2016年9月7日水曜日

●水曜日の一句〔四ッ谷龍〕関悦史


関悦史









谷山の予想の隅に咲くおがたま  四ッ谷龍


句集『夢想の大地におがたまの花が降る』では、この句の周辺に「おがたま」と数学用語とを合わせた句が幾つか並んでいるのだが、「多面体」や「互いに素」はまだしも、まさか「谷山・志村予想」まで俳句になるとは思わなかった。

「谷山・志村予想」は、これを証明することが、360年間解かれずにいた難問「フェルマーの最終定理」の証明に直結するとわかったことから近年急に有名になった予想(現在は証明されてしまったので定理)である。

この「谷山・志村予想」と「フェルマーの最終定理」の関係については、句の鑑賞にさほど関係なさそうな上、筆者の手に余るので概説は省く。ただ見かけのシンプルさのせいもあってか、骨董品的な趣味的・局所的課題と思われていた「フェルマーの最終定理」が、ワイルズによって「谷山・志村予想」と結びつけられ、証明される過程で、思いのほか大がかりな数学的大工事となり、あたりに波及したということは、意識にとどめておきたい。

「谷山・志村予想」とはどういうものかについては、「MATH PDF」というサイトの説明が使いやすそうなので、そこから引いてみよう。
《「有理数体上の楕円曲線はモジュラー関数(modular function)で一意化(uniformization)される」という命題が,谷山・志村予想と呼ばれているものです》
《円の方程式 x2+y2=1 は x=cos t, y=sin t とパラメータ表示され,tを実数の範囲で動かすと円上のすべての点が得られますが,このことを円が三角関数で一意化されるといいます.楕円曲線とモジュラー関数についても同様のことが成り立つというのが上の命題の意味です》
いずれにせよ素人にはイメージがつかみにくいことこの上ないが、ここはさしあたり「楕円曲線」の「すべての点が得られ」るというところだけ押さえればよい。数学的に構想(または抽出)され得る「すべての点」とは、句集タイトルの「夢想の大地」そのものの謂にほかならないからだ。この「夢想」は単なる空想とは少々異なるのである。

そしてそのことは同時にモクレン科の神木「おがたま」が、なぜ谷山の予想の「外」でもなければ「中」でもなく、「隅」に咲かなければならないかの答えともなる。ある定理内に限定されてのこととはいえ、「すべての点」=「夢想の大地」には全領域性とでも呼ぶべきものがあり、それを潰してしまう「外」が選択されることはまずあり得ないのだ。

そしてこの句に取り入れられた数学用語が「フェルマーの最終定理」でもなければ、同じものを指しながら呼び方の一定しない「谷山・志村予想」「谷山・志村・ヴェイユ予想」「谷山・ヴェイユ予想」「ヴェイユ予想」のいずれでもなく、「谷山の予想」という、単語ではなく、展開された言い方によって谷山豊のみに帰属させられていることから、句にはひそかに「夭折(自殺)した天才」という主題も忍び込むことになるのである。谷山豊はこの予想の発表後、31歳で原因不明の自殺を遂げているのだ。婚約者もその後を追った。

神木「おがたま」は、その谷山豊が構想した領域の「中」にあらねばならないが、しかしその中央を制するのではなく、谷山豊への鎮魂にも似た何かと、「夢想の大地」を通じた汎世界性の明るみへの通路を兼ねるようにして、あくまでも「隅」に咲かなければならないのである。


『夢想の大地におがたまの花が降る』(2016.9 書肆山田)所収。

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