2017年11月23日木曜日

●木曜日の談林〔松尾芭蕉〕黒岩徳将



黒岩徳将







山の姿蚤が茶臼の覆ひかな 芭蕉

『蕉翁全伝』所収。

談林の全盛期は延宝時代(1673〜1681)と言われている。これと芭蕉の年表を重ね合わせると、直前の寛文十二年に俳諧発句合『貝おほひ』を上野天満宮に奉納してから、江戸に下っている。延宝3年に初めて「桃青」の号を使う。掲句は延宝4年の句。

茶臼は、茶の葉をひいて抹茶とするのに使う石臼のことである。上部が円柱形で下部が台の形になっているので山に似ている。富士の形はその茶臼に覆いをかぶせた様に見立てたことはたやすく確定できるが、問題は「蚤」である。「蚤が茶臼」とは、「蚤が茶臼を背負うことで、不可能で分不相応の望みを持つ」という意味の諺。当時の俗謡に「蚤が茶臼を背たら負うて、背たら負うて、富士のお山をちょいと越えた」とあるものを踏まえたものでもある。背負っている蚤までを芭蕉は見せたかったのか、それとも諺や謡曲を踏まえているということだけを念頭に置いてほしかったのか。

富士の山蚤が茶臼の覆かな

また、『銭龍賦』(1705、高野百里編)には、このように記されている。内容はそれほど変わらないが、「山の姿」で字余りにするのと「富士の山」でおさめるのとでは富士の迫り方が違ってくるように思われる。

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