2024年5月17日金曜日

●金曜日の川柳〔須崎豆秋〕樋口由紀子



樋口由紀子





阿保なこと云うてしもうて淋しけれ

須崎豆秋(すざき・とうしゅう)1892~1961

捻挫をした。もう一月近く経つのにまだ痛みは残っている。旅行中に偶然満開の桜に出会い、もっと見ようと欲張ってスーツケース片手に堤防を上った。そのときに足を挫いた。自分のあさはかな行動が腹立たしく、哀しくなった。

掲句は「淋しけれ」。哀しいとは含意が違う。悔やんでも悔やみきれない痛恨のミスの核心を突く。まして相手が存在する。何を云ったのかは書かれていないが、意に反することだったのか、それとも正直すぎることだったのか。思慮の無さや判断力の甘さが頭をもたげて、すべてのものから置きざりにされているような気持ちになって、この上なく淋しいのだろう。『ふるさと』(1985年刊 川柳塔社)所収。

2024年5月13日月曜日

●月曜日の一句〔中嶋鬼谷〕相子智恵



相子智恵






汚職・邪宗・病む国に立つ黴煙  中嶋鬼谷

句集『第四楽章』(2024.2 ふらんす堂)所収

ストレートな句だ。今の日本に住んでいれば、説明は要らないだろう。あとがきから少し引こう。

〈俳句の世界は概ね平和であり、この国の社会や世界で何が起ころうが関わりを持たないことを俳人の「心得」とするような風潮がある。しかし、そうした「心得」を持った俳人達が、先の大戦中には、最も思想的で最も政治的な「日本文学報国会」に雪崩れを打って参加していったのであった〉

季語は〈黴煙〉である。季語をこういう形で働かせることを嫌がる向きもあるかもしれないが、そんな人々に対しては、上記のあとがきこそが、氏の答えだ。とはいえ、こういう句にどんな季語を選ぶかは難しい。〈黴煙〉ではなく黴が生えた状態、つまり目に見える黴を描くこともできたのだ。

しかし、黴くささと胞子の気配が満ちているものの、実際にはっきりとは目に見えない〈黴煙〉という季語の選択によって、直球の上五、中七が生きるのではないかと思った。「何となくの空気」として、もやもやと立ち上ってはいても、全貌が見えてこない気味の悪い後味が残るのである。

 

2024年5月11日土曜日

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2024年5月10日金曜日

●金曜日の川柳〔月波与生〕樋口由紀子



樋口由紀子





羽根生えるまでははんぺんらしくする

月波与生(つきなみ・よじょう)

関西人なので「はんぺん」はあまり食べない。一度おでんにはんぺんを入れたら、他の練り物を圧倒するほどの、そのあまりの場所取りの、膨れ上がり方にびっくりした。その割には味はいたって淡白。見た目よりはおとなしい食べ物だと思った。

「はんぺんらしく」だから「はんぺん」なのだろうか。それとも別のなにものかがなのか。「はんぺん」ならいつまで経っても羽根は生えないはずだが、人の見方はひとりひとり違う。ここから飛び立つためのそのときまで、飛び立とうなどとは考えていないふりをして、鍋の底におとなしく沈んでいるのだろう。たしかな独自の毒がある。『ライムライト』(2024年刊 満天の星)所収。

2024年5月9日木曜日

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2024年4月30日/KADOKAWA

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