2016年8月31日水曜日

●水曜日の一句〔マイマイ〕関悦史


関悦史









菜の花や月は地球を遠ざかる  マイマイ


句集に付された註によると、実際に月は現在も毎年3センチの速度で地球から遠ざかっているという。

天文学的な見地からの月の不思議といえば、高橋克彦の伝奇長篇『総門谷』の大量のペダントリーのなかにもそういった話が盛り込まれていたものだが、身近すぎて普段何とも思わない天体とはいえ、わからない点は随分とあるものらしい。

先行句となる蕪村の〈菜の花や月は東に日は西に〉は、菜の花と視点を中心にして、両端に入れ替わる月と日をすえ、ひとつの画面のなかに菜の花のミクロと日月運行のマクロを一つながりに取り込んだ句だが、この〈菜の花や月は地球を遠ざかる〉では、視点は真ん中ではなく一方の端、つまり地球の側にあり、そこから天文学的な張力を感じ取るようにして遠ざかっていく月が意識される。

蕪村に地動説の知識があったか否かは定かでないが、この先行句との関係は、ちょうど自分が中心である天動説から、自分も振り回される一部分に移った地動説への転回に対応していて、突如、読者までがその巨大な転回に投げ込まれ、菜の花や月とともに自分までが宇宙的立場を不意に自覚させられたかのような爽快感をもたらすのである。

この句単独で読めば、安定した大地から、遠ざかっていく月に想いをはせるスタティックな叙景句としか見えないので、「月は地球を遠ざかる」という単なる科学的知見を「菜の花や」で蕪村の句と関連付けた効、果は思いのほか大きいのだ。


句集『宇宙開闢以降』(2016.8 マルコボ.コム)所収。

2016年8月30日火曜日

〔ためしがき〕 エックス山をめぐる思い出のあとさき 福田若之

〔ためしがき〕
エックス山をめぐる思い出のあとさき

福田若之


僕の育った東京都の国分寺市にはエックス山と呼ばれる林がある。故意に名前を伏せているわけではない。そこは、地元の人たちによって、元来、「エックス山」という通称で親しまれてきた場所なのである。

この極めて印象的な地名は、かつて、この林が今よりもずっと広かった頃に、二本の道がそこで交差していたことに由来するらしい。今日、僕たちは、ほんのすこし調べるだけで、こうしたことをすぐに知ることができてしまう。けれど、1990年代を自らの幼年期として過ごした僕にとって、この土地の名に冠せられた「エックス」は、たとえば当時流行した海外ドラマ『X-ファイル』のXであり、当時放送されていたバラエティ番組『特命リサーチ200X』のXであり、水底に溜まったヘドロをベトベターというポケモンに変化させるという月からのX線のXであり、要するに、SF的宇宙における僕らにとっての未知数を示すための、あの近くて遠い記号に他ならなかったのだ。

近くて遠いというのは、記号だけのことではない。エックス山が地理的にみて市内のほぼ中心にあるのに対して、当時の僕の家は西のはずれの方にあった。エックス山にもっとも近い駅は東西に走る中央線と南北に走る武蔵野線とがちょうど十字に交わる西国分寺駅なのだが、これは市の東側に位置する国分寺駅から見てひとつ西の駅であるからそう名付けられたというだけであって、地理的には、むしろ、西国分寺駅のほうが市の中心に近い。僕の家の最寄り駅がそのさらにひとつ西の先にある国立駅だったと書けば、僕の家からエックス山までのおおよその距離は伝わるだろう。エックス山は、まだ自転車に乗れなかった幼い頃の僕にとって、まさしく、近くて遠い場所だったのである。

近くて遠いというのにはもうひとつ理由があって、それは、国分寺駅から西武国分寺線に乗り換えて北西に向かって一駅乗ったところに、母方の実家があることに関わっている。母方の実家とエックス山との距離については、その最寄り駅の名は恋ヶ窪であるということと、エックス山の現在の正式名称は西恋ヶ窪緑地であるということとを書いておけば、これもおおよそは伝わるだろう。エックス山の名を初めて聞いたのは、母からだった。母にとっては、エックス山は子どもの頃の遊び場のひとつであり、身近な場所に他ならなかったのだ。だが、僕にとっては、学区から離れて存在するその「山」は、遊び場とするにはあまりにも遠く、いま住んでいる土地に移り住むまで、ついに未踏の土地でありつづけた。そこまで行かずとも、雑木林なら家の近くにいくつもあった。たとえば、僕が木漏れ日に照らされながら樹液を舐めるあおかなぶんの姿を深く記憶にとどめたのも、家にほど近いそうした雑木林のひとつにおいてだった。エックス山は母を通して僕に近しい土地でありながらも、僕自身にとっては遠い場所でありつづけた。

さらに、これは『X-ファイル』などの例からも推察されることだろうが、幼い頃の僕にとって、エックス山という地名は、そこに恐ろしい何かが潜んでいる可能性を暗示するものだった。僕にとって、エックス山は、たしかに、わずかにであれば『E.T.』的な幸福な夢想を伴わないこともなかったが、やはり、おおむねのところは、身近にある「エリア51」に他ならなかったのだ。僕は、夜ごとエックス山に飛来する円盤状の発光体をひとり想像し、恐れた。もし一度でもやつらを見てしまったら、どこか遠い星に連れていかれて、二度と還ってくることはできないだろう。子どもの頃の僕は無数の不気味な者たちによって別の世界へ攫われそうになるという悪夢をよく見たものだったけれど、エックス山の宇宙人は、そうした不気味な者たちのイメージの数ある変奏のうちのひとつとして、いまでも僕の胸に記憶されている。

