2025年3月10日月曜日

●月曜日の一句〔橋本小たか〕相子智恵



相子智恵






涅槃図の下半分を廊下より  橋本小たか

句集『鋏』(2024.8 青磁社)所収

想像力がうまく活かされた句である。

涅槃図の下半分が、廊下から見えている……ということは、上半分が見えていないということだから、廊下と部屋を隔てているのは雪見障子なのではないかと想像されてくる。そこから、寺院の様子が目に浮かんでくるのである。

下半分ということは、きっと泣いている人々や動物たちは見えているものの、お釈迦さまは見えてはいないだろう。そこにどこか俳味も感じられてくる。

桃の日のふつくら閉まる海苔の缶

春の句からもう一句。この句も好きな句だ。円筒形の海苔の缶を想像した。茶筒もそうだが、海苔の缶は湿気を防ぐためにきっちりふたが閉まるように作られているから、締める時、中の空気の抵抗を感じる。確かに〈ふつくら閉まる〉だなあ、と思う。

取り合わせの〈桃の日〉がめでたくて、春の息吹が〈ふっくら〉感じられてくる季節でもあり、よく響き合う。雛祭りにお寿司を作ったのかな、という想像もされてくる。こちらも想像力をよく活かした句だ。

 

2025年3月7日金曜日

●金曜日の川柳〔芳賀博子〕西原天気



西原天気

※樋口由紀子さんオヤスミにつき代打。



ハイヒールマラソン ライバルは何処へ  芳賀博子

走りにくくて、記録も出ないし、転倒する選手も続出するだろう。と思うそれ以前に、ずいぶんとうるさいはず。何十足かのハイヒールがものすごい音とともに大通りを通り過ぎるのは、壮観であると同時に騒音だ(しょうもなく音韻を揃えてみました)。

この《ライバル》は競技上のみならず、広く生き方の好敵手っぽい。なにせ《ハイヒールマラソン》などというケッタイなものに参加するほどの人なのだから。

と、ここまで妄想を綴ったところで、ひょっとして実際に存在するのではないか、と思い立ち、インターネット検索(安易)してみると、2024年10月13日のシカゴマラソンにハイヒールを履いて走った男性(35歳)の記事が見つかった。ただし、これは、ハイヒールマラソン、ハイヒールマラソンとは違う。

ハイヒールが象徴するジェンダーその他の社会的概念、はたまたフェティシズムにはあえて触れないが、なんだか、強烈に20世紀的な事物だとは思っているのです。

 銀座明るし針の踵で歩かねば 八木三日女(1963年)

2025年3月3日月曜日

●月曜日の一句〔中村和弘〕相子智恵



相子智恵






パイプ椅子耀く下に蝶死せり  中村和弘

句集『荊棘』(2024.11 ふらんす堂)所収

〈耀く〉とあるので、一脚というよりは複数のパイプ椅子の脚が重ねられているところを想像した。体育館の倉庫などにパイプ椅子が畳まれ、重ねられているような場面だ。高い窓から差し込む光。輝く椅子。その下には死んだ蝶。蝶はパイプ椅子を片づける時に圧されて死んだのか、それともパイプ椅子の陰に紛れ込んで、その命を終えたのかもしれない。

蝶を美しい季語、耀くものとして描くのではなく、美しいのは人工物のパイプ椅子が跳ね返す光であって、蝶は無残にも死んでいる。羽も粉々になっているかもしれない。その対比が何とも切なくぞっとする。

『荊棘』は、生物の生死が濃く描かれた句集だ。特に魚類の句が多いように思った。そのどれもが力強く、悲しい。

ごみ鯰濡らしておけば生きておる

鱶吊られどどと夏潮垂らしけり

海底に白き蟹群れ良夜かな

人間もまた、生物として。

人間の影こそ荊棘夜の秋

大寒のモダンバレエの肋かな

汚さ、寒々しさ、悲しみを、まっすぐに描き切る。

 

2025年2月28日金曜日

●金曜日の川柳〔兵頭全郎〕樋口由紀子



樋口由紀子





白騎士でよかった引っ越しが終わる

兵頭全郎(ひょうどう・ぜんろう)1969~

そもそも「白騎士」でなにがよかったのかさっぱりわからない。「で」がやっかいで、意識的にいたずらに読み手を路頭に迷わす。引っ越しが終わるという一つの成果を謳歌しているようでもある。タイプの異なる空間と時間の流れを独自の定義で一度に見せる。

