2015年8月31日月曜日

●月曜日の一句〔西宮舞〕相子智恵



相子智恵






木の洞に溜る浜砂雁渡し  西宮 舞

句集『天風』(2015.5 角川学芸出版)より

「雁渡し」は、初秋から仲秋にかけて吹く北風で「青北風」ともいい、この風が吹き出すと潮も空も急に秋らしく澄むようになる。歳時記によれば、志摩や伊豆の漁夫の方言であるという。

防風林の一樹だろうか。海辺の木の洞に浜砂が溜っていた。ただそれだけの景である。しかし「雁渡し」という季語によって風に思いが向けられ、「いまは雁渡しの秋風が吹いているが、ここに溜った浜砂は長い年月をかけ、それぞれの季節の風に運ばれてきた砂なのだ」ということに気づかされる。洞ができているくらいだから古木なのだろう。風は絶えず吹きめぐり、季節はめぐり、木は生き延び、浜砂は徐々に溜まっていった。

ある季節の一時点の景を描いたスケッチのような写生句でありながら、その後ろには大きな時間が捉えられていると思う。雁渡しが吹くころの秋天の広さが思い浮かぶことも、掲句に時間的、空間的広がりを持たせている。

思えば句集名も『天風』で、これは〈鷹渡る天上の道風の道〉という句から採られているが、風に代表されるような「留まらざるもの」への作者の関心の高さが思われてくる。

2015年8月29日土曜日

【みみず・ぶっくす 36】読む男 小津夜景

【みみず・ぶっくす 36】 
読む男

小津夜景






 前衛とは、また後衛とはなにか。
 この問いに、ある人はこう答えたそうだ。
 前衛であるというのは、死んだものが何であるかを知っているということ、そして後衛であるというのは、死んだものをまだ愛しているということである、と。
 この答えを知って以来、わたしはことあるごとに前衛と後衛について思いをめぐらすようになった。そしてある日とうとう「本を読むとは、この前衛と後衛とを同時にやってのけることではないか」と考えるようになった。
 読書の快楽とは、思い出に浸りつつ、いまだ見ぬ世界を歩くことだ。それは記憶を掘り返してはその中から非・記憶ばかりを拾い出すような、どこか奇妙な旅でもある。
 ちなみに読むことは男にこそふさわしい。そう言いきれる理由は、今わたしが座っているカフェの端に、紙に目をぐっと近づけて、ぶあつい電話帳を読み耽っている男がいるから。男は別段狂っている風でもなく、グレン・グールドのように、活字を指で丹念に拾っている。たぶんあの男にとって未知の名前の羅列は、記憶と非・記憶とが重なり合う、とても眩しい宝島なのだろう。

 ゆふさりのひかりのやうな電話帳たづさへ来たりモーツアルトは / 永井陽子
 

読む男ありけり今朝の小鳥くる
いちくの籠をあふれて休館日
白秋のページの縁を切りおとす
天高き日の木製の手すりかな
あまでうすあまでうすとぞ豊の秋
隣室に律の調べをしつらへる
鰯雲やかまし村の迷ひ子に
扇置くやうにペーパーナイフ置く
鹿垣やいつもきのふの色をして
跡形もなきところより秋めけり

2015年8月28日金曜日

●金曜日の川柳〔早良葉〕樋口由紀子



樋口由紀子






狐とも蛇とも別れ老いゆくよ

早良葉 (さわら・よう) 1929~

もともと夏に強い方ではないが、今年の暑さにはまいった。これが「老いゆく」ことなのかと思ったりもした。そんなときにこの句に出合って、気弱になっていた心が少しだけ軽くなった。

確かにこれは老いの一つの形である。若かりし日はどうしても「狐」や「蛇」が気になった。その一方で持て余してもいた。そういうものをだんだんと気にしなくなるのも「老い」の恩寵。そして、いままで見えなかった世界が見えてくるかもしれない。

「老いゆく」のは不安で寂しいもので、ついマイナス面ばかりに目がいってしまう。けれども、そればかりではないのだ。掲句は「狐」や「蛇」を登場させているが、重苦しさはなく、からりとしている。諧謔味がある。作者のユーモアを感じ、同時に作者の生真面目さも見える。