その後、暮らしのなかでエックス山の林をその外から見たことは決して一度や二度ではなかったが、僕はついにそのなかへ足を踏み入れることのないまま、いま住んでいる土地に移ってしまった。それは、ことによると、幼い頃のささやかな夢の記憶が、無意識のうちに、僕の足をエックス山から遠ざけつづけていたからなのかもしれない。

僕にとって、夢以外では決して訪れたことのないあのエックス山は、安吾的な意味での「ふるさと」の、いまだ空虚な中心にほかならないのだろう。僕が、発作的に思い出されたこのエックス山という名を、どうしてもここに書いてしまわずにいることができなかったのも、きっと、それゆえのことに違いない。

2016/8/15

2016年8月29日月曜日

●月曜日の一句〔マイマイ〕相子智恵



相子智恵






蜻蛉の羽に酸素の行き渡る  マイマイ

句集『宇宙開闢以降』(2016.08 マルコボ.コム)より

秋の空を悠々と飛ぶ蜻蛉。羽には酸素が満ちて、いかにも気持ちがよさそうだ。

季節によって大気中の酸素濃度が変わるわけではないだろうが、秋の空は他のどの季節の空よりも、息がしやすい感じがある。たしかに酸素が行き渡る感じ。

蒸し暑い夏の後にやってくる季節だから、その落差で余計にそう思うのだろうし、秋の空は高い…という見た目のせいもあろう。また、〈秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる〉の頃から脈々と受け継がれる文学的季節感も、もちろんある。蜻蛉の羽に酸素が行き渡る感じは、それらと感覚的につながっている。

ところで本句集は、ビッグバンから現在に至るまでの宇宙の出来事に季語を配して、壮大に遊ぶ実験作だという。多くの句に出てくる科学用語には、作者による注釈が付いている。

この句の注釈によれば、2億9千万年前の石炭紀には翼開長70cm前後のトンボが生きていたらしく、当時の酸素濃度の高さが、昆虫の巨大化と関係しているのかもしれないのだという。

掲句は注釈がなくても詩が感じられるし、注釈を読んだら読んだで、それまで感じられなかった俳味が立ち現れる。注釈を読むことで、別の時間や解釈が生まれる面白いつくりだ。

2016年8月28日日曜日

★週俳の記事募集

週俳の記事募集


小誌「週刊俳句は、読者諸氏のご執筆・ご寄稿によって成り立っています。

長短ご随意、硬軟ご随意。

お問い合わせ・寄稿はこちらまで。


※俳句作品以外をご寄稿ください(投句は受け付けておりません)。

【記事例】

句集を読む ≫過去記事

最新刊はもちろん、ある程度時間の経った句集も。

句集『××××』の一句」というスタイルも新しく始めました。句集全体についてではなく一句に焦点をあてて書いていただくスタイル。そののち句集全体に言及していただいてかまいません。

俳誌を読む ≫過去記事

俳句総合誌、結社誌、同人誌……。必ずしも網羅的に内容を紹介していただく必要はありません。ポイントを絞っての記事も。


そのほか、どんな企画も、打診いただければ幸いです。

2016年8月27日土曜日

●本日の流しっぱなし:何の記念でもなく

本日の流しっぱなし:何の記念でもなく

 ▶ (プレイボタン)をクリック










2016年8月26日金曜日

●金曜日の川柳〔川合大祐〕樋口由紀子



樋口由紀子






中八がそんなに憎いかさあ殺せ

川合大祐 (かわい・だいすけ) 1974~

川柳では(俳句もそうかもしれないが)中八を嫌う。入門書やカルチャー教室でまず指摘されるのは中八。私だって、中八を注意されたことも注意したこともある。それに対して「さあ殺せ」と啖呵を切る戦略性、まいりました。

「そんな憎いか」なら中七。「そんなに」の「に」を入れてちゃんと(?)中八に仕立てている。「に」が入って、中八にしたことによって語調に一気さが出て、迫力が増した。かなりの巧者である。やんちゃなふうに見せて、しっかりと意義を唱え本質を掴んでいる。

「憎い」「殺せ」が、いや「中八」「そんなに」「さあ」もすべての言葉がいきいきと躍動している。川柳のダンスのようで絵柄と動きが浮かんでくる。

〈ぐびゃら岳じゅじゅべき壁にびゅびゅ挑む〉〈三人で磔刑になるさみし、い〉〈れびしいと云う感情がれびしくて〉〈僕の比喩たとえば君は東大寺〉。どの句もサービス精神旺盛で川柳の可能性を実際に示した。『スロー・リバー』(2016年刊 あざみエージェント)所収。

2016年8月25日木曜日

●夜空

夜空

クーラーのきいて夜空のやうな服  飯田 晴

品川過ぎ五月の酔いは夜空渡る  森田緑郎

桐一葉電柱きはやかに夜空  波多野爽波

びわすする夜空ちかぢかありにけり  星野麥丘人

梨むくや夜空は水をふゝみをり  小川軽舟

回線はつながりました 夜空です  なかはられいこ



2016年8月24日水曜日

●水曜日の一句〔矢田鏃〕関悦史


関悦史









活断層も母の病も春の劇  矢田 鏃


国家レベルでの大災害を引き起こしかねない「活断層」と、個人や家族レベルの不幸である「母の病」、一方はまだ地震という形で顕在化してはおらず、もう一方は既に発症してしまっているらしい。

この並び方、遠くのものは曖昧に、手近なものはくっきりとという遠近法的な描き方に合致してもいるようなのだが、よく見ると遠近法を成しているのはモチーフそのものの位置だけであって、描かれ方としては「活断層」も「母の病」も同じ密度、同じタッチで画面に貼り込まれているだけのようである。

