2016年12月28日水曜日

●水曜日の一句〔岡村知昭〕関悦史


関悦史









ヒトラーの忌に頼まれて然るべく  岡村知昭


死んでゆく者から何ごとかを託されたら、それを反故にできる者はあまりいない。縁があろうがあるまいが、それは神からの召命にも似た道徳的・超越的強制力を帯びることになるからである。その強制力をもって、当人には何の動機もないまま物語を起動させることができるので、小説などのプロットにもこの依頼・代行のテーマはよく使われる。

この句の場合は、ヒトラー当人から頼まれたわけではない(「ヒトラーの忌」には当人はもういない)。しかし意向としてはヒトラーのそれを受け継いでいる。実質、死者からの依頼と同じこととなる。同じ死者からの依頼であっても「終戦の日」「敗戦の日」であれば戦災犠牲者の意向を継ぐことになるが、この句はそうではない。もちろん実際にはおよそあり得ないことである。

この句は、無自覚にファシズムに呑み込まれる危険を描いているわけではない。相手がヒトラーであることはわかっており、「然るべく」はもはやその着実な積極的遂行への意志を示している。

では道徳的・超越的強制力がかえって悪への一歩を踏み出させてしまう機微を描いているのかといえば、そういうわけでもない。

この句は、その語り手が作者に近い普通の暮らしを営む日本人であればおよそあり得ない、ヒトラーからの召命による選抜という妙な事態のみを描いているのである。ヒトラーがいわば唐突にトーテムとなって寄り添い、語り手はその威光を帯びた自分となるのだ。

この句はそうした、いわゆる中二病的な誇大妄想からその熱狂を差し引いた、妄想の極薄の痕跡だけを言葉で掬い取った句であり、そうなるためには依頼する主体は善良なものであってはならなかったのである。


句集『然るべく』(2016.11 人間社・草原詩社)所収。

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