2015年8月26日水曜日

●水曜日の一句〔東金夢明〕関悦史


関悦史









棲むたびに蔵書に埋もれ浮寝鳥  東金夢明


蔵書家共通の悩みだが、面白い句にはなりにくいところを「浮寝鳥」がうまく掬っている。

「棲むたびに」は、何度か転居しているのだろう。その都度、蔵書の整理はしているはずだが、またすぐに溜まっていき、本の隙間に埋もれて暮らすことになる。

本の重量も大変なもののはずだが、その重量はどっしりした定住感覚には全く繋がらず、置場の不足からかえって漂泊中のような思いを催させる。自分の死後の蔵書のゆくえなどを考えればなおさらのことだ。

その頼りない生活感情を担っているのが「浮寝鳥」なのである。穏やかに見えはするだが、地に足がついていない。

つまり「浮寝鳥」が暗喩になっている格好で、これは重く陳腐化しやすい方法だが、句と作者の自己との距離が絶妙なのか、ここではかえって、ナマな生活感情を落ち着いた風格のある句に仕上げることとなっている。

作者自身が「浮寝鳥」にどっぷり自己投影されているというよりは、いわば諺や格言のように話を一般化しているのだ。その一般化が、自分の感慨から遊離しきらない有機的な繋がりをどこかに保っている辺りが、この句の安定感と慕わしさの理由なのだろう。


句集『月下樹』(2015.5 友月書房)所収。

2015年8月25日火曜日

〔ためしがき〕 方針の見直し 福田若之

〔ためしがき〕
方針の見直し

福田若之


方針を見直す必要および欲求→「ためしがき」の意味を別様に捉えなおす:エッセイからメモ書きへ。

メモ書き:短く、ぶつ切りのスタイル。詩というよりは散文、しかしいわゆる文章ではない:非‐展開。タイトルなしということもありうる→その場合には、便宜上、日付けを付すことにしよう。

タイトルをつける場合も、日付は必須だ。∵メモはとりあえずのものにすぎない(≠日記的価値);それは代謝する;書いたことの責任を宙吊りにしておく必要がある。日付の記載:暫定的な記述であることを示す注意書き。

アフォリズム? ――そうではない。そこまで完全に磨きだされた言葉をここに書くつもりはない。

ツイート? ――そうではない。おそらく。ツイート(ただし、僕の思い描くところの)は、発話として滑らかで、多くの場合、言葉ができあがっている。

俳句? ――たまには、そうしたくなるかもしれない。

2015/8/14

2015年8月24日月曜日

●月曜日の一句〔曾根毅〕相子智恵



相子智恵






十方に無私の鰯を供えけり  曾根 毅

句集『花修』(2015.7 深夜叢書社)より

なんと美しく、哀しい悼句だろうと思った。

海を縦横無尽に泳ぐ大量の鰯の群れが、きらきらと陽に輝いている。私心なく輝ける幾千の鰯たちを、果てしないすべての世界〈十方〉に供えるというのである。仏は無数にあり、浄土も無数にあるという「十方浄土」が念頭にあるのだろう。

栞の対馬康子氏の文章に、次のようにあった。〈曾根さんは、三.一一当日は仙台港に出張されていた。津波が来るのを見ながら必死で坂を駆け上がり、ようやく当時住んでいた千葉県柏市の家族のもとに帰宅したのは五日後のことだったという。〉

掲句は〈薄明とセシウムを負い露草よ〉など、震災を受けての句と同じ章にあり、津波の犠牲者への鎮魂の句であるのだと思われる。海中を、躍るように煌めき泳ぐ鰯たちは、海中に散ったたくさんの魂へと、生きながらにして供えられてゆくのである。

『花修』は第4回芝不器男俳句新人賞の副賞として刊行された。静かな思索によって深遠な世界を書き留めた句が多い、読み応えのある句集であった。

2015年8月21日金曜日

●金曜日の川柳〔藤高笠杖〕樋口由紀子



樋口由紀子






人間の手がしつこいと思うハエ

藤高笠杖

ぶんぶんと顔のまわりを飛ぶハエほどいやなものはない。あっちへいけと追い払ってもすぐにやってくる。ハエは本当にしつこいと思っていた。だから、掲句を読んで、はっとして、笑ってしまった。

ハエにしても目的があって飛んで来ているのであって、追っ払われる手ほど邪魔ものはない。人間ほどしつこいものはないと思っていたのだ。手がしつこいからハエもしつこい。ハエだけがしつこいのではなかった。「しつこい」がなんとも効いている。