「活断層も母の病も」という無造作な並列によって、両者がいったん一般論の地平に追いやられているからなのだが、このとんとんと無造作に進む語調が「春の劇」で止められると、なぜか不意に、却ってなまなましい不安の中に引き戻される。

芝居の書割じみた「活断層も母の病も」と一見歩調を揃えているかのような「劇」によって、一句全体が、災厄や強い緊張のさなかに特有の乖離感へと収束するからである。

国家レベルのことも個人レベルのことも「劇」と観ずる心境の背後に、作者が閲してきた人生の歳月が横たわっている。ただしそれだけならば一切は夢というひとつの常識的な感慨に過ぎない。

しかし「春の劇」という、造語性を含んだ疑似季語とでもいうべき言葉の圧縮が持つ暴力性は、季語「春昼」「春興」「春愁」などの内包物を、数多の記憶と情感が重なりあっては薄れていく人生そのもののが持つ虚実皮膜性へと押し広げつつ、華やかな虚構へとまとめあげていく。

そこに不安即救済という矛盾それ自体を自己から切り離して眺めているかのような、悪意ある安らぎが現われるのである。災厄そのものが演劇的華やぎに転ずるのだ。


句集『石鏃抄』(2016.7 霧工房)所収。

2016年8月23日火曜日

〔ためしがき〕 高屋窓秋『石の門』の一句についてのメモ 福田若之

〔ためしがき〕
高屋窓秋『石の門』の一句についてのメモ

福田若之


『高屋窓秋俳句集成』(沖積舎、2002年)に収められた句集『石の門』には、次の句が載っている――

園の冬鳥をつかんで死の如く 高屋窓秋

そして、次の句形も併載されている。

園の冬鳥をつかんで死のごとく 

どちらも110頁。

ところが、『高屋窓秋全句集』(ぬ書房、1976年)に収められた句集『石の門』には、次の句形がみられる――

孤児の冬鳥をつかんで死の如く

こちらは61頁。

『俳句集成』では、単著として出版された『石の門』(酩酊社、1953年)をそのまま底本としているが、『全句集』では、それをもとに再編集が施されていることが窓秋自身による「あとがき」にも明記されている(読み比べると句の並びが全然ちがうのが分かる)。

『俳句集成』のほうでも、この句のおさめられた連作には「孤児」の句が並んでいる。とはいえ、この連作が「園にて」と題されている以上、「園」が孤児の名前だったりすることは、残念ながら、ないだろう。この連作のうちで「園」という場所がはっきり書かれているのはこの一句だけ。窓秋は、この句で「園」と書いておかないと、「園にて」というタイトルの意味がわからなくなると考えたのかもしれない。

『全句集』のほうでは、この句は「荒地にて」という連作におさめられている。この連作では、「荒地」という言葉が何度も出て来るから、この句で「園」と書く必要はない。むしろ、「荒地にて」と書かれているのに「園」というのは不自然な気さえする。「園」は、冬でも手入れされていて、枯れてはいても荒れてはいないイメージがある。窓秋は、連作の構成を考えて句を書き改めたのだと推測される。

結果的に、《孤児の冬》の句は、「孤児」が「鳥をつかんで」いると読めるようになっている。僕はこちらのほうが好きだ。

2016/8/2

2016年8月22日月曜日

●月曜日の一句〔池田澄子〕相子智恵



相子智恵






机上に蛾白し小さし生きてなし  池田澄子

句集『思ってます』(2016.07 ふらんす堂)より

机上の蛾がクローズアップされていく。白くて小さくて…と生き物を描写していって、最後にそれは死んでいる、ということがわかる。しかも死んでいる、とは書かれていなくて〈生きてなし〉なのである。

「生きていて当然」と思える中七までが、下五でざっと裏返る。生きていそうな蛾が、しかし生きていないかった。死んでいると書かれるよりも〈生きてなし〉と書かれる方が喪失感が強いような気がする。

この句集には〈死んでいて月下や居なくなれぬ蛇〉という句もあるのだが、ここでは死んだまま穴に入ることもできず、どこにも居なくなれない蛇が出てくる。死んだら居なくなる、という常識的な概念は覆される。

「生きていない」と「死んでいる」の間には確かに違いがあるが、それぞれの句の中でその言葉の働きを見れば、これらの句には通底するものがあるように思う。死ぬことは居なくなれることではなく、逆に、生きているように見えて死んでいたりする。

その裏側には、私が生きていることと、彼らが生きていないこと(死んでいること)とはいつでも入れ替わる可能性があったのに、でも私は生きて彼らを見て俳句を書いていて、彼らは死んで見られる側にいるという不条理がある気がする。それを自分に引きつけるというか、引き受けて書いてしまうところに、作者の作家性を見る。

2016年8月21日日曜日

■本日の流しっぱなし:『オルガン』まるごとプロデュース記念

本日の流しっぱなし:
『オルガン』まるごとプロデュース記念

週刊俳句・第487号

 ▶ (プレイボタン)をクリック





2016年8月20日土曜日

〔人名さん〕泳げ小錦

〔人名さん〕
泳げ小錦


泳げ小錦星降る夜を三日寝て  林 桂


参考画像

林桂句集『ことのはひらひら』(2015年1月/ふらんす堂)より。


2016年8月19日金曜日

●金曜日の川柳〔佐藤洋子〕樋口由紀子



樋口由紀子






きっぱりと言ってくれそな茄子の紺

佐藤洋子 (さとう・ようこ)

