2017年2月1日水曜日

●水曜日の一句〔黒澤あき緒〕関悦史


関悦史









ガムシロップめらめら沈む晩夏かな  黒澤あき緒


日野草城の有名句に《ところてん煙のごとく沈みをり》がある。水気のなかへ沈む飲食物を火気の喩えであらわしている点は共通するが、「沈みをり」の静に対して「めらめら沈む」の動、「煙のごとく」の直喩に対して、「めらめら(と燃え上がるように)沈む」の暗喩と、随所に違いがある。何より「ところてん」と「ガムシロップ」では、固体か液体かが異なる。そして句全体の狙いとしても「ところてん」が一物の写生に徹しているのに対し、「ガムシロップ」は「晩夏かな」に開けていく。

元より類句には当たらないのだが、草城の句との違いを拾うと、この句の特質が自然に浮き上がってくる。

アイスコーヒーかアイスティーに流し入れられたガムシロップが沈降していくさまは目を引くものだし、その重量感や抵抗感は、グラスのなかの冷たい天地に情念そのものの如く不規則な動きを繰り広げる。球体をひっくり返すとなかに雪が降るスノードームに似た、玩具的な誘目性と完結感があるのだ。「めらめら沈む」という上下が逆転したような表現は、そうした質感をよくとらえている。

下五「晩夏かな」は、どっしりとその一切を受けとめる。「めらめら沈む」がこの一夏を送りつつある憤怒にも似た何らかの感慨を担っているようにも見えるが、一句はそうした重苦しい情念性には何ら収束することなく、ただ「晩夏」を体現する「ガムシロップ」の透明な流動を起ちあがらせるのみ。

この句の涼しさは、必ずしも材料からだけ来ているわけではなく、「晩夏」を担いつつもすぐ飲み干されてしまうはずのたかだか「ガムシロップ」が、人間と無関係な物質の相を不意に見せたことから来ているのだ。


句集『5コース』(2017.1 邑書林)所収。

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