2017年5月1日月曜日

●月曜日の一句〔関悦史〕相子智恵



相子智恵






挽肉のパックに「兵」の字や暮春  関悦史

句集『花咲く機械状独身者たちの活造り』(港の人 2017.02)

春も終わりに近づく、ちょうど今時分のスーパーでの買い物。ハンバーグや餃子でも作るのか、ゆったりとした気分で挽肉のパックに手を伸ばす。その平和な風景と地続きにある「兵」の文字のクローズアップによって、日常がいきなり暗転する。

実際には兵庫県とか、産地や加工地が書いてあったのかもしれない。けれどもその中の「兵」の文字だけが句の中で切り取られることは、やはり戦場で粉々に砕かれた兵士の肉体を思わずにいられないのである。

ここで実はひたひたと怖ろしく思われるのは〈挽肉のパックに「兵」の字や〉という中七までで、かなりぎょっとする展開を見せながら、〈暮春〉で、またすぐに駘蕩たる気分に戻ることかもしれない、とも思う。〈「兵」の字〉は、本物の兵ではなく、値札シールに書かれた「情報」だ。一瞬のうちに、兵士の肉体が飛び散るむごさは通過していってしまう。その「他人事(ひとごと)感」を突き付けられてしまうのである。私たちはテレビで日々紛争のニュースを見ながら、それでも一方では温かい晩御飯を食べる、それが日常化しているように。

〈スクール水着踏み戦争が上がり込む〉や、〈「プラチナ買います」てふ店舗被曝の雨に冷ゆ〉の原発事故の帰還困難区域の句。これらの〈スクール水着〉や〈プラチナ買います〉という現代的な薄っぺらい言葉(情報)も、それは記号的に何かを象徴するものでありながら、そのまま私たちの日常生活におけるリアルな皮膚感覚である。現代では肉体と情報は絡み合っていて、引き離せないところまで来ている。情報は肉体化し、肉体は情報化する。

この句集に収録された1402句という膨大な句を読みながら、作者は現代のシャーマンのようだと思う。情報が、彼の元に寄ってくる。それは肉体が寄ってくるのと、現代では不可分だ。情報の痛み(それは肉体の痛みでもある)たちは、それを感受してくれる彼の元にやってくる。忘れっぽく麻痺しやすい私たちの日常に、詩として降りてくるために。

肉体と情報が絡み合う現代のリアルを描ける得難い俳句作家を、私たちは得ているのだと改めて思う。現代における写生を実践する作家、ともいえるのかもしれない。

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