この季節に八百屋の店先でかごに盛られた茄子を見たらすぐに買ってしまう。煮ても焼いても揚げても漬けてもそのまま塩もみしても旬の茄子は美味しい。それにしてもどの茄子の艶々と見事に光っている。

その茄子を見て、きっぱりと言ってくれそうだと思った。作者は茄子の紺のようにきっぱりと言えない。言いたいことはあるけれど言えない。あるいはきっぱりと言ってほしい人を思い浮かべてのことかもしれない。どちらにせよ、だから、茄子のように心残りなどまったくない艶々の紺になれなくて、中途半端な色をしていると思ったのだ。しかし、きっぱりと言えないことなんて世の中にはわんさとある。「かもしか」(1996年刊)収録。

2016年8月18日木曜日

●罪



一隊の罪があかるし夜の原  阿部完市

手の中の檸檬の罪はまだ未決  大西泰世

すみれ野に罪あるごとく来て二人  鈴木真砂女

罪のごとホースで縛し糞尿車  田川飛旅子

何の犯罪青田の中を全速力  筑紫磐井〔*〕


〔*〕筑紫磐井『我が時代』2014年3月/実業公報社

2016年8月17日水曜日

●水曜日の一句〔鳴戸奈菜〕関悦史


関悦史









昼の月わたしの顔はこれひとつ  鳴戸奈菜


当たり前のことをわざわざ言葉にしてみせ、その違和感から句を成り立たせるという手法もあるので、この句の「わたしの顔はこれひとつ」などもそうした作り方かと見えるのだが、しかしこの句で起きていることは、単に普段意識していないことに気がとまり、それにあらためて感心しているという程度のことではなさそうで、何とも不穏さが濃厚である。

「わたしの顔はこれひとつ」とは、ただの認識や発見ではないが、かといって諦観や、あるいはこの顔ひとつをもって人生を全うする覚悟を示すといった程度のことに終始しているわけでもない。

この句のなかは、あきらかに複数の別の顔を持ち、選択しうる世界があり、そこで顔がひとつであるか否かはおそらく蓋然性の問題にすぎない。すぎないが、いかなる条件によって顔がひとつであったり複数であったりするのかの因果関係は全くわからない。この作中主体の妙にふてぶてしい居住まいは、なろうと思えば顔が複数にもなれるし、ならなくてもそれはそれでどうでもよい、そしてその因果関係は読者には感知不能という、デモーニッシュな中心性から来ている。

あるいは顔は、ひとつか複数かだけではなく、ゼロ=無となることすらあるのかもしれない。「これひとつ」ときっぱり切り出すような物言いに対し、付けられた季語は、うっすらと白く宙にかかるのみの、鮮明さを欠いた「昼の月」である。気を抜いたら見失ってしまいそうだが、もし消えてしまえば、無となった「わたしの顔」は世界全体に拡散浸透し、全てを包括しそうな不穏さがある。

注意すべきは、宙に浮く昼の月から「首」ではなく「顔」が引き出されていることだろう。斬首のイメージよりも、顔を持つ個人の単独性こそが前面に出されているのである。世界中を取り込みかねない無気味な自足の笑みはそこから発生していよう。

そもそも「昼の月」の後に切れがあるのかどうか。「昼の月」自体が「わたしの顔は」と語り出している可能性もあるのだし、あるいは人体を持った作中主体が、なぜか顔のみは「昼の月」となっているという可能性もある。何ものがこの句を語っているのかは、極めて曖昧なのだ。

単独の生と世界とが折り合いをつける波打ち際には、そうした曖昧で得体の知れぬ領域があるという洞察が、口語のような平板な言葉づかいによってあっさりと描かれている。


句集『文様』(2016.7 角川書店)所収。

2016年8月16日火曜日

〔ためしがき〕 形式について、僕が考えていること 福田若之

〔ためしがき〕
形式について、僕が考えていること

福田若之


芸術における形式主義というと、個々の作品のかたちがすべてだ、という話になりがちだ。

まず、「内容」と名指されるものがそこから取り去られる。美に意味は関係ない、と。

それを手始めに、「作者」や「社会」、「経済」、「政治」などと名指されるものがそこから取り去られる。要するに、背後にあるものたちが取り去られるのだ。美に背景や支持体は関係ない、と。 芸術は決して象徴などしないのだ、と。

だが、まず、僕は、彼らが「内容」と呼ぶことで個々の作品の「形式」から切り離そうとしているものを、まさしく、形式が形式としてかたちづくっているものとして捉えている。逆にいえば、僕は、「形式」と「内容」の区別を信じない。形式は、「内容」を含んでいるのではなく(あるいは「無内容」なのではなく)、意味する仕組み(あるいは意味しない仕組み)を備えている。

僕は、つぎに、個々のかたちが世界のうちに確かに現われていることを信じる。それは、他のものたちに包まれるようにして、そこにある。仮にこの世界と何のかかわりもない作品があったとしても、そんな作品は僕らには何のかかわりもない。なぜなら、僕らはその作品と何のかかわりもないこの世界に属しているからだ。僕らの知りうる作品は、僕らの世界にあり、そのかぎりで、周囲のあらゆるものとつながっている。作品は、そういうかたちで、世界にあるのだ。だから、形式は、むしろ、ごく自然に、作者や社会、経済、政治などと関わっているし、それらとつながったかたちをしている。かたちとしてそうだというのが肝心なところだ。ある作品の形式は、それ自体が、世界の一部であるという性質を帯びていて、世界を構成するその他あらゆる要素と、直接的であれ、間接的であれ、つながっている。

