来た。海を渡ってきた小鳥たちと、旅に出た自分とが重なる。

やっと来た電車に乗ろうと、旅行鞄を持つと温かくて驚いた。いつの間にか太陽は傾きを変え、足元に置いた旅行鞄は日向に出ていたのだ。温まった荷物を膝に抱きながら、晩秋の列車の旅を続ける――。

〈旅の荷は日にあたゝまり〉の温かな感触、〈あたゝまり〉の踊り字を使ったレトロな表記、小鳥の可愛らしい明るさ……それらが重なって、掲句にはどこか懐かしさが漂う。個々人の「旅の記憶」を呼び覚ましてくれる懐かしさだ。掲句から読者の脳裏に浮かぶ物語は、おのずと自分の旅の思い出と重なるから、私の鑑賞とはまったく違う場面となるだろう。

その懐かしさをもって、ふたたび旅に出かけたくなるような気持ちにさせる一句である。