2016年8月30日火曜日

〔ためしがき〕 エックス山をめぐる思い出のあとさき 福田若之

〔ためしがき〕
エックス山をめぐる思い出のあとさき

福田若之


僕の育った東京都の国分寺市にはエックス山と呼ばれる林がある。故意に名前を伏せているわけではない。そこは、地元の人たちによって、元来、「エックス山」という通称で親しまれてきた場所なのである。

この極めて印象的な地名は、かつて、この林が今よりもずっと広かった頃に、二本の道がそこで交差していたことに由来するらしい。今日、僕たちは、ほんのすこし調べるだけで、こうしたことをすぐに知ることができてしまう。けれど、1990年代を自らの幼年期として過ごした僕にとって、この土地の名に冠せられた「エックス」は、たとえば当時流行した海外ドラマ『X-ファイル』のXであり、当時放送されていたバラエティ番組『特命リサーチ200X』のXであり、水底に溜まったヘドロをベトベターというポケモンに変化させるという月からのX線のXであり、要するに、SF的宇宙における僕らにとっての未知数を示すための、あの近くて遠い記号に他ならなかったのだ。

近くて遠いというのは、記号だけのことではない。エックス山が地理的にみて市内のほぼ中心にあるのに対して、当時の僕の家は西のはずれの方にあった。エックス山にもっとも近い駅は東西に走る中央線と南北に走る武蔵野線とがちょうど十字に交わる西国分寺駅なのだが、これは市の東側に位置する国分寺駅から見てひとつ西の駅であるからそう名付けられたというだけであって、地理的には、むしろ、西国分寺駅のほうが市の中心に近い。僕の家の最寄り駅がそのさらにひとつ西の先にある国立駅だったと書けば、僕の家からエックス山までのおおよその距離は伝わるだろう。エックス山は、まだ自転車に乗れなかった幼い頃の僕にとって、まさしく、近くて遠い場所だったのである。

近くて遠いというのにはもうひとつ理由があって、それは、国分寺駅から西武国分寺線に乗り換えて北西に向かって一駅乗ったところに、母方の実家があることに関わっている。母方の実家とエックス山との距離については、その最寄り駅の名は恋ヶ窪であるということと、エックス山の現在の正式名称は西恋ヶ窪緑地であるということとを書いておけば、これもおおよそは伝わるだろう。エックス山の名を初めて聞いたのは、母からだった。母にとっては、エックス山は子どもの頃の遊び場のひとつであり、身近な場所に他ならなかったのだ。だが、僕にとっては、学区から離れて存在するその「山」は、遊び場とするにはあまりにも遠く、いま住んでいる土地に移り住むまで、ついに未踏の土地でありつづけた。そこまで行かずとも、雑木林なら家の近くにいくつもあった。たとえば、僕が木漏れ日に照らされながら樹液を舐めるあおかなぶんの姿を深く記憶にとどめたのも、家にほど近いそうした雑木林のひとつにおいてだった。エックス山は母を通して僕に近しい土地でありながらも、僕自身にとっては遠い場所でありつづけた。

さらに、これは『X-ファイル』などの例からも推察されることだろうが、幼い頃の僕にとって、エックス山という地名は、そこに恐ろしい何かが潜んでいる可能性を暗示するものだった。僕にとって、エックス山は、たしかに、わずかにであれば『E.T.』的な幸福な夢想を伴わないこともなかったが、やはり、おおむねのところは、身近にある「エリア51」に他ならなかったのだ。僕は、夜ごとエックス山に飛来する円盤状の発光体をひとり想像し、恐れた。もし一度でもやつらを見てしまったら、どこか遠い星に連れていかれて、二度と還ってくることはできないだろう。子どもの頃の僕は無数の不気味な者たちによって別の世界へ攫われそうになるという悪夢をよく見たものだったけれど、エックス山の宇宙人は、そうした不気味な者たちのイメージの数ある変奏のうちのひとつとして、いまでも僕の胸に記憶されている。

その後、暮らしのなかでエックス山の林をその外から見たことは決して一度や二度ではなかったが、僕はついにそのなかへ足を踏み入れることのないまま、いま住んでいる土地に移ってしまった。それは、ことによると、幼い頃のささやかな夢の記憶が、無意識のうちに、僕の足をエックス山から遠ざけつづけていたからなのかもしれない。

僕にとって、夢以外では決して訪れたことのないあのエックス山は、安吾的な意味での「ふるさと」の、いまだ空虚な中心にほかならないのだろう。僕が、発作的に思い出されたこのエックス山という名を、どうしてもここに書いてしまわずにいることができなかったのも、きっと、それゆえのことに違いない。

2016/8/15

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