要するに、僕は、芸術について考えるうえで形式を第一に考えるのだけれど、それは、形式を、他とつながったかたちとして信頼するということだ。

けれど、僕は、たとえば社会に対して、ひとつの作品がどう働きかけることになるのかは、予想できない。僕の作品を読んだ誰かが、僕の作品について考えてうわの空で歩いていたせいで、車に轢かれるかもしれない。ハンバーグについては一言も書かれていない僕の句を読んで、どうしたわけかハンバーグを食べたくなってしまった誰かが、ハンバーグを作って実においしそうな写真をブログにあげたせいで、みんなハンバーグが食べたくなってしまい、肉の売り上げがすこしだけ上がる、とかいうことだってありうるかもしれない。そんなことまで予測することは僕にはできない。でも、そうしたことは、現にありうると僕は思う。

もちろん、予測が立たないのだから、僕は、社会や経済や政治などに対して、いま書きつつある作品を通じて、積極的に、実質的に役立つことができるなどと確信することはできない。結局のところ、僕は、ただ、自分の書きたい文字や伝えたい言葉を、使い慣れた筆記具で、なじみのメモ帳に、書くしかない。けれど、僕は、とにかく、世界におけるそういうかかわりを度外視しては、芸術において形式が至上だと主張する気にはなれない。それは、形式のうち、ほんのすこしの限られた部分しか見ていないように僕には思われてならないから。

2016/7/15

2016年8月15日月曜日

●月曜日の一句〔前田地子〕相子智恵



相子智恵






隠るるやわれ失禁の高粱畑  前田地子

句集『跫音』(2016.7 ふらんす堂)より

同じ章に〈終戦にならぬ満州月真赤〉〈背なの子の死しても歩く草朧〉〈銀漢や膝抱き眠る無蓋貨車〉という句がある。作者は満州で生まれ(〈大地より賜るわが名雪割草〉も可憐で好きな句だ)戦後の過酷な満州から、文字通り命からがら引き揚げた。

また〈独房の文机涼しインク壺も〉という句を略歴に照らせば、これは戦後十年目に中国撫順の収容所で抑留中の父に会った時の句だとわかる。

戦争は、終戦の日ですぐに終わったわけではない。その当たり前のことを改めて思い知らされる句群である。

掲句、声を詰めて高粱畑に隠れている少女。失禁するほどだから並大抵の恐怖ではない。震えが止まらないだろう。自らの震えで高粱が動いて見つからないように、それでも震えを止めようとしているのだろう。よく実った高粱の香ばしい香りと湿った尿の匂い、大地の土埃の匂いが入り混じる。

戦争という言葉が頭の中だけのものになって、空気が動けばそちらに飛びそうにも思えてくる現代、震える体、失禁という現実、一個人の肉体とともにある戦争の一句を、個人が書かずにはいられなかった一句を、錨のように読み直したいと思った。

2016年8月13日土曜日

【ネット拾読】こちらの昼はリオデジャネイロの真夜中

〔ネット拾読〕
こちらの昼はリオデジャネイロの真夜中

西原天気


増殖する俳句歳時記」がこの8月8日をもって更新終了。

http://www.longtail.co.jp/~fmmitaka/

最も有名、かつ、累計アクセス数おそらくダントツ最多の俳句関連サイトの「終わり」ですが、これからもアーイヴとして機能しつづける。ウェブサイトとして「なんらかに仕上げる/仕上がる」ことは、とても貴重。増殖してもしなくても、これからもこの「増俳」によって、誰かが句に出会うという出来事が起こりつづけるわけです。

サイト閉鎖etc、機会消失が今後もありませんように。せつに願います。


さて。

世の中はお盆休み、オリンピック佳境のなか、本日も拾い読みますね。


Kuru-Cole します。:曾呂利亭雑記
http://sorori-tei-zakki.blogspot.jp/2016/08/kuru-cole.html

アンソロジー企画。久留島元のセレクトで、
既存4冊のアンソロジーに入集していない作家を中心として、新たに「これから来る」若手の作家を紹介
とのこと。意欲的な試み。

個人が選ぶというスタイルはとてもいいと思う。収まりのいいメンツを適当に数人、編者として並べて、結果、収まりのいい俳人が並ぶよりも、しっかりと色が出るだろうし、熱意も伝わる。

アンソロジラれるとか、ジラれないとか、ちょっとモジリアニっちゃう〔*〕ところがあるけれど(とくに、ジラれなくてルサンチマンまるだしのケースは、げんなりするし、「おいおい、そんなに野暮でいいのか」と心配になってしまう)、いろいろややこしいことは抜きにして、誰かの句が読める機会が生まれる、ってのは、シンプルに良いことです。

それにこの手のものは、みんなすぐに忘れる。だから、一定頻度で新版・更新版が出たほうが、リオデジャネイんじゃないかと思うのです。


で、とつぜん1曲聴いたりします。サンバと思うでしょ? 違うんですよね。



それではこのへんで。

また、いつかお会いしましょう。


〔*〕 http://yoko575.blog.fc2.com/blog-entry-151.html
ここでの「モジリアニる」(私用)は誤用っぽい。お詫び申し上げなければいけない。

2016年8月11日木曜日

〔人名さん〕スガシカオ

〔人名さん〕
スガシカオ


アサガオノカスカナカオススガシカオ  八上桐子


週刊俳句・柳俳合同誌上句会

2016年8月10日水曜日

●水曜日の一句〔池田澄子〕関悦史


関悦史









まさか蛙になるとは尻尾なくなるとは  池田澄子


オタマジャクシ=カエルを意識や記憶のある存在として扱っている句で、その意味では擬人法と呼べるかもしれないが、その立場になりきり、オタマジャクシを内在的に経験したらこうも思うだろうということを想像して描いている点がやや特殊である。