それにしても近頃ハエも少なくなった。私が子ども頃は台所などに蝿取り紙がぶらさがっていて、無数のハエが仕留められていたものだ。

2015年8月19日水曜日

●水曜日の一句〔本多佑子〕関悦史


関悦史









涼しさやいたるところに翁の目  本多佑子


俳句で「翁」というと芭蕉になってしまうのだが、この句の場合はそう取らない方がよさそうである。

句集の同じページに《涼しさや山に目の神耳の神》という、とうてい芭蕉のこととは思えない八百万の神が遍在しているような句が並んでいるからということを別にしても、いたるところにある「翁の目」が芭蕉のそれということになると、句の出来栄えでも監視されているようで、いかにも息苦しく、「涼しさ」がきかなくなる。人の格を脱した神仏か精霊の類とのみ取っておくべきだろう。

さて、この句、具体的な描写は何もない。

「涼しさ」と「いたるところに」の組み合わせが漠然と野外の空間的広がりを思わせ、「翁の目」の霊的遍在が、そこが草木に覆われた自然豊かな土地なのだろうと思わせるばかりである。にもかかわらず、その自然に奇妙な実体感がある。

自然に見入ることが自然から見返されることにもなる、というだけならばありふれた理屈だが、この句の場合は、その見返してくるまなざしに、「翁」という形で半ば人格化された他界性が入ってくる。自然と呼ぶより造化と呼んだ方がふさわしいだろうか。語り手をとりかこむ造化は、語り手自身が没した後も、おそらく何ほどの変化もなく存在し続ける。そのことに語り手は安らぎと自足を覚えている。

見守ってくれる母親のまなざしでもなければ、監視カメラのような無機的な捕捉でもなく、造物主と確定もできなければ、意志や感情があるのかどうかさえ判然とはしない、何やら神々しいものとして「翁」はこちらを見ている。目は相手を切り離し、対象化する器官であり、薄気味悪いと思えば薄気味悪い。そうした距離感をあらわすのが「涼しさ」なのだ。たとえそれが安らぎを与えてくれる肯定的なものであるにせよ、語り手を包んでいるのはそういうまなざしである。

生き物への共感から来るアニミズムの平等性とは少々違う、人のスケールを超えた自然とか生命現象自体の人格化として「翁」はある。

この世に生まれる、生かされるというのはそうしたものの中にあることなのだという認識が満足につながっている句である。翁と見合う語り手自身も、かすかに翁=自然になりつつある。目出度くもあるが、一種無気味でもある。それは語り手が自身の見慣れぬ本性をあらわにしていることによる、変容の無気味さである。


句集『菊を焚く』(2015.7 ゆいぽおと)所収。

2015年8月18日火曜日

〔ためしがき〕 カメラと俳句 福田若之

〔ためしがき〕
カメラと俳句

福田若之


僕らはほとんど意識しないことだが、狭義の〈俳句〉という観念の誕生、すなわち、それがもはや〈発句〉とはほとんど呼ばれなくなると同時に、新たな価値観によって多かれ少なかれジャンルの再編成がなされたのは、写真術の発明よりも何十年も後のことだ。

考えてみれば確かにそうで、僕らは幕末の日本で西洋人が撮った写真を見た覚えがあるはずだし、〈俳句〉の誕生が明治以降であることも知っている。僕らは〈俳句〉を生み出したとされる人たちの肖像写真を見ることができる。

もちろん、こうした意味での〈俳句〉にも、近代以前の〈俳諧の発句〉としての長い前史があることは否定できない。しかし、それを言い出すのなら、写真術にだって、カメラ・オブスクラやカメラ・ルシダといった、画家たちの投影技術としての前史がある。

となれば、ひとまず、次のように書いてもさしつかえないはずだ――〈俳句〉は、写真機よりも新しい発明である。

それがどうしたと言われそうだけれど、このことはけっこう示唆に富んでいるのではないだろうか。

たとえば、今日伝えられている俳句史は、写真と分かちがたいものとしてある。子規の横顔、虚子の微笑、山頭火の旅装束や三鬼の口髭、あるいは久女の重たそうな結い髪などがもし写真に撮られていなかったとしたら、僕らが思い描く彼ら彼女らのイメージは、いくらか違ったものとなっていたことだろう。近代以降の俳人の全集を開けば、僕らは必ずといっていいほど彼らの写真を見ることになる。もちろん、 俳句史の主役は俳句であって写真ではない。それでも、定着された映像は、俳人たちのほとんど神話的な歴史を維持することにいまでも貢献しつづけている。