兵頭全郎の川柳はいつも少し変わっていて、さまざまな意匠を凝らす。難しい言葉を使っているわけでもなく、内容もさっぱりしているのだが、文脈の組み合わせがヘンで、違和感をあえて残す。川柳は説明しすぎるとよく言われているが、彼の川柳は説明することで余計にわけがわからなくなるというからくりを見せる。書かれていないことをいかに読むかではなく、書かれていないことは無理して探さないでほしいと言われているような気がする。『白騎士』(2025年刊 私家本工房)所収。

2025年2月26日水曜日

西鶴ざんまい #75 浅沼璞


西鶴ざんまい #75
 
浅沼璞
 

師恩しる枕に替る薬鍋     打越
 願ひに秋の氷取り行く    前句
吉野帋さくら細工に栬させ   付句(通算57句目)
『西鶴独吟百韻自註絵巻』(1692年頃)

【付句】三ノ折・表7句目。 栬(もみぢ)=秋。 吉野帋(よしのがみ)=奈良吉野産の和紙(楮)。  さくら細工=「作り花」と記せば雑の正花だが、次の定座は三ノ折・裏なので、「さくら細工」と記して非正花にしたか。また「細工」と「魔法」(53句目)は同趣向だが、三句去りで許容範囲か。

【句意】吉野紙の桜の作り花(造花)を、紅葉させる。

【付け・転じ】前句の世にもまれな秋の願望を受け、さくら細工を紅葉させた。

【自註】此の付けかたは、前句に世にまれなる物を爰に請けて、作り花にして、春を秋に見せし也。近年は物の名人細工(めいじんざいく)出来て、*銀魚を金魚に照らし、鯉に紋所を付け、両頭の亀、**山の芋のうなぎになる事も其のまゝに、作り物ぞかし。
*銀魚=色の白い金魚。  **山の芋のうなぎになる=あり得ないことも名人の細工では可能だという諺。

【意訳】ここでの付け方は、前句の世に珍しい物(秋の氷)を受けて、手作りの造花によって春を秋にしてみせたのである。近ごろは細工の名人が現れ出て、白い金魚を紅くして照り輝かし、鯉に紋所のような模様を浮きだたせ、頭が二つある亀、「山の芋のうなぎになる」という諺もそのままに、作り物とする。

【三工程】
(前句)願ひに秋の氷取り行く

  世にもまれなる造花とて細工して 〔見込〕
     ↓
  名人の作り花とて秋にみせ    〔趣向〕
     ↓
  吉野帋さくら細工に栬させ    〔句作〕

前句の世にもまれな物への願望を名人細工の造花に託し〔見込〕、〈どのような名人芸なのか〉と問うて、春の作り花を秋に変化させてみせるとし〔趣向〕、「吉野紙の桜細工」を紅葉させると具体化した〔句作〕。

【先行研究】=*疎句の認識
①    付け方は自註に明らかで、「氷取行」の部分は無視して、「願ひ」と「秋」に対応、具体化した疎句付。(加藤定彦『連歌集 俳諧集』小学館、2001年)
②    前句(56句目)では「世にまれ」であった物が、付句(57)では「作り物」として世に出回っているという対比のなされている点が注目される。(中略)故事を背景にしたいわば人の〈実〉に近い行為を示す前句(56)と、当代の人々のさかしい俗なる行為を映した付句(57)とは、それぞれうまく照応し、この疎の付合を成立させている。(中略)「雪の笋」が現実にあるなしにかかわらず、それを古典の〈実〉の心で探すのも、細工で作り出す当代人のさかしい営為も、同じく「**世の人心」なのである。(水谷隆之『西鶴と団水の研究』和泉書院、2013年)
*疎句(そく)=付合語に頼らない内容主義的な心付。
**世の人心(ひとごゝろ)=西鶴晩年の浮世草子のテーマ。遺稿集『西鶴織留』巻三以降は、「世の人心」のタイトルのもとに執筆されていた。