しかしこの句は、オタマジャクシ=カエルであるということを想像的に追体験しているというだけではない。それと同時に、オタマジャクシが全く別の姿のカエルに成長してしまうことの驚異を、あくまで人の立場から観察した上で、その疎隔感を一挙に飛び越えてしまう口語調のレトリックで表現してもいるのである。

つまりこの句は、想像力によるオタマジャクシ=カエルとのアニミズム的な一体化と、ルナール『博物誌』にも通じる、人の立場からなされたアフォリズム的な言葉によるクールな考察と彫琢との、両方に通じる回路を持っている。統合と分離が同時になされているというべきか。統合と分離は、優しさと節度というふうに置きかえることも可能だろう。

このオタマジャクシからカエルへの驚異的な変態、それに近い事態が、見ている人間の側にも起きていないとは限らない。生死のなかで起こる変化をわれわれは何ほども理解できていないであろうからだ。アフォリズム的な緊張に満ちた言葉の洞察は、そうしたことをも一瞬で感じさせる。その総体をつらぬく洒脱さ。


句集『思ってます』(2016.7 ふらんす堂)所収。

2016年8月9日火曜日

〔ためしがき〕 『寒林』について書くことができないでいること 福田若之

〔ためしがき〕
『寒林』について書くことができないでいること

福田若之


髙柳克弘『寒林』(ふらんす堂、2016年)について、書こうとしたが、うまくできない。

僕は、この句集にニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』と近いものを感じずにはいられないのだが、それをうまく書くことができないのだ。それが何であれ、とにかく何かがその後に書かれることを望んでいるに違いないこの句集に対して、僕は、直接的には、せいぜいこの「ためしがき」で応えるぐらいのことしかできないと思う。

僕がこの句集をツァラトゥストラ的だと書くのは、《神は死んだプールの底の白い線》といった句が収められているからというような、単純な理由によるのではない(僕はこの一句については、むしろ、その奥に、田中裕明の《爽やかに俳句の神に愛されて》とのかかわりを見てとらずにはいられない)。

僕がうまく書くことができないでいるのは、次のようなことだ。

第一に、《花曇あさましき書を売つてをり》や《愚かなるテレビの光梅雨の家》といった句に典型的にみられる、文語の積極的な意味づけ。この句集の文語は、今日、文語が身にまとう一種の尊大さ・時代錯誤による世間から隔絶された雰囲気に自覚的である。文語は、この句集において、ツァラトゥストラ的なものを感じさせることに積極的に貢献しているのである。これらの文語は、定型に敗北した結果としての消極的な文語ではない。積極的な価値を持っているのだ。

第二に、たとえば《新宿は春ひつたくりぼつたくり》や《冬帽子森は思索を促しぬ》といった句に、ツァラトゥストラの「わたしは森を愛する。都会は住みにくい。そこには淫乱な者が多すぎる」(フリードリヒ・W・ニーチェ、『ツァラトゥストラかく語りき』、佐々木中訳、河出書房、2015年、91頁)という言葉と通じあうものを感じるということ。

第三に、これは《見る我に気づかぬ彼ら西瓜割》 に典型的に表れていることだが、語り手の特権性。「多くを見るためには、みずからを度外視することが必要だ――この苛酷さが、すべての山を登る者に必須である」(『ツァラトゥストラ』、前掲書、263頁、強調は原文では傍点)。

第四に、《人間は道に素直や揚雲雀》における「人間」という語についての考察。上昇する雲雀とニーチェにおける「超人」との関連。『寒林』には《人は鳥に生まれかはりて柿の空》の句があり、《寒林を鳥過ぎ続くもののなし》には孤高の存在を暗示するように「鳥」のモチーフが表れている。いま引用した「寒林を」の句を、「あとがき」の以下の文面との一見矛盾したつながりを意識しながら読むこと――
古人たちもこの寒林の道を歩いてきたのだろう。そしていま、私の歩んでいる道を、同じ気持ちで歩いている、同時代の若者もきっといる。未来の誰かもまた、ここを通るはずだ。
道を歩くことと空を飛ぶこと。ツァラトゥストラはこう語った――「わたしは歩くことをおぼえた。それから気の向くままに歩いている。わたしは飛ぶことをおぼえた。それから飛ぶために、ひとから背を突いてもらいたくはなくなった」(『ツァラトゥストラ』、前掲書、66頁)、「君は彼らを超えていく。だが君が高く昇るほどに、妬みの眼は君を小さい者と見る。そして、飛ぶ者が、もっとも憎悪されるのだ」(同前、107頁)、「孤独な者よ、君は創造者の道を行く」(同前、108頁)。『寒林』の書き手とツァラトゥストラは、ともに、孤独な者として、高みを目指すものであるように思う。

第五に、《桃剝ける指よ誰にもかしづくな》の「誰にもかしづくな」という命令を、ツァラトゥストラ的なものとして読むこと。「いつまでもただ弟子のままでいるのは、師に報いることにはならない」(『ツァラトゥストラ』、前掲書、132頁)、「いま諸君に命ずる。わたしを捨て、みずからを見出せ。そして君たちがみな、わたしのことなど知らぬと言うようになったときに、わたしは諸君のところに帰ってくる」(同前、132頁)。

さらに、女、友、火などのモチーフについても、『ツァラトゥストラ』との読み合わせのなかで、捉え返すことができるように思うのだが、このあたりもうまくまとまらない。

結局、問題は、『寒林』の書き手とツァラトゥストラとをこんなふうに重ね合わせて、他人事のように一篇の批評を仕立てることが、僕にはどうにも破廉恥なことに思われてならないということにあるのだろう。なぜだかうまく説明できないけれど、それは僕にはとても破廉恥なことに思われるのだ。