さらに言えば、物へと向けられたまなざしとしての特質を〈俳句〉に見出すなら、そのまなざしが写真以後のそれであることが重要に思われてくる(参考:橋本直「映像と言語と虚子俳句」)。その場合、たとえば、子規の「客観」や「写生」という言葉は写真以後のものとして理解されることになるだろう。

何より興味深いのは、写真がすでに普及していた時代にさえ、〈俳句〉は、あれほどの苦心を経て発明されるほど、つよく必要とされたのだという事実である――いや、言うまでもなく僕たちは〈俳句〉を必要としている。けれど、どうして僕たちにとってこれほどまでに〈俳句〉が必要なのだろうか?

ところで、子規の『俳諧大要』が発表された1895年は、フランスでリュミエール兄弟が前年に撮影した世界初の映画を公開した年でもある(ただし、リュミエール兄弟のシネマトグラフが映画館での上映のはじまりであるとは言い切れないようだ。一般向けの上映に関して言えば、ドイツのスクラダノウスキー兄弟のビオスコープという機械によるもののほうが数か月だけだが先行している)。したがって、今日的な意味での〈俳句〉は、写真どころか映画とほぼ同時期に発明されたとさえいうことができる。

さて、細かなところは割愛するが、映画にもこれまた長い前史があるといえる。いわゆる「視覚玩具」の歴史である。日本ではたとえば江戸中期から続く、回り灯籠や覗きからくりの歴史、あるいは江戸末期にオランダから伝わった幻燈の歴史などがそれである。欧米ではたとえばソーマトロープやゾートロープなどの歴史がそれにあたる。これらの視覚玩具は、人々が映画を観るときのありようを文化的に基礎づけていたとされる。

俳句と映画といえば必ずその名が挙がるのが山口誓子だろう。走馬燈と映画の関わりを思うとき、誓子の走馬燈の連作は、なかなか興味深い(これについてはすでに書いた。福田若之「物語としての俳句 1.山口誓子「マドロスの悲哀」と「走馬燈心中」」(『群青』第5号(2014年9月)、58-59頁)を参照いただきたい)。

誓子の論と実作は、基本的には、映画におけるモンタージュ論をもとに俳句の構成について考えるものだったと見てよいだろう。映画から俳句へ。

一方で、俳句から映画へ、という向きも――セルゲイ・エイゼンシュテインがすでに示唆していたことだが――当然、想定することができる。虚子がそのことに言及している。
俳句の映画化ということはしてもいいと思うですがね。ただいい材料を選んでいい映画を見せるのなら差支ないと思う。
俳句を映画にしたところでいい映画が出来るかどうか。
(高濱虚子『俳談』、岩波書店、1997年、210頁)
なるほど、虚子は俳句を映画化していい映画が撮れるかについては懐疑的だったようだ。しかしながら、虚子がこのような発言をし、それが『俳談』のなかに納められているということに、俳句と映画の分かちがたい関係を思わずにはいられない。

2015年8月17日月曜日

●月曜日の一句〔大石香代子〕相子智恵



相子智恵






漆黒の川へ鉦打ち踊りけり  大石香代子

句集『鳥風』(2015.7 ふらんす堂)より

地元の盆踊りは鉦など使わない手踊りだった。そのような地域は多いと思う。子どもの頃は盆踊りの意味など考えずに、この日を毎年楽しみに待っていたものだった。

2012年、被災地と郷土芸能を伝えるためのツアーを行う「プロジェクト伝」の招きで福島県いわき市へ行き、新盆の家を供養してまわる「じゃんがら念仏踊り」の稽古を見学させてもらった。そのとき「ああ、盆踊りは念仏踊りを起源にしているのだ。お盆で迎えた祖霊を無事に送り返すための踊りなのだ」と、ようやく季語の本意を体で理解できたのである。その踊りに使う大切な鉦を打たせてもらったときの音と感触が、掲句を読んでよみがえってきた。

掲句、盆踊りの会場の周囲には明かりなどは少なく、川や野など自然が広がっているのだろう。草の茂る野と川の闇の濃度は違う。野はやわらかい闇で、川はまさに漆黒である。鉦の響き方も野と川では違う。野は吸い込み、川ははね返す。

