2017年6月28日水曜日

●水曜日の一句〔若林波留美〕関悦史


関悦史









光速を超えしさびしさ月夜茸  若林波留美


光速を超える物質は存在しないということに、今のところなっているらしい。数年前に光速を超えるニュートリノが観測されたとの実験結果が報じられたことがあったが誤りだった。

なのでこの句の「光速を超えしさびしさ」は、字義通りに取れば、現実を超えたところで初めて味わい得る感情ということになる。

いや、常識的に取れば《月夜茸には光速を超えたようなさびしさが感じられる》といった句意となるのだろう。発光する毒茸に対し、「光速」と「さびしさ」はそれぞれ《光》と《人への拒絶》という共通性を通じて連想が及び、しかしイメージとしては詩的な飛躍をもたらしている。月夜茸が宇宙を越えて飛来した生物のようにも見えてくるのだ。

だがそれにしても、「光速を超えしさびしさ」とは、孤立しているには違いないとしても、それは陶然たる自足に近い。その自足が発光をもたらすのだろうか。

あえて比喩的にではなく取った場合、光速を超えたのは「月夜茸」か、それともそれを見ている語り手かといった設問はおそらく無意味で、「光速を超えしさびしさ」はその両者が一瞬のうちに果たした邂逅と理解のうちに共有されている。地球の生命の起源は宇宙からの飛来物という説もあることを思いあわせれば、「月夜茸」とわれわれの間に大差はなく、別々の姿を取るにいたっているとはいえ、どちらも同根の、宇宙のなかの一現象と見えてくる。「光速を超えしさびしさ」とは、全ての生命を産み出すマトリックスなのだろう。


句集『霜柱』(2017.5 東京四季出版)所収。

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