こうして、僕は、この句集のなかで僕がもっとも心動かされたのは、上にあげた句のどれでもなく、《わかりあへず同じ暖炉の火を見つめ》 であるという、そのことさえも、うまく書くことができないでいる。『寒林』について書くことではなく、『寒林』の後で何かを書くということが、結局はこの句集に応えることになるのだろうか。


2016/7/10

2016年8月7日日曜日

★週俳の記事募集

週俳の記事募集


小誌「週刊俳句は、読者諸氏のご執筆・ご寄稿によって成り立っています。

長短ご随意、硬軟ご随意。

お問い合わせ・寄稿はこちらまで。


※俳句作品以外をご寄稿ください(投句は受け付けておりません)。

【記事例】

句集を読む ≫過去記事

最新刊はもちろん、ある程度時間の経った句集も。

句集『××××』の一句」というスタイルも新しく始めました。句集全体についてではなく一句に焦点をあてて書いていただくスタイル。そののち句集全体に言及していただいてかまいません。

俳誌を読む ≫過去記事

俳句総合誌、結社誌、同人誌……。必ずしも網羅的に内容を紹介していただく必要はありません。ポイントを絞っての記事も。


そのほか、どんな企画も、打診いただければ幸いです。

2016年8月6日土曜日

〔ネット拾読〕昼のテレビでファームの試合(野球)を観る愉しみ 西原天気

〔ネット拾読〕
昼のテレビでファームの試合(野球)を観る愉しみ

西原天気



朝ごはんみたいに見えますが、昼でした。ひとり居の。

要は、お茶漬けが好きなのです。

(卵焼き? それくらいは自分で作れます)

さて。

八上桐子さん(週俳では柳俳合同誌上句会に参加いただきました)のブログにイベントのお知らせが。
http://kurageabuku.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-0179.html

葉ね文庫という大阪の本屋さんで、壁を使ったイベントみたいです。

ここ(私の住んでるとこ)からは遠いのですが、一度は行ってみたい本屋さん。



福田若之 〔ためしがき〕語りかけと話しかけ
http://hw02.blogspot.jp/2016/08/blog-post_2.html
語りかけるという言葉と、話しかけるという言葉とには、微妙なニュアンスの違いがある。
微妙な違いとは例えば、街を歩いていて、「あなたは神を信じますか?」とくるのが〈語りかけ〉、「お茶でもいかがですか?」が〈話しかけ〉、みたいな違いでしょうか。

俳句において〈語りかけ〉と〈話しかけ〉を微妙に区別するかというと、私はしていないようです。「煮て下さい」の場合も同様(≫参照)。「ください」が他者に向けられているのであれば(語りかける文体ではない他の俳句も、他者に、という点、同様ですが)、自分も作者の他者には違いない。それは、俳句に反応するという程度のことなのですが。

文芸におけることばが〈作者→他者〉であることはシンプルに自明として、読者たる自分を〈他者〉のひとりとするか、〈作者→他者〉を眺めている別の人とするかの違いといえるかもしれません(福田若之は後者)。

でも、これ、そんなに単純ではなくて、例えば、フランク・シナトラがラヴソングを歌うのを聴いて、自分をどこに置くか、女性と男性で大きく違ってきそうです。

ややこしいですね。

《寂しいと言い私を蔦にせよ》(神野紗希)という句に、「了解!」(あるいは「遠慮しておきます」)と、誰もが反応するかというと、どうもそうではないようだから、福田若之の「僕は俳句によって話しかけられたと感じることはほとんどない」という無反応のほうがフツーなのかもしれないです。



リオ五輪開幕。ということで、サンバなどを聴きたくなる人も多いはず。

高橋芳朗 定番ブラジルソング『Tristeza』特集

TBSラジオのこの番組を聴かなかった人も、この記事に「書き起こし」、そして YouTube まで貼ってあるので、超便利。

『Tristeza』は英語タイトル『Goodbye Sadness』。この番組のラインナップに加えるとしたら、アストラッド・ジルベルト。


音楽は、ひとつの曲をいろいろなパフォーマンス(歌・演奏)で展開できる(カヴァーヴァージョンてやつですね)から、いいですね。愉しい。

俳句もそういうふうにできればいいのに、と、いつも思います。類想・類句だとか、独自性を競うだとか、なんだか窮屈な世界です(文芸一般、そうか)。

もっとも、岸本尚毅のように、季題というメロディー(テーマ)をおのおの演奏するのが俳句、という捉え方も、あるには、あります。風通しがいい考え方ですが、季題に限られるなら、別の窮屈も生じたりしますけれど。


西川火尖 俳句プラモデル説

俳句作者人口>読者読者人口な状況を喩えるに、趣味の園芸でも手芸でもなんでもいいんでしょうけれど。

まずは作者になった上で、その気があれば読者になったらいい」という点、これまでの俳句普及法と同じ。

俳句が「読まれない」状況が大きく変わることはなさそうです。

いちおう、『週刊俳句』は、「俳句を読みましょう」という趣旨でスタートし、更新をつづけているので、ちょっと残念な未来ではあります。

ところで、俳句がお金になる・ならないの話をする人は多いのですが(上記記事に限らず)、まず、自分が、この一年、どのくらい句集にお金を払ったか、総計してみるところから話を始めてはいかがでしょう?


今回はそんなところで、またいつかお会いしましょう。

2016年8月5日金曜日

●金曜日の川柳〔瀧村小奈生〕樋口由紀子



樋口由紀子






捨てられた靴のサイズは二十八

瀧村小奈生 (たきむら・こなお)

意外なところに意外なものがあれば驚きである。「捨てられた」だからゴミ集積所だろうか。たぶん履きつぶされている。使い古された靴ほど惨めなものはない。新品のときとはまったく違った様相になる。が、作者がびっくりしたのはそのサイズ。大きい。どんな人がこの靴を履いていたのかと思ったのだろう。

私事だが、息子の靴のサイズは二十八。それも小学六年の時から。だから、玄関に脱ぎ捨てられる(きちんと揃えない)でっかい靴に長年ほとほとうんざりしている。そして、二十八の靴を捨て続けてきた。びっくりさせていたのだ。

今ではわりとどこでも二十八の靴は買えるが、当時は、それも子ども用の、たとえば上履きなどはほとんどなく、探すのに苦労した。掲句を読んで、そんなことを思い出した。「川柳カード」第12号(2016年刊)収録。

2016年8月4日木曜日

●河口

河口

三月の暴力的な河口に立ち  楢崎進弘

やどり木に春の潮満つ河口かな  安東次男

桐の花河口に眠りまた目覚めて  金子兜太

桃が歯に沁みて河口のひろびろと  岸本尚毅

鴨の布陣河口どこから昏れてもよし  加倉井秋を

2016年8月3日水曜日

●水曜日の一句〔前田地子〕関悦史


関悦史









わが雛を盗(と)る纏足女(てんそくじょ)つどひ来て  前田地子


この句が収められた句集『跫音』には小澤實の帯文がついていて、そこでこの句の成立事情が明かされているのだが、これは幻想句ではなく、敗戦後の旧満州で作者が実際に体験したことなのだという。

いきなりパラテクスト(この場合は帯文)に言及して読解の根拠とするのも、あまり望ましい対応ではないのかもしれないのだが、この句は今のところ俳壇周知の有名句といったものにはまだなっていないことでもあり、基礎的な情報としては必要だろう。

纏足された中国人女性は、普通の歩行は困難となる。よちよち歩きで迫ってきたのではないか。「纏足女」という詰めた呼び方が妖怪の類のようでもあり、それが大勢集まって、語り手の深い思い入れのこもった品なのであろう雛人形を奪いにくる。一方的な上にあまりにも怪異な災厄であり、「纏足女」たちに人格的に共鳴し得る余地はほとんどない。

ただし財貨としてはさほどの価値があるとは思えない雛人形に興味を示している点では「纏足女」たちは女性性をあらわにしている。そしてそのことと纏足の異形や悪意とのアンバランスさが、なおのことおぞましさをそそる。

纏足は先天的な奇形ではない。雛人形とはおよそ異なる生身の人体改変であるとはいえ、いわば女身であることを際立たせるための、文化的洗練のきわみなのである。敗戦というカタストロフ(と限定しなくても必ずしもよいのだが)の中でぶつかり来る、異文化を体現する「女」たち。

この満州からの引揚げの苦労話としては、およそ読者の想定外である鮮烈なイメージは、読み下した途端に、象徴へと凝固する。その背後に、心が破壊され、体が変形する広大な地獄が広がるのである。


句集『跫音』(2016.7 ふらんす堂)所収。


2016年8月2日火曜日

〔ためしがき〕 語りかけと話しかけ 福田若之

〔ためしがき〕
語りかけと話しかけ

福田若之

語りかけるという言葉と、話しかけるという言葉とには、微妙なニュアンスの違いがある。

僕は、ほとんどの俳句を、語りかけとして受け止める。僕は俳句によって話しかけられたと感じることはほとんどない(さびしい)。

茅舎の《約束の寒の土筆を煮て下さい》には、 僕には身に覚えのない約束のことが書かれている。問題は、僕がこの約束について何ら思い出せないことにある。きっと、捏造された記憶でもよかったのだろう、何か思い出すことができれば、僕はきっと、この句に話しかけられたと感じることができたはずだ。けれど、僕にはそれができない。だから、茅舎がこの句の言葉で話しかけている相手は、僕ではないと感じる。僕が読むかぎり、この句は誤配された手紙なのだ。しかるべき誰かが読むなら、あるいは……。

いずれにせよ、この音信が僕のもとに訪れたことは、何らかの手違いによるとしか思われない。だから、僕は寒の土筆を煮る立場にはないと思う。もちろん、僕も、この書き手がしかるべき誰かに約束どおり寒の土筆を煮てもらえることを祈るけれど、彼に対して僕にできることはそれだけだ。それでも、この句は、僕に向けて多くのことを物語っている。たとえば、この手紙を書いたひとの姿を、僕は、ありありと思い浮かべることができる。僕はこの句に語りかけられていると感じる。

2016/7/2

2016年8月1日月曜日

●月曜日の一句〔小島健〕相子智恵



相子智恵






直立の八月またも来りけり  小島 健

自注現代俳句シリーズ12期(1)『小島健集』(2016.07 俳人協会)より

今年も八月が始まった。〈直立〉が重い。

本書は自注句集で、一句ごとに作者による解説が付いている。自注句集は、一句と注釈とが面白い取り合わせになっていて読ませるものもあるが、正直、俳句だけを味わっていた方がよかったと思うこともしばしばだ。

本書は作者がその難しさを理解し、苦心しながら書いており、長いものは三行使って書かれているのに、注釈を書きたくない句に関しては、ひとことで終わったりしている。

掲句もそういう句なのだろう。ひとこと「八月への思い。」だけで終わっている。何かを解説しているようで具体的には何も言っていない。この鑑賞も、くどくど書かずに作者のひとことを紹介するだけでよい気がしてきたので、これで終わることにする。