この句には「K」の音が全体にちりばめられている。その硬いK音が、川面に響く鉦の音を想像させる。〈漆黒の川〉は三途の川に通じ、祖霊を彼の世へ送り返す回路となっている。風景を淡々と捉えていながら、深いところで供養の思いが感じられる句である。

2015年8月15日土曜日

【みみず・ぶっくす 35】 小さな羽をもつ影が 小津夜景

【みみず・ぶっくす 35】 
小さな羽をもつ影が

小津夜景







言葉では書けないことがあるというのが
言葉に組みこまれた最大の教えだった
遠く離れた場所での何かを経験につけくわえようとするが
その距離と無知は絶対に変わらない
言葉が言葉にすべきでないことがあるというのが
言葉のもっともつつましい誓いだった
雨滴は太陽に挑むことができず
砂粒は風にけっして勝てない
そのように言葉はひとしずくの雨、ひとつぶの砂として
蒸発を受け入れ、制御できない飛行を甘受する
それでもこの雨滴に喉をうるおし
この微細な砂粒にしがみつく虫がいるだろう
われわれは虫だ、われわれはあまりに小さい
すべてのわれわれが虫だ、あまりにはかない
この小さな体と感覚器の限界に捉われながら
世界を語らず、ただ世界の光と雨に打たれて生きている  
                 (管啓次郎『島の水、島の火』 


兜虫つかひふるびし闇へ置く
思ひ出すもののはじめの裸かな
朝なさな在らなとばかり閑古鳥
黴のパンあるいはパンセ風に寄す
かたびらに雲あり砂に親書あり
くちなはの遺風に触れて夏料理
夏痩せてモノクロの微笑動かざり
即興の雨をパセリとして過ごす
睡蓮を仕立て直しにゆく船出
ゆく夏の時報に空を預けたる

2015年8月13日木曜日

●銃口

銃口


大蛞蝓銃口に入り帰還する  堀込学〔*〕

銃口の影のけむれる氷面鏡  石原八束

銃口に狙われ涸れし沼氷る  飴山實

この銃口から父がおろおろ小作稲刈る手もとが見えた、瞬間  橋本夢道


〔*〕堀込学句集『午後の円盤』(2013年7月・鬣の会)

2015年8月12日水曜日

●水曜日の一句〔江渡華子〕関悦史


関悦史









らふそくは息におびえるクリスマス  江渡華子


一読、クリスマスの食卓の景が浮かぶが、視覚的描写に優れているからというだけではない。

蠟燭の焔は目を引きつけるだけでなく、その繊細な揺らぎ方が、思わず息をひそめるという身体的反射を呼び起こす。ここでは語り手の身体は蠟燭の焔との共振の場に引き込まれているのだ。

「息におびえる」は蠟燭に対する擬人法だが、それが浅薄になっていないのは、蠟燭が人になっているだけではなく、同時に句の語り手が蠟燭にもなっているからである。両者は蠟燭でも人でもない曖昧な場を形成しているのだ。

つまりこれは「命の火」といった自動化した比喩的表現を、その発生の現場に感覚的に引き戻してみせた句であり、蠟燭の焔の即物的な把握から「クリスマス」の聖性までを一度にまとめ上げることができたのは、その共振の場ができあがっていればこそなのである。

しかし「おびえる」と言いながらも一句の風情はあくまで快活で、一瞬後には蠟燭は吹き消され、ケーキが切り分けられ始めるだろう。楽しいクリスマスの幕を開けるべくあらわれた蠟燭の幻想性と共振の場はあっさりと消える。

いわばこの句は、蠟燭の焔に集約されていた《幸福》と生気が、食卓全体へと拡散し、入れ替わる寸前の場面を描きとめているのである。


句集『笑ふ』(2015.7 ふらんす堂)所収。

2015年8月11日火曜日

〔ためしがき〕 途切れのないひとつの世界 福田若之

〔ためしがき〕
途切れのないひとつの世界

福田若之


朝から寒い日だった。僕は中学生だった。吐く息も白くて、学校へと歩きながら、漠然と世界について考えていた。世界情勢とか、そういうことではなくて、より正確に言えば、世界と僕の関係について考えていた。で、そのとき、まったく不意に、ああ、世界って一続きなんだ、と思った。

世界から僕を切り分けて考える理由は、なにひとつないと思った。僕らは皆ことごとく原子からできていて、原子は素粒子からできていて、素粒子は一方では粒子みたいだけど他方では波みたいなものでもあって、たぶん、その素粒子も、よくよく見ると素粒子以上にはっきりしたかたちのないものからできていて、たぶん突き詰めると世界っていうのは無数の何かもやもやしたものの濃淡にすぎなくて、だから、僕というのは、世界の中でちょっとその無数のもやもやしたものが濃くなっているところが、たまたまこんなかたちになって、見えたり感じたりできているにすぎないのだろうと思った。

この場合、もやもやしたものははっきりした粒ではないのだから、濃いとか淡いっていうのはアナログな指標であって、そうだとすれば、僕と空気の間には明確な境界線なんてないことになる。ほっ、と吐いた白い息と透明な空気の間に、明確な境界線がないのと一緒で。

それで、つぎに、どうして僕は僕と空気を別物だとみなしていたんだろうと考えて、これは、名前が別になっているからなんじゃないだろうか、と思った。 たしかに、こっちの肌色に見えているものをがりっとやったらおもわずそれをひっこめたくなるような感覚があるけど、あっちの緑色に見えているものはそりゃあもうがりがりがりがりされていても何にも気にならない。とはいえ、そういう違いがあるとしても、そんなのは濃いところと淡いところの分布の問題であって、こっちの肌色とあっちの緑色は一続きのはずだ。それを腕と名付けて、木の葉と名付けるから、それが切り離されて見えてくる。

このことを、僕らの認識する世界はどうしようもなく言葉でできているんだ、というふうに捉えることもできるはずだ。でも、当時の僕は、むしろ、言葉で世界を語ることはまったくできないだろうというふうに考えた。

だから、自然科学でさえ、世界そのものを語っているのではないと思った。自然科学は、それがどれだけ客観的で真正であるように思われるとしても、それが何かしらの言語で世界を語ろうとする限りで、世界の途切れのなさをとらえそこねるのではないかと思った。文学も同じだ。文学は、いよいよ普通の意味での言葉でしかないから。

世界と言葉が表面上は似ていないという僕の考えは、実はいまでも大きくは変わっていない。それでも、ひとつだけ大きく変わったことがあるとすれば、言葉もまた世界のなかでしか言葉ではないのだと感じるようになったことだろう。きっと、言葉というのも、突き詰めると無数のなにかもやもやしたものが織り成している何かにすぎないのだ。

2015年8月10日月曜日

●月曜日の一句〔矢野玲奈〕相子智恵



相子智恵






やはらかき水に戻りしソーダ水  矢野玲奈

句集『森を離れて』(2015.7 角川書店)より

長いことテーブルに置かれたままの飲みかけのソーダ水。グラスの氷が融けて炭酸が抜けたソーダ水は、ぬるくて薄い、ただの砂糖水に戻ってしまった。

ソーダ水が〈やはらかき水〉に戻るまでの時間は、誰かとのおしゃべりを楽しんでいた時間だろうか。それとも一人きりで過ごす憂いを帯びた時間だったのだろうか。〈やはらかき水〉は文字通り柔らかい表現で、楽しさも憂いも、ゆるやかに受け止める。プールに入った後、疲れた体が温まってきたときのような、ふわふわとした気だるさがある。

やわらかい水に「なった」のではなくて、「戻った」という表現が案外よく働いている。ソーダ水を一つの飲み物として見るのではなく、砂糖水に炭酸ガスを充填して作った飲み物であるという成り立ちを、ここでは見せているのだ。だから水に戻るのは必然であるような循環を感じ、そこに心が安らぐのである。失ったのではなく、元に戻ったのだ。

テンションの高い夏の名残のように、気だるく、しかしほっとするような晩夏の気分がある句である。

2015年8月9日日曜日

●長崎

長崎


長崎は港に音す花樗  森 澄雄

長崎に友ありレース光満つ  大島民郎

長崎に雪めづらしやクリスマス  富安風生

2015年8月8日土曜日

【みみず・ぶっくす 34】ピントのあわない話 小津夜景

【みみず・ぶっくす 34】 
ピントのあわない話

小津夜景







 或る時空が存在する、というとき、この「存在する」には生成(ドゥヴニール)と成就(クリスタリザシヨン)との両義が含まれている。
 これは、わたしが「いまここ」を見逃せば空間は生成/変化しつづけ、見逃さなければつかのま成就/結晶化する、といった意味だ。
 わたしはまだ結晶化を知らない。聞くところによるとそれは、時空という多面鏡に向きあいつつ、そこに自分がはっきり映し出されている(共鳴している)と感じうる状態のことらしい。逆に言えば、そう感じないときの時空とは安定した鏡ではなく不安定な水とおぼしき状態だということで、それならわたしもよく知っている。
 結晶化した時空はこんぺいとうに似て、ほのかな棘に覆われている。日々流転しながら棘を育てているのである。
 その棘は時空のつかのまの成就の際しか感覚できない。
 棘をもつ以上、時空の結晶化とはその純粋化ではないのだろう。多分それは、純粋化ではなく世界化だ。
 たわいない痛みのある、世界。
 かつてある詩人は言った。われわれはかつて一度も、一日も、ひらきゆく花々をひろく迎え取る純粋な空間に向きあったことがない。われわれが向きあっているのはいつも世界だ、と。

ピンぼけになりすましたり夏の蝶
朴の花すぼめて時の間をつぶす
秒針の透かし彫られし白日傘
夕ばえの坩堝を指はあそびたる
五線譜に無音のリズムある蜥蜴
斑猫のことさら古書に塞がれて
かぎ針で編みまだ棘のないことば
ロードムービーグラジオラスの戛然と
廚部に虹の弁あり抜きませう
夏座敷しいんとしいんとぼるへす

2015年8月7日金曜日

●金曜日の川柳〔中川東子〕樋口由紀子



樋口由紀子






くるぶしにタバスコを振る夏だった

中川東子

どんな夏だった?と聞かれて、こう答えたら、不思議がられるだろうが、かっこいい。でも、内実は相当痛いはずである。いろんな夏があるがこんな夏はまあない。鋭敏な自己把握である。

くるぶしの不安な白、タバスコの刺激的な赤の対比。タバスコは辛味の強いソースである。そうするしかなかったのだろう。もちろん心象風景。それでもきりりとしない、引き締まらない、食えない私だった。理屈では片づかないものを理屈には合わない行動で推し量っている。身体性の川柳。掲句は「くるぶし」だが、中村冨二は「全身」だった。〈みんな去って 全身に降る味の素 冨二〉

〈新人類九十代を調査する〉〈行き止まれば影を立たせる白壁だ〉 「川柳カード」9号(2015年7月刊)収録。

2015年8月6日木曜日

●広島

広島


 広島の忌や浮袋砂まみれ  西東三鬼

八月広島もちの木はふと暗し  友岡子郷

左腕たまたま繃帶の女広島は  赤尾兜子

うなだれて八月がくる広島に  小山一人静

広島や卵食う時口ひらく  西東三鬼

2015年8月5日水曜日

●水曜日の一句〔曾根毅〕関悦史



関悦史








暴力の直後の柿を喰いけり  曾根毅


「暴力」の勢いが、柿を喰う動作にまで流れ込んでいて「喰いけり」が荒々しい。

柿を喰らっている者は暴力を振るったのか、振るわれたのか、目撃しただけなのかは何とも決めがたい。というよりも、この「暴力」の一語は、そうした平板なリアリズム的地平で説明し得る位置にはおそらくない。「殴った」「撃った」「爆撃した」といった具体的な動作とは別の次元にあり、それら全てを含み込んだ類概念としての「暴力」である。単なる曖昧化ではない。

その類概念としての「暴力」が、続く「直後」の一語でいきなり具体・個別の世界に持ち込まれる。「ウサギ」や「シマウマ」や「ライオン」に混じって「動物」が一緒に飛び跳ねているような混乱を「直後」が強引につなぎ、「柿を喰」うという個人の動作の身体性に落とし込むのである。

この「暴力」は語り手個人が暮らす現実空間にではなく、むしろ「法」とか「言語」といったものの中に住んでいる。人が抗いようもない、絶対的な、旧約的なイメージすら連想させる「暴力」。そうしたものに接し、流出させる通路として柿喰う身体は存在する。「柿」はそうした類概念としての「暴力」の世界を日本の風土と生活に繋ぎ、また歯応えでもって身体感覚にも繋ぐ。

この句では、自己の統御が利かなくなって振るわれる「暴力」、その「暴力」に吹き抜けられた後の身体の、荒涼たる高揚が捉えられている。それがそのまま「暴力」と自己の関係の洞察になっている。


句集『花修』(2015.7 深夜叢